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 惑星ファルファーレの首都ともいえるセントラルは、人工島である。大陸間戦争に明け暮れた反省から、四つの大陸の中間にあった海台の上に突き出ていた小島を人工的に囲い、埋め立てて作られた。


 だから当初は、中央府関係機関と職員住宅が整然と並ぶ無味乾燥な地域と、だだっ広い公園しかない島だった。


 しかしそれから百五十年以上が過ぎ、人間性からくる当然の帰結として、ホテル街ができ食堂が集まり、歓楽街が発生し、官公庁のある南側と猥雑な下町のある北側にくっきりと分かれることになった。



「そりゃ、惑星中から人が来るんだからな。そうそうお行儀よくばかりもしていられないんだろうな」


 人混みでごった返す細い街路で、アレックスは並んで歩くシムケットにぼやいた。


「それにしても人にぶつからずに歩くだけでも至難の技だな」

「私が前を歩きましょうか、キャプテン?」


 アレックスは自分より頭一つも抜き出た大男を睨んでから、苦笑しつつ首を振った。


「もう俺はおまえのキャプテンじゃない。名で呼んでくれて構わないよ、シムケット」


 かつての副官は物言いたげに眉を曇らせたが、小さく頷いて言い直す。


「では、イルマ少尉と?」

「アレックスでいいよ」

「そういう訳にはいきません。あなたは士官ですからね」


 それも今日までで、明日からは無職になりそうな雲行きにアレックスは肩から落ちかけたコートの襟を直しながら笑った。


「まあ、階級で呼ばれるのも今晩までかもしれんしな」


 またシムケットの眉がぐいと寄せられた。


「とにかく腹ごしらえしちゃいましょう」


 歓楽街の夜は始まったばかりだった。






 彗星の災厄から半年が経っていた。

 トノン島からペレス基地に報告を送って帰港したアレックスとウェイブレット号は、今度は即座に大陸西海岸に送られた。


 学者たちと宇宙軍の喧々諤々の論争の末、彗星の大気圏突入は避けられる――つまり衝突はしない――ことは確認されたが、隕石の落下による被害については意見がまとまらず、結局、陸・海・宙の全軍は不測の事態に備えよとという極めて曖昧な命令が発せられたのだ。


 彗星本体の衝突がないならば大したことはあるまいという楽観的な声もあったが、この命令にペレス基地としても何もしないという訳にもいかず、機動力のある小艇は取りあえず医薬品を満載して小さな島が集まる地域に派遣された。


 万が一にでも人口密集地に被害が及びそうな場合は、レーザー砲、機関砲の使用を許すとされたのだ。

 現場に判断丸投げの命令に、矢面に立たされた下級士官と海士たちは皆不満を唱えたが、命令は命令である。アレックスの受け持ちは、海岸沿いの多島海だった。


 そして、光の雨が降ってきた。


 結論から言えば、どの軍も隕石の落下の前には全く役に立たなかった。

 人間相手に打たれるミサイルならば、確固たる標的があり、性能から軌道の計算もでき、迎撃することも可能だ。しかし隕石は何の意志も持たずに無秩序に降ってくる。


 そして何より軍と政府を混乱させ、住民をパニックにさせたのは、非常に強力な電磁波の発生によって、空の上の衛星から陸上のあらゆる通信までが絶たれ、電子機器は次々にショートを起こし、電力の供給もダウンしたことだった。


「レーダーが全くききません。ソナーも、いや、基地との交信もできませんっ」


 悲鳴のような通信士の声にアレックスはわかってると怒鳴り返した。真っ暗なモニターを見れば、すべての機器が使い物にならないことは一目瞭然だった。非常用のバックアップ電源もあるが、これではスイッチを入れたとたんにショートする。


「シムケット、修理は不可能だな?」


 わかってはいたが確認しないではいられなった。


「明日までにならなんとかしますが」


 両手を上げて文字通りお手上げをして見せた副官に、アレックスはもう一度怒鳴った。


「機関砲なら手動でいけるはずだっ。管制は私が目視で行う」


 マジですかという呟きを耳に入れず、アレックスは甲板に飛び出した。

 


 西の空に輝く星と光の雨を認め、軍帽を投げ捨てて普段は使わないヘルメットを被る。レーザー砲が使えたなら、少なくとも停泊している港ぐらいは守れただろうが、今取れる手段はこれしかなかった。とにかく傍観するだけは避けたい。


「くそったれがぁぁぁ!」


 光の雨は空中から突然現れ、大半はまた空中で消えていく。しかし燃え尽きなかった破片はドンッという音を立てて海を泡立たせた。


 士官学校卒業以来初めて、目視による照準器を取り付けた機関砲の脇に立ち、降り注ぐ火の玉の中で一際大きく輝く物に狙いを定める。高度も速度も推測するしかない。アレックスは口頭で照準を伝えた。


「打てええっ!」


 機関砲が火を噴いた。だが隕石は見た目よりもずっと速く、高度も足りなかった。為す術もないウェイブレット号の上空を、隕石が通り過ぎてから、衝撃波が襲う。そして東の山の向こうでぱっと炎が上がり、今度は激突による揺れが停泊している入り江まで伝わってきた。


