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アレックスはドクター・ワイマーの自宅へと走る車の中にいた。無表情に真っ直ぐ前を見つめている顔を、アンコウは横目でうかがってため息をつく。
「なあ。任務の途中で外れることなんかよくあることだぜ。あんたはまだやらにゃならんことがあるだろうが。いいかい? もう諜報部はミスター・ビッラウラのIDを、ドクター・ワイマーの甥として偽造し始めているんだ。断られちゃ困るんだがね。そんな面でドクターを味方につけられると思ってるのかい?」
「単にまだ気分が悪いだけだよ。ドクター・ワイマーと繋ぎを取る。ミスター・ビッラウラのことを頼み込んで、あとは彼がいかにも入院しているように振る舞う。それが俺のやることだろう。わかってる」
「それにしちゃあ、シケた面だな」
わかっているともう一度呟いた。一晩の間にいろいろなことが起こりすぎて頭がついていってないだけだ。
仮に自分が側にいても、サッタールにしてやれることは少ない。むしろ少年の安全確保の為にも、セントラルにいるべきだった。ただ――。
「通信機を仲介しなくても、俺なら彼と連絡が取れるのに……」
「それはあの少年があんたに親近感を持っているから、接触しやすいってだけだろ。他人を操れるぐらいなら、あんた以外の人間に心で話しかけることぐらいできるんじゃないか?」
そうかもなと、また口の中で呟いた。
これまで自分はサッタールに何をしてやれただろうか。
サッタールは自分よりも十歳近く年少でありながら、生まれ育った島の運命を背負って立つだけの能力と気概を持っている。命を狙われたことさえ、ありうることと淡々と受け止めていたように見えた。
側に自分がいる必要など最初からなかったのかもしれない。
その上サッタールは元帥の書斎で今度の計画が話し合われている最中、一度もアレックスに目を向けなかった。そのことが一層、アレックスを打ちのめした。
(一緒に行って欲しいと言ってもらいたかったのか、俺は……)
あの大人びた少年がそんなことを言うはずがない。彼は自分に課せられたものを、自分で解決していく。その過程で必要な助力を自ら請うことさえ知っている。
つまりはアレックスがどうしてもトゥレーディアに行かなければならない理由などどこにもなく、セントラルに残る必要はあるのだ。
(結構こたえるもんだな)
つまらない自尊心は任務の邪魔だった。ひいてはサッタールの邪魔にもなる。
アレックスは車がドクター・ワイマーのアパルトマンにつく前に、ぴしゃっと両手で自分の頬を叩いた。
ワイマーの部屋は、一般に思う学者の部屋らしく物でごった返していた。人の腰の高さまで積まれた本や書類。様々な機器の中に、大きなスーツケースがでんと構えている。
「どうしてもすぐに話をしたいって、横暴じゃないかね?」
記憶にあるとおりの赤ら顔をさらに赤くして、学者は不機嫌にアレックスを迎えたが、それでも部屋の片隅から椅子を引っ張ってきて不意の客を座らせた。自分は研究用の机の前に腰をおろしている。
「トゥレーディアへ出発なさる準備でお忙しいこととは思います。申し訳ありません」
ワイマーは礼儀正しく謝罪するアレックスを胡散臭そうな目で見た。
「今日は軍服じゃないのだな。では用件は個人的なものかね? 天文の疑問があるなら答えられる範囲で答えんでもないが」
「いえ、実は任務で来ています。……個人的なお願いでもありますが……」
「なんだ? 時間がもったいないからつまらん前置きはいらんぞ。だいたい君はトノン天文台も守ってはくれなかったくせにな。まあ、それは言っても仕方ないがね。あの時は天文台どころではなかったのは認める。しかし……」
前置きはいらないと言いながら話が長くなりそうなのを見て取って、アレックスは強引に遮った。
「ドクター・ワイマー。その後、コラム・ソルのことは何かお聞きになっておいでですか?」
「コラム・ソル? ああ、そうか。君はコラム・ソルからの客人の世話をしているのだったな。ふむ、聞いているぞ。ミスター・サッタール・ビッラウラの顔も報道で見た。トノンの少年だな? 彼がどうかしたかね? もしかしたら彼の名代か? コラム・ソルの若長がわしに用があるというのなら、いつでも会いに行くぞ」
