儀式
それぞれが部屋で休息をとる中、虫栗はひと部屋ずつを訪問していく。
初めに訪れた一楼との会話は人類のちの歴史という哲学的命題に流れ、次第に禅問答のようなシュールな会話へと導かれていった。
すべての部屋を訪問しつつ自部屋にかえった虫栗は、夢うつつでここに居合わせるそれぞれがそれぞれに殺意を抱いているということを確信している。
そんな中、ドアをノックする音が夢想と混じり合う…
主殺しの犯人の当てがないことが頭の中で谺する…繰り返されるノックの音と交互に反復して…
その訪問者とは、これまで意識にいれていなかった召使いだった。
「どうやら主殺しの候補が現れたようだ…」虫栗はそう直覚した。
四
次の朝、虫栗はロビーに一同をあつめた。
「さて、皆さん…」
引き締まった表情の一楼、何かを洞察するかのように遠い表情を浮かべる宗田樹一郎を除いて、皆は比較的リラックスしていた。
「私は昨晩、皆さんの部屋をひと部屋ずつお伺いしてそれぞれ個人の話を聞かせていただきました…」
「うへっ!うぎょうぎょうぎょぎょっ…」
突然声を荒げる次朗…
「次朗!夕べはもう遅くお前は疲れていた…虫栗さんはノックをしたけれどお前は起きることができなかった…いいね」
「うっ、うぎゅぅぅぅん…」
(コイツ、はぶられて怒っているのか…しかし兄に対してはヤケに従順だ…しかも昨夜コイツは起きていたのに…殺気に満ちた気配を感じたから。正気か?それともやはり白痴??)
「ええ…どれだけ大きな音を立てても反応がありませんでした」
「ぎゅぅぅん…」
(やはり…)
「それで、皆さんの心境や境遇はこころを開いていただいたお陰で必要な位には把握できました、感謝します」
その瞬間に一同の輪に殺気めいた空気が湧き上がる。
(思ったとおり…殺意の束だ…この輪の実情は)
「しかし…」
もうリラックスしている者は一見していない。
「私は疑問に思いました。ここに集められた意味をさりげなく問いましたが、皆がみな別の話題へとミスリードしたのです、示し合わせたように…」
「……」
皆は口を噤んでいた。
「それは…」
一楼が口を開く…
「いえ…一楼さん、あなただけは答えていただけました。失礼、ただ、それでも言葉足らずには違いません。あなたは昨夜、この組織に関わることで、しかしそれは皆がみな同じ目的で呼び出された確信にはいたっていない、そうである以上今はこれ以上話せない…そうおっしゃいました」
「ええ…その通りです」
「そこで皆さん、教えていただけませんか?」
虫栗はできる限り率直に要求した。
「わかりました」
足利清潤が合いの手を打つ。
「ここは年長たるワタシかもしくは一楼さんからお話すべきでしょう」
「けっ」
土師道灌は同じ年長者でも荒々しいだけで荘厳さに欠けていた。しかしそれを堂々と表に出されれば、不快な渦がこみ上げるので、声を出して発散せざるを得ない…
「敢えてワタシから…」
「ええ」
と切り…
「それではお話下さい」
「一楼さんはああ言いましたが、ワタシには判然としています。皆の目的は同じでしょう」
「……」
「この組織にはある儀式があります。それはあの、密室のカラクリの引き金となるあの長机の鍵穴が深く関係しています」
一楼は首に下げてある鍵を見せた。
「なるほど」
虫栗は呟いた。
「恐らく道山代表が亡くなったとき、あの引き出しの手前におられたことはその儀式を使い殺人が行われたのだと推理します」
「…ん?」
虫栗がその意味を捉えかねていると…
「邪推はやめてくれねえか!た、探偵さんのそれこそ推理の邪魔になるじゃねえか!」
虫栗は道灌を見遣った…慌てていた。
「しかし…しかし、この中の誰かが…儀式のための密室の二人きりの空間を利用して殺したに違いないのです!!」
「いえ、清潤さん…実はこの中にその犯人はいないと思われます」
