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 大きくなったら、あいつらみんな殺してやる。そう思っていた子供時代と別れを告げたのはいつだっただろうと、アレックスはぼんやり考えていた。

 頭が割れそうに痛い。こんな痛みの中でまともにものを考えられるわけもないのに、必死で記憶を探る。


 復讐なんて考えないで家族の側にいて、と母が泣いたのはよく覚えている。しかしいきなり三人の子供を抱えた未亡人となった母は、父親の残した保険金だけでは生活が成り立たず、朝から夜まで働きづくめだった。


 父親を失った怒りが心の表面を焼かなくなってきた頃、アレックスは士官学校のブル大陸幼年学級の奨学金を取って、家を出た。まだ十二歳だった。これで母の悲しそうな顔も、疲れきった背中も見ないですむと思うと、少しだけホッとした。

 学費も寮費も奨学金でまかなえるから家計から食い扶持が一人分減る上に、成績優秀者には報奨金も出る。セントラルの士官学校に上がれれば、給与すらもらえるのだ。その為に、アレックスは一心に勉学と訓練に励んだ。


 ブル大陸では常に優秀と太鼓判を捺される生徒だったはずだ。その頃は有頂天で、怒りもだいぶ収まってはいたが、それでも軍人になったら復讐しようという気持ちに変わりはなかった。


「そうだ……俺はそんな善人じゃなかった。誰かと共存するよりも、足を引っ張って蹴り落としてでも上に這い上がろうって思ってたな」


 小さく呟いて、アレックスは昔の意気盛んだった自分を笑った。

 今も父親を殺した者たちを許してはいない。目の前に現れたら、躊躇なく殴りかかり、銃を手に取るかもしれない。それでもルキーノのようにならなかったのは何故か。


「そうだ。多分、ファルファーレを見たからだ」


 士官学校に入学を許可された年。アレックスは生まれて初めてシャトルでトゥレーディア基地に行った。士官学校の教練は、陸、海、宙のすべてに及ぶ。それぞれの適性を見るために。


 トゥレーディア基地での訓練は散々だった。まず、シャトルの無重力に身体がついていけず、酷い宇宙酔いに目も開けられなかった。

 トゥレーディアに着いてからも低重力からくる変調に慣れることはできなかった。基地の多くの部分は重力調整装置が働いているし、外宇宙船もファルファーレとほぼ同じ重力になるよう設計されているが、士官学校の訓練は常に装置の重力が及ばない区画でされた。


 眠ることも食べることもできず、アレックスはたちまち劣等生の烙印を捺された。悔しくて、苦しくて、誰も見ていないところで何度も泣いた。

 そんな厳しい中での唯一の励みは、基地ドームの窓から見えるファルファーレの姿だった。


 青く輝く海。刻々と発生しては大陸の上を流れていく雲。虚無の宇宙空間の中にあって、その星はなんと美しいことだろう。

 いにしえに地球を出て暗黒の宇宙を越え、この星を発見した人類は、なんと幸運だったことだろう。


 惑星ファルファーレは数多の命を育む楽園に見えた。


 その頃だ。アレックスが、無用な争いを避け、人より前に出ようとすることを止め、人の後ろで支える役割を望むようになったのは。


 自分の変化を自覚する頃には、アレックス・イルマは脳天気でお人好しで、何事も中ぐらいの平凡な生徒になっていた。

 エリート集団の宇宙軍に入ることは頭から考えなかった。できたら死んだ父親も人生の多くを過ごした海に出ようと思った。復讐の為ではなく。


「ファルファーレを見たってどこから?」


 すぐ近くにサッタールの声がして、アレックスは首を回そうとしてたちまち呻いた。


「大丈夫か? 医師はもう大丈夫だと言っていたが」


 ひんやりとする手が閉じた瞼の上を覆い、アレックスはふっと息を吐いた。


「すまない。君が側にいてくれたことも気づかなかった」

「苦しい時はそんなものだろう。私もこの前はあなたにずいぶん迷惑をかけただろう?」

「いや。君は大人しく寝ている模範的な病人だったよ。それにこれは自業自得だ」

「で、どこからファルファーレを見たって?」


 目を瞑ったまま、アレックスは自分の身体のコンディションをチェックする。軍人の習性だ。腕に点滴の針が刺さっているが、それ以外どこにも支障はないようだった。この頭痛さえ引いてくれたら。


「トゥレーディアからだよ。士官学校時代にね。卒業してからは行ってない。宇宙は苦手なんだ。だけど外から見たこの星は、とても美しかった」

「そうか……。私もあなたの見た美しいファルファーレを見てみたいな」


 サッタールの声は少し苦しげで、それがアレックスに前夜の記憶を呼び覚ました。


「そうだっ、エステルハージが…、って……」

「まだ寝ていればいい。もうすぐ看護師が来る時間だ。それで痛み止めをもらおう。私はそろそろ元帥に会ってくるが、あなたは今日は寝て……」

「そんなことしていられるかっ。俺の昨日の……その……エステルハージとの会話はもう聞いたのか? アンコウが持ってきてくれた録音機が……」

「聞いた。それでこれから元帥の書斎にサーニー中佐が来ることになっている」

「俺も」

「ダメだ。あなたは看護師が来て、状態を確認し、その点滴がもういらないという判断が出なければベッドの中にいなくてはならない」


 少年の口調があまりに毅然としていて、アレックスは手を払いのけ、上体を起こした。


「録音を聞いて、元帥の判断は? 何を話し合うんだ?」

「それを聞きたければ、少しでも横になって、できるだけ早く体調を整えるんだな」


 サッタールは払われた手を返して胸を押し、アレックスを再びベッドに沈めた。





 その元帥の部屋には既に来訪者が来ていた。イリーネだ。


「だからね、今度の式典って夫人同伴なんでしょ? だったらお祖父様の側にわたくしがいたっておかしくないわよね?」

「イリーネや。おまえは可愛い孫娘でわしの妻ではないだろう? ばあさんはとうに墓の中だ。こんな年寄りにつきあってもつまらんぞ」

「あら、お祖父様はもうお年だからこそ、身近にお世話のできる者が必要なんじゃないかしら。トゥレーディアまでシャトルで丸一日でしょ? しかも乗り心地は最悪って聞くわ。心配だもの」

「なに、嵐の海には慣れておるからな。いい子だから」

「いい子だなんて思ってないくせに。そんなにわたくしを仲間外れにしないで。本当は何かあるんでしょ?」


 サッタールが顔を出した時には、孫に目がない老人はほとほと困った様子で手を焼いているところだった。


「おはようございます、元帥。イリーネ嬢」


 昨夜の食堂での喧嘩のことなど忘れ去っていたかのように、イリーネはにこやかにサッタールを迎えた。


「ごきげんよう。ねえ、あなたもトゥレーディアに行くんでしょ? それでジャクソンの行方はどうなったの?」

「私は招かれていない。宇宙軍が呼ぶはずもない。ジャクソンの行方は誰も知らない。以上だ。あまり元帥を困らせてはいけない」


 素