第四章 宇宙に響く声 38
ペレス基地所属の護衛艦ウイーリングタイド号から波立つ海を眺めながら、マクガレイはちっと舌を鳴らした。
トゥレーディア基地での式典が始まる前にはコラム・ソル近海に展開できるとはいえ、大型艦の足は速くはない。自分が艦隊の指揮を執るわけではないのだからここにいる意味はないのだ。それよりも一刻も早く島に上陸したかった。
「はは。イライラしているだろうと思ったよ」
西方面司令がにやにやしながら言った。
「いっそのことヘリで先行しようかとも思いましたが、あの島には大型ヘリが発着できるような空き地がありませんので」
「うん、そうだってね。そこでカリカリしている君の為に提案だ。我が艦隊で最速の艦艇を提供しよう。もうここまで運んだら航海距離の制約もないしね」
「最速の艦艇?」
「ウェイブレット号だよ。兵装はたいしたことない小艇だが速いんだ。ああ、そうそう。以前はイルマが艇長を務めていた。今は彼の元部下が運用している。小回りもきくし、小さな港にも直接つけられるから、どのみち君の上陸用にと思って連れてきていたんだ」
マクガレイは素直に安堵の笑みを見せた。
「感謝します。それでその艇はどこに?」
「これの後方にいるよ。一度給油して予備タンクも満タンにしてやったから十分だろう。今すぐ移るかい?」
視線を後ろに向けたが、ここからではその小さな艇は見えない。が、マクガレイは自分よりも階級が上の壮年の将軍に謝意の敬礼をして、甲板を駆けだした。
その後ろ姿を笑顔で見送って、西司令は部下にウェイブレットと連絡を取るようにと命じた。
サラ・マクガレイのことだから、乗り移るのに艦を止める必要はないと言い張るだろう。さっさと連絡用のボートを出さないと、現場の海士たちが怒鳴られそうだった。
走る護衛艦から一人ボートに乗り移るという荒技をこなしたマクガレイは、そのまま波の荒い大洋の真ん中でウェィブレット号が近づいてくるのを待った。
山のような護衛艦からしたらその艇はいかにも小さかった。だが、ウェイブレットは機敏な繰艇でマクガレイの元に着くと、挨拶もなしに係留用のロープを投げ下ろしてくる。それがマクガレイには小気味よかった。
「中央方面司令少将マクガレイだ。貴様がシムケット准尉か」
いかにも海の男といった風体の海士たちがボートを引き上げる間も惜しんで梯子で昇ると、きっちり准尉の上着を着込んだ大男に向き直る。
「イエス・ダム。自分がシムケットです。全速力でコラム・ソルへ向かえと命令を受けております」
「そうだ。艦隊とは別行動になるが大丈夫だな?」
「問題ありません。どうぞブリッジへ。指揮は少将が?」
「いや、私は貴様の艇を横取りするつもりはないぞ。よろしく頼む、シムケット。イルマの部下だったのだな」
「イエス・ダム。イルマ少尉はお元気でしょうか?」
歩きながら尋ねたシムケットに、マクガレイは一瞬間をおいてうなずいた。多分、今頃あの脳天気な青年は、柄にもなく病院で悶々としていることだろうと、思った。
※※※
その頃コラム・ソルでは、アルフォンソが集会場に集めた全島民をぐるりと見回していた。老いた者も多いが、子供も若者もいる。誰もが緊張を隠せない顔をしつつも長の言葉を待っていた。
島で一番幼いユイでさえも、余計な思念を飛ばさないで黙っている。
アルフォンソの話はいつものように前置きも飾りもない。ただ宇宙軍の目論見を淡々と語る。
「明日にはファルファーレ海軍の艦艇がこの島を取り囲む。すでに俺と海軍元帥の間で協定ができている。今から名を告げる者は、迎えの船がきたらこの島から一時立ち去れ。彼らは我々とこの島を守る為に来ているんだ。くれぐれも余計な摩擦は起こすなよ」
そうして告げられたのは、まだ若く、これから子を成す可能性のある者ばかりだった。その数、五十名足らず。
「一つ聞きたい。海軍がこの島を守るというのなら何故俺たちは島を出なきゃならないんだ? それに何であんたは行かない?」
手を挙げたのは海底資源を管理しているポワイエ兄弟の兄の方、ジャンだった。