「キャプテン!」


 呆然と山の向こうを見遣ったアレックスの首根っこがシムケットに掴まれ、甲板を転がる。

 そのすぐ目の前に小さな欠片が落ちて四散した。鉄の甲板が小さく凹む。


「小さな物でもまともに当たったら無事じゃいられませんよ。空から無茶苦茶に機銃掃射されてるようなもんですっ」


 ちっと舌打ちをして、アレックスは甲板上の部下たちに目を向けた。無策のまま撤退を命じるのが悔しかった。しかし。


「ヘルメット程度じゃ無理だな。仕方ない。総員船倉に退避しろ。シムケット、おまえは機器類をなんとか復活させろ」

「キャプテンは?」


 命令に二度目はないと承知している副官が鋭くアレックスを見返す。


「機関砲を取り外して甲板の開口部から撃つ」

「馬鹿言わんでくださいっ。一人でできる訳ないでしょう?」

「このまま穴蔵に隠れてろと?」


 歯ぎしりの音がしそうなほどに奥歯を噛んで、アレックスは怒鳴り返した。


「相手は人間じゃありません。こんな天災、どうしようもない。津波に突撃するようなもんだ」


 言うなりシムケットは上官の体をひっ掴んで肩に抱え上げると階段に突進した。抗議をする間もなかった。






「しかしなんでおまえも呼ばれたんだろうな。俺だけならウェイブレットの責任者として懲戒の対象になるのも頷けるが」

「あなたが懲戒処分なら、上は将軍から下は新兵まで軍に所属する全員が責を負うのが当然です」


 ようやく小さな酒場に席を見つけた二人は、向かい合って麦酒を注ぎ合う。思えばペレスではこうして酒を飲むこともなかったなと、アレックスはほろ苦い酒を喉に流し込んだ。


「そう言うけどな、シムケット。誰かが責任をとらないと世間は収まりつかないだろう。何の為の軍隊だ、誰が税金を払って養ってるんだ、と議会でも非難轟々だしな」


 彗星接近時にヴェルデ大陸方面に所属していた陸・海軍と、早期発見もできずいくつもの衛星が使い物にならなくなった宇宙軍に批判は集中していた。

 ウェイブレット号と同じく手動で対空砲を撃った陸軍の部隊もあったが、命中するどころか落下した砲弾で死傷者を出す惨事となったのは不幸では片づけられない。


「ま、俺の撃った弾で誰も死ななかったのがせめてもの幸いだったよ。おまえのおかげだな」


 処分されるかもしれない状況で淡々としている元上官を呆れた目で見て、シムケットは皮肉な笑みを浮かべる。


「命令はあなたを残して総員退避だったのですが。私を命令違反で罰しないんですか?」

「する訳ないだろ。いい判断だったよ、シムケット。じゃなきゃ俺は今頃セントラルで酒を飲む代わりにあの世行きだったかもしれん。頭に血が昇って判断ミスを犯すような上官で悪かった」

「……あなたが甲板に残っていたら部下たちも退避なんかできんでしょうが」


 生真面目でお人好しの若い上官は嫌いじゃなかったと、シムケットは褐色の瞳を細めて、鴨肉のハムをつついているアレックスを見つめた。


 アレックスは懲戒処分だと信じているようだが、シムケットは内心そうは思っていなかった。それなら自分が呼ばれる理由がない。それでももし、任務遂行時のイルマ少尉の行動についてマイナスの判断を下す証人として呼ばれたのなら、何も話す気はなかった。


「さて、これで軍を首になったらどうするかなぁ。故郷に帰っても家は弟が切り盛りしてるし。なにか新しく仕事を探さねばならんが、船しか扱えないしなぁ」

「キャプテンの故郷はブル大陸でしたか」

「うん。下に弟妹が一人ずついてね。親父は早く死んだけど、今は弟が小さな商売してるんだ」

「何で軍隊に?」

「はは。口減らしだよ。士官学校に入学できれば給料もらえて学費も寮費もタダ。勉強できて技術も身につく。こんないい話はないと思ったんだよな、十二歳の子供心にも魅力的だったね」

「英雄になろうとか思ったんじゃないんで?」

「思わなかったな。身の程を知ってたからね」


 アレックスの青い瞳が懐かしそうに宙に向いた。


「どこまでも現実的ですね」

「面白い人間じゃないと自分でも知ってるさ」


 シムケットはくくっと笑い、アレックスのグラスに麦酒を注ぎ足す。


「まあ俺たちも似たような理由ですね、軍に入ったのは。ペレスでは長男が船を継ぐのが普通だし、新しい船を買う金もない。次男三男は外に働きに出るか軍に入るか、海賊になるかですからね」

