第一話
金毘羅船船、追風に帆かけて、シュラシュシュシュ♪
軽やかな口調で、若い女性、井上通は讃岐に伝わる民謡、金毘羅船船を口ずさむ。
淡い空のもと、瀬戸内海の潮の流れに乗って船はゆく。
対岸に吉備を臨み、多島景観も美しい瀬戸の海は一見穏やかだが潮の流れは早く、操船は難しいという。
しかし東瀬戸の塩飽の水夫たちは巧みに船を操り。船は瀬戸の海を滑るように波を蹴って進む。
「まあ、すごいわねえ」
通は船の縁につかまり、風を帆とともに受けながら塩飽の水夫たちの熟練の技術に感心する。
海にぽっかり浮かぶようにして城が見える。親藩の高松藩松平氏の居城、高松城だ。海際に建てられ、堀に海水を引いた水城であり。別名を玉藻城という。
「讃州さぬきは高松さまの、城が見えます波の上」
通は流行りうたを口ずさんで、海から見える高松城の威厳を讃えた。
が、他の者たち、丸亀藩の侍女仲間たちは揺れる船に酔い。身を寄り添わせながら、うずくまっていた……。
「ああ、もう気分が悪うて。じょんならんわ(洒落にならないわ)」
と、讃岐言葉で愚痴を漏らすような言葉ももれる。
「お通さんは、よく平気ねえ」
侍女仲間のひとりは、船上で楽しそうにしている通に感心するやら不思議がるやらであった。
「そうね。そういえば私は船酔いしませんねえ。なんででしょう?」
「そんなの知りませんわ」
侍女仲間は黙りこくって、船酔いに耐えていた。
それを見て通は気まずく苦笑いするしかなかった。
時は天和のころ。
これらは、丸亀藩主・京極高豊の母・養性院の一行であった。
養性院は江戸に向かうことになり、それに仕える通ら侍女たちもそれに随伴して、ともに江戸にゆくために丸亀藩の港から船に乗り瀬戸の海を東に進むところであった。
養性院ら高位の者らには船室があてがわれて、そこでお休みになれられていることであろう。
「しかし、今日は変に波が高いな」
塩飽の水夫のひとりがぽつりとつぶやき。
「おい、そこの娘さん。危ないから、縁から離れなさい」
水夫の言う通り、船は揺れる。瀬戸の海は潮の流れは早いが波は高くない。しかし、今日は不思議と波が高く、船は上下に揺れる。
万が一、大波が船を大きく揺らし、その弾みで通が落ちてはいけないと。水夫は気を使い、縁から離れろと言う。
「きゃ」
不意に大波が船を持ち上げ、それから滑るように落ち。通は不意の声を出して、縁につかまる。
(これは言われた通りに離れなきゃ)
真ん中へんの仲間たちのもとへゆこうかというとき。またも船は揺れて、通の身体は持ち上げられるように宙に浮いて。縁を飛び越し……。