美術商の彼(2)
「よお。食料を持ってきた。あと牛も二頭、連れてきた」
小屋の前にいたギル・ウォッカはぶっきらぼうにそう告げた。赤みの強い茶髪に同色の瞳。浮かぶ表情は憮然としたように見える仏頂面。顧客を相手にしている時以外、彼はいつもそんな無愛想ともいえる顔をしていた。しかしこれが彼の自然体なのである。吊り気味なため、目つきが悪く見られがちなこともまた彼はとても気にしていた。けれど僕に向けられる視線は一際険しい。
「いつもありがとう」
僕は礼を言う。
「食料はいつものところに入れておけばいいか?」
「いや、自分で運ぶよ。牛だけ、家畜小屋に繋いでおいてくれないかな」
僕の姿を見るや、明確に威嚇するような唸り声を上げ始めた牛達は、今にも暴れ出しそうだった。
「わかった」
彼は頷いた。
必要最低限のことしか僕らは話さなかった。七年前のあの日から。
昔は親しくしていた。僕の一番の友達で、リリも含めて三人でよく遊んだりもした。オルコット家は元々美術品のコレクターとしても名高く、ニッチな、それでいて価値のある作品を数多く見つけ出し所有しており、そんな品々を提供していた美術商のウォッカ氏と、彼がその審美眼を評価される前から懇意にしていた。その関係もありギルはリリの幼馴染でもあった。
彼にとってもまたリリは大切な存在だったはずだ。そんなリリを死なせたのは紛れもなく僕であり、以来彼は常に険しい表情を向けてきたし、僕も彼に対して昔のようにフレンドリーに接することはおこがましくてできなかった。
「お前に一つ訊きたいことがあるんだが」
「何だい?」
いつもと違う言葉を彼から掛けられ僕は訊き返す。わずかに声が上擦った。
「今、このノーベルハイドに来ているメイスン侯爵の令嬢が行方不明になっていて、ちょっとした騒ぎになっているんだが、何か知ってたりしないよな?」
「その令嬢の名前は?」
アリシアのことだと思いながらも僕は尋ねる。
「アリシア。アリシア・メイスンだ。十七歳で長い黒髪が特徴的なんだが、お前は何も知らないよな」
「彼女なら今、中にいるよ」
「なんだって!? 中って、お前の家にいるっていうのか」
「……うん」
眉間に皺を寄せ渋面を浮かべ始める彼に謎の罪悪感を覚えつつ答える。
「どうしてアリシア嬢がお前家にいる? まさかお前が連れ去ったりはしていないよな?」
「そんなことするわけないだろう。彼女が僕を訪ねてきたんだ。吸血鬼である僕に殺して欲しいって。だけどそんなことできるわけないし、彼女の身内だってきっと心配しているだろうから、君に家族の元へ帰してもらおうと思ってたところだったんだ。僕は街には近づくことができないから、今まで一緒に過ごしていたけど彼女に危害を加えるようなことは一切していないよ」
「まあ、お前は人に加害を加えるような奴じゃないもんな。それじゃあ、アリシア嬢は今も家の中にいるんだな。彼女に会わせてもらってもいいか?」
「もちろん。あ、でも今はちょっとダメかもしれない」
「なぜだ?」
詰問するかのように彼は声音を固くする。
「君に家族の元へ帰してもらおうと思ってるって話したら、彼女のことを怒らせちゃって。そして泣かせちゃったんだ。でも君がアリシアのことを気にかけているってことは、やっぱり彼女の父親や婚約者は彼女のことを心配して探しているんだよね?」
「ああ。特にメイスン侯爵がな。というかどうして彼女が父親と婚約者とノーベルハイドに来てるって知ってるんだ?」
「彼女が話してくれたんだ。父親と婚約者とここへやって来たって。とりあえず、彼女を説得してみるよ」
僕はドアを開けて険しい表情を浮かべたままのギルを手招く。彼は連れてきた牛達の手綱を小屋の周囲を囲っている柵に括り付けると、僕と共に家の中へと入った。
「アリシア。どこにいるんだい?」
僕は彼女を呼ぶ。テーブルにもキッチンにも彼女はいなかった。この部屋を出たきり戻ってきてはいないみたいだ。
