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一般客とは別に、一足先にホテルに入ったミュラーは、ラ・ポルト大陸将を部屋に誘っていた。基地のホテルなど無味乾燥かと思いきや、木製の調度品が品よく置かれているのが意外だった。
ラ・ポルトには宇宙軍中尉の話は伝えてあるが、サッタール・ビッラウラをここに潜入させていることは伏せてある。そしてラ・ポルトは、宇宙軍とサムソンの動向については懐疑的だった。
「懸念はわかります。しかし今のところ状況証拠だけでしょう? 今頃は陸軍本部も宇宙軍本部も、海軍は何を考えて大艦隊を動かしているのかと疑っているでしょう」
「なに、単なる演習だ。ロジェーム海の真ん中では誰にも迷惑をかけんからな」
「そしてたまたま近くにコラム・ソルがあったと? 火器を満載していて?」
「その通り。何事もなければ、両艦隊はそのまま港に帰るだけだよ。先制攻撃は厳禁だからな」
「しかし、あんな小さな島では最初の一発でほぼ壊滅しますよ」
声を落としたラ・ポルトにミュラーはうなずいた。その最初の一発を撃たせない為に、自分も、ビッラウラもここに来たのだ。
「一つだけ申し上げておきますが、コラム・ソルが滅んだからといって、報復の為にファルファーレを内戦に投げ込むようなことは、私は賛成できません。それでは大陸間戦争よりも悲惨なことになりかねない。議会を通した手続きを踏んで宇宙軍を刷新するしかないのではありませんか?」
「わしも内戦など望んでおらん。だからまずは議長を掴まえて話を」
言いかけた瞬間、ドアチャイムが慌ただしく鳴らされた。ミュラーについている護衛兵がモニターを確認する。
「議長秘書のミスター・チェンです」
ミュラーがうなずくと、護衛がドアを開く。いつも冷静沈着に議長の行動を管理しているはずの男は、真っ青な顔で転がるように入ってきた。
「ミスター・チェン。あなたに連絡をと思ってましたぞ。議長は今、お時間あるだろうか?」
ミュラーが立って迎えると、小柄な秘書はずり落ちそうになった眼鏡を押し上げて、何度か唾を飲み込んだ。
「あなた方がいらっしゃるのを首を長くしてお待ちしておりました」
「何かあったのか?」
チェンは、ミュラーの両手を、すがりつくように握る。
「ここは……おかしいのです。ここに来てから、議長も私も……」
秘書の動揺を見て取って、ラ・ポルトがグラスに入った水を差し出す。礼を言って、ごくごくと飲み干すと、チェンはようやく肩から力を抜いた。
「それで?」
先を促す二人の将軍を均等に見て、チェンは視線を床に落とした。
「ここに盗聴器は?」
「ない訳がない」
ミュラーは笑って答えた。
「ジャミングを効かせてはいるがね。あなたと議長がおかしいというのは?」
「それが……最初は夢でも見ているのかと思いました。でも私も議長も同じ夢を見るなんてことがそうそうあるわけがない。いや、私たちだけではないのです。一緒にトゥレーディアに来たブルーノの首相も、与党友愛党党首も」
「夢の内容はなんです? 覚えているから同じだとわかったのでしょう?」
ラ・ポルトが柔らかく尋ねた。
「夢というか、実際には声が聞こえる気がするのです。荒唐無稽な。少なくとも現在の情勢では。その……コラム・ソルがファルファーレ中央府を攻撃しようとしている……それを阻めるのは宇宙軍だけだと……」
ミュラーとラ・ポルトは一瞬視線を絡ませた。それは自分たちが知っているのとは真逆の内容だった。
「声か……で、コラム・ソルはどういう手段で中央府を攻撃すると?」
「再びあの彗星を呼び戻し、セントラルを火の海に」
「彗星を? 彼らは天体をも自由に操るというのか」
「はい。だからその前に彼らを排除せよと、声が……」
「議長もか? で、議長はそれを信じたと?」
「いえっ、いいえ。議長は……単なる夢だと……ファルファーレを外から見て高揚した感情がおかしな方向にいっただけだろうと。でも……不安なのです。私は……」
ミュラーは反射的に窓の外を見た。しかしここからはファルファーレは見えない。ただ岩と砂の冷たく乾いた地面が広がるばかりだった。
