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 サッタールはまだ闇の中を泳いでいた。サムソンの闇は深く、何の手応えも感じない。


(これでは埒があかない)


 鮫から人の形に戻ると、サッタールは両腕を大きく広げた。いつの間にかコラム・ソルの衣装を身にまとい、手に青い肩布を握っていた。

 それをひらひらと振りながら、ゆっくりと旋回する。舞を舞うように。肩布が風をはらんで翻る。

 回るサッタールを中心に、闇の霧が揺らいで視界が明るくなった。


(もっと……もっと……海面を渡る穏やかな風ではなく、全てを吹き払う竜巻のように)


 そう念じたとたん、足下から熱く湿った空気が湧きあがった。サッタールの体を伝って上昇し、頭上にあげた肩布から旋風となって四方に闇を吹き飛ばす。



 やがて飛ばされた闇が一所に集まって、冷えて乾いた空気の塊となった。

 それがそろそろとサッタールの足下に忍び寄り浸食しようとする。

 吹き上げていた熱気が冷気に変わり、サッタールは身震いした。旋回が止まる。素足が氷の中に沈んでいる。


『おまえたちが憎い。庇護されぬくぬくと暮らしてきたおまえたちが。その存在が憎い』


 氷の中から声がした。


『見えたものを、知ったことを口にすると、人は皆私を狂人扱いした。乳を欲しがって泣く赤ん坊が、触りもしないミルクポットを倒しただけで、両親は赤ん坊を恐れて捨てた。そのくせ外見だけは取り繕い、その口は嘘ばかりを吐いた』


 それは積もり積もった怨嗟の声。


『他人など操るのはたやすい。その望むものをほんの少し与えてやれば、誰しもが私に尻尾を振った。私には力があるのだ。その力を使って何が悪い? やがてファルファーレの全土が私の前に膝をつくだろう。嫌われ疎まれた私の前に。もう少しなのだ。もう少しで、私は惑星を丸ごと一つ手に入れられる。それなのに――っ!』


 急激にサムソンの記憶がサッタールに雪崩を打つように流れ込んでくる。

 かつて全能感に満ちていたはずのサムソンの自我は、幾度も現実の壁にぶち当たった。他者の心をかいま見ては、彼らの望む自分を作り上げようと努めても、誰もサムソンを受け入れようとはしなかったのだ。


 ――気味の悪い子。嫌だわ、何でこんな子が生まれてきたのかしら。

 ――あいつとは目を合わせるなよ。何をされるかわからんぞ。


 疎外、孤立、非難。常にサムソンの周囲には冷えた感情が渦を巻き、それはそのまま飲み込むしかなかった。

 やがてサムソンは自分を世界に合わせる努力を放棄し、代わりに世界を自らの望むままに作り変える夢を抱く。暗く冷たい熱望を。


『人間の心などどうにでも操れるではないか。そう、私にはな。おまえではないぞ、悪魔の子めっ! 私だけだ。そうでなくてはならんのだっ!』


 冷たい怒りが、サッタールを凍らせようと襲いかかる。

 彗星の襲来、そしてコラム・ソルの者たちの出現。サムソンの密かな欲望を阻むものに対して、底知れぬ瞋怒が吹きあがり、包み込み、サッタール自身をそこに取り込もうとする。


 しかし、理不尽な憎悪への憤怒よりも、哀しみがサッタールの心を満たした。いくら凍らせようとしても、それはサッタールの内部までは入り込めない。サッタールにはサムソンに共感する核がなかった。

 精神感応力を持つ能力者に囲まれて育ったサッタールは、様々な思惑を持つ他人の心に晒され続け、それが常態だった。好意を抱く人間ばかりではなかった。力の大きさを妬まれたこともあった。