身を乗り出したワイマーに、アレックスはホッと胸を撫でおろす。やはり、コラム・ソルについては並々ならぬ関心があるのだ。
「ミスター・ビッラウラはセントラルに交渉に来るに当たって、長の地位をミスター・ガナール――あの時のもう一人の男性です――に譲っています。その彼からの依頼をあなたにお伝えしに来ました。我々は、いや、ファルファーレもコラム・ソルも今、危機の中にあります。我々はそれを防ぎたい。それにはあなたの協力が必要なのです。ただ、私が話した後では、お断りにはなれません。お聞きになられますか?」
ワイマーは落ちくぼんだ目を細めてしばらく黙ってアレックスを見つめた。
「その我々の主体は誰かね?」
「今のところ、コラム・ソルとファルファーレ海軍です」
「そんな大事にわしの協力が必要だと? 彗星の時は耳も貸さんかったくせに」
「そうです。あなたの協力がなければ、ミスター・ビッラウラはより危険な道を選ばざるを得ません」
「ミスター・ビッラウラか……。今この時に君が押し掛けてきたということは、トゥレーディア基地に関係あるのかね?」
「これ以上は引き受けてくださるとおっしゃるまでは、お話できません」
ふむ、とワイマーはまた考え込んだ。
待つ間にそっと部屋を見回すと、壁の一角に貼られたファルファーレの世界地図が目を引いた。そこにはコラム・ソルは印刷されていなかったが、ロジェーム海の真ん中に印が書き込まれていた。まさに大海の中に浮かぶ孤島だった。
「承知した。君はわしをトノンまで運んでくれたからな。融通が利く人間とは思わんが、誠実であるとは思う。話を聞こう」
ワイマーが考え込んだのは、後から思えばほんの数十秒のことだっただろう。アレックスは、真っ直ぐにその目を見ながら、これまでのあらましを語る。
「……式典に招かれている客の中で、コラム・ソルに心を寄せ、この事態の重大さを理解し、危険を承知の上でミスター・ビッラウラを伴ってくれるのはあなただけだと、我々は考えました」
「危険を承知の上でか……断れないと言っておきながら?」
くっくとワイマーが笑い声を漏らす。
「で、ミスター・ビッラウラをわしの甥として荷物持ちに連れて行けというのだな? シャトルや宇宙港でバレても己の才覚で切り抜けよと?」
「ご一緒の便にミュラー元帥と護衛の者が乗ります。万が一の時はお守りします」
「君は行かんのか? 世話役だろうに」
「天文学者の甥に世話役はつけられません。ミスター・ビッラウラは公式にはセントラル海軍病院に緊急入院することになっていますので、私は残ることになっています。それに元帥と共に行く者は私などよりよほど戦闘能力が高い。私は……船乗りですから」
悔しさが滲まないように気をつけたつもりだったが、ワイマーはそうかと言って、アレックスの腕に手をかけた。
「病院に押し込められるのも楽じゃないという顔をしとるな。あの……なんと言ったか、ペレスの軍艇に乗っている時と比べるとずいぶんしょぼくれて見えるぞ」
「この後、ミスター・ビッラウラは倒れるのですから、しょぼくれて見えるぐらいで丁度いいのです」
「はは。まあそうだな。わしはここで甥っ子の到着を待てばよいのだな? コラム・ソルの若長に荷物を持たせることになるとは、人生なにがあるかわからんな」
「お引き受けくださってありがとうございます。ご無事のお帰りを待っております」
アレックスは立ち上がり、深々と頭を下げた。こんな突拍子もない話に乗ってくれた学者に感謝して。
***
その日の午前十一時三十二分。サッタールのファンを自称するストーカーたちによる第一報がネットのコミュニティに書き込まれた。曰く。
十一時四分、ミュラー元帥の自宅に救急車が呼ばれたこと。
元帥邸では令嬢のイリーネが救急車を見送り、そのまま海軍病院に向かったこと。
また伴走する車にはミュラー元帥とサーニー中佐の姿が確認され、救急車到着直後、イルマ少尉が真っ青な顔で駆け込んだことから、搬送されたのはミスター・サッタール・ビッラウラに間違いないと思われること。
