終章
医療機器のたてる機械音の中、サッタールが、小さく呻いて寝返りをうった。
「夢でも見ているんでしょうか?」
アレックスは隣のベッドから頭をもたげる。それを咎めるように、ミュラーが押し戻した。
「おまえも夢を見るぐらいに寝込まねばならん」
ジャクソンはアレックスの腿を正確に打ち抜いた。銃弾は骨に当たらず貫通し、出血から思われたほどの重傷ではなかった。
「そんなこと。自由にできればいいんですが」
「大量の鎮痛剤をぶち込まれていながら、まだ目を覚ましている君の精神力はなかなかのものだよ」
ラ・ポルトが笑いを含んだ声で答え、アレックスの首筋に冷却材を当てた。すーっと熱が吸い取られるのが心地よくて瞼が下がる。
「よくやったな、イルマ」
うとうととしながらも、アレックスは小さく首を振った。
「私に……射撃の腕がもう少しあれば、ジャクソンの腕を狙ったでしょう」
「それで外した瞬間、ミスター・ビッラウラは死んでいたかもしれん。おまえは自分にできることを十全に果たした。言い訳は起きたらイヤと言うほど聞いてやるから寝なさい」
セントラル海軍病院でジャクソンに誘われた時。あの男は自身とサムソンのことを告げた上でこう言ったのだ。
「もし。コラム・ソルの生意気小僧が、勝ったにも関わらずサムソンを解放してしまうようならば、私は彼を殺します。それが嫌ならついてきてください」
アレックスにはジャクソンが本気で言っているのかどうか判断ができなかった。
「それぐらいなら俺がサムソン大宙将を撃つ。それじゃいけないのか?」
「身体だけを殺しても、万が一にも心が生きていたら何が起きるかわかりませんよ。どちらにしても私にはサムソンは殺せません」
「にしてもサッタールを殺す必要がどこにあると言うんだっ!」
「本気で狩りにかからなければ、あの少年は動けないでしょう。彼は軍人じゃない」
はったりが効かない相手を追いつめるならば、こちらも本気でいかなければと、特殊戦闘隊隊長は平板な声で答えた。
「だから。あなたが必要です、イルマ少尉。彼の護衛はあなたでしょう?」
ぎりぎりの場面になったら、躊躇せずに自分を殺せとジャクソンは言った。
そしてその言葉通り、アレックスは躊躇せずに引き金を引いた。
悔やむことの許されないアレックスは、小さく息を吐いて瞼を閉じる。
もしサッタールが夢を見ているなら、その中に飛び込めたらいいのに、と思った。
***
見る限り虚無が広がっていた。いや、虚無ではない。振り返れば太陽が暖かい輝きを暗黒の中に投げている。
だが、サッタールの目指す先には、冷たい空間があるばかりだ。
(ここは……宇宙か……)
自分は死んだのだろうかと考えて、首を振る。これは夢だ。また、夢を見ているのだ。
夢で、過去を見たことがある。あるかもしれない未来を見たこともあった。
なぜ、人は夢を見るのだろう。なぜ自分はいつも、見たくないものを夢で見てしまうのだろう。
サッタールにとって、夢は、安らぎでもなく、心浮き立つものでもなく、いつも曖昧で、取ることのできない小さな棘のように心を引っかくメッセージだった。
よく見れば、太陽の周りを回っている星たちがあった。
一つ、二つと数え、四番目の星をじっと見つめた。
惑星ファルファーレ。サッタールの生まれ故郷だ。ファルファーレは、ここからは白っぽい光点に過ぎなかった。それでも胸を締めつけるほどの懐かしさを覚えた。
(私はどうしてこんな所に?)
帰りたい、と思った。帰らなければ。
しかし何かの引力がサッタールを暗黒の空間に誘う。この先に何かがあるのだ。それが何であるのか確かめるまでは、帰れない。
両手を広げ、かく空気もないのに泳ぐように動かした。
何時間も何時間も、孤独な遠泳が続いた。海ならば波があり、魚たちがいる。見上げれば青い空と白い雲が見える。
しかしここには何もない。
そう思っていると、何かがサッタールのすぐ脇を猛スピードで駆け抜けていく。拳大のそれに、もし当たったら、身体に穴が開いただろう。
(小惑星……彗星か?)