「陸に上がらなかったのは?」

「そりゃ、なんだかんだと言っても海が好きだからですよ」

「俺も好きだな。軍の生活も嫌いじゃなかった」


 快活を装って、アレックスはまたグラスを干す。海軍本部の裁定がどうあれ、もう海に戻ることはないかもしれないと思うと、少しだけ寂しかった。






 翌日、目が覚めると頭がガンガンと痛んだ。二日酔いになるほど酒を過ごした覚えはなかったが、平静なふりをしていてもやはりどこか気持ちが荒んでいたのかと、アレックスは盛大に呻いた。


(やれやれ。これでお偉方の心証も最悪になるだろうな)


 シムケットには当然と答えたが、本心を言えば何故自分が処分されるのか全く納得はしてなかった。組織とはそんなものだろうという諦めがあっただけだ。


(でも他に呼び出される理由もないしな)


 下級士官に過ぎないアレックスには、セントラルの海軍本部なんて縁がなかった。一生を四つの大陸の沿岸で過ごすつもりだったのに、あの彗星のせいでとんだ誤算だ。

 いまさら悪態をついても仕方ない。熱いシャワーを浴びて少しでも見栄えをよくしようと安宿の部屋に備えられた簡易な浴室に向かう。


「キャプテン、用意はいいですか?」


 召還状が届いて以来、何かと世話を焼きたがるシムケットが、アイロンをかけたアレックスのシャツを片手に部屋に入ってくる。


「シムケット。おまえは俺のボーイじゃないんだから、自分の世話を焼けよ」


 何度言ってもキャプテンと呼ぶ元部下に、タオルで体を拭きながら答えると、シムケットはニヤリと唇を緩める。


「あなたが一晩の世話をしてくれるような女を調達できるような器用な人なら、私もこんなことしませんて」

「召還を前に遊ぶような度胸は持ち合わせがないな」


 そうだろうと頷くシムケットに情けなく世話をされたが、その甲斐あってか多少は若い士官にふさわしい身支度ができると、アレックスは額に落ちてくる前髪をかきあげて帽子を被る。


「行くぞ」

「アイ、キャプテン」


 ウェイブレット号で繰り返された会話を惜しみながら、アレックスは大股に部屋を出た。




 海軍本部は中央府機関から少し外れたところにある。海軍の統括をするのに陸の真ん中に作るのはいかがなものかという思惑があったのだろう。小さな雑木林を抜ければすぐそこは中央海で、南大陸の突端がかすかに望める高台にあった。


「アレックス・イルマ少尉、アルチョム・シムケット曹長、出頭いたしました」


 受付の女性が返事もなく無表情に手元のコールボタンを押す。いくらなんでも無愛想なと思って見れば、この受付はアンドロイドだった。カメラを組み込んだ目で来訪者の認定から武器所持の有無まで視ているのだろう。田舎のペレスでは珍しいが、ここではありふれたものなのかもしれなかった。


(それでも返事ぐらい出来るようにプログラム出来なかったのか?)


 この心の声が聞こえたのか、女性形のアンドロイドが突然薄い唇を開く。


「一分二十秒遅刻です」


 シムケットが何とも言えない顔で咳払いをする。


「効率的ですね」

「効率的っていうのとも違うんじゃないか? まあ時間厳守は軍の基本だけど」


 田舎から出てきた二人がこそこそ囁き合うのもアンドロイドには関心がないらしく、ガラスの目を微動だにさせない。


 ぼんやりと待っているだけでいいのかと内心悩みだした頃、ようやく奥から恰幅のいい老人が現れ、手招きをされた。


「……まさかミュラー元帥?」


 その人物を前に、アレックスは一瞬固まり、すぐに敬礼をし直す。ファルファーレ海軍最上位のミュラー元帥といえば、映像で見たことはあっても本人に会ったことなどあるはずもない。隣でシムケットもひきつった顔をしていた。


「そう、ミュラーだ。まあ、そう固まらんでもよろしい。取って食いはせんからな」


 わははと大音声で笑いながら、ミュラーはくるりと背を向けた。


「せっかくここまで来てもらったんだが、あいにくと場所はここじゃない。ついて来なさい」


 挨拶もなにもない。むろん叱責もなく、懲戒処分はどこいったと混乱しながら、アレックスは慌てて元帥の後を追った。


 海軍の紋章がデカデカと描かれたエアカーを前にすると、ミュラーは有無を言わせずに運転席に乗り込み、辺境から来た二人の軍人は後部座席に追いやられる。


「運転なら私が」


 と、アレックスもシムケットも言ったが、海軍の最高峰に立つ老人は歯牙にもかけない。


「普段は運転させてもらえんのだ。今日ぐらいはよかろう。だいたい船に乗っても舵も取らせてはくれんし、マストに登るのもダメだと言われる。何も大昔のようにロープを伝うんじゃないぞ、ちゃんと頑丈な梯子があるにも関わらずだ。どいつもこいつも年寄り扱いをしやがって、けしからんじゃないか」