 それでも自分は一人ではなかった。アルフォンソがいた。ショーゴがいた。そして姉のサハルも。

 島の外に出てからは、陰に日向に寄り添ってくれるアレックスがいた。

 悪意を向ける者はいても、それが全てではなかった。口を開けば喧嘩になるイリーネだって、サッタールの無事の帰還を祈ってくれたのだ。

 自分は恵まれていたのだとはっきりと思い知る。


 だからこそ、ひたすらに世界に裏切られ続けた同胞に対する哀哭が、身体の奥底からサッタールを満たし、瞳から熱い涙を迸らせた。

 涙がポタポタと落ちる度に、ジュッと音がして氷が少しずつ溶けていく。透明な水に変わっていく。


 サッタールは足元の水に手を浸し、握り拳二つ分ほどの丸い珠に変えた。のぞき込むと中では様々な色がゆらゆらと揺れながら反射していた。それはサムソンの人生の記憶と感情の小さな結晶だった。

 サムソンの珠は、閉じこめられたことに抗議するように形を変えようとしていた。サッタールは両手の中でそれをしっかりと抑え込む。


『許すのか、そいつを?』


 ジャクソンの侮蔑するような低い問いかけに、サッタールは顔を上げた。現実のジャクソンの顔と、イメージの中の顔は、同じようでいて少し違って見える。

 どうすればいいのか答えられないサッタールに、ジャクソンは下げていた銃口を上げた。


『闘って勝ったのなら、そいつを殺せ。許して解放すれば、また同じことが起こるだろう。安い同情は身を滅ぼすぞ』

『なぜそうと言える?』

『私だったらそうするからだよ、サッタール・ビッラウラ』


 ジャクソンの銃口がぴたりと自分の胸に向けられているのを感じて、サッタールは不思議そうに訊いた。


『そう思うなら、あなたがすればいい。銃で心は破壊できないが、サムソン大宙将の身体はそこにある。身体が死ねば、心は拠り所を失っていずれは消えていくだろう』


 ほんの五歩離れたところにサムソンは立っているのだ。その瞳はなにも映さず、ただ宙を睨んでいた。


『あなたの考えが、私にはわからない。何をしたいのか』


 ジャクソンは動揺の欠片も見せない表情で小さく笑った。


『わからないのも当然だ。私にもよくわからないのだから』

『あなたも、ずっと精神感応力を隠して生きてきたのか?』

『そりゃ、そうだろう。あんたみたいにコラム・ソルの看板背負っていればともかく、そうでなければこっちでは気味の悪い狂人でしかない。自分の中に完全に引きこもるか、世界に対する恨みつらみと自分の能力に対する肥大した自尊心に振り回されるかだ。それなのに今頃になって本家本元が現れて、華々しく中央と取引きを始めるとはな。自分の人生が惨めでしかたなかったさ』

『あなたは……私の存在がそんなに厭わしいのなら、なぜ護衛など引き受けてくれたんだ? あなたは有能な兵士だ。元帥もマクガレイ少将もあなたを信頼していた』

『護衛をしていたのはイルマ少尉だけだ。私は、何かの事故であんたが死んでも構わないと思っていた。ルキーノが打った薬で死んでいたらむしろホッとしただろう。あんたには分かっていたはずだ。心を読まなくても態度や顔に出ていただろう? それなのにあんたは、いくら待っても突っ込んではこなかった』

『ルキーノを操ったのもあなたなのか?』

『あれはサムソンだよ。ルキーノの中にあった憎悪を増幅させ、その対象をミュラー元帥じゃなくあんたに集中させた。おかしいだろう? ルキーノが恨むなら第一に元帥でなくてはならないはずなのに、なんで途中から標的が変わったんだ? それに気づいた時、私はルキーノに思念を送っている相手に会いに行ったのだ。そこにサムソンがいて、さすがに驚いたがね』


 話している間も、サッタールの持つ珠はもがくように揺れていた。そして銃口は向けられたままだった。


『だから海軍の作戦を漏らしたのか?』

『サムソンは化け物だ。私はあんたが死んでも構わないと思うぐらいには冷たい男だが、かといって積極的に手を出すつもりはなかった。任務は真面目に遂行するつもりだったよ。だが……サムソンの力は強い。奴は私も精神感応者であることを知ると激昂した。自分だけがこっちの世界の唯一の存在だと思っていたのだな。だが、私の力はただ心情を察する程度だと見て取ると、思考と記憶を引き出し、呪縛をかけやがったのさ』

