透明な蜘蛛
~蛇が自らの尻尾を咥えている。
はじまりとけつまつは混濁し…
…環となれば……
すべてはやがて立消えていく…
…ウロボロス…… ~
一
一同瞠目し蜘蛛の巣を凝視した。
透明な蜘蛛糸の、これは更なる透明な…
「…不思議ですね」
「ああ、蜘蛛糸とはいえこれは全くの透明ではないか」
「いえ、それより一等…もっとよ~くご覧になりなさい」
「……」
今や実業のみならず財界にまで名を轟かした、 石渡家の直系、亡き父 博文の兄に当たる石渡道山の館に集められた一同のイニシアチブを取るように、ひとときの沈黙を破ったのは二人の会話だった。
「…ああ、なるほど…確かにコイツは奇妙だね…」
既知の間柄とはいえ石渡家長男の一楼の無礼ととってもおかしくない揶揄に、石渡グループのライバル会社「利潤」グループの筆頭株主 足利清潤はこの一同の年長者らしい態度でやんわり受け流した。
…しかし、心うち、そう穏やかにはいられなかった。
ただ表面を取り繕っていたに過ぎない。
石渡グループは、亡き父を受け継いだ長男石渡 一楼の暗躍により、ここ十年で更なる業績の拡大を誇っていた。
そしてこの数年、「利潤」グループの主力である健康食品にまで参入した石渡グループは、創業以来他の健康食品会社の追随を許さなかった「利潤」グループにとって初めての驚異となった。
ひとえに一楼の独創的頭脳と素早く一貫した実行力によるものであり、それはどうにも抑えようのない無敵の不敗神話だった…
(コイツさえ死んでしまえば…残るは阿呆な次男と腹違いの末っ子のみ…糞っ)
確実に足利清潤は、一楼に殺意や怨恨を抱いていた。
さて…ここに集められた者たちはひとつの共通点、ひとことでいうとこの館の主、石渡 道山の「鶴の一声」に集まった者達である。
この館の主の残虐非道な趣味が、互の利益を満たし合うことで、その枝葉までにより強く、結束に向かうある秘密組織の幹部であり、そして道山は闇の支配者たちを束ねるピラミッドの頂上であった。
「血と裁きの教団」。
この秘密組織は、金と名誉を手にする者達の集まりで、目的は単純である。
この世界で邪魔だと思う人間を「消す」こと。
その手口はそれぞれ当事者によって異なるが、場所だけが決まっていた。
全国数箇所にある、「血と裁きの教団」の運営する殺人施設で、それを可能にする様々な仕掛けと凶器に溢れている猟奇の巣窟である。
怨恨や加虐趣味をもつ者はいたぶりねちっこく殺したし、相手が実利に関わるだけの「目の上のたんこぶ」なのであれば、自ら手を下さず、即死していく光景を傍らから見届けるに過ぎない…すべての殺人においてそれは千差万別だった。
そして財界を密かに牛耳って離さないこの「血と裁きの教団」の精神そのものたる道山の、名前ひとつで、司法、立法、行政すべての機関を買い占め、ここで命を落とした敗者たちはもう決して外部へは出られない。
(それだけ官に在籍するものの実利には欠かせぬモノとなっていて、もうそれほどまでにこの国は中枢からして腐敗していた)
この国の金、権力、名誉…そして人権のすべてはこの「血と裁きの教団」ひいては石渡 道山ひとりの手に握られている…といって過言ではなかった。