 ミュラー元帥の日頃の扱いが偲ばれて、アレックスとシムケットはそっと目を合わせた。


 しかし鬱憤ばらしに乱暴な運転でもするのかと思いきや、エアカーは制限速度よりよほどゆっくりと走った。低速に過ぎてエアカーとは名ばかり、くるくる回るタイヤが地面をしっかりととらえている。それなのにやけにエンジン音が響いて、どうもギアの選択がわかっていないのではないかと心配になる。しかも大音響の懐メロつきだ。


「あの……行き先をうかがってもよろしいでしょうか?」


 上機嫌に鼻歌を歌うミュラーに怯みつつも尋ねると、元帥は表情をがらりと変えてバックミラー越しにじろりと見返してきた。


「行き先は中央行政府内中央議会議長室隣のカンファレンスルームだ」

「議長の……?」


 長たらしい部分をすっ飛ばして繰り返すと、ミュラーの声が低くなった。


「どこにでも盗聴器があるからな。まあこれも気休めに過ぎんが」


 一拍置いて、ミュラーはアレックスに問いかけた。


「懲罰などではないとして、君は何の為にはるばる呼ばれたと思うかね?」

「……わかりません。彗星襲来の際の私の行動には問題が多々あったかと思います。しかしそれとは関係ないとなると……」

「あまり予備的な知識を与えるなというのが議長の考えでな。わしもそれは賛成したからあんな散文的な召還状になってしまったのだ。本当ならば腕によりをかけて壮大な叙事詩とも言うべき美文で君を呼び寄せたかったのだがな。議長の秘書に一蹴されたんだよ。全く興醒めだ」

「あの……?」


 正直言ってミュラーの話はさっぱりわからない。アレックスは自他共に認める堅物で、万が一召還状に壮大な叙事詩など書かれていた日には偽物と判断して海に投げ捨てかねなかった。無味乾燥で事務的な文章に改めてくれたその秘書には心から感謝だ。


「……でだ。実は君たちだけではなくヴェルデ大陸ペレス諸島地区トノン行政区区長にも召還状を送ったのだが、彼はどうやらベッドから頭も上げられぬほど衰弱しているらしくてな。ま、それは予想していたから無理強いはしなかったがね。面倒事は避けた方がいい。そういう訳だ」


 唐突に話が打ち切られ、アレックスはまたシムケットと目配せをした。仰々しい言い方だったが、それはあのトノンの島守のことだろう。だが彗星被害の調査でウェイブレット号が訪れた時、その島守は元気に島の者たちを指揮していた。つい二週間前である。


(トノン島ということは……もしかしたらコラム・ソルのことか?)


 あまりに多くのことが起きてすっかり忘れていたあの三人の面影を久しぶりに脳裏に引っ張り出す。

 見事な肉体を持った長身の男。魅惑的で優しげな若い女。そして気位が高そうでありながらどこか素直さを残した少年。


(そうだ。何故忘れていた? 司令に報告した後はトノンに行った時ですら思い出しもしなかった)


 あの少年が言っていた。自分たちは人の心を読むのだと。科学的には検証できない力を使って船すら動かすのだと。


(忘れるように仕組まれた?)


 一瞬の疑念がよぎり、アレックスは首を横に振った。あの時、自分は軍の上層部に報告すると告げたのだ。それは彼らも承知していたはず。


(そうか、こうなることを見越して、島守は俺の上陸も歓迎したのか)


 島守の病は、ミュラーが看破した通りに仮病だ。もしあの場にアレックスがいなかったら、議長も軍を使ってでも引っ立てたかもしれなかった。


「しかし元帥。コラム・ソルのことで事情聴取ということならば天文学者のドクター・ワイマーもおいででしたが。それにシムケット曹長は何のために?」

「ドクター・ワイマーにはもう聞いたよ。あの男は自ら議会と宇宙軍本部に乗り込んで来てな、我々の怠慢と無策について長々と演説をぶちあげやがった。で、肝心のコラム・ソルについては知らぬ存ぜぬだ。拷問してでも聞きたいというならやればいいとうそぶいて、愉快なことにまだセントラルに居座っとる。学者のくせになかなか肚が太い。そう思わんかね?」

「はあ……」


 ワイマーは島守と親しかった。そして島守はコラム・ソルと何らかの関係があり、彼らにシンパシーを持っているのだろう。そう考えて、議会と軍が求めているのは、それこそ自分の無味乾燥な――感情を切り捨てた報告なのだろうと見当をつける。


「と言うことは、私は彼らの帆船についてお話すればよろしいのでしょうか?」


 隣からシムケットが遠慮がちにきいた。


「そうだな。君の機関士長としての観察眼でもって見たことを報告してくれればいい。ただし議長は技術的なことはわからんから、君の面接は軍がやる。終わり次第ペレス基地に復帰してくれ。新しい上官は来ないぞ。今、海軍は退役志願者が増えていてな。帰ったら君自身が昇進して――何といったかな、ああ、ウェイブレットか――沿岸警備艇の艇長となる」