虫栗の推理が疑惑の全てを晴らすというわけではないが、やや、空気の重さが柔らいだ…
「そうだそうだ!皆で示し合わせて蜘蛛を…透明な蜘蛛を見ていたじゃねえか!忘れたのかよ!!」
「しかし…それはその前に殺った可能性だってあるのだし…」
「いやありえねえ!代表の外鍵はもうず~っと昔からあの執事が首にぶら下げた鍵ひとつなんだ…それとも長年連れ添った執事が殺ったってのかよう…ありえねえ!」
「ヤケに詳しいですね。僕はあなたを疑いそうになっています」
(確かに…)
鍵の件は別としても、虫栗は道灌の狼狽している様子には違和感を感じずにはいられない。
「坊ちゃん!そんなこたあテメエ以外誰でも知ってることだ、テメエは新入りみたいなもんだから知らねえだけだぜ」
「そうであれば取り消しましょう」
「けっ、偉そうに…」
「少し取り乱しすぎです」
落ち着きを取り戻した一楼は言う。
「清潤さんは動揺しているのです、無理もない…ここからは私が代わりましょう」
「……」
清潤は口を噤み、道灌は言い足りない表情を露わにしながら黙り込んだ。
「皆さん…儀式で伯父から呼び出されたことは確かなのですか」
「……」
……
「ああ」
頷いたのは道灌だった。
「さっき清潤くんが言ったとおりだろうぜ、石渡家の三兄弟はそれで間違いないだろうし、この坊ちゃんなんてそれ以外で呼び出される理由なんて他にねえ」
「その言い方はないのでは」
「じゃああるのかよ?」
「無論儀式は受けます」
「くっ…」
やはり揚げ足を取るつもりで吹っ掛けてみても逆に取られてばかりいる…
「まあそういうこった…虫栗さん」
「ええ、了解しました」
「それではその儀式についてお話します」
(殺人に利用できる状況…)
一触即発をただあからさまに互いに触れ合わぬようにしている、というだけの不安定なこの一同の崩壊にすら繋がりかねない事態である。
虫栗は注意深く耳をそばだてていた。
「あの長机に鍵を差込み、それを捻ればドアは施錠され密室となります。それとは反対に引き出しの鍵は開放されます…」
「なるほど…しかしあなたはあの時左に捻りをいれましたね…??」
「……」
少し凍りついたような空気が覆った…
「普通施錠するならば左、それを開放するならば右に捻る筈です…しかしあの長机の引き出しは通常とは逆ですね」
「……」
一同は声を失っていた…皆がみな青ざめている…
「…恐らくそれは」
しかしやや顔を赤らめて、一楼は落ち着いて話を続けた。
「ドアの方に捻りの方向を合わせたのでしょうね…我々の認識において、あの鍵穴は左に捻りをいれ、右に戻す…というものですから」
「そうですね。解りました、ではその続きを聞かせて下さい」
「はい。そうなると部屋は密室です。これは儀式は必ず二人きりで行わなければならないからなのです」
「…なるほど、よく出来たカラクリですね…では、その引き出しから出てくるのは何でしょうか?」
虫栗はやや促した…真実を早く知りたかったのである。
「儀式とは即ち血の契…」
「……」
「引き出しには誓約書と、そして小さなナイフがあるのです」
「!!…ナイフ…ですか??」
「いえ…あのような恐ろしいものではありません。本当に小さな、とても殺人に使えるようなものではないのです」
「我々は針と呼んでいる」
清潤が一楼の語り口の淀みに、少し助け舟を出した。
「そう…しかし、部外者からすると、それはやはり小型の…果物を切ったりするようなナイフに近い…」
「ああ…殺人には不向きですね」
「…はい。それで、その針を利用して、お互いの血を交換するのです…」
「…ほう…風変わりな…しかし悪魔の儀式としては随分とオーソドックスな…」
「ええ。とはいえ悪魔崇拝と認識しているわけではありませんが。昨晩もお話ししたとおり、生まれた頃から私はこの環境でした」