宇宙には、地上からは観測できないような小さな岩や氷が散らばっている。ただ太陽から遠いここでは、それらは冷えきって暗く、何の輝きもないだけだ。
そうか、とサッタールは泳ぐ手を止めて虚空を睨んだ。
この先にあるのは、あの彗星だ。まるでファルファーレを狙い撃ちにするようにやってくる彗星。多くの災禍と、そして超常能力をもたらす彗星だ。
しかし、目を凝らして見たけれど、それは見えない。もっと近づかなければ、それがどんな形をして、どんな性質を持つのか、わかりはしない。
相変わらず、誘うような引力を感じた。
サッタールは手を伸ばし、もう一度空をかく。
自分たちの根源を知りたかった。何故ファルファーレには超常能力者が生まれるのか。それが何の意味を持つのか。
右手を彗星に向けて精一杯伸ばした、その途端。
また小さな石ころが飛んできて、サッタールの伸ばした手にぶつかった。
燃えるような痛みが、手から全身に広がる。
「うわああああああ――っ!」
燃えた右手を抱え、サッタールはくるりと反転した。
涙のにじんだ目に、太陽が映る。そして懐かしい故郷、ファルファーレが。
くるくる回りながら、サッタールは墜ちていく。
帰ろう。帰らなければ。あの惑星に。今は、母なるファルファーレの海へと還るのだ。
自らが流れ星になって、サッタールは故郷の惑星へと墜ちていった。
***
トゥレーディア宇宙港開港一五〇年記念の式典から二週間が過ぎていた。
舞台上で倒れたサッタールは翌日には目を覚まし、一斉に地上へ戻る客たちと一緒にセントラルに戻ってきていた。
出血の酷かったアレックスは、念のためにとしばらく足止めされ、今日シャトルで帰還する予定になっている。そして、意識の戻らないサムソンとジャクソンの遺体も同じ便に乗せられているはずだった。
「ラ・ポルトは貧乏クジだったな。奴はまだもうひと月は戻れまいよ」
ミュラーが頬をかきながら言った。
「宇宙軍は海軍に対する対抗心が強いですからね。あなたにトゥレーディアを任されたらと彼らも不安だったでしょう」
マクガレイは素っ気なく返して、迎えの人間でごった返すシャトル発着場のロビーを眺め渡す。
「サムソン大宙将の意識が戻らないままでは裁判も開けませんが、宇宙軍はこの先どうなるんでしょうか?」
「ラ・ポルトは後始末に残っているだけだからな。そのうち議長が後任を宇宙軍生え抜きから指名するだろうさ。コラム・ソル攻撃作戦も、サムソンの妄想が生んだ命令ということで不問だ。何も変わらん」
「我が海軍は変わらざるを得ませんがね」
いつものマクガレイに似合わない感傷的な声に、ミュラーは笑みをこぼした。
「なに、世代交代するだけだよ。わしの詩が懐かしくなったらいつでも訪ねてきたまえ。一時間でも二時間でも心のおもむくままに語ってやるぞ」
「結構です。子守歌は間に合ってますので」
セントラルに戻るとすぐに、ミュラーは元帥位を返上して退役を願い出た。本人は定年だとうそぶいたが、海軍と宇宙軍の間のわだかまりは深く、それを少しでも和らげるには誰かが責任を取らねばならない。
ジェイコフ議長は慰留すらしなかった。そしてイルマにも処分が下される。それがミュラーの最後の仕事だ。
二人の話を聞くともなく聞きながら、サッタールはシャトルからの到着口をじっと見つめていた。アレックスが姿を見せるのも、もうすぐだろう。トゥレーディアで別れる時には、あまりに慌ただしくてろくに話もできなかった。
セントラルに戻った時は、すぐにでもコラム・ソルに向かうつもりでいたが、サムソンの裁判がどうなるのか決まるまではセントラルを離れることは許されなかった。
コラム・ソル周辺で迎撃体制を敷いていた海軍の艦艇は、式典の顛末が伝えられ次第にすぐに解散した。ただ、今も小さな警備艇が連絡役として残っているという。
ショーゴはまだセントラルでリハビリに励んでいるが、本人は早く機械の足が欲しいらしい。電子機器と親和性の高いショーゴなら、すぐに馴染むだろう。
無役となったミュラーは、息をすることも忘れたようにじっと立っているサッタールに目を向けた。
「体制としては何も変わらんし、公式の裁判もなかろうが、君はあのとき起きていたことをファルファーレ安全保障会議で証言しなくてはならんぞ。何しろ、サムソンもジャクソンも何も語ることはできないのだからな。うまい言い訳は考えてあるんだろうな?」
「言い訳……ですか」
サッタールは唇に皮肉な笑みを昇らせた。そんな少年の横顔にミュラーは眉を曇らせる。
もう少年とは呼べんなと胸の内で思う。トゥレーディアから帰ったサッタールは、以前に増して口数が減った。イリーネの挑発にも乗らない。
