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サラ・マクガレイはクドーの家に用意された部屋で、アルフォンソ・ガナールと向き合っていた。
女性らしい細やかな心遣いのあふれた部屋は、長い間無機質な壁と向き合って生きていたマクガレイをかえって落ち着かなくさせる。
刺繍で描かれた絵画。小さな花瓶に生けられた花。レースで縁取りをされたカーテン。それらは、もう忘れ去っていた子供時代を思い出させて、マクガレイを苦笑させた。
「あんたには似合わないだろうが、サハルのもてなしだ。我慢してくれ」
考えを読んだのか、無遠慮にアルフォンソが言うのに、マクガレイは眉を上げた。
「ミズ・ビッラウラには暖かな気持ちしか抱かないが、あなたのその物言いは失礼だぞ。勝手に頭の中を覗かないでくれ」
「それはすまんな。だが俺はわざわざあんたの思考を読んだんじゃない。顔に出てたんだよ」
アルフォンソはにやりと言い返して、大きな手でティーポットから花模様のカップに茶を注いだ。爽やかな柑橘類の香りが広がる。
目を外に向ければ、穏やかな波が青い空の下を彩っていた。岬の先にある発電所に続く道はきれいに掃除されて、やはり様々な花が咲き乱れている。
「平和過ぎる景色だな」
呟いて茶を喉に流し入れた。この色鮮やかで穏やかな島が、もうすぐ炎上するかもしれない。それは何とも冒涜的行為に思えた。
「で、実際に攻撃があるのかどうかは事前にはわからないんだな?」
「コンマ数秒の差は事前にとは言わんだろう。トゥレーディアから攻撃命令が出たとして、間髪入れずに元帥が我々に通信したとしても、命令を受け取った軍事衛星からはただちにレーザー砲が撃たれる」
「この際だから腹を割って話すが、ミサイルのような物体ならなんとかなるかもしれんが、レーザーとなるとな。要はエネルギー放射なんだろ? 一瞬で弾き返すってわけにはいかんだろうな」
アルフォンソが太い眉を寄せた。マクガレイには目の前の男がどのような方法で、どれだけの力を振るえるのかわからない。そしてアルフォンソの方もレーザー砲など見たことすらないのだ。
「そうだな。確かにレーザーは物体ではない。ただ、そのエネルギー放射は一度には五分に満たない時間しか続かない」
「五分?」
「衛星からの場合だがな。それ以上はレーザーを発生させるエネルギーがもたんのだ。次の放射エネルギーを充填するまでに三十分はかかる。衛星は秒速八キロメートルで飛んでいるから三十分もたってしまえばもう目標を撃てない。まあだから十二も浮かんでいるのだが」
「五分か……あんたたちならどうやって防ぐんだ?」
「ミサイルかレーザー砲をわざとぶち当てて照射に耐えてる間に、角度を変えて別のミサイルを砲自身に撃ち込むのさ。だからあなたが最初の一分を耐えてくれたら、こちらで衛星は破壊できるんだが」
もう一口、茶を流し込む。やはり殺伐とした話は殺伐とした場所でしたいものだと密かに思う。
「一度見てみるか? ウェイブレットにも小口径だがレーザー砲は積んでいるぞ」
「大砲のような物と使い方はどう違うんだ?」
しかしアルフォンソは座り込んだまま尋ねた。
「たとえば水門を破壊して中に侵入したいとする。ミサイルでも破壊はできるが、衝撃で破片が周囲に飛び散って後始末が大変だ。そんなときレーザー砲なら破壊したい部分だけに照射すればいい。艦艇が出入りするのにちょうどいい大きさだけ」
「なるほど。ということはエネルギーにエネルギーをぶつけて空中で大爆発が起きたとしても、それが地上に破片みたいな物をまき散らすということはないんだな?」
「ない。軌道を逸らされたエネルギーの束が地上に降ることはあるが、最初の破壊力とは比べ物にならないぐらいに減退する。まあ人に当たればひとたまりもないが、直撃でなければ地下室の壁を貫く前に破壊できる。ここで一番心配すべきは火事だ」
