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覗き餌  作者: 空束 縋
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絡繰り




 午後十一時。玲胡達七人は大学近くのファミリーレストランを出た。

 雲はなく、星の輝く良い夜だった。まるで昼の暑さが嘘のように涼しい風が吹き抜けていく。

 胃を押さえながら満足そうに佑治が伸びをした。

「さーて腹いっぱいになったし、幽霊に会いに行こうぜ」

「カメラの準備、大丈夫か?スマホの充電とかもちゃんと見とけよ」

 務が自分のスマートフォンを見ながら呼び掛ける。玲胡も電池残量を見てみたが、まだ半分以上残っていた。佑治もオーケーサインを出して頷く。


 それぞれ行く場所の確認などをして、出発の準備が整った。撮影が終わったらその場で解散し、翌日に研究会の部屋で報告会をすることとなった。

「んじゃ、明日無事に会おうぜ」

 そう言うと、空太が初めに歩き出した。霧が手を振りながらその後を追って行く。

「やばくなったら無理すんなよ」

「会えるといいねっ幽霊!」

 務、果那、芽愛子の三人もくうき組と反対方向に歩き出す。二組の背中を見送った佑治と玲胡は、一度顔を見合わせた。

「俺らも行こうか」

「う、うん」

 佑治に手を引かれ、駅の方向へ歩き出す。いつもの幽霊探しと違い、足が重く感じる。出来ることならこのまま帰りたいくらいだった。

「もう、神社とか行ってもお守り買えたりしないよね」

 玲胡の言葉に佑治は目を丸くした。これまで七人は県内の心霊スポットを次々と回ってきた。ここS県は山もあり海もあり、街もある。廃墟や自殺スポットなど、噂は多かった。だが一度もお清めや除霊、神の守護などといったものに頼ったことはない。彼らの活動は本気でありながら、やはり遊びなのだ。

 しかし雰囲気を出すとか冗談とかではなく、玲胡の表情は真剣だ。

「玲ちゃん、怖い?」

 いつもは人の良さそうな笑顔を浮かべている佑治が、心配そうに玲胡の顔を覗き混む。あまり情けない姿を見せたくはなかったが、玲胡は上手く笑えない。

「怖いというか…嫌な予感がするんだよね」

 確証はない。予感など当たったことはない。けれど無視できない、心地の悪い何か。

「行くのやめる?」

 茶化さずに受け止めてくれるのはとても嬉しかったが、そこまで心配されてしまうと途端に恥ずかしさが込み上げる。

「ううん!大丈夫だから!佑治くんが居れば大丈夫!」

 ぶんぶんと首を振る玲胡を見て、一瞬ぽかんとした佑治はどんどん表情を緩め、ふにゃりと笑った。

「玲ちゃんがそんな風に言ってくれんの貴重だな。めっちゃ嬉しい」

 繋いだ手に力を込め、佑治は表情をきりっと引き締めて力強く歩き出す。空太と霧とは違い、あまり感情を言葉にしない二人だったが、言葉にした方が良いこともあるのだと玲胡は改めて思った。

「お守りは買えないけど、神社通り掛かるし参拝だけしてこうか。味方は多い方が良いもんな。俺には敵わねえだろうけど」

 大きく頷いて、玲胡も繋いだ手に力を入れた。

 やはり、何でも言葉にするというのは難しい。


 二人は駅前通りに向かう途中にある小さな神社に入った。少し暗いが、通りから見える場所にあり、街灯の光も入り込むので気味の悪さはほとんどない。むしろ日中より神聖な雰囲気が漂っていた。

 賽銭箱に小銭を入れ、夜も遅いので鈴はあまり鳴らないよう、揺らす程度にして手を合わせる。

 自ら肝試しに向かいながら神に守ってもらおうとは、すごく都合のいい、愚かな頼みだと思う。それでも、もし、予感が当たってしまったら。触れてはいけないものに、触れてしまったら。その時、佑治だけでも助けてもらえたなら、それ以上に望むものはない。