(大人の男の顔になった)
そう思うそばから不安が湧きあがる。
結局、サムソンが何を考え、何をしようとしていたのか、ミュラーはもちろん他の誰にもわからなかった。
式典の舞台上で行われた会話のほとんどは、念話だったとサッタールは言った。ミュラーたちに見えていたのは、サッタールとサムソンが対峙したまま動かなくなり、ライフルをサッタールに向けた裏切り者のジャクソンを、アレックスが撃ち殺したことだけだ。
(まさかサムソンもジャクソンも精神感応者だったとはな)
思いもかけないことだったが、ジェイコフ議長はすんなり納得した。あのトゥレーディアでの悪夢を体験したからだろう。
サッタールはこう言ったのだ。
「サムソン大宙将は、生まれながらの強い精神感応力を持ちながら、その生育の過程で力の使い方を学ぶ機会もなく、孤独感と疎外感から歪んだ想念を持つに至ったのでしょう。世界への憎しみという」
ジャクソンも似たような境遇であったとすれば、ファルファーレにはコラム・ソルの住民以外にも精神感応者が少なからずいることになる。
今、中央府議会は、精神感応力による犯罪に対する法整備について議論が行われている。サッタールもその議論に参考人として加わっている。
しかし、トゥレーディアでのサムソン大宙将の行為自体は、表向きは誤った正義感の暴走による反逆予備罪とされて、被疑者不在で起訴猶予のままだ。大脳の大部分が機能停止したにもかかわらず、まだ生きているサムソンの身体は、厳重な警備の元、常時機械に繋がれ脳波を測定されることになっていた。もう二度と表に出ることはあるまい。
つらつらと思い返すミュラーの憂慮を破るように、サッタールが明るい声を出した。
「言い訳はありませんが、言いたいことはあります」
「言いたいこととは?」
「この惑星にはどういう訳か精神感応者を多く生み出してしまうようです。私は、彼らを保護し、よりよい形でその力を社会に還元せしめる為の体制整備を会議で提言するつもりでいます」
それはどういう形のものかと尋ねようとしたミュラーは、サッタールの表情の変化に口をつぐみ、到着口に顔を向けた。
「アレックス!」
大きく手を振って、サッタールが階段を駆け降りていく。その先に酷い宇宙酔いと闘ったらしいアレックス・イルマが、真っ青な顔で車椅子と悪戦苦闘していた。
「サッタール? わざわざ迎えに来てくれたのか」
脂汗の残る額に手を当てて、アレックスも笑顔になった。が、すぐにその表情が歪む。
「悪いんだけど……とりあえず洗面所に……吐きそうなんだ」
「わかった。少しだけ我慢してくれ」
キビキビと車椅子の後ろに回ったサッタールは、器用に人混みをさけて洗面所を目指す。
その後ろ姿には、何の屈託も感じられなかった。
「感動の再会のポエムを吟ずる暇はなさそうですね」
マクガレイがミュラーに遊戯っぽく囁いた。
「なに、機会は作るものさ」
サッタールとアレックスを見守る二人の視線の先に、ファルファーレの少しくすんだ海と空があった。間もなく、恵みの雨が降り出す季節だった。
ファルファーレ星紀七百六十六年。惑星を統括する議会は、精神感応者についてのいくつかの法律を可決した。
新しく連合に加入したコラム・ソルには、小さな島にも関わらず大陸政府と同等の行政機関が置かれ、中央府からの役人も駐在することになる。
同時に島の生活を大幅に改善する設備の建設も急ピッチで行われ、さらに中央府直属の精神感応研究センターが置かれた。
それは、新しい時代の幕開けでもあった。
(終)
長い話を最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
ぼんやりと思いついたのは昨年の夏でした。
創作小説を書いたのは十年ぶりぐらいですが、ちまちま書き溜めてこの場にあげることができました。
読後のご感想などいただけたら大変嬉しいです。
気持ちとしてはサッタールとあの彗星の話や、植民初期、能力者の最盛期時代とかも書きたいなと思ったりしていますが、まだ未定です。
アレックスの処分がどうなったかのSSを投稿しました。
『二者択一の後始末』
http://ncode.syosetu.com/n3314cc/
好きな物をのんびり書いていけたら幸せです。
ありがとうございました!
追記:続編を連載中です。もしよろしければ、またおつきあいいただけると嬉しいです。
『闇と光の大地ー惑星ファルファーレ2』
http://ncode.syosetu.com/n1372cd/