「議長に会えるかね? 今すぐ。それとここに来てからサムソンとは話したか?」
「はい。ご到着したばかりで申し訳ないのですが。議長は念のためとおっしゃって、その声を聞いてからは部屋に籠もられています。余計な情報を入れると公正な判断ができないからと。サムソン大宙将とは到着時にお会いしたのみです。正直に白状しますと、あなた方を訪ねたのは私の独断なのですが……」
「議長の健康状態に異変は? 何か幻覚や幻聴を呼び起こすような薬物を摂取したという可能性は?」
「見たかぎり健康状態は悪くありません。ただ水も食料も供されるものを口にしてますし、空気に至っては……」
ラ・ポルトが自分の護衛兵を振り返る。
「私の護衛は軍医も兼ねています。ご一緒しましょう」
ミュラーはもう一度窓の外に視線を投げた。そこは広大な土地だが、同時に宇宙服なしでは一歩たりとも出られない死の砂漠でもある。改めて、自分たちは宇宙軍のテリトリーの中にいるのだと実感する。
サムソンが何を企んでいるにしろ、この中で決着をつけなければならなかった。
***
長旅を終えてホテルの部屋に入ると、ワイマーはメモ帳を取り出した。
「いいからおまえはシャワーでも浴びておいで、レニー。それから軽いものでも食べに食堂へ行ってみよう」
すっかり伯父気分のワイマーが物わかりのよい口調で言った。しかし見せられたメモには、元帥と連絡を取れるのかと癖のある右肩上がりの字で走り書いてある。
「うん、ありがとう、おじさん。じゃあサッパリしてこようかな。シャトルで汗かいちゃったもんな」
サッタールも合わせて答えながらペンを取る。
《頃合いを見て、元帥が私を呼ぶことになっています。ここで念話ができるか確認するために》
《わしがいない方が集中できるかね?》
サッタールは首を振った。ワイマーはうなずくと、書いたメモにミネラルウォーターの水を振りかけた。するとインクはたちまち溶けて読めなくなってしまう。
原始的な方法だが確実だった。
サッタールは遠慮せずに――もし盗聴されているとしても不審を抱かれないように――シャワーを浴びに行く。
トゥレーディアは衛星にも関わらず、水が豊富にあった。氷という形だが、それはトゥレーディア開発を非常に容易なものにした要因だった。
とは言っても、基地で使う水のほとんどは循環清浄された水である。科学的には衛生的なのだろうが、浴びた瞬間、何か嫌なものが体の表面を撫でていったような気がした。
(なんだろう? 考え過ぎか?)
大急ぎで石鹸を泡立て、全身を洗い流すと、すぐにタオルで水滴を拭き取った。もう先ほどの嫌な感じはしない。
気が立っているせいかと短くなった髪を拭きながら出てくると、ワイマーがまたメモを手に待っていた。黙って差し出されたそれには、ワイマーとは違う字で、トゥレーディア時間で二時間後に呼びかけると書かれていた。
ワイマーは身振りで、それがドアの隙間から差し込まれたと伝える。宇宙軍の中に海軍のスパイがいるのか、あるいは元帥の護衛が持って来たのか。
サッタールはワイマーの目を見ながら口に出してはこう言った。
「先にシャワー使わせてもらったよ。やっぱりおじさんも浴びた方がいいよ、気持ちいいから。宇宙でシャワーを使えるなんて、贅沢だね」
「そうか? ではさっさと行ってくるから、それから食堂へ行くか。式典まではまだ七時間はあるからな。腹ごしらえしたら少し休もう」
ワイマーが着替えを手にシャワー室に消えると、サッタールはワイマーに倣ってメモに水をかけた。滲んで溶けていく文字を見ながら、元帥に何かあったのだろうかと考えた。
※※※
中央府議長ジェーコフはいつものダンディな装いをかなぐり捨てて、苛立ちも露わに部屋を歩き回っていた。
「いかなる薬でもない。食料も水も、空気にも異常な成分はない。では、これは何だ? 集団ヒステリーだとでも言うのかね、ミュラー?」
食ってかかられたミュラーは乱れたジェーコフの髪を見下ろして、肩をすくめた。
「ラ・ポルトの軍医は優秀です。ヒステリーかどうかはともかく、毒物の混入がないことをまずは良しとされてはいかがか」
ラ・ポルト大陸将の軍医は、議長の怒りに感銘を受けた様子もなく、説明を続けた。