この、世にも恐ろしい秘密組織の幹部たちを闇の支配者の頂点は、一体どうして呼び集めたのであろう。
「…ふん…一楼君に言われて初めて気づいているようじゃダメだな。そうだろう皆…アレは…自縄自縛に陥った蜘蛛ってことだろう。透明なのは謂わばトリックみたいなものさ」
「…くっ」
例え年少者とはいえ、切れ者の一楼からの揶揄ならばまだしも流すこともできていたのだろう。
清潤とは同い年の犬猿の仲である市会議員 土師道灌からの侮蔑には耐えかねて、清潤は不快な表情を露わにした。
「まあ分厚いメガネをしてりゃあ細部に目が届かねえか…」
「視力は関係ないだろう」
「怒ってたってしょうがないぜ…まあ見てみなよ…不思議じゃねえか……」
「……」
再び一同は瞠目し、沈黙が訪れていた。
透明な蜘蛛の巣…
そこに掛かった獲物。
…それは…
「しかしこういう驚異はあり得るでしょうか?」
「な~にを考えてんだお坊ちゃん…目の前の光景が動かぬ証拠じゃねえのか?それともマボロシだってのかよ」
道灌の揚げ足を取ろうと反論するのはある富豪の息子で現在大学院の理科系の院生である宗田樹一郎だった。
「一見してこれは獲物が蜘蛛の糸にかかっているようです。しかし凝視すれば一目瞭然…これは獲物ではなく蜘蛛。この蜘蛛の巣の主である筈の蜘蛛が、巣自体にぐるぐる巻きにされて死んでいるのです」
「そうだ、その通りだ、テメエやっぱり認めてるんじゃねえかよ」
「だから…こんな驚異は事実として認めて良いのでしょうか?」
「…くっ」
意固地に反発し続ける樹一郎に、道灌は言葉を詰まらせていた…
この若者が自分に食ってかかる理由は、この光景の真偽などが理由である筈はなくただ、自分に反抗心を抱いているだけの理由だった。
それをわかっていてまともにぶつかった自分が滑稽に思われてしまった。
「動いています…」
2人の会話に割って入ったのは石渡三兄弟の末っ子 市朗である。
三男で「いちろう」。
彼は腹違いの兄弟で養子だった。
「喋んてんじゃねえキタネエガキ!!」
怒鳴り散らしたのはその兄、次男 次朗。
三兄弟の中で、親ほども年の離れた兄より、この血の半分だけ繋がった義弟の方が歳は近かったが、恨み殺すかと思われるほどに義弟をイジメタオしていた。
兄弟で唯一「血と裁きの教団」に日常的に通いつめ、十数回にも及ぶ殺人によって、快楽と渦巻く異常な衝動を発散させていた。
彼は白痴であった。
場が静まり返る…
再び一同は蜘蛛の巣を凝視し始めた……
透明に編みこまれた複雑な蜘蛛の巣…
獲物はそれ以外に無く…その巣の主たる、これまた透明な肉体をぐるぐる巻きに透明な蜘蛛糸の束に縛られた蜘蛛…
自らのトラップに掛かり…のみならず残虐なほどに手を下され続けた成れの果て……
例えば蜘蛛のような狩猟生物と同じ境遇であるはずのこの残虐非道なクズ共に、何故これほどまで惹きつける干渉力をこの光景は持ち得ていたのだろうか…
透明な自らの巣に捕われた透明な蜘蛛……
一同の凝視を一点に集めていた蜘蛛の巣が、不意に皆の胸を驚愕により凍らせた!