「サッタールがトゥレーディアに潜入している。あいつが宇宙軍の攻撃を止められたら何も起こらないし、艦隊も無駄足を踏んだことになる。だから彼らが来るのも、おまえらを島から出すのも、念の為だ。万が一があっても海軍艦隊は先制攻撃はできない。憲章に反するのだそうだ。だから最初の一撃は俺が止める。コラム・ソルの名の為にも守られるだけって訳にはいかん。という訳で、年寄りたちには悪いが俺の補佐をしてもらいたい」
集まった島民から一斉にどよめきが起こった。
「馬鹿言うなよ、アルフォンソ。彗星の時だって力のある者は皆おまえに協力したじゃないか。それにあの時はサッタールがいた。あいつの力をかなり使っただろ? それなのに今度はおまえ一人か? そんなことできるのか?」
「できるかどうかなんぞ、彗星の時だってわからなかっただろ? いいか、長は俺だ。そして俺しか空から降ってくる脅威を跳ね退けられる者はいない。だから俺は残る」
「それなら俺たちも残るぜ。子供と女、年寄りを避難させろよ」
「ダメだ、ジャン。この島は俺たちのものだ。俺たちが生まれ、育った場所だ。この先、島を開いた後、外で何か問題が起きたとしても帰ってこられる場所は絶対に必要だ。だから島は守る。しかし島だけが残ってもなんにもならん。おまえらがいなくては、コラム・ソルは単なる小島でしかない」
ジャンがアルフォンソの胸ぐらを掴もうと身を乗り出した。その矢先、しわがれた怒鳴り声が集会場に響く。
「皆、静まれっ。ジャン・ポワイエ、おまえも下がれ。アルフォンソ・ガナールが我々の長じゃろ。長の決定に従い、各々でできることをせんかっ!」
人々の固まりが割れ、その中から年老いたゴータムが歩み出た。
「アルフォンソ。わしは承知じゃ。命をかけて戦う若者はサッタールとおまえだけでよい。それで十分じゃ。いいか、ジャンよ。我ら年寄りを甘く見るでないぞ。我らは日頃はおまえたち若いのを働かせて楽をしてばかりに見えるかもしれんがな。力はこういう時の為に取ってあったんじゃ」
嘘つけという呟きが聞こえたが、ゴータムは聞こえなかったようにアルフォンソの脇に立った。
「どれ、外の世界に倣って多数決でもしてみようかの。長の裁定に賛成の者は手を挙げよ」
最初はぱらぱらと、だがすぐに大多数の手が挙がる。ほとんどが島に残るとされた者たちだった。
「決まったな。ジャン、おまえはサハルと一緒に艦隊に移る者たちをまとめてくれ。サハルが一番、外の奴らのことを知ってるからな」
ジャン・ポワイエは険しい顔でアルフォンソを睨みつけた。
「俺は……」
「さっさと支度しろよ、ジャン。じゃないと俺にぐるぐる巻きに縛られて無様な格好で運ばれることになるぜ。そんなみっともないところを外の連中に見られたいのか?」
「……全部終わって島に戻ったら、一発殴らせろよ、アルフォンソ」
「バーカ。誰が黙って殴られるかよ。おまえが殴りかかってきたら、俺も殴り返すさ。力は抜きでな」
「それでいい。見てろよ、海軍の兵士にでも格闘術を習ってきてやるからな」
ぎゅっと眉を寄せたユイが、サハルの手を握りしめた。
「本気かな?」
「さあ? 男って本当にもう」
サハルは微笑んで、ユイの手を握り返した。
「行きましょう。明日は精一杯おしゃれして乗り込むわよ。サッタールもショーゴもここにはいないけど、二人ともがんばっているに違いないわ。私たちもできることをするのよ」
一人、二人と集会場を出ていく。そしてアルフォンソと老ゴータムが残った。
「全員で玉砕。海軍の手なんか借りるかって言うかと思ったぜ?」
「ふん。今さらじゃ。おまえとサッタールが言うように孤立の時代は終わったんじゃろ。だが、島を開くからには、これから先、何かと休まる暇なんぞないぞ。わしはそんな時代につきあうのはまっぴらじゃ」
「まっぴらでもつきあってもらうぜ。さっきはあんだけ大見得切っただろうが」
「年寄りはいたわらんか」
杖にすがるように、ゴータムも集会場から出ていった。アルフォンソは窓から空を見上げた。よく晴れた西の空にはまだ、トゥレーディアが残っていた。
※※※
轟音と同時に、身体が急激に重くなった。いや、重いなんてものではない。全身がシートに押しつけられて、頬の肉もゆがんでいる。それが秒針が時を刻むと共にどんどん増していく。
光速を超え、亜空間を行く宇宙船が開発されても、安定した空間に重力場を発生させることができても、惑星から飛び立つ時の重力を緩和する方策はまだ見つかっていない。ほんの十分ほどとはいえ。