「集団ヒステリーからモラルパニックを起こしているようにも見えます。が、疑問もあります。モラルパニックは潜在的に多数の人間に共有されている恐怖や怒りが、何らかの刺激…たいていは煽りによって引き起こされ増幅していくものです。しかし、議長をはじめチェン秘書もコラム・ソルに対しては中立的、あるいはどちらかと言えば同情的に見ておいでだと聞いております。それがトゥレーディアに来たとたんに同じ幻聴を体験するというのは、モラルパニックでは説明がつきません」
「私が単なるヒステリーでも起こしたとでも言いたいのか、君は?」
ジェイコフが不機嫌に問う。
「集団ヒステリーだとしても、チェン秘書に調べていただいたところ、それぞれ時間差で、しかも一人リラックスした状態の時に現れているのが気にかかります」
ミュラーとラ・ポルトは、チェンがまとめた幻聴の聴こえた時間と各人のスケジュールに目を落とした。就寝中が多いが、他にも食事中であったり入浴中の者もいる。
ただ一つだけ、共通点があった。
「全員がトゥレーディア到着後にサムソン大宙将と会談を持っていますな」
ミュラーが吐き捨てるように指摘する。
「それまで考えてもいなかったことなのに、トゥレーディアへ来てサムソン大宙将と会談したあと、急にそんな声が聞こえるような気がすると言う。おかしなことです」
「サムソンが何らかの形で関わっているとして、そんなことをして何になります? 私は誰ががそう言ったからといって考えもなしに賛同するような風見鶏ではない。中央府議長はファルファーレ全体の利益に奉仕しているのです。こんな姑息な真似で理想を左右されたりはしない」
「しかしその声が毎日毎日、毎時毎時と繰り返されたらいかがでしょう? しかもここはトゥレーディアです。宇宙軍の働きがなければ誰一人ファルファーレに帰ることはできませんぞ。それどころか一歩も外には出られない閉鎖空間です。容易にパニックを起こすことのできる場所です。たとえあなたご自身が鉄の意志を持っておいででも」
ジェイコフは疲れたように椅子に座った。
「サムソンがコラム・ソルに否定的なのは承知していますよ。あなたが肩入れしているのと同様に。だがいかに何でもこんな手段は性急で過激だ。だいたいどうやって声を届けているというのです? これが正反対の意志を伝える声ならば、まだわかる。セントラルにやってきたあの少年ならばそういうこともできると聞いている。だがここにあの少年はいないし、内容は最悪だ。一体何が起きているのですか?」
ミュラーはまたラ・ポルトと目を合わせた。サムソンが企んでいることは、まだ状況証拠しかない。それをここで議長に訴えても、どこまで信じてもらえるか。
「とにかくここではサムソン大宙将の意志は絶対です。失礼ながらあなたよりも、ジェイコフ議長。今は何が起きようとしているのか、冷静に観察すべき時ではないでしょうか?」
ラ・ポルトの宥めるような言に、顔を上げたジェイコフは皮肉な笑みを漏らした。
「惑星ファルファーレとその領土に、中央府議長よりも絶大な権力を持つ者がいるとは思わなかったのが、私の失敗ですね。軍のあり方を考え直さねばなりませんね、ラ・ポルト大陸将」
「陸軍は常にファルファーレ人民憲章を遵守し、中央府に忠誠を誓っておりますよ」
「人民憲章ね……」
口元を歪めたまま視線がミュラーに向く。その目が海軍はどうなのだと問うていたが、ミュラーはうなずくだけで答えなかった。
「やれやれ。こんなことならばコラム・ソルの少年を一緒に連れてくればよかったな。私の個人秘書として」
「彼だって自分の意志をあなたに押しつけようとするかもしれませんぞ?」
議長は深く息を吐くと、少し落ち着きを取り戻したように笑って見せた。
「あの少年は守らねばならないものが多すぎて、そんな危険は犯さないでしょうね。特に今は。彼はコラム・ソルの資源やら自身の処遇にはあまり関心がない。望んでいるのはあの小さな島が特異能力者の楽園であり続けることでしょう。窮鼠猫を噛むというから、上手に彼らを飼い慣らしてファルファーレの利益とするのが私の方針です。まあ、個人的にもあの少年の生真面目さとナイーブなところは気に入ってますがね。とはいえ、それも今のうちだけかもしれませんね。人は変わるものだ」