「アリシア」
書斎か寝室に逃げ込んでいるのかもしれないと思った僕は彼女の名前を呼びながら廊下へと出る。ギルは無言で僕の後をついてきた。
「アリシア」
手前の寝室から僕は確かめるため、ドアを開ける。
しかし彼女の姿はそこにもなかった。
「アリシア、どこにいるんだい?」
僕は彼女の名前を呼びながら念のためベッドやクローゼットの中を確かめる。しかし彼女が隠れているようなことはなかった。
消えるはずないのに見つからない彼女。
いや、まだ書斎を覗いていない。もしかしたらそこにいるのかもしれない。
「アリシア」
寝室を出た僕は書斎の前で再び彼女の名前を呼ぶ。けれど相変わらず返事はない。
「アリシア」
もう一度彼女の名を呼びながら書斎の中へと入る。しかしそこにも彼女の姿はなかった。
「いないようだな」
アリシアを探し続ける僕にギルはそう言った。
「いや、君を出迎える直前までは確かに一緒にいたんだ」
「お前の言うことを疑う気はない。だが現にアリシア嬢はいない。お前、彼女に俺のことを話したら怒ったって言ってたよな?」
「うん。彼女は父親と婚約者の元へは帰りたくないって怒ったんだ。特に婚約者の元へ帰されるくらいなら死んでやるってさ」
「アリシア嬢はお前を尋ねてきて殺して欲しいって頼んできたんだよな?」
「うん、そうだよ。彼女は僕に殺してって頼んできたんだ。死にたがってた。死に方がわからないとも言っていたよ」
最後に目に涙を湛えながら僕を睨んでいたアリシアの顔が脳裏をよぎる。彼女の態度は刺々しく極めて攻撃的だったが、それと同時に今にも崩れてしまいそうな脆さもあった。
「それでそんな彼女に俺が来ることを馬鹿正直に話したんだよな」
「うん。黙ったまま引き渡すのは良くないと思ったし、その方がアリシアのためになると思ったから」
「……大方、彼女は俺が来ることを知って逃げ出したんだろうよ」
僕の答えを聞いた彼はなぜか溜息を吐いた。
「逃げ出したって女の子一人じゃどうしようもないだろう」
「とにかく逃れられればそれで良かったんだろうよ。お嬢様が先のことなんか考えちゃいないだろうさ」
「じゃあ、なおさら探さないと。彼女の身に何かあったりでもしたら……」
アリシアのことが心配になり、居ても立ってもいなれなくなってくる。
「ああ。まずはメイスン侯爵に現状を報告して、ノーベルハイドの自警団にこの森を捜索させた方がいいな。あとファリントン家にも正式に協力を要請する」
「待ってよ。まだ彼女がここから逃げ出したって決まったわけじゃないし、何もそこまでしなくても。それにファリントン家直々に依頼なんて大げさ過ぎるんじゃ……」
ノーベルハイドはファリントン家の領地ではあるが、通常有事の際は自警団が全てを担う。自警団の手に負えない場合、彼らから領主であるファリントン家へ協力の要請がいくことはある。しかし自警団側から領主の力を直接借りるなんてことは余程の事情がない限りあり得ない。直接領主へ働きかけようとするのはかなりの大事だ。
「お前はついさっきまでアリシア嬢と一緒だったんだろうが、彼女がメイスン侯爵達の元からいなくなってからは丸二日経ってるんだ。貴族の令嬢がそんなにも長い間行方知らずになってるんだぞ。今も連日で村中を捜索してたんだ。報告しない訳にはいかない。それにメイスン侯爵達は元々ファリントン家に向かっていた。そして何よりお前が関わってしまった。理由としては十分過ぎるさ」
「ファリントン家に向かっていただって!? 一体どんな目的で」
驚きから思わず声を上げてしまった。
アリシアが僕の実家を訪ねようとしていたなんて……。
確かに彼女は、ファリントン家のこともよく知っていた。僕がファリントンの出だと聞いて驚いてもいた。けれどそんな彼女がまさかファリントン家を目指していたなんて。一体何の用があって僕の実家へ向かっていたというのだろうか?