「ちゃんとお願いした?」

「うん」

 顔を上げて振り返り、鳥居の方へ歩き出す。これで少しは安心できるかもしれない、そう思いながら、鳥居をくぐった時だった。

 足元で、何か硬いものが落ちた音がした。足を止めて見渡すと、見慣れたものが落ちている。スマートフォンに付けていた鈴だ。

 急いで取り出して見ると、確かに鈴が無くなっている。けれどおかしいのは、輪になっている細い紐部分ではなく、もう少し頑丈そうな、装飾部分から千切れていることだ。そんなに年数が経っているわけでも、衝撃を与えたわけでもない。

 鈴を手に、玲胡はひきつった笑顔で佑治を見た。

「ぐ、偶然だよね…?」

 偶然とは思えない。だが佑治は何と言っていいのかわからず、同じようにひきつった笑顔を浮かべる。

「偶然だよ偶然!はははっ」

 今回はいつもと違う。佑治もそれを、実感した。


 神社から少し進むと、S駅前南の広い通りに出た。県内でも一、二番目に栄えている地域で、店やビルが多くある。

 平日の夜ということもあり、飲み屋の明かりは点いているものの人通りは多くない。至るところに、闇が潜む。

 佑治は路地の暗がりなどにスマートフォンのカメラを向け、時折シャッターを切りながら歩いていく。

「どう?写ってる様子ある?」

 数歩後ろから問いかけると、撮った画像を見ながら佑治は首を傾げた。

「いや、今のところは何も。印刷したら出てきたりすんのかな」

 神社を出た時より、佑治は不安が薄れているのを感じていた。思ったより、怖くない。やはり鈴が千切れたのは偶然で、今回もいつもと同じように遊びで終わるのだろう。

 玲胡を見ると、彼女の表情も和らいでいるように見えた。幽霊が見られないのは残念だが、危ない目に遭うより、玲胡が怖い思いをするより余程いいと思う。

 ロータリー前の交差点まで歩き、二人は通りを振り返った。

「怖く、ないね」

「ちょっと拍子抜けだな。でも無事に帰れる。コンビニで飲み物買ってこう」

 来た道を戻りながら、コンビニへ向かう。予感など当たるものではないな、と玲胡は内心苦笑した。

 佑治が飲み物を買っている間、玲胡は外の花壇の縁に座って待っていた。人も少なく、暑くもない。待っているのは苦ではないし、コンビニスイーツを目にしてしまう方が恐ろしい。

「やっぱり何も居なかったな…」

 要らない心配を佑治にさせたことを反省しながら、辺りを見回す。

 ふと、視界の隅で動く影に気付いた。目を向けると、道の反対側、残業上がりのサラリーマンを追い越して足早に歩く男。

 なぜ気になったのか考えて、はっとした。

 この季節に真っ黒なスーツ、今時見ない型の帽子―最凶幽霊の、特徴。

 すぐコンビニへ視線を戻すが、棚に隠れているのか佑治は見えない。男を見ると、歩きとは思えないスピードでどんどん遠ざかって行く。

 一瞬迷ったが、玲胡は男を追って走り出した。佑治には電話で連絡を入れればいい。横断歩道を駆けて男と同じ通りへ渡り、黒い後ろ姿を追う。男は玲胡に気付く様子もなく、細い路地を曲がって行った。

「やばい、見失う…!」

 速度を上げ、男より少し遅れて玲胡も路地へ駆け込んだ。


 曲がった先の様子を見て、玲胡は固まったように動きを止める。

 暗い路地、街灯の下に男は立っている。横に、大きな木の箱が設置されていた。そして男は、駆け込んで来た玲胡を見ている。

 帽子の縁が街灯の光を遮り、顔が見えなくなっているため男がどんな表情なのか、どこを見ているのかまではわからないが、体がこちらを向いているからには玲胡の姿が見えていないはずはない。

 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、玲胡は震える唇で言葉を紡いだ。

「猫…来ませんでしたか?白い猫。うちのが逃げて…」

 そもそも言葉は通じるのか。言い終えてから不安になったが、男は二度、首を振った。

「いいえ、見ていませんね」

 低い、這い寄るような声だった。だが意外にも口振りは穏やかで、恐ろしい印象はない。

「そうですか…」

「そう心配しなくとも、猫は賢い。散歩が終われば戻るでしょう」

 目の前に居るのは、本当に霊体なのだろうか。見れば足もちゃんとあり、掛ける言葉は親切だ。表情こそ見えないものの、声の感じから五~六十代だと思われる。自分の父親とは随分違う、とても素敵な紳士である。