『呪縛? 望まぬ行動を取らされた?』

『いや。絶対に自分に銃を向けない、殺さないという呪縛だな。それで私が完全に自分の手足になったと思ったんだろう。つまるところは同類だと看破したんだろうな』


 ふと現実の視界の隅に動くものを見つける。脚から大量の血を滴らせたままのアレックスが、懸命に身体を起こそうとしていた。

 動くな、頼むから。それ以上動いたら失血死してしまうと心で念ずるが、アレックスには届かない。代わりにジャクソンがひっそりと笑った。


『グズグズしてると、イルマ少尉も助からないぞ。あんたを真実気にかけていたお人好しの男だ。私を裏切り者と承知の上で、あんたを助けるためにここまで来たというのにな』

『なぜなんだ、なぜアレックスを巻き込んだ? 彼は……』


 サッタールの思念に重ねるようにジャクソンがくっくと笑う。


『さて、なぜだろうな? サムソンに対抗できるのはあんただけだが、私を止められるのは彼だけだと思ったからかもしれん。あのバカバカしいほどの忠誠心を目にしたら、このどす黒い感情も和らぐと期待したのかな。さあ、そのサムソンの心を押し潰せ。そうしたら心おきなく投降してやる』

『なぜサムソンを? あなたにとっての唯一の同胞ではないのか?』

『あんな化け物を心に飼っている男が? あんたもコラム・ソルも憎いが、サムソンは正真正銘の化け物だぞ。ここの聴衆を操る様を見ただろうが。今、ファルファーレには精神感応力を使った犯罪を裁く法はない。そいつは、あんたが解放したら、たとえ身体を拘束したとしても周囲の人間を操って、もっと大がかりなことをやらかすだろう。肥大した自尊心が惑星そのものを飲み込もうとする』

『しかし……』


 手の中の珠が自由を取り戻そうと大きく震えた。もし取り落としてしまったら、サッタールには再び抑える自信はなかった。


『やれ、ビッラウラ。私はまだサムソンの呪縛の中にいる。私に彼の身体を殺すことはできない。だからあんたがやるんだ。どうしてもできないと言うのなら、私はあんたを殺してサムソンと同化するしかない』


 ジャクソンが本気であるのは、痛いほどわかった。しかし心を潰すということは、その人間を殺すのと同義だ。

 珠からは、憤怒と恐怖がない交ぜに伝わってくる。

 確かに、捕縛されてもサムソンならば周囲の人間を操って脱出してしまうだろう。ならば殺すしかないのか? 自分に人が殺せるのか?

 逡巡するサッタールを見て、ジャクソンはライフルの引き金にかけた指に力を込めた。脅しではなかった。


『そいつの心を潰せ』


 ジャクソンが促す。

 気づけばサッタールは手にセントラルに置いて来たはずの自分の短剣を握

りしめていた。鞘のサラマンダーが深紅の瞳を向けている。


 ――偽りを口にする時、サラマンダーがその舌を焼く。


 サッタールはサラマンダーの瞳の奥に自分の感情を映し見た。自分で自分に嘘をつくことはできない。

 私はサムソンを殺したいのだろうか?

 それほどまでに憎んでいるのだろうか?

 島の為でも、ファルファーレの為でもなく。

 そんな大義名分を隠れ蓑にしてサムソンを殺したら、サラマンダーは許さないだろう。


『おまえが憎い。異形の存在として私を産み出した世界が憎い』


 手の中の珠からサムソンの声が響く。


『おまえも今に思い知るだろう。この世界に我々を受け入れる余地などないのだ。大海に護られた島を出れば、妬みも蔑みも憎悪も一身に浴びる。私は知っているのだ。ジャクソンも知っているだろう。その時になって私を懐かしんでも後の祭りだぞ、サッタール・ビッラウラ!』