 滅多に感情を露わにしない冷静な男が、目を剥いた。


「それは、しかし、私は士官ではありませんし。艇長は確か士官以上と……」

「だから昇進してと言っただろう? おめでとう、シムケット准尉」


 何と言っていいかわからない顔でシムケットはアレックスに目を向けた。


「それで……イルマ少尉は?」

「保留だ」


 無情な一言に思わず身を乗り出した元部下を、アレックスが腕を掴んで止めた。


「おめでとう、シムケット。おまえならさぞいい艇長になるだろう」


 これを言うのが悔しくなかった訳ではない。ウェイブレットはアレックスにとって初めて得た自分の艦艇なのだ。あの小艇のことなら隅々まで知っていると自信があった。

 それでも対彗星任務中にいたずらに部下を危険に晒し、人家に被害はなかったとはいえ無駄玉を撃った自分よりも、常に冷静だったシムケットは艇長にふさわしいと、言い聞かせる。


 何も言うなと小さく首を振って、年上の曹長、いや准尉を諫め、アレックスはミュラーに向き直った。


「コラム・ソルについて私の見聞したことは大してありませんが」

「構わんよ。彼らはただ大義名分を得たいだけだからな」


 ミュラーはじっとアレックスに目を当てたまま静かに言った。唸るエンジン音と昔懐かしい音楽の中でも、それは妙にはっきりとアレックスの耳に届いた。


(今、元帥は彼らと言った。つまりは自分はそうではないと思っているのか?)


 何の為の大義名分なのか。それを問い返す間もなくエアカーは行政府に着いた。蝶を象ったファルファーレを象徴する巨大なモニュメントが、アレックス達を見下ろしていた。





 途中でシムケットと別れたアレックスは、ミュラーについてこじんまりとした会議室に入った。素早く室内のメンバーを確認し、踵を打ち付け最敬礼をする。


「アレックス・イルマ少尉です」


 本来ならば述べるべき所属がわからなくて、名前と階級だけ告げる。


(議長と議長秘書、陸・海・宙軍の大将軍たちとその補佐官か……)


 居並んだ顔のどれ一つとしてアレックスに馴染みのある者はいない。ただニュースなどで見知っているだけだ。

 改めて、突然自分の置かれてしまった立ち位置を思って、緊張と不安が影を射す。


「遠路呼び出してすまなかった、少尉。ペレス諸島の様子はどうだね? もうかなり復興していると聞いているが?」


 五十代と中央府議長にしては若い精悍な顔立ちの男が柔らかく尋ねた。淡く波打つブロンドが女性たちに人気があるということぐらいしか、アレックスには基礎知識がない。


(確か初めてのブリージョ大陸の出身だったか……)


 記憶を確かめながらアレックスは議長に一礼した。


「はい。元々島には大きな被害はありませんでした。ただ海流の流れが例年ならば北環流の勢いが増すところ、今年はペレス海流が衰えず漁業に多少の影響があると……」

「そんなことはどうでもいい」


 横から冷ややかな声に遮られ、アレックスは口を閉じて顔を少しだけ横に向けた。声の主は宇宙軍のサムソン大将軍だ。


「漁獲高云々などの報告が聞きたくて我々は君を召還したのではない。トノンに上陸したところから始めたまえ」


 サムソンは痩せた頬をぴくんと震わせ、居並ぶ者たちをぐるりと見渡した。


「トノンの行政官を除けば君は彼らと言葉を交わした唯一の人間だ。にもかかわらず君の基地にあげた報告書は全く詳細が抜けている。《コラム・ソルから来たという三名の人物により彗星の最接近及び隕石の落下は三日後との情報がもたらされた。軍と政府は直ちに住民の安全を計る措置に移ることを考慮されたし》これだけだっ! こんな報告書があるか? ことはコラム・ソルだぞ。海軍の教育はどうなっているのだ。いつまでも海賊の尻を追いかけているくせにさっぱり撲滅には至らず、あの島の監視も行わないとは。え?」


 最後は視線がミュラーの元で止まった。三軍は平等で、名目上、全軍の最高指揮権は中央府議長にある。しかし実際にはそれぞれの思惑が複雑に絡み合っているらしい。


「一般教育については士官学校で教えていると思うが、サムソン? 宙軍士官にはそれ以上の情報を与えているのかね? それは少々彼らとの協定から外れているようだな」

「協定? それはかつてのブルーノ政府が結んだものだろう」

「四大陸政府が中央府に統合された歴史をここで講義して欲しいのかね? それぞれが結んだ条約、協定に関してはその当事者との改めての会談を経て改訂するものとするとあった気がするがね。はて、わしが歳取って呆けたのか。どうだね、チェン議長秘書?」

「そうですね。条文によれば間違いはありません」


 控え目に答えて、議長秘書は眼鏡をずいと上げた。


「ですが議長も次の予定がございますので、その詳細については後ほどお二人の間で整合性を取られるのがよろしいかと」

「ということだよ、イルマ。お忙しい議長の為にも手っとり早く話してくれんかな? 行政官の家に彼らは既にいたのだね?」

「はい。報告いたします」


 しゃちほこばって答えつつ、アレックスは内心で眉を顰める。誰が何の思惑を持っているのかさっぱり掴めない。ただサムソン大宙将がコラム・ソルに対して好感情を持っていないことだけは想像がついた。