「絵画だよ。メイスン家が保有してる、とある絵画を譲ってくれるよう、ファリントン侯爵――ーお前の祖父は交渉していたんだよ。ファリントン家が保有している、ありとあらゆる絵画を代わりに譲ってもいいとまで言ってな。それでメイスン侯爵はファリントン家が保有している絵画の品定めに来たのさ」
ギルは言う。
「そのとある絵画ってもしかしてラミエルの人物画かい?」
「お前、どこまで知ってる?」
彼の目つきが鋭くなった。
「彼女が言ってたんだ。ラミエルの人物画があるって。銀の髪に青い目をした女性の絵だって。僕が知らないラミエルの絵なんてないはずだから。もしあるとしたらそれは誰かがどこにも公開せずに保有していたものしかあり得ないよ。そんな絵の情報なんて普通の人間じゃ、ましてやお嬢様であるアリシアが知ってるはずがないからさ。だからそう思っただけだよ」
まさか睨みつけられるとは思ってもみなくて僕は弁明する。
「そうか……」
彼はそれだけぽつりと呟くと僕から視線を逸らした。
「あのさ。一日だけ待ってくれないかな? なんとか僕の方でアリシアを見つけて説得してみるからさ」
「なぜだ?」
彼は再びこちらに険しい表情を向け訊き返す。
「やっぱりその、彼女を無理矢理引き渡すのは良くないと思うんだ。彼女は僕に殺して欲しいって頼みに来る程死にたがっていたんだ。断ったけど、何度も殺して欲しいって迫られた。それに家族の元へ、特に婚約者の元へ帰されることをとても嫌がってたんだ。そんな彼女を、彼女が納得しないまま帰すことなんてできないよ」
「だが彼女をこのままメイスン侯爵達の元へ返さない訳にはいかないぞ」
「わかってる。僕と一緒にいるのも彼女にとって良くないだろうし。だから君にアリシアを託そうって考えてた。けど、彼女が納得しないままなのは良くないと思うんだ。きちんと彼女を説得した上でないと、可哀想だよ。それに彼女は夜になると異常に怯えていたし、どうしてそんなに死にたがってるのか、やっぱり気になるんだ」
僕に一人にしないでと縋りついてきたアリシア。日中は堂々としていて気位が高い振る舞いを見せるのに、その時だけは弱々しく怯えており、必死に僕を引き留めようとした。今朝も、彼女は怒ってもいたけれど、いつも強気だった瞳に涙を湛えていた。
「……わかった。今日は一旦引く。殺して欲しいなんて頼みに来るってことは、貴族のお嬢様といえども、それなりの理由があるんだろうしな。そんな人間を無理に連れ戻すのは俺だって嫌さ。だが一日だけだぞ。それ以上は引き延ばせない。明日にはアリシア嬢を連れ戻させてもらう」
「ありがとう」
折れてくれたギルに僕は礼を言う。こういう時彼は根負けし、最終的に僕の意思を尊重してくれる。ぶっきらぼうだが、なんだかんだとても優しい奴なのだ。
「ただし、あまりアリシア嬢に同情し過ぎるなよ。彼女だって貴族の令嬢として生まれた以上、色々と折り合いをつけなきゃならない。こんなわがまま、通していいはずがないんだ。それに下手に手を貸せばお前の立場も危ういものになる。そこまで彼女に肩入れする義理はお前にはないんだからな。それだけは覚えておけよ」
そう言葉を発し僕を一瞥すると、彼は踵を返した。今日のところはもう引いてくれるようだ。
「ありがとう。明日までには必ず彼女を説得しておくよ」
その背に僕がそう告げると、彼は無言のまま右手を振った。頼んだぞとでも言うかのように。
僕はそれをぼんやりと見送っていたが
「ごめん。そういえばまだ食料を運び込んでなかった。急いで運ぶよ」
姿を消したアリシアのことで騒いでいたせいで、自分で運ぶと言っておきながら肝心の食料をまだ台車から受け取っていなかったことに気づき、慌てて走り出した。