頭を抱えないでくれ、俺が抱えたい
「ええ、ゲームの中で起こった事です」
黒縁メガネの中の目が丸くなり、紅いルージュの唇がわなわなと震えるのを見て同情を禁じ得ないが事実なものは仕方がない。
俺だって、進んであんな滅茶苦茶な世界に身を投じた訳じゃないんだ。
「イベントがそこまで進んだの?」
「まあな」
隣で平坂が同じように驚いてる事からして、外れくじを引いたのは間違いないなさそうだ。戻れただけ最悪ではなかったけど。
「平坂は普通か、500人の中の一人も見つけてないのか?」
「全然、ちょっと街を歩いたくらいだから。本格的な捜索は明日からかな」
「俺の装置はどうしましょう? 想定と違うのであれば、このまま続けるのもどうかと思いますし」
「……少し検討させて下さい、データを洗いなおします」
この期に及んでその台詞とは、どんだけ適当に作り直したんだよ。
「行っちゃったね」
「入るのはいいんだけど、無駄扱いされるのも気分が悪い」
「だよね」
要するに、彼らも俺の世界が何なのかよく分かっていない。未実装エリアなのだろうが、誰がいつ作ったのかも不明。
「君のお父さんって可能性は?」
「責任者だし、知っててもおかしくない。だけどそんなの秘密で作って何の意味があるんだろ?」
「そんなの俺が知りたい」
戻れば分かるだろうと思ったのに、文句を言おうと思っていたプログラマーの正体が分からない。おいどこだプログラマー! せめて顔だけは作ってやれ!
豆腐はそのままでいいぞ! 変に作りこまれても怖いからな!
「お前、まさか俺にそのままプレイしろとか思ってないか?」
「お、思ってない! 危険だもん!」
顔がひきつってやがる、さっきの人もどこかそんな感じだったし。命を使ってはやるがお前らに使い捨てにされる気はさらさらないんだよ。
「俺の目的は500名の救出、誓約書もそう書いた。まさかこんな偶然に入り込んだ所で500人が彷徨ってるとでも思ってるのか?」
「……可能性は、あるよね」
「そんな言葉で逃げるなよ、あるかもしれないからって理由で俺が行くとでも? お前は行けるのか?」
「行けるよ、行けるなら」
「これ交換して行けるって話でもないんだろ? そんな状況なら何とでも言える」
一度、キャラクターとして登録してしまえば装置は各々の脳波を元に個人を認識する。だから俺が平坂の使っていた装置を使ったところで行く世界はまたあのふざけた世界。
「そんな泣きそうな顔しなくたって行くさ、ちょっと八つ当たりしただけだ」
「い、いいの?」
「本当に偶然とも思えないし、二手に分かれるのは捜索として悪くないだろ。いくつかデータの修正はお願いしたいけど」
一つ、実は疑っている事がある。イデアがこいつか、あるいは関係者の誰かであって世界内での俺の行動を監視している可能性。
容姿の一切が分からないのは表情や仕草から俺に正体を悟られるのを防ぐ為、他の無秩序ぶりはその為のカモフラージュ。
「10分、ここで一人にしてくれ。着替えたら部屋に戻るから話があるならそれからいくらでも時間を取ってくれて構わない」
「あ、うん。じゃあそう伝えとくから」
伝えとくね、か。可能性だけならお前が作ったって可能性もあるってのに。
「悪いな、何か伝言役みたいなことさせてる。さっきの言葉も改めて謝罪する、変な世界に飛ばされて気が立ってた」
「こっちこそ気にしてないし、言われて当然の立場だから。じゃあね、また後で」
あのゲームについてまず疑問に思うのは、イデアというキャラクターとそれに付随するストーリーの不可解さ。
VRMMOの醍醐味は多人数プレイによる協力と、モンスターの討伐における爽快感。宣伝もそれが中心であったし、これではまるで一昔前のRPGの様で多人数でプレイする必然性がまるでない。
VRMMOを開発しようと思う人間が、その全てを拒否するようなシナリオを組み込むことに抵抗を覚えなかったのだろうか。
だからこそ、イデアは純粋なNPCではないという可能性に思い当ったのだが。そもそもヒロイン用意したってプレイヤーが女だったらどうするんだよ、友達にでもなるのか。だったら俺にも同性の友達役を用意してくれよ。
「ここで愚痴っても仕方ないな」
折角ここに戻ってきたんだ、とりあえずこれは脱ぐとして。何で俺は律儀に着てたんだ? そうだよあいつらが出ていかなかったからだよ!