ミュラーの頬からわずかに緊張が解けた。少なくともジェイコフはおかしな声に簡単に騙されはしないだろう。
ラ・ポルトも深くうなずいて、ジェイコフに頭を下げた。
「何がありましても私と陸軍は議長をお守りしましょう。それが人民憲章にかなう限り」
ジェイコフはまた口角をあげて、二人の大将軍を見上げた。
「議長が集団ヒステリーを起こして不用意な命令を発したあげく、地上に戻ってから無様な言い訳をするような羽目だけは避けねばなりません。よろしくお願いします」
少し静かに考えたいという議長とチェン秘書を残して、ミュラーたちは各々の部屋に戻ることにした。
式典までもう五時間あまりしかなかった。
※※※
サッタールとワイマーは宇宙港の食堂で軽い食事を取っていた。式典中はろくに飲食できないだろうし、一眠りする前に腹ごしらえをというワイマーの意見はもっともだったと、熱い汁麺をすすりながらサッタールは考える。
同じことを考える者は他にもいて、食堂は混雑するほどではないにしろ喋り声でいっぱいではあった。
「そういえば。おじさんはあの彗星を一番最初に発見したんでしょ? だからトゥレーディアにも招かれたんだよね?」
汁をたっぷり吸った青菜をつつきながら尋ねると、ワイマーは苦いことを思い出したと言わんばかりに顔をしかめた。
「そうだ。誰も耳を貸さんかったがね。全く、硬直化した官僚組織というものはっ!」
勢いよく箸を振り回したため、汁がテーブルに飛び散ったが、かまわずにワイマーは話し始めた。
「しかもだ。わしの天文台は大損害を被ったのだぞ。隕石がレンズに直撃したのだっ。おかげで去っていく彗星の観察はほとんどできなかった」
「ああ、そう…なんだってね。大変だよね。じゃあ、あの彗星の研究はもうしていないの?」
白っぽい汁に脂身が点々と浮かんでいる。島でもセントラルでもこんな料理は見なかったなとぼんやり見つめながら、彗星接近前夜の胃がキュッと痛むような思いをよみがえらせた。
彗星の周期は三二一年だ。三百年という時間は人にとっては短くはない。三百年後、またあの彗星が戻ってきた時には、ファルファーレの人類はもう少しはうまく対処できるだろうか?
「周期はわかった。今度こそきちんと次の世代に引き継がねばならん。次はもう少し離れたところを通るはずだがな。計算上ではだ。だが一番の問題は、あの彗星は接近時にとてつもなく強い電磁波を出して我々の社会生活に多大な被害を及ぼすことだ」
「理由はわかってるの? ちっぽけな彗星がそんな電磁波を出すなんて変だよね? 彗星って汚れた雪玉なんじゃなかったっけ?」
「たいていの彗星の成分は氷だ。しかしその中には様々な物質も閉じこめられていて、太陽に接近するとそれらが噴出する。だから尾の色もそれぞれ違って見えるのだ。少しは自分で勉強せんかっ、レニー」
叱りつけた後で、目の前の少年が誰であるか思い出したように瞬きを繰り返したワイマーは、苦笑しながらナプキンで口を拭った。
「残念なことに、強力な電磁波のせいで、彗星の後を追いかける探査機も出せんようだな」
「でも……彗星の塵、は、今も軌道上を漂ってるんでしょ? それも調べないの?」
ワイマーの真剣な目がサッタールを凝視する。素早くテーブルに置いてある紙ナプキンを取ると、ペンで走り書きをして見せた。
《それは君たちの願いかね?》
サッタールはナプキンをさりげなく手にして、水のグラスから小さな氷のかけらをその上に落とした。たちまち字が滲んで読めなくなる。
「調べたらいいんじゃないかな? そうしたら、おじさん、すっごい大発見するかもしれないじゃないか。僕も知りたいよ。謎の彗星の秘密なんてわくわくする」
「そう…だな。どこかから予算をぶんどって塵を集める探査機をあげて……ふむ。わしのライフワークにはふさわしいかもしれんな。なぜか宇宙軍は手をつけたがらんのだが、ファルファーレ天文協会に話しを持ち込むか。しかしスポンサーが……」
あれこれと計画を巡らせ始めた天文学者を、サッタールは麺を食べながら興味深く眺めた。
なぜファルファーレには超常能力者が生まれるのか? なぜ彗星が去った後、その出生率が上がるのか?