外宇宙を行く宇宙船が重力の少ないトゥレーディアから出発するのもこのためだ。
だからシャトルに搭乗できるのは十五歳以上で妊婦は不可とされていた。そしてほとんどの民間人は搭乗時に睡眠薬を飲まされる。苦痛や恐怖と戦うよりも安らかな眠りをという訳だ。慣れない者は気を失うことも珍しくはない。
だがサッタールは、薬を飲まなかった。用心に用心を重ねて、いつ何が起きても意識を保っていたかったからだ。
「うっ……くっ……」
骨も内蔵も押しつぶされてしまうような圧力の中、横目で隣をうかがうと、素直に服薬したワイマーはしっかりと目を瞑って眠っていた。それに倣ってサッタールも瞼をおろす。
音と振動とのしかかる重力でまともに物が考えられない。わずかな安らぎを求めて、コラム・ソルの懐かしいアマル・フィッダの湖を思い浮かべた。あの透き通る水とふわふわと泳ぐクラゲの群を。
(そういえばつい最近もアマル・フィッダを見たような……)
考えて、サッタールは叫び声をあげそうになった。
(そうだ、何故忘れていたのか)
ルキーノから解放されて、入院していた時だ。あの時、夢を見た。自分はアマル・フィッダの縁に立っていて――コラム・ソルが燃え上がった。
(あれは……やはり予知夢だったのか?)
過去の夢をみることはあった。たいていはサッタール自身に関係のない、遠い昔の出来事。植民時代や移住の頃。
だが予知をしたことはない。
予知は能力の中でもとてもやっかいで繊細な力だ。コラム・ソルの歴史の中では一人しか知られていない。その一人は、【起こるかもしれない未来】を同時に数百も見てしまい、その中の正しい一つを選ぼうと苦闘した挙句、自らの命を絶った。
夢を見た時はまだ、宇宙軍のことも知らなかった。中央府と交渉が決裂し、コラム・ソルが攻められる羽目になったとしても、攻撃は海から、せいぜい爆撃機によるものと考えていたはずだ。
それなのに夢で、サッタールははっきりと脅威がトゥレーディアから来たと見抜いていた。
(いや、違う。夢は夢だ。仮に予知だったとしても、あの時から事態は変わっているはずだ。中央府との交渉は継続中で、海軍は全面的にコラム・ソルについてくれた。そして私は島に帰るのではなく、今、トゥレーディアに向かっているんだ)
気づかぬうちに歯を食いしばっていた。
起きるかもしれない数百もの未来を選びきれず死んでしまった哀れな予知者とは、自分は違う。
未来など見えなくてもいい。やると決めたことを為し、信じると決めた人を信じるだけだ、と言い聞かせる。
それでも、静かな楽園のままのアマル・フィッダの夢を見られたらいいのにと、そう願った。
※※※
夜明けの光を背に、小さな軍用艇が近づいてくる。連絡を受けたアルフォンソは、集まった島民たちと共に港の広場でその小艇を待った。
島を離れる青年たちは皆、コラム・ソルの正装を身につけている。それは彼らの誇りであり、意地でもあった。
やがてエンジンを切った艇がゆっくりと桟橋に横づけられ、まずは男が二人、飛び降りてきた。素早くロープで艇を固定し、合図を送ると、今度は短いタラップが渡される。
そしてマクガレイ少将が、やはり海軍の制服をきっちりと着込んで降りてきた。彼女は港に集まった人々を見ると、いったん足を止め、またゆっくりと歩いてアルフォンソの前に立った。
すぐ後から、もう一人、准尉の階級章をつけた大きな男がついてきていた。
「しばらくぶりだな、ミスター・ガナール。このたびは世話になる」
挨拶も敬礼もなく話しかけられると、アルフォンソも片眉をあげて答えた。
「なんならずっと住みついてくれても構わないぜ、マクガレイ少将。世話になるのはこちら側だ。よろしく頼む」
後ろに並んだ青年たちが一斉に礼を取る。海からの風が色とりどりの肩布を舞い上がらせる。
マクガレイは彼らとその奥の島民たちにに対しては、かちっと返礼を返し、傍らのシムケットに目を遣った。
「あの艇であなた方をここから東方百二十キロほど沖を航行中の護衛艦フレイヤ号までお送りする。これは艇長のシムケット准尉だ。艇内は狭いことだろうと思うが、護衛艦には十分な余裕があるから、少しの間は耐えてもらいたい。ちなみにフレイヤ号は、作戦終了までの間はこの海域からもう少し離れる予定でいる。あなた方を危険から遠ざける為だと理解して欲しい。艦はしょせん軍艦なので、最上級のもてなしとまではいかないが、不自由なことがあれば艦長に遠慮なく言ってくれ。フレイヤの艦長はできる範囲で対処するだろう」