「お菓子とか、でも寝てるだけなのに食べてたら太りそうだな」
将来を気にする必要があるのかはとりあえず置いておいて、制服に着替えて部屋に戻れば当然ながら出ていく前と同じ風景があるだけ。
「外に出れないってのも不便だな、外の空気とか何とかして吸えないかな」
そもそも俺はここがどこかも知らない、最後にまともに見た外の景色は家の前。そこから都心に向かいとある省庁の前に車が止まり、そのまま中に入っただけ。
残念ながら俺は国の省庁の詳細な住所を把握してもいないんだ、外に出ればマスコミが張っている事は承知済み。やれやれ、有名人は辛いね。
「天藤海人さん、いらっしゃいますか?」
「どうぞ」
早いな、確かに10分とは言ったけどさ。休んでくれと言っておきながらこれかよ。
「失礼します」
「ああ、さっきの責任者さん……呼びにくいんで名前教えてくれませんか?」
「では佐藤とお呼び下さい」
佐藤ね、偽名だろうな。何かそんな臭いがぷんぷんする。
「話はここで?」
「ええ、すぐに終わりますので。結論から申し上げますと、貴方には引き続きその世界でプレイを続行して頂くこととなりました。通信機器のトラブルについては今日中に復旧しますので、ご安心を」
「分かりました、この件は世間には?」
「伏せます」
だろうな、言えば世界の人権派が俺の救出の為に何をするか分かったもんじゃない。
「それも別に、俺の家族にも伝えなくていいんで。また明日から通常通りに?」
「その予定です、他に何かご希望は?」
どこまでも事務的だな、まあ下手に同情されても面倒くさいしこっちの方が楽だけど。
「なら、外の空気が吸える場所があれば教えて欲しいんですが」
「確かに外の空気だ、うん」
どうぞ、と連れてこられたのはどこかの部屋。開けてみれば20畳ほどの広さの運動スペースと、金網越しに広がる青空。
「本当に死刑囚だな」
何かこんな写真を見たことあるぞ、流石にここまで広くもなければ運動器具も揃ってなかったはずだけど。
「あ、いた」
「よう」
また平坂か、話す相手がこの敵か味方か分からんの一人しかいないのはなかなかきついな。志望者が一人だけだったのも頷ける過酷さだ。
「キャッチボールでもする?」
「悪いが俺のコントロールは凄まじいぞ」
「こんな狭かったら関係ないって」
互いにやや離れ7~8メートルくらいのキャッチボール。中学の体育以来だが、おお真っ直ぐ飛んだ。
「上手いじゃん」
「そのジャージはどっから手に入れた?」
「申請したら貰えたよ?」
何だその新情報、いや必要な物があればって何度も言われてたな。後で申請せねば。
「てっきり追い返される事も考えてたんだけど」
「誰が誰を追い返すんだ?」
「君が私を」
さっきのあれがそんなに効いてるのか? だとしたら随分と温室で育ったんだな、いや待てそれもそうか。あのゲームの責任者を父に持っていたのならお嬢様だよな。
「そんな事して俺に何の得があるんだ」
「……変わってるね、私が言えた台詞でもないけど」
「こんなゲームに自分から参加してる時点でそれ位は分かってくれ」
「何かもっと人生捨ててるのかと思ったけどそうでもないみたいだし」
人生は捨ててるさ、ただ無駄に捨てるのも勿体ないと思ったまで。ほら、産んでくれた人に申し訳ないだろう?
「役目は果たす、それが全てだ。それでいいだろ?」
「うん、まあいいけど。そうだ、お姉さんってどんな人? 写真見たけど綺麗だね、写真であれなら実際に見たら見とれちゃうかも」
「その印象のままだよ、500人の中でも見つけるのは楽かもな」
引き付けると言えばそうだろう、それを魅力やカリスマと評するのも間違いではない。まあ、俺からすれば気味が悪いんだが。
「どこかの国で王子様と結婚してたりして」
「王子様ね……」
ゲームの中のキャラクターと結婚して喜ぶタイプだったかと考えれば些か疑問だが、いつだって考えることが読めない人ではあった。
それがこんな異常事態に巻き込まれたのだから、ここでの会話も全てが無意味かもしれない。
「私の父の事も話しておいた方がいい?」
「好きなように、としか言えないな」
その人となりを聞いたところで、ゲームにどう反映されているかも分からないし。
「じゃあまあ基本情報だけ、って言っても私もあんまり覚えてないんだけど」
「忙しかったのか?」
「これだけ大きなプロジェクトの責任者やってるくらいだもん、家にたまに遊びに来るおじさんって感じ」
「それでも何か思うところがあるから参加したんだろ?」
「まあね。会えば遊んでくれる優しい人ってイメージしかなかったから、色々とここに来て驚いてる」
何か衝撃的な裏側でも持ってたのか、社内に愛人いましたとか言われてもおかしくなさそうだが。
「凄く厳しい人だったんだって、自分にも他人にも」
おお何か横に変化した、何だっけ、ツライダーだっけ? 凄いなこの子、経験者か。
「そういうのってお母さんも話してくれなかったから、そういう人だから責任感じちゃったんだなあって」
まあ500人もあんな事になればな、罪に問われてた可能性も高かったし。
お蔭で遺族に批判が集中することになったが……なるほど、だからこいつはここに逃げ込むしかなかったのか。
普通の暮らしなんてできるはずもないし、させては貰えないだろう。もし一発逆転があるとすれば、自分で救って見せるしかない。
「苦労してるな」
「してた、だよ。一人だけ逃げちゃったから」
「そうじゃない、お前だ」
娘がいるとも知らなかったのは俺を含む家族がその辺りの事情に無関心すぎたからだが、製作会社に怒鳴り込んだ人もいたとは聞いていた。
訴訟するからって息巻いてて家に来た人もいたな、わめくだけわめいて帰って行ったけど。
「私は当然の立場だから」
「ここでお前のせいだと罵って欲しいのか?」
「……どうだろ」
ふらっと上がったボールを取り損ね、足元にボールが転がる。やっぱり野球は苦手だ、次はサッカーにしよう。
「また明日、いい運動になった」
「うん、また明日」
しかし完全に二重生活だな、まあ一方はコンピュータ相手だけど。えっと、あったあった申請書。ジャージを二着と、何だタンスの中にあるのかよ、下着もある。
「……考えれば当然か」
カゴの中に入れて部屋の前に出しておけば洗濯までか、至れり尽くせりだが。
「じゃあ、学生の本分に取り掛かりますか」
将来があるかどうかも分からないが、勉強からは逃れられないし逃げる気もない。一日8時間のお勉強タイム、ランランラン。
「いつまで続くんだろうな」
世界史の教科書を見て、やっぱり歴史的な考察は無駄だなと思い知る。所詮はファンタジー、深く考えたら負けだ。
「さあて、と」
では、これからも頑張りますか。