「私とドクター・ワイマーが島守……いえ、トノン行政区区長の屋敷に着きますと、区長の他三名の人物がおりました。二十代後半から三十代前半の男性一名、二十代の女性一名、それから十代の少年です」

「少年……子連れか?」

「ですが、その少年の方が後の二人よりも上位にあるようでした。まずドクター・ワイマーが彗星について尋ねました。返答は男性がしていたのですが、彗星は星紀一二三年だけではなく、四四四年にも到来したこと、我々にその記録がなくても彼らはそれを保持してきたことを告げました」


 話しているうちにあの時の記憶が鮮やかに蘇る。鮮烈な印象のあの三人のことが。だがアレックスはあくまでも平板に続けた。


「そこで私は彼らに、どこからどのようにして来たのか? 何故中央府にその情報を上げず、トノンに来たのか訊きました。答えたのは少年です。彼は、彼らが中央府の下にないことを告げ、ただトノンとは古い盟約があり危険を伝えに来ただけだと話しました」

「ふむ、君は高速沿岸警備艇でトノンに行ったのだろう? 大型の台風が海域に留まっていた為、軍に頼んだのだとワイマーが言っておったぞ。で、彼らはまさか泳いで来たのかね? それとも君の指揮下にあったような船を持っていたのかね?」


 ミュラーの質問に、アレックスは一拍置いた。帆船についてはシムケットも報告しているはずだと考え、注意深く答える。


「港に見慣れない帆船がありました。十から二十トンほどの小さなものです。私は少年に、もしあの帆船を使って帰るつもりならばそれは無謀だと諫めました。台風の勢力は非常に強く、帆船でロジェーム海を越えられるとは思いませんでしたので。しかし少年は心配ないと言うだけでした。理由は知りません」

「帆船か……それは帆船に偽装した艦艇ではないと言い切れるかね?」

「断言できます。喫水線からしても重いエンジンや、ましてや火器などは積んでいなかったと」

「他の乗員は?」

「おりませんでした。少年も三人で来たと申しておりました」


 会議場に沈黙が降りた。この時代、レジャー用のヨットですらエンジンを積んでいる。池のボードじゃあるまいし、二十トンもの帆船を自然の力を利用するだけで走らせるなど考えられなかった。


「海軍士官としての君の経験では、それは可能なことかね?」


 議長の質問にアレックスは首を振る。だからこそ止めたのだ。


「彼らが忌むべき特異能力者であることは明らだ」


 サムソンが噛みつくように言った。


「忌むべき……?」

「そうだろう。高感度偵察衛星での観察では、あの島には電波受信機がある。我々の通信を傍受しているのだ。あんな小さな島で、どれほどの技術を持っているか知らんが、外からいっさいの資源もエネルギーも持ち込んではいないはずなのに、発電をし、金属の製錬、精製をし、謎の力で船を走らせているのだ。それにだっ」


 サムソンはバンと机を叩いて立ち上がり、ミュラーを睨みつけた。


「大陸戦争初期の文献によれば、彼らは人の心を読み、操るのだと言う。植民初期に失われた我々の技術に代わり、彼らは魔術のように病を治し、鉱山を開発し、物資を運んだと。それが大陸間での生活レベルの不均衡を産み、戦争のきっかけを作ったと考えられると。これまでは、それらは単なるおとぎ話だった。だが彼らは存在し、今もその能力を持っているのだ。これを危惧しないでなにが市民の安全と安心だっ?」

「そうだな。確かにおとぎ話だ。この三百年以上、彼らは一度も我々の前に姿を現さなかったからこそ、誰もその存在を信じる者などなく、それ故の伝説化だろう。そして彼らが表舞台から消えた後、我々自身が戦争を激化させたのだ。それは理解しているかね?」

「しかし、今民衆の不満は軍に向けられている。こんな状況でそんな化け物たちを放置すれば、ますます不安を煽りかねん。そうは思いませんか、議長?」


 矛先を向けられた議長は、おもむろに両手を組み、顎をその上に乗せた。


「ふーむ。あなたの危惧するところは理解しましたがね、サムソン大宙将。ですがまだ議会に報告をおろすまではいかないでしょうね。コラム・ソルとの協定がどうなっているのか、法律的にも精査しなくてはなりませんし。なにより若い少尉の証言だけでは彼らの特異能力が危険なものであるのか判断はつきません。やはり誰かを派遣するか、もしくは彼らの代表者がここまで来てくれるとなおよろしいですねえ。従って判断は保留します」


 アレックスは内心を表情に出さぬように気をつけながら、そっとあの少年を思い浮かべた。


(化け物とは……。確かに不思議な少年だったけど。宙将は最初から欠席裁判でも目論んでいたのか? 元帥が大義名分の為に俺を呼んだと話していたのはこのことか。軍の失地回復のプロパガンダにでも使おうというつもりだったのか)


 少年はこう言ったではなかったか。

 ――我々もまた地球から植民した者の子孫だ、と。


(何故、人はこうも争いの種を見つけるのがうまいのか……)


 ファルファーレ人民憲章の第一条にはこう記されている。


《惑星ファルファーレに生きる全ての人間は、生まれながらに侵されざる尊厳を有し、その自由と権利をファルファーレ中央府は尊重し、平等に保護するものとする》


 少年は、自分たちは中央府の支配下にないと言った。それはその通りだが、憲章は、この星に生きる全ての者たちへの宣言ではないのか?