「数々のお心遣い、感謝いたします。マクガレイ少将には、失礼ながらクドーの家で私が使っていました部屋をご用意してあります。行き届かないことかと思いますが……」
一歩前に出て答えた若い女性に目を遣って、マクガレイは微笑んだ。小さな女の子の手をしっかりと握っている姿は、記憶にあるよりもたくましく映った。
「ミズ・ビッラウラ。あなたが一緒ならば大丈夫でしょう。部屋は大事に使わせてもらいましょう」
少しだけ屈んで、女の子の目をのぞき込む。
「こちらはミスター・クドーの妹さんかな? セントラルでミスター・クドーとも話したぞ。兄上はずいぶんと元気になった」
ユイの大きな目が、疑わしそうに見開かれる。
「ごきげんよう、マクガレイ少将。でもお兄ちゃんは、全然連絡して来ないのよ。アルフォンソとばっかり話してるの」
「そうか、それはいけないな。この……ゴタゴタが終わったら、私からも兄上には苦言を呈しておこう」
「うん、よろしくお願いします。それとサッタールにも言ってあげて。サハルだって心配しているのにって」
「わかった。ミスター・ビッラウラがトゥレーディアから帰ったら、真っ先に連絡させる」
それで安心したのかユイの表情が軟らかくなった。アルフォンソが手を挙げると、青年たちは列を作ってウェイブレット号に向かう。その一番後ろについたサハルは、乗船を見守っていたシムケットに話しかけた。
「この船は見覚えがあります。もしかしたらトノン島にいらっしゃいました?」
「はい。あの時、私は艇に残っておりましたが。それならばあなたはあの帆船に乗っておいででしたか?」
「ええ。イルマ少尉はお元気かしら? 少尉も弟と一緒なのでしょう?」
「それは……申し訳ありませんが私にはわかりません。しかしイルマはセントラルではずっとミスター・ビッラウラと行動を共にしていたと聞いております」
一言詫びて、シムケットは振り返った。マクガレイ少将が一人島民と共に残っている。民族衣装の人々の中で、海軍の軍装はいかにも違和感があった。
「では行きましょう。あなたがたをお送りしたら、この艇はまたこちらに戻ります。我々もコラム・ソルをお守りする手伝いができることを光栄に思っております」
小首を傾げたサハルとユイに、シムケットは胸を反らして答えた。
「私はトノン島の出身です。コラム・ソルのことは祖父からよく聞いておりましたから」
サハルの笑みが深くなった。
「ではあなたも、私たちの遠い兄弟かもしれませんね、シムケット准尉。心を寄せてくれたトノンの記憶は、私たちには灯台の明りのようでした」
「そうあり続けたいと、トノンの島守も考えているでしょう」
「感謝します」
シムケットはユイを腕に抱きあげ艇に乗り移らせると、サハルに肉厚の手を差し出した。
「参りましょう」
サハルは細い手を大男に預け、生まれ故郷の島を後にした。
タラップがあげられ、ロープが解かれる。ウェイブレット号はまた、エンジンのうなり声をあげて波の間に消えていく。
「さて、作戦会議といこうか、ミスター・ガナール?」
感情を表さず艇を見送ったマクガレイがアルフォンソを振り返った。
「ああ。クドーの家に行こう。俺でも茶ぐらいは淹れられる」
朝の白い光の中、空には大きな雲が湧きたっていた。雨が降る前に、ウェイブレットに乗った島人たちがフレイヤ号に移れるといいのだが、とマクガレイは胸の内で思った。
***
トゥレーディアまでの航行は約三十五時間かかる。そのほとんどを半ば眠って過ごした乗客たちも、着陸態勢に入ると容赦なく起こされた。
逆噴射をしながらシャトルが着陸すると、またひどい重力がかかるのかと身構えていた乗客たちは、一様にほっとした表情を作っていた。
トゥレーディアでは重力がファルファーレの八分の一であること、到着ロビーに着くまでは重力場発生装置は効いていないので、係員の誘導に従ってゆっくりと移動することなどがアナウンスされる。
下手に動いて身体が浮き上がり、頭をぶつけるといった事故は日常茶飯事なのだ。