ネット上では、また暗殺事件かと盛んに話題になったが、正午きっかりに脳外科医のドクター・ライシガーが会見を行い、ミスター・ビッラウラは既に入院中のミスター・クドーと同じ脳障害をおこしており、これから緊急手術を行うと発表したことから、関心は一気にコラム・ソルの住人の脳の特異性と障害との関連についての憶測に流れた。
同時に若い女性を主とするファンから、見舞いの花束が病院に次々と送られ、玄関ロビーはしばらく花の香りに悩まされることになった。
その騒ぎの中、関係者以外は立ち入り禁止となっているフロアでは、静かな話し合いが行われていた。
「病院もいい迷惑だよなー。ドクター・ライシガーがカンカンに怒ってたぜ。病院は傷病人以外は用がない場所であるべきだって。ま、その割にあのドクターは芝居っ気もあるから、怒った顔が並々ならぬ病状って感じになってたけどさー」
元帥やサーニーらを談話室に残して、サッタールはショーゴの病室で着替えをしていた。
コラム・ソルの衣装はおろか、セントラルで購入した服もワイマーの甥らしくないということで却下され、代わりにアンコウから渡されたのはファッションに疎い男たちの目にも野暮ったく見える代物だった。
「あはは、似合う似合う。でもおまえが着るとなんつーかやっぱり偉そうだよな」
フィールドワークに使う物だろう。ポケットがたくさんついたベストの下はチェックのシャツで、ズボンにもあちこちに隠しポケットがついている。
「手ぶらでもいろいろな物を持って行けそうな服だな」
感心したようにあちこちを探るサッタールに、アレックスは微笑みかける。
「でも残念ながら武器はもちろん、あらゆる電子機器も持ち込めない。シャトルの航行に思わぬ影響があるといけないからね。全部取り上げられるよ。だから持っていけるのは昔ながらのペーパーバックとか菓子ぐらいだけど、シャトルの乗り心地はいいものではないから、たいていの客はほとんど眠って過ごすんだ」
アレックスの笑みは上辺だけたったが、サッタールもショーゴもそれには気づかないふりをした。一緒に行けたらいいのにという感情が壁に反響するぐらいにあふれていた。
着替えが終わって、三人は談話室に向かう。これから起きることへの不安を語り合うにはもう時間がなかった。
出てきたサッタールを見たとたん、アンコウは渋い顔で無遠慮に眺め回す。
「もうちっとオーラみたいなものを抑えられないんですかね? それから悪いが、その髪。切ってもいいかね?」
コラム・ソルの者は男も女も髪を長く伸ばす。ショーゴは手術の為に短く刈り込んでしまったが、サッタールの髪はゆうに背中まであった。
「それとも力を使うのに髪が必要だとか? それなら別の方法を考えなきゃならないな」
「いや、別に髪は習慣で長いだけだ。ショーゴも髪を切ったからといって特に支障はないようだし。構わないから切ってくれませんか?」
首の後ろで束ねていた紐を解いて無造作に背を向けると、アンコウは窺うようにアレックスに顔を向けた。
「あんたが切るかい?」
「俺が? いや、人の髪なんか切ったことはないし。たぶんザンバラ頭に……」
「だよな。じゃああたしがやるか。最新のヘアスタイルってわけにゃいかないが」
アンコウが遠慮もなくばっさりと髪を切り落とす間に、サーニーが様々なレクチャーをする。
「これがトゥレーディア宇宙港と基地の見取り図だ。海軍で把握している限りのものだから実際には我々の知らない場所もあると思う。ここで見て記憶してほしい。こんなもの持たせて見つかったら疑われるからね」
渡された見取り図を、頭を動かさないようにじっと見入るサッタールを、アレックスは複雑な思いで見つめた。
「おそらくドクター・ワイマーに割り当てられる部屋はこの辺だ。元帥の部屋とはかなり遠いが、何かあったら連絡できるかね? 通信を使わずに」
サーニーの問いに、サッタールは目だけをミュラーに向ける。
「今、やってみましょうか。親しい者なら惑星の反対側にいても話しかけられますが、私は元帥に接触したことがありません。基本的に知らない人間に最初に接触するには、目で見える場所にいた方がいいのです。探さなくて済みますから。一度その人物に馴染めば、離れていても見つけられる、と思います」
「わしは何をすればいいのかな?」