『違う……私は……私はあなたとは違う。この世界は無条件に優しくもないけど、憎しみだけに覆われてもいないと信じている。信じているんだっ!』


 唯一の存在として君臨することを望むサムソンを、サッタールは否定した。二人の世界はどうあっても相入れることはない。

 サムソンを生かせば、サッタールは全てを失ってしまう。

 互いに傷つけ合った相手もいた。父親のように。だがそれだって我と彼がぶつかり合うからだ。サムソンの世界にはそんな葛藤すらなくなるだろう。光から色彩が失われ、個々の存在も意味をなさなくなる。


 そんなことは許せない。誰の為でもなく、自分自身の為に。


(殺してもいいだろうか……?)


 サッタールがすがるように床に伏せていた海軍士官に視線を移した刹那。

 今まで床を這っていたはずのアレックスが、片膝を立ててエステルハージから奪った拳銃を構えた。


「ジャクソン! やめろ――っ!」


 アレックスの絶叫と銃声。

 ジャクソンの左頬から鮮血が飛び散り、大きな身体が横に吹っ飛ぶ。

 サッタールの意識が珠から逸れ、手の中から転がり落ちる。

 サムソンの口から咆哮があがった。

 床に落ちた珠に、見る見るうちにひびが入り広がっていく。

 その隙間から黒い影が蛇のように這い出てきた。


「ダメだっ、ダメだっ、ダメだ――っ!」


 サッタールの叫びに呼応して、短剣からするりと鞘が滑り落ち、サラマンダーが黒い蛇に向かって小さな口を開いた。

 網膜を焼くような輝きを伴って炎が迸る。

 だが蛇は身をくねらせて火を避け、肥大していく。


『私が世界を変える。私を変えることなど、誰にもさせはせんわっ!』

『そんなこと、させるか――――!』


 青い惑星ファルファーレが瞼の裏に浮かぶ。

 あれは私たちの星だ。誰か一人のものではない。自分たちを育み、それぞれが唯一無二のものとして存在することを許してくれる場所。

 サッタール自身を含めたファルファーレに拠って立つ全ての者の思いに突き動かされて、サムソンに這い寄ろうとした蛇の頭に、短剣を突き立てた。

 脳が焼き切れるかと思うほど熱く燃え上がる。

 ビチャと湿った音を聞いた気がした。

 蛇は伸び縮みしながら溶け、短剣を握るサッタールの手に黒い滴をまき散らしながら消えた。

 サムソンの身体がぐらりと傾いて、膝から崩れ落ちる。


「それで、いい」


 呆然と床に膝をついたサッタールの前に、血塗れのジャクソンの顔があった。アレックスの撃った銃弾は、頬に大きな穴を開け、左の眼球も潰れていた。

 もうサラマンダーも蛇もなく、短剣も消えていた。現実が急速に戻ってくる。


「それでいい。護衛とはかくあるべきです、イルマ…少尉」


 もう一度呟いてジャクソンはゆっくりと横倒しになる。

 アレックスが血の海の中でもがいている。早く助けなくては。そう思って、サッタールは自分の両手を見た。

 サムソンの心を殺した手には、一滴の血もついていない。あれはイメージの世界の出来事だ。それなのに纏わりつく粘液で汚れている感触がした。

 いくら洗っても落ちることのないその汚れは、いつか身体の奥底までも浸食するのだろうか。サムソンの怒りと支配への渇望を取り込んだ自分は、変わってしまうのだろうか。

 己への恐怖にすくむサッタールの鼓膜を一つの声が震わせる。


「サッタール、よく、がんばった…な……ありがと……」


 視線を上げたサッタールには、アレックスの青い瞳がファルファーレの海のように見えた。


「アレックス、動くな。今、助けてやる、から」


 そう言ったつもりだった。だが、サッタールの意識も急速に落ちていく。


「コラム・ソルは……どうなって……」


 あのクラゲたちの湖は澄んだままだろうかと思ったのを最後に、途切れた。



今日のお昼前までには終章を更新いたします。

それでこの話は終わりになります。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

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