ふむ、とまた腕を組んで考え込んだアルフォンソは、自分が淹れた茶を飲む気はないらしい。カチカチと壁に掛けられた時計が時を刻む。辛抱強く待っていたマクガレイに、やがて顔をあげたアルフォンソは大きくうなずいた。
「よし、あの船のレーザー砲とやらを見せてくれ」
「迎撃の実験をするのか?」
身を乗り出したマクガレイに苦笑して立ち上がる。
「俺は生身なんだぜ? それこそエネルギーは保存しておきたい。ただ見物したいのさ」
どうやらガナールはその最大限の力を簡単には見せてくれないらしいとマクガレイも肩をすくめる。
「それとな。実際には島の老人たちで俺に力を貸せる者はほとんどいない。当日は全員を集会場の地下室に避難させて、俺とあと数人だけはそっちの船に乗らせてもらいたい。レーダーとかあんだろ? それで得た情報をタイムロスなく伝えて欲しいんだ。俺たちに防護はいらない。甲板でいい。衛星の軌道に沿って、あらかじめ……何と言うか…エネルギーを受け止める網みたいなものを作ってみよう」
「……そういえば彗星の時はどうやって跳ね退けたんだ? 全部目視か?」
歩きだしたアルフォンソが足を止めた。
「あんときは遠見のできる婆がいたんだよ。だが彗星襲来で働きすぎてな。もうその力は使えない」
それは亡くなったということなのか、それとも能力が枯渇したのか。マクガレイは頭に浮かんだ疑問を口にすることなく港に向かった。
※※※
シャトル最終便からの客がすべてはけて、到着ロビーが無人になった頃。一つの影がチューブから滑るように出てきた。照明の落ちたロビーを躊躇することなく横切ったそのいびつな影は、数少ない宇宙軍士官だけが知る通路に通じるドアを開ける。
その瞬間、回転している警備灯の明かりが影を照らした。いびつに見えたのは、一人が別の人間を肩に担いでいたからだ。
異常な二人であるにも関わらず、宇宙港の警備システムはなんの警報も鳴らさない。
そして、二人は誰に止められることもなく基地の奥へと消えていった。
「サッタール、気をつけろ……」
ただ半ば気を失っているとみえる人間の口から漏れた囁きだけが、無人のロビーに木霊した。
***
そろそろだな、とマクガレイが呟き、アルフォンソは空を見上げた。サングラスに映るレーダーの光点はレーザー砲を持つ衛星だ。
見えない物を打つことができるだろうかと思いかけて、アルフォンソは拳を握った。勝負は一瞬だろう。そしてやり直しはきかない。
アルフォンソの周囲には、数人の中年から老年の男女が輪を作っている。残りの者は地下室に避難しているはずだ。老ゴータムも。
力がアルフォンソに向かって伸びて満たしていく。
彗星の時も同じような光景だった。ただ輪はずっと小さく、サッタールはいない。
(うまくやれよ)
トゥレーディアにいる少年にエールを送り、自分を鼓舞したアルフォンソは、心と力を真っ青な空に向けた。
白い海鳥が、一声高く鳴いた。
※※※
「始まるとしたらそろそろですね」
腕時計に目を落としたサーニーは、甲板から西の空を望んでいる少女に話しかける。日が沈み、瞬く星たちが艦を取り囲んでいた。
「言われなくったってわかっているわよ」
怒ったように答えたイリーネは、ここからでは見えるはずもない大海の彼方を熱心に見つめた。
「根暗で陰険なくせに自信あるんでしょ。うまくやりなさいよね」
小さな囁きは、波の音に紛れて消えていった。
※※※
一緒にいるはずのアレックス・イルマが姿を消したと知った時、ショーゴは胸を撫で下ろした。単純に、味方は一人でも多い方がいい、と思った。
自分が側にいられたなら、少しは役に立てただろうか。
せめてコラム・ソルに戻ってアルフォンソに力を貸せばよかったか。
ぐるぐると思い悩む青年の肩を、後ろから抱きしめるように柔らかな花の香りが包む。
「許可はもらってきたわ。屋上に出ましょう」
チュラポーンは職業上だけではない微笑みで、ショーゴの車いすを押す。
まだトゥレーディアは昇っていなかった。