透明な蜘蛛の巣が…動いたのである……
意志を持ってその全体は、こちらに顔を向けた…
「うぎゃっ」
一番大きな声を上げたのは議員の道灌だった。
「なんだコイツ!巣だと思ったら巨大な蜘蛛じゃねえか!!」
「……」
一同はやはり息を飲み、沈黙するのである。
「坊ちゃんよ!テメエわかってて喋ってたのか?」
「何がです?僕にはすべてが見えたままです、巨大な蜘蛛だってことも今見えたところです。それより僕が言いたかったことはこの光景を信じていいものかどうか…という問題なのですよ」
「何をまた!!訳のわかんねえことばっか言ってんじゃねえよ!」
「いや」
樹一郎は静かにある一筋の理論を語りだした。
「この一見蜘蛛の巣みたいな巨大な蜘蛛を見たことで僕は確信したんですよ。ここに集まった皆さんはやはり、自らのトラップに掛かったこの哀れな蜘蛛より先に、はじめはこの透明な蜘蛛の巣に目を見張り、見とれていたと思います…実際僕もそうでした」
「俺は同時にこの哀れな蜘蛛にも気づいてたぜ」
ヤケ糞みたいなセリフ。
いつの間にか乱れぬ樹一郎のペースに飲まれ道灌のほうが心を乱されていた。
「そうであるとして…」
道灌の言動など気にもかけずに、樹一郎は先へと進む。
「結局は巨大な一匹の蜘蛛であると皆さんは今認識している筈です。しかし僕には、これは巨大な巣に掛かる哀れな蜘蛛とも取れてなりません」
「まあ確かにこの小さな方の蜘蛛を見るならば…アレッ?」
もう一方の冷静な態度であった一楼が口を挟むもしかし黙り込んでしまった。
「そうです。ここにいる皆さんは、一方で蜘蛛の巣に掛かった哀れな蜘蛛の巣の主の姿を見ているだろうし、残りのもう一方でその蜘蛛は消え去ってただ巨大な蜘蛛の巣みたいな大蜘蛛を見ていることでしょう」
「本当だ」
「本当だ」
「本当だ」……
実際、それぞれの視覚には、それぞれ二通りの映像が映し出されている。
「僕は初め、道灌さんにこう言いました。“しかしこういう驚異はあり得るでしょうか?”と」
「そうだそうだ、意味がわかんねえ!ただの詭弁じゃねえかよ!」
「僕にはただ、こう見えて仕方ないんです。これは一方で蜘蛛の巣に掛かった哀れな蜘蛛の巣の主の姿に見え、残りのもう一方でその蜘蛛は消え去ってただ巨大な蜘蛛の巣みたいな大蜘蛛に見えると」
「それはテメエが皆に言ったばかりの言葉を繰り返しているだけじゃねえか!何が言いたい??」
「ええ…全く。でも、奇妙ですよね?」
「そりゃあ、奇妙だよ」
「これはもう、ひとりひとりに訪ねまわるしかありませんよ。実際僕には、交互の景色が入れ替わるように写っているのですから」
「なんだテメエ、また詭弁じゃねえか!!俺には今、巨大な蜘蛛しか写ってねえぜ」
「…そしてそうでない方々からすると、そのもう一方を写していることでしょう」
「…何が言いてえ…やっぱり分かんねえぞ」
「僕なりの結論を言います。はじめは透明な巣を、次に透明な巣に掛かったその巣の主たる哀れな蜘蛛を、そして次にその巣だと錯覚していた巨大な蜘蛛が…」
「だから繰り返してるだけじゃねか!」
「ええ。切りがない。そして僕には、とうとうこの巨大な蜘蛛すら更に大きな自らの巣に捕えられた哀れな蜘蛛の巣の主に思えてくるのです…どうでしょう?こうなれば本当に切りがない…だからこそ思うんです。“しかしこういう驚異はあり得るでしょうか?”と」
「…くっ…やっぱ詭弁じゃねえかよ」
「面白い。私は彼に同感しますな」
「て、テメエ誰だ!」
物陰からイキナリ姿を現した謎の男。
この「血と裁きの教団」という名目において集められたこの館の一室において、全くの部外者は彼ひとり…
「失礼、私はあなたがたとは全くの見ず知らず…しかし、れっきとこの館の主、道山氏に呼び出された今回の会合のメンバーのひとりです」
「なんだって」
「なんだって」
「なんだって」
「……」
皆は一同に驚いた。
そして訝った。
「私の名は虫栗虫太郎…」
「!!!」
「!!!」
「!!!」
「……」
「まあ、名乗るのがフェアだと思いまして。しかしまたこんな物騒な所にどうして私が呼ばれたのでしょうね、見当もつきませんが…まあ名乗ればもう正体も割れていることでしょう…私は探偵です」
「……」
「た、大変です~~~~~!!!」
緊張漂う一瞬の沈黙をすぐに破る声!
執事だった。
「皆様…この館の主、石渡道山が…何者かによって、殺されています!」
「!!!!!!!」