「イルマ? アレックス・イルマ少尉っ!」


 物思いに耽るアレックスの肩を誰かが揺らし、はっと瞬きをすると、室内の全員がこちらを見ていた。


「も、申し訳ありません」

「なにを考え込んでいたのかね、イルマ少尉? 君はあの化け物たちに感化されて同情的だと言うのではないだろうな?」

「いえ。というか私は見たままを報告しております。意見も心情もはさんではおりません」

「では聞こうか。君の意見はどうかな? 彼らは危険な存在だと思わないかね?」


 イエスともノーとも答えられない。


「一士官の考えを述べる場ではないと心得ます」

「構わんよ。言葉をまともに交わしたのはトノン区長と君だけなのだしな」


 サムソンの目が細められ、アレックスは不意に息苦しさを覚えた。どう答えればこの場での正解か、などと考えても意味はない。誰もがイエスかノーかを聞きたがっているのだから。サムソンと対立している様子のミュラー元帥ですら。


 彼らは危険な化け物だ、という考えが不意にアレックスの頭をかすめた。しかしどこからか湧き出たこの考えは、握りしめた拳の中で掌に爪を立てるとスーッと消える。


 アレックスは直立不動の姿勢を崩さずに数回腹で呼吸をしてからゆっくりと口を開いた。


「化け物という言葉には賛成できません。彼らは風変わりではありましたが、我々と変わらぬ人間です。同じ星に生まれ、同じ海を見て育ち、同じ言葉を話す。彼らの能力を私には推し量ることはできません。しかし彼らを一概に危険な存在と見なすことは、私にはできません。以上です」

「ふん。海軍にはミュラーの教えがよくよく浸透しているようだな。裏で海賊たちと取り引きして甘い汁を吸っていたとしても私は驚かん」


 この侮辱にアレックスは頬に血を昇らせたが、議長が手を打って全員を黙らせた。


「よくわかりました、少尉。では中央府議長として海軍に提案します。イルマ少尉の印象を確認するためにも、海軍は速やかにコラム・ソルと接触を図り、その代表者をセントラルに招いてください。いかがですか、ミュラー元帥」

「承った。空の上にいながらただ指をくわえて傍観するばかりで口だけ達者な方々には、その任務は荷が重いでしょうからな」

「元帥。あなたも一言も二言も多いようですよ?」


 うっすらと笑みを浮かべて議長は首を振り、秘書に会議の散会を命ずる。

 その前にと初めて手を挙げたのは、陸軍の大将軍だった。


「あの彗星でコラム・ソルも被害を受けているのでは? 彼らにここまで代表者を送る余力があるでしょうか?」

「奴らはな、魔術で彗星の欠片を叩き落したんだ」


 すかさずサムソンが口を挟む。


「何故それをご存じで?」

「あの時、全ての電子機器が狂い、あやうく付近の衛星も周回軌道から外れるところだった。しかしロビン基地の光学望遠鏡は生きていたのだ。もっとも撮影も録画もできなかったがね。基地要員の士官が肉眼で見たと証言している。謎の光がコラム・ソルから発せられたと」

「ではサムソン大将軍。次の会議にはその士官も召還してください」


 議長が穏やかに引き取り、各々が席を立つ。戸口で敬礼しながら幹部たちを見送るアレックスの肩を、最後にミュラーが叩いた。


「セントラルの安宿に泊まっているのだろう、イルマ? 今夜からわしの屋敷に来い。深酒も寝坊も無縁の快適健康生活を送りながら、対策でもたてようや」


 なぜ昨夜の醜態を知っていたのかとがっくり肩を落として、アレックスはひきつったままイエスと答えるしかなかった。





 ミュラー元帥は、言葉通り気前よくアレックスとシムケットを邸に招いてくれた。と言っても、本部で改めて聞き取り調査及び報告書の作成を課せられたため、元帥邸に着いたのは深夜を回る時刻になった。


 当の元帥はとっくに就寝したと出迎えてくれた執事に同情混じりに告げられ、二人はそのまま用意された客室のベッドに転がる。アレックスはともかく、いつも几帳面なシムケットも軍服の上着を無造作にソファーに放り出したままであった。