「何も。イルマ少尉はいつもそうしてくれますが、ただ頭の中に明確に言葉を浮かべてくだされば、私がそれを勝手に読みとりますし、勝手に私の思考を押しつけることになります。ただ、島では念話で話す場合、互いにそれ以上踏み込まない領域を作りますが、あなたがたの中にはそんな領域はありません。なるべく明瞭な思考をというのは、そうしていただけば余計な記憶や感情を読まずにすむからです。私に知られたくないような」
「ふむ。イルマができるならわしも挑戦してみるか。未知の体験は歳を取っても心躍るものよ」
ミュラーは重々しくうなずいて目を瞑った。サッタールはそっと自分の思念を伸ばし、老軍人の心に触れた。
『聞こえますか? 声に出さずに返してください』
ミュラーの手がぴくっと動く。
『聞く、というのは少し違うな。だが君の言っていることはよく分かる。会話と違って相手の返事を待つ間心を空っぽにしているのは難儀だな。わしの今考えてることもわかるのかね?』
『式次第とご自分とサムソン大宙将、議長の立ち位置をお考えですね』
ミュラーは驚きのままに目を開けた。
「なんとも奇妙な体験だな。人は普段、他人と喋りながら同時に違うことも考えていたりするものだが、それも筒抜けか? しかしわしには君の声というか、君が伝えたいことしかわからなかったぞ」
「はい。すみません。私とショーゴの間ではそれ以外のものも伝わってしまいますが……」
ショーゴが、それも人によると説明を加える。
「俺は隠すのが下手だから雑多な思念を押しつけちまうけど、おまえはそうじゃないよなー、サッタール」
「でも隠していることはわかるだろう?」
「えー、そりゃあ、おまえの性格だから隠してんだろうなっつー推測で、ホントかどうかまではわからねえよ。アルフォンソのはわかるけどな」
「それでも心に嘘はつけないからな」
「ああ、そりゃあな。その嘘を自分が信じ込んでなきゃ……って、それは嘘とは言わねーか」
コラム・ソルの二人が言い合うのを、他の面々は興味深く聞いていた。
「とにかく、これで君は元帥と連絡がとれるということでいいかな? ちなみに君からはいつでも話しかけられるとして、元帥が君に接触したい時はどうしたらいい?」
サーニーが口を挟む。
「極力、元帥の気配に気をつけています。それか心で叫んでくだされば、多分……」
「心で叫ぶか……まあ、やってみよう」
ミュラーはちらりとサーニーに目をやってから下を向いた。
『ミスター・ビッラウラ、聞こえるか? 昨夜アンコウが言っていたテスト、今できるかね?』
ミュラーの心は先ほどの念話の時よりも落ち着いていた。
『君がそれを禁忌としてきたのはよくわかる。人として正しい態度だろう。だが君を丸腰で送り出す以上、わしとしても確証が欲しい。イルマを傷つけることになっても、面倒はサーニーとミスター・クドーがしてくれるだろう。あれも軍人だ。後で説明を受ければ納得する。やってくれんかね?』
サッタールは自分の髪がまた一房ざくりと切り取られるのを感じながら、奥歯を噛みしめた。ミュラーの懸念が言葉よりも雄弁に伝わってくる。
宇宙は宇宙軍のフィールドでサムソンは絶対の権力者だ。もし、陰謀が真実として、言葉による説得ができなかった場合、サッタールだけがサムソンを抑える切り札になる。
そしてサッタールが失敗すれば、コラム・ソルが滅亡するばかりではなく、ファルファーレ全土で内戦がおきるだろう。
『わかりました』
サッタールは心ここにあらずといった顔で宙を見つめているアレックスの青い瞳をのぞき込んだ。
そっと思念を伸ばし、精神の表面を撫でる。
『アレックス、ごめん』
何事かとアレックスの目がサッタールに向く。視線が絡んだ瞬間、その無防備な心に爪をかけた。
『なに……何を? サッタール……?』
驚きと当惑に心が大きく跳ねる。もがく心をねじ伏せるように押さえつけ、サッタールは命じた。
『腰の拳銃を抜け。それを私に向けろ』
驚愕にアレックスの目が大きく見開かれた。首を振り後ずさろうとする身体の動きも網で絡め取るように抑えると、アレックスの意志と感情が殴りつけるようにぶつけられる。
『でき…るか……、そんな……』
『やるんだ、アレックス・イルマ。そして私をコラム・ソルの化け物と呼んでみせろ』