 そんな玲胡の視線に、男は首を傾げた。我に返って慌てる彼女を他所に、男は背後の箱を振り返って頷いた。

「これ、やはり気になりますか」

「あ、え…ええ」

 男は玲胡の視線を、箱への興味だと解釈したようだ。確かに改めて見ると、こんな大きなものがなぜ細い路地に置かれているのか、何のためのものなのか、疑問に思う。

「この中には何が?」

「…物語ですよ」

 いまいち理解出来ずに返す言葉を失う玲胡を見て、男は小さく肩を揺らす。笑われたようだ。

「そこからでは分からないでしょう。こちらへ」

 箱の正面へ招かれたので、言われた通りに進み出る。側面からでは見えなかったが、箱には金色の文字が書かれていた。

「覗き絡繰り…“覗き餌”?」

 声に出して読んでみると、男は深く頷いた。とても大切そうに、絡繰りの側面を優しく撫でる。

「覗き絡繰りはご存知ですか。とても簡単に説明すると、絵の動く紙芝居のようなものです」

 玲胡も少し知っていた。江戸時代の後半から、昭和初期に活躍した見世物。現在その数は少なく、誰かが博物館で見たと写真を見せてきた気がする。それはもっと浮世絵のような絵がたくさん描かれていて、派手だった。客を呼び込むにはその方がいいだろう。けれど目の前のものは、何が入っているのか、わからない。とても不思議な魅力が感じられる。

「お祭りか何かの準備ですか?」

 屋台と共に並ぶなら、他のメンバーも誘って見に来ようと思った。しかし男は首を振る。

「これは私の趣味なのです。…しかし丁度、お客に見てもらおうかと考えていたところで。如何ですか」

「良いんですか?お代とかは…?」

 幽霊情報など嘘だったのだろう。男の覗き絡繰りに感心したサイトの管理人が、宣伝のために書き込んだに違いない。そう思うことにした。

 財布を取り出そうとする玲胡を、男は止める。かざした手を、覗き穴の方へと差し出した。

 大きな箱の中程にある覗き穴のレンズは、夜の闇よりも更に暗い箱の中の世界と、この現実世界を隔てながら、街灯の光を反射して鈍く輝いている。

「見て頂くことに意味がある。―さあ、覗いてお行きなさい」

 男の示す先、黒く光る世界の境界から目が離せない。ふらりふらりと吸い寄せられるように足が進む。

 今ならまだ引き返せる。けれど、向こうの世界を見てみたい。男は今、どんな表情でこちらを見ている?自分は何のためにここへ来たのだったか…。先程まで、誰かと一緒に居たのではなかったか。連絡をしなければ。向こうの世界を、覗いてから―。

 ぼんやりとした、曖昧な思考で玲胡は箱の中の世界へ足を踏み入れた。



 “村ァ一番の大地主ィ、天津川(あまつがわ)氏のォ大ー屋ァー敷ィー”

 目の前に現れたのは、それは立派なお屋敷の絵だった。瓦一枚一枚丁寧に描かれ、鬼瓦の迫力は凄まじく、玄関の戸の硝子までとても緻密で、今にも触れられそうだ。

 男の口上が、まるで頭の中に直接流れ込んでくるかのように脳内に響く。

 玄関の戸がするすると開いたかと思うと、ぱたりと場面が変わり、広い廊下の絵に移った。壁の絵が動くので本当に進んでいるようだ。気のせいか足音まで聞こえる気がする。

 廊下を進むにつれて、どんどん薄暗さが増してくる。奥へ向かっている感覚が味わえる技法だ。

 長く廊下が続いたが、その先に襖が現れた。暗い中でぼんやりと、金色の装飾が輝いている。とても気味が悪い。

 心の準備が整うより先に、襖が徐々に開いていく。また、ぱたりと場面が移った。

 瞬間、玲胡は息を飲む。

 赤い赤い、広間の絵。窓も家具も何もない、畳敷きの間。その中に映える、白。女と思われる白い着物の人物が、こちらに背を向けて座っている。黒々とした長い髪が畳の上にまで流れていた。