「……結局、首にはならなかったけど、しばらく俺は海に出られそうもないな」


 緊張から解き放たれた頭でぼんやりとアレックスが呟く。


「海軍に仕官している限りずっと陸上勤務ってことはないでしょう」


 思いもかけずウェイブレット号を任されることになったシムケットが渋い顔で応じた。


「うん。でも揺れないベッドってのもずっといると落ち着かなくなるんだよ。だが、まあ……」


 アレックスは肘をついて半身をおこし、元部下に笑いかけた。


「改めて。昇進おめでとう、シムケット。君がウェイブレットを引き継いでくれてホッとした」


 その笑顔は心からのものだったが、シムケットはまだ納得いかない顔で大きく息を吐いた。


「士官になるつもりなんてなかったんですがね。ペレス海域にずっといるつもりでしたし。第一自分が昇進する正当な理由はなにもありません」


 確かに、平時に無試験で下士官が士官に取り立てられるのは極めて珍しい。


「審問で何か言われたのか?」

「帆船についてと……トノンとコラム・ソルとの関係についてですね。私がトノンの出身だからでしょう。本来なら島守に聞きたいところでしょうが、どうも海軍側が突っぱねたようですね」

「海軍側? ってことは審問者は他にもいたんだな」

「ええ。宇宙軍の将校が」


 ふーむとアレックスは再びベッドに身を沈めて今日の会議を反芻した。何故宇宙軍がそこまでコラム・ソルにこだわるのかさっぱり理解できない。


(こだわるってより、明らかに悪感情だよな……)


 サムソン大宙将の神経質そうな怒りの表情を思い浮かべる。コラム・ソルの人々が不思議な力を持っていたとしても、今まで全くの没交渉だった彼らにそこまで敵意を抱く理由が全くわからない。

 実際に会ったアレックスの印象は、会議で証言したとおりで、それ以上でもそれ以下でもない。


 と、そこまで考えて、アレックスはまた身を起こしてシムケットに目を向けた。


「そういえば。ドクター・ワイマーが、かつてトノンにはコラム・ソルに行ったことがある人間がいたという伝説があると言ってたな。それに彼ら自身も、古い盟約を果たしに来たと言っていた。君はそれがなんのことか知っているのか?」


 シムケットは大きな身体を起こして床に足をつけ、アレックスに向き直る。


「私は海軍と中央府に忠誠を誓ってはいますが、トノンにはトノンの人間としての守るべきこともあるんです」

「外の人間には口外できない?」


 シムケットの眉間に深いしわが刻まれる。


「頭から悪意をもっている人間には」

「宇宙軍か……?」

「実は私自身も、今日まで単なる伝説だと思っていました。でも執拗に尋ねられるうちに妙に反発心が湧き起こりまして……ね。だから知らん存ぜぬで通してしまったのですが」


 シムケットは訥々と語り始めた。

 最初、コラム・ソルへ移住した者たちの中に、特異能力者ではないトノンの先祖たちもいたこと。しかし何かがあって、彼らはコラム・ソルから再び船出してトノンに住みつくことになったこと。


「キャプテンが聞いた盟約というのは、その際に交わされたものでしょう。一緒にはいられなかったとしても反目した訳でもなかったようです。そしてその後は……まあ、更に伝説なんですが……」


 トノンの周辺海域は、様々な海流がぶつかり合う豊かな漁場だ。そして島の住民は男も女も熟練した漁師だが、それでも何十年に一度は遭難者を出してしまう。


「ですが、中にはロジェーム海を漂流しているうちにコラム・ソルの人々に助けられた者がいましてね。そういう幸運に恵まれた者は海で鮫の餌になる代わりに、手厚く看護され、食糧と水を与えられ、トノンまで無事に帰れるように祈ってもらえるらしいのです」


 ここでシムケットは言葉を切って視線を床に落とした。


「女性の漂流者もいて……トノン帰還後に子を産んだんですよ。私の先祖ですが」


 アレックスはまじまじと大きな身体を縮めるようにしているシムケットを見つめ、それから笑いだした。


「そうか。案外近くに伝説の主がいたんだな。そりゃあ、そんなおまえにとって大事なこと、喋らなくて正解だったよ、シムケット」


 ふとサムソン大宙将が使った化け物という言葉を思い出す。シムケットに対しても宇宙軍将校がそうした態度で臨んでいたとすれば、反発するのも当然だ。


「大丈夫だ。俺たちはファルファーレ憲章に忠実であればいいんだ。それにミュラー元帥も宇宙軍に関しては思うところがあるようだった。おまえは海軍准尉としての務めはちゃんと果したんだし、ペレスに帰ったらウェイブレットの世話をよくしてくれ。俺はしばらくはこの件から離れられそうもないしな」


 シムケットの肩からあからさまに力が抜けた。ぶんと両腕を回して強ばりを解すと、あちこちに脱ぎ捨てられたアレックスの着替えに目を留める。上着もズボンも、このままではしわになってしまう。


「イエス・サー。キャプテンはもうお休みください」


 二人分の上着を腕に抱え、ブラシをかけ始める元部下に、アレックスは微笑んだ。


「うん。明日からは自分でやるからな。いつもありがとう、シムケット。おやすみ」


 秘密を抱えたシムケットは、明日にはペレスに帰る。元部下がこれ以上目を付けられことはないと思うと、アレックスはそれだけで満足だった。


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