呻くようなアレックスの思念を、サッタールは感情を殺して断ち切った。不意に目の前に青ざめた自分の顔があった。見たこともない短い髪をした自分が。
今まで、アルフォンソの心と同化したことはあった。彗星を退けた時がそうだった。だが激しく抵抗する他人の身体に入り込むのは初めてだ。
アレックスの混乱した感情も記憶もどっと流れ込んできて、サッタールを怯ませる。アレックスの苦痛と怒りに同調しそうになる。
サッタールは手のひらに爪を立てた。
(サムソンはもっとずっと手強いに違いない)
ゆっくりとアレックスの右手を腰に持っていく。銃の取り扱いなど知らないはずの自分が、拳銃の重みを慣れたもののように感じた。
アレックスの手がホルダーから拳銃を取り出したのを見て、サーニーが音もなく操られている部下の背後に回った。アンコウも何が起きているか察して、サッタールの肩に手をかける。
銃口が逆らいがたい力に引っ張られるように上がった。サッタールの青灰色の瞳はアレックスに据えられたまま動かない。
「ひでえことさせんなよ……」
漏れ出る二人の思念を聞いてショーゴが小さく呟いたが、サッタールの耳には入らなかった。自分の身体とアレックスの身体の二つの動きで頭が爆発しそうな気がした。
「これも戦争の一部だ」
ミュラーがショーゴに答える。
「戦争? だけどあいつは……」
言葉を飲み込んでショーゴは痛ましそうに眉をひそめた。島と惑星の存亡をかけた戦いに、サッタールもアルフォンソも臨んでいる。安い論評などできはしなかった。
「ここでできないことを敵中でやらせるわけにはいかん。もし、ミスター・ビッラウラを気遣っているのなら、我々が去ったあとイルマの面倒をあなたに頼みたい。それだけでだいぶ気が楽になるだろう」
ミュラーの低い声にショーゴはうなずいた。
アレックスの銃は、いまやぴたりとサッタールの胸に向けられていた。手が小刻みに震え、普段は明るいブルーの瞳が激しい葛藤に揺れている。カチリと銃のロックがはずされる。その口が、こじ開けられるように開いた。
「俺は……サッタール……君が…くっ……」
言いかけた言葉が途切れた。
「舌を噛んだのかっ!」
サーニーがアレックスの銃を持つ右腕を取ると同時に、前へ飛び出したアンコウが平手でその頬を激しく打った。
二人の動きに、アレックスを解放したサッタールがよろめいてショーゴの車いすにぶつかり、床に膝をつく。
腕を取られ銃を取り上げられたアレックスは、頬を腫らしたまま肩で息をしていたが、渾身の力でサーニーを突き飛ばすと仁王立ちのまま怒鳴った。
「あんたたちはっ! サッタールに何をさせたかわかってるのかっ?」
ショーゴですら思わず顔をしかめるほどの激しい怒りの思念は、サッタールにではなく、ミュラーに向かっていた。
「サッタールがどれほどこんなことを嫌っているか、どれほど自分を押し殺さねばならないか、わかっているのか? 彼の心を潰すつもりかっ!」
誰もとっさには答えられなかった。サッタールはまじまじとアレックスを見上げる。
「私に怒っているんじゃないのか?」
「当たり前だっ!」
顔を真っ赤にしたアレックスが、サーニーの手から自分の拳銃をむしり取ると、きっちりホルダーに納め、改めてミュラーに向き合った。
「失礼しました。少々言葉が乱暴でした」
「いや……しかし、おまえはこれが何の為にされたことかわかっていたのかね? それなら素直に従えばよいではないか」
ミュラーは平然と口ひげを撫で、怒り心頭の部下を見返す。
「サーニー中佐が私の背に回っておられましたから。でも私は彼を化け物呼ばわりするぐらいなら自分の舌を噛みますよ」
一拍おいて、名指しされたサーニーがくっくと笑い声を漏らす。次にアンコウが皮肉な笑みを浮かべて首を振った。
「やれやれ。これ、テスト成功って言っていいんですかね?」
全員の目がサッタールに集まった。アレックスは何事もなかったように床に膝をついたままの少年に歩み寄り、手を差し出す。
「君がひどく迷っていたのが俺にもわかったよ。激しく自分を嫌悪しているのが。こんなことをさせて……いや、これからこれ以上のことをしてもらわねばならないかもしれない。本当に申し訳なく思う」