「はっはっ…さすがは石渡家…生粋の悪魔崇拝者!」
道灌が茶化したのは、結果として少し重苦しくなり始めていた場の雰囲気を浄化させるため珍しく功を奏することとなった。
そこで瞬間一楼は反省していた。
これ以上深い話をしても主の事件の真相とは関係ないと悟ったのである。
「儀式の概略は以上です…これから先の情報は、それこそ外部に漏らせる代物ではありませんし、例え漏れ出したところで、一般市民には何一つ必要のない知識の渦といえましょう…」
「…そうですか」
道灌のユーモアに虫栗は少し残念がった。単純に興味が疼き始めていたところだったから…
「では、話題を転換させましょう…その前に…」
皆は悟られないようにふ~っと息をついていた。
胸をなで下ろす。
「今は少し騒々しい事態です」
「ええ…」
一楼が話を継いだ…
「儀式を行う予定は近々ですか?」
「…実は今夜…」
「…そうでしたか…それではひとつお願いがあります…」
「はい、なんでしょうか」
「今夜だけはその儀式を避けてはいただけませんか」
「……」
何故か一楼は黙り込んでいた…
そして見渡せば皆の顔も青ざめている…
しかし、何かを覚悟したように表情を入れ替えて、そして一瞬だけ皆に目配せをして…
それは並外れた動体視力を持つ虫栗さえ見逃しそうになるほどのスピードだった。
ゆえに、余計に皆にそれを悟られぬよう、わざとらしく虫栗は、何も見なかったように振舞おうとつとめていた。
「ええ。わかりました、虫栗さんの言うとおりです、皆も守れますね?」
「……ああ…あなたがそうおっしゃるのならば…」
「虫栗さん、そういうことです。そういえば話しの途中でしたね、失礼、また戻していただけますか?」
「…ええ、こちらこそありがとうございます」
虫栗は少し息をついて再び語り始めた…
「この館には召使いがいますね」
……
その言葉に複雑な表情を浮かべていたのは一楼だった。
「あ~、あの娘さん…もう長いねえ…確か」
「父が亡くなったあとすぐでした」
「!!」
「そうそう…確か執事の親戚とかで…実質組織の全てを仕切っていたといってもおかしくなかった副代表の死で大分落ち込んでいたときだったなあ…」
「一度重病に掛かられて…それまでの召使いが皆、音を上げてやめてしまいました。しかしあの召使い…露子さんはそれを一人で引き受けて、以来十数年やり通したのです」
一度 清潤に奪われた言葉尻をもう一度呼び戻して…道灌が勢いよく言い放つ。
「それからと言うもの、代表は重病を全快した挙句、この組織の再び核となって活躍していった…一楼くんという後継者を育てたというわけだ」
「……」
道灌の裏のない賛辞にも、一楼はその実あまり諒解はしかねているのだった…
「ええ…伯父は素晴らしい働きだったと思います」
「なるほど…」
再び虫栗は語り始めた。
「その復活劇を支えた内助の功…」
「正しくそういうことになりますな、はっはっ…」
道灌のその発言に再び場は和んだが、しかし何故か一楼だけ表情が冴えない…
ちらっと目線を向け再び正面に戻した。
「それで…本題ですが、先程私はこの中に主殺しの犯人は見当たらないと言い切りました」
「……??」
皆は一瞬だけ考えた…
道灌の緊張感を削いだ風情にかき乱されるモノはあった…
「無論執事にも殺意は汲み取れませんでしたし、何より自殺ではなく他殺であると、もし自分が犯人であるのならばわざわざ公表する意味がないのです…」
「……!!」
…皆の発想は自ずとひとりに向かっていた…
それは無論……
「そして私はあと1名、精査していない人物が…」
コトコト…コトコト…
それはまるで示し合わせたかのように同時性を持っていた……
「正に定刻ですね…」
ロビーにやってきたのは執事と召使いであった…