“―ちがう、ちがう…これも、ちがう”

 広間の中から声がする。澄んだ、消え入りそうな女の声。

「あ、あのう…」

 玲胡はつい、女に呼び掛けた。困っているなら助けなければ。そう思ってしまった。絵であったと思い出し、顔が火照る。―だが、声がぴたりと止み、次の瞬間にはゆっくりと、女はこちらを振り返った。その姿を見て、玲胡は小さな悲鳴をあげた。

 女は口に青白いものを咥えている。

 どう見ても、人間の、腕だ。

 腕から赤い雫が流れ出る。女は腕を、吐き捨てる。

「ちが…う。私が、欲しいのは…こんな不味いものじゃ、ない」

 こちらを凝視していたかと思うと、ひたり、と女がにじり寄る。赤く染まった口元が、不吉な笑みを浮かべた。

「…………おまえか」

 後退る。しかし世界は変わらない。離れているはずなのに、箱の世界から出られない。

 背中が何かにぶつかった。振り返ると、鈍い金色の襖。開こうにも、ぴくりとも動かない。女はずるりずるりと近付いてくる。

「開けて!どうなってるの!!ここはどこ!?」

 襖を叩くが、何の反応もない。地面は畳、背後は襖、周りの壁は真っ赤に染まっている。どこなのかはもう、わかっている。わかっているが、理解が出来ない。信じられるわけがない。

「…うまい、もの。その、血…美味いの、でしょう…?」

 髪で顔が半分以上隠れているが、その表情が狂喜に歪んでいるのがわかる。ゆっくりとではあるが確実に、女は距離を詰めている。

「いや…来ないで。お願い」

 ずるり、ずるり。

「私は美味しくなんてない…」

 ずるり、ずるり。

「たすけて……」

 ずるり、ずるり。

 襖に縋る。逃げようと、もがく。その足を、すごい力で掴まれた。

「…血。わたしの、美味、い、血。わた、わ…あああああああああああああああ」


「―玲ちゃん!玲ちゃんっ!」

 聞き慣れた声がする。視界がだんだん開けてくる。

 我に返ると、目の前に佑治の泣きそうな顔があった。

「…佑治、くん…?」

 見回すと、細い路地のようだった。玲胡はブロック塀に背中を付けた状態で地面に座り込んでいる。男の姿も、白い着物の女の歪んだ笑顔も、覗き絡繰りの装置もなくなっていた。

「急に消えたから!めっちゃ探して…こんなところで動かなくなってて、震えてて…何回も呼んだけど反応ねえし、怖かった」

「…今、私の他に誰か居なかった?」

  震えのおさまらない体を押さえて辺りを見回す玲胡に、佑治は嫌な予感をよぎらせながら、首を振った。

「誰も、居なかったよ」

 差し出された佑治の手を取り、立ち上がろうと足に力を込める。右足に、違和感があった。

「…玲ちゃん、何、それ」

 違和感の正体。玲胡の右足首には、青紫色の大きな痣が浮かんでいた。形はまるで、人の手の痕のようだ。

 白い着物の女、その歪んだ顔が、玲胡の脳裏を駆け抜ける。

「夢じゃ、ない…」

 きっと佑治が来なければ、本当に喰われていた。何もない、大きな屋敷の広間の赤色になるところだった。

 小さな安堵と、その何倍も深い恐怖で震えながら、玲胡は佑治に縋り付く。

「…私、見たの。スーツの男。会っちゃったよ」

 玲胡を強く抱き締めて、佑治は怨霊サイトの記事を思い出す。

“こいつは本当にやばいです!見ただけでも、標的にされる危険があるかもしれないので絶対、絶対近付かないように!”

 “会ってしまった”。それは、“見た”だけではないということだ。標的、とはどういうことかわからないが、何か、これだけでは終わらないような気がする。

「俺が…俺が守るよ」

 佑治は心から誓い、闇を睨み付けた。




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