それはコラム・ソルの者にとっては自明のことでもあり、また最大の疑問でもあった。植民以来現れた超常能力者たちは、自分たちの力の由来を彗星に求めながら、その詳細を探ることもなければ、自分たちの脳の仕組みを解明することも避けていた。
生きるのに精一杯の時代が長かったこと、道具として扱われ、実験動物にされてしまうのを恐れたことが、その理由だろう。
でもサッタールは知りたかった。もしこの危機を乗り越え、コラム・ソルがファルファーレの一員として公に認められ、共同していく道筋がつけられたら、その謎を、自分たちの起源を見つけたかった。それにワイマーのような学者が協力してくれば幸運だった。
ちらりと腕の時計を見ると、もう元帥との約束の二時間が過ぎようとしていた。
「おじさん、そろそろ部屋にもどろうか?」
まだ彗星探査計画を脳内に繰り広げているワイマーに声をかけると、天文学者はすくに我に返って席を立った。
「いかん。これでは寝る時間がなくなりかねん。もっと早く声をかけんか、レニー」
わがままに叱る素振りをしながらもワイマーの目は興奮に輝いている。
「やらねばならんことも、やりたいことも人生には山ほどあるが、とりあえず今は寝よう」
くすくす笑いながら食べ終わった食器を片づける。宇宙港は広大で複雑だが、案内図の前で手の甲に捺されたスタンプをかざすと、すぐにワイマーたちの部屋までの道順が輝くオレンジのラインで示された。
これで、どこかで客たちの動静を監視している者にも、天文学者とその連れは食堂で食事を終えて部屋に戻るというごくありふれた情報を得て安心するのだろう。
だが、ワイマーと肩を並べて通路に足を踏み入れたとたん、サッタールは自分を呼ぶ声を聞いて、ぎくりと足を止めた。
『何かありましたか?』
『おお、聞こえたか。だが新たな問題が発生した。だからもうよほどのことがない限り私からは君を呼ばん』
『新しい問題?』
『そうだ。もしかしたらこの基地には君と同種の力を持った者がいるかもしれん。気をつけろ。攻撃せよという声を聞いた者が複数いるのだ。脳内に響く声をな』
足を止めてしまったサッタールを怪訝そうに振り向いたワイマーは、少年の表情をみると腕を掴んだ。食堂の出入り口に近いここは、人の出入りも多い。ぼーっとして突っ立っている若者を胡散臭そうに見る者もいた。
「そうだ、レニー。部屋に戻る前に到着ロビーに行こう。寝る前にもう一度ファルファーレを見たいと思わんか、え?」
脳と耳とに響く声を聞き分けて、サッタールがうなずく。ワイマーはそのまま少年を引きずるように歩きだした。視界にはいくつも折れ曲がっていく通路の景色を納めながら、サッタールはもう一度ミュラーに問いかける。
『脳に響く声ですか? それは今、私と話しているのと同じような?』
『わからん、わしは聞いていないのでな。接触を切る前に一つだけ訊きたい。君は他人をその意志に逆らって行動させられるな? では、他人の意志そのものを左右することはどうだ? 以前からそのように考えていたのだと思いこませることは?』
『……正直に言ってわかりません。したこともありません。人間の心はとても複雑で……一つを理解したと思ってもその奥にはとてつもない広がりがあったりします。一時的に思いこませるということなら、もしかしたらできるのかもしれませんし、無理かもしれません。そしてそんなことをするつもりもありません』
命令の声を使えば、と頭によぎって首を振る。長になるときに使ったのだと思いこんでいたその力は、結局アルフォンソにはなんの影響もなかったのだと最近になって知った。他人はそう簡単に自分の思いのままになるものではないのだという認識は、サッタールをとても安心させた。
たとえ自分が間違ったとしても、正してくれる人間がいるのだ。間違うのではないか、知らぬうちに自分の欲求や思想に他人を引きずり込んでしまうのではないか。そんな恐怖がサッタールを長い間縛っていた。
それが違うのだと知った時、アルフォンソを殴りつけたくなり、同時に抱きつきたくもなった。
『そうか。だがここには、それを目論む者がいる可能性がある。それだけを胸に置いてくれ。もしかしたらこの会話も聞き耳を立てているかもしれん』
『わかりました』
サッタールは接触を切って、瞬きをした。ぼんやりと見ていたはずの景色に息を飲む。
「ファルファーレだ……」
いつの間にかワイマーに到着ロビーまで連れてこられていたのだ。数時間前にも見たその星に、もう一度見入った。
「何度見てもいいものだな、レニー」
ワイマーが腕からそっと手を離したのにも気づかなかった。窓に貼りつくように惑星を眺める二人の後ろで、地上からの最終便で到着したらしい新しい客たちが、やはり感嘆の声をあげていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
明日からの連休中は更新をお休みする予定です。
続きは5月7日に更新します。
残り4回で終わる予定でいます。最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。