「あなたに謝る必要などないだろうに……」
「あるさ。俺は自分一人が除外されている気分になって、君の心を乱しただろう? それは戦いに行く者を見送る態度じゃなかった。軍人なのにそんなこともわかっていなかった。すまない」
立ち上がってその瞳をもう一度のぞき込んだ。そこにはまだ、葛藤の名残があった。迷いも。
だがそれを表に見せないだけの配慮があり、心の中と態度を混ぜて考えていたのはサッタールの方だったと改めて理解する。
「それで、どうかね? 君は君の武器で自分を守れそうかね?」
ミュラーに静かに聞かれ、サッタールは顎を引いた。
「できます。やらねばならない局面にきたら、もう躊躇しません」
「そうか」
うんうんと首を縦に振りながら、サーニーは事務的に資料を差し出す。
「これが想定される式次第と来賓たちの位置だよ。君たちが来る前、元帥とその点について確認していたんだ。ドクター・ワイマーと君は会場のずっと後ろになるだろう。巨大なホールでね。およそ二百メートルはあるんだ。サムソンや議長は前方の舞台上にいる。元帥もだ。恐らくはモニターで前の様子は映し出されると思うが。それでも大丈夫かね?」
「別室という可能性は?」
「可能性はある。そこはなんとか潜り込んで欲しい。護衛たちも元帥の側から大きくは離れられない。だからやむを得なかったら君の力を使ってでも」
サーニーはいつもの笑顔を引っ込めて真剣な視線を向けた。
「式典までは、君がサムソンの姿を見るのは困難だろう」
「式典までの間に、大宙将がコラム・ソルへの攻撃を開始するということは……?」
ミュラーは、しわの深い無骨な手をサッタールの肩に置いた。
「サムソンの動向はわしが探る。万が一の時は精一杯君を呼ぼう。その時は護衛も君の元に行かせる」
ミュラーの思考が否応なく流れ込んで、サッタールは瞼を下ろした。ミュラーは、いざというときは刺し違える覚悟をしていた。
「叫んでください。私が、必ず彼を止めます。宇宙軍は大宙将の命令しか聞かないでしょうか?」
「わからん。エステルハージのように消極的な反抗をする者はいるだろう。だが軍で最上位の者が下した命令は、速やかに実行される。その場で議長が止めたとしても間に合うかどうか」
それ以上の作戦は立てられない。すべては現場に着いてからのことだった。
軽くなった頭に、野暮ったい帽子を被って、サッタールの準備は整った。偽造IDの指輪をはめ、着替えしか入っていない荷物を持つ。
「背中をちょこっと丸めるといいんじゃないかな。それと歩くときもわざとドカドカ足音をたてて。あんた、少しばかり上品すぎるんだよ」
アンコウが自分の作品を見るようにサッタールを検分した。
「宇宙に憧れている田舎の少年が、伯父のつてで初めてトゥレーディアに行くってのを忘れないようにな」
「承知した」
「それもダメだな」
「わかったよ、おじさん。うまくやるから心配すんなよ」
口調を変えたサッタールにアンコウは目を剥いてから笑いだした。
「その意気だ。ったく、心が読めて変装もこなせるなら、あんた俺の配下に雇ってもいいぜ?」
「そんなつもりはないよ。わ、僕はゲオおじさんみたく学者になるんだから」
わははと笑う輪の中で、アレックスはじっと少年を見つめていた。
「じゃあ」
サッタールが手を差し出す。それを握り返して、アレックスは真剣に言った。
「作戦の成功を祈る」
「うん」
触れたアレックスの手はとても熱かった。あふれそうになる感情を抑える分だけ。
午後十時五分。その日、トゥレーディア宇宙港へと向かう第二便のシャトルが飛び立った。オレンジ色のまばゆい光を海軍病院の談話室の窓から見送ったアレックスは、自分の背後に立った人物の気配を感じて振り返り、驚愕の叫びを漏らす。
「イルマ少尉」
彼はアレックスを見下ろして大きな手を伸ばした。
「ご一緒しませんか、あそこに」
その先にはトゥレーディアが銀色の光を投げ下ろしていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次から第四章に入ります。
トゥレーディアへと旅立ったサッタールがどのようにサムソンと対決することになるのか。
ご感想などいただけたら大変嬉しいです。