アッパークラスから案内される為、ワイマーとサッタールはしばらくシャトル内で待たされた。その間も指示があるまではベルトを外したり立ったりしないようにと注意がある。それを無視した乗客が、早速頭をぶつけて悲鳴を上げるのを見て、どの客も大人しく座っていた。
「やれやれ。これなら全員にヘルメットを被せるべきだな」
ワイマーは額にこぶを作った客を眺めてため息をついた。
「シャトルなどつまらん乗り物だな。窓もないし。これでは身体が軽いだけで、本当に自分がトゥレーディアにいるのかどうかわからんじゃないか」
「うん、そうだね、おじさん。僕も早くこのベルトから解放されたいよ。ここからじゃファルファーレも見られないし」
サッタールがきょろきょろと自然な芝居をするのを、ワイマーが面白そうに見た。
「レニー、はしゃいでおまえも頭をぶつけんよう気をつけなさい」
サッタールはここではレオナルド・ワイマーなのだ。ちらりと偽造IDを組み込んだ指輪に目を落とす。シャトルに乗る時、もしここでバレてしまったらと冷や汗をかいたが、係員は疑う様子も見せなかった。
シャトルの搭乗口からはチューブのような円形の通路が取り付けられ、中は一人一人が腰掛けるリフトのようなものが取り付けられていた。極力乗客を少重力の中で歩かせまいという工夫なのだろう。
それでもふざけて床を蹴った若者が、ふわりと浮かび上がったあげくにバランスを崩して尻餅をついた。するとそれまでにこやかに案内していた女性兵士が、鋭い声で叱りつけた。
「ここは宇宙軍管轄の基地でもあります。指示に従えない方はこのままシャトルに逆戻りとなりますが?」
若者は恥ずかしかったのか、憮然とした顔でサッタールの前のリフトに乗り込んでいく。
「ふん、軍だからってなんだよ。もうすぐここも民間委託になるっていうのにさ」
若者の漏らした不平に、サッタールはそっと周りを見回した。あの女性兵士にも聞こえただろう。無表情に若者の背を見つめる横顔に、ひやりとする。
宇宙軍は焦っているのだというアレックスから聞いた話を思い出した。確かにピリピリとした緊張感が肌をざわつかせた。
時が来るまで目立たないようにしなくてはと気を引き締めてリフトから降りると、そこでは当たり前の身体の重さを感じて、ほっとする。
(いや、当たり前なんかじゃない。こっちの方が人工的なんだ。頭ではわかっているけど、これは慣れるのに時間がかかるだろうな)
そう思うサッタールの腕をワイマーが引いた。
「見なさい、あれを!」
到着ホームの透明なドームを透かして、青い星が見えた。
「ファルファーレ!」
誰からともなく感嘆のため息が漏れる。ちょうど半分が夜の時間で、青い半球が暗黒の虚無の中に浮かんでいる。白い雲がゆっくりと形を変える下には大地も見えた。
母なる星、ファルファーレがそこにあった。
シャトルの乗客は、皆、その姿に畏怖と安らぎの両方を同時に感じて足を留めた。
「これを自分の目で見る為だけでも、ここに来た甲斐があった、と思う者は多かろうな」
ワイマーが掠れた声で呟く。
「しかし、宇宙軍に所属する者は全員この光景を目にしているだろうに。人というものは……」
その後は口にすることなく首を振って、ワイマーはファルファーレに背を向けた。
ロビーでもう一度ID照合を終えると、ホテル施設へと誘導される。ミュラー元帥の一行も同じシャトルで着いたはずだが、VIP扱いの為かその姿を見かけることはなかった。
係員から手の甲に目には見えないスタンプを捺される。
「基地も兼ねている都合上、一般の方の立ち入りを制限しているエリアもあります。ただ基地と宇宙港施設は大変に広く、また複雑に入り組んでおりますので、迷子になられる方も多いのです。そんな時は手を通路の案内板にかざしてください。あなたのいる場所と行くべき場所がすぐに映し出されますので」
笑顔で告げられたが、要はこのスタンプを捺された者全員の位置情報がどこかで監視されるということなのだろう。
(勝手な行動をしたらすぐに兵士が駆けつけるという訳か)
単に観光で訪れたのなら便利な機能だと感心しただろうが、今のサッタールには邪魔でしかない。ワイマーに促され、二人分の荷物を手に、胸を焼く焦燥を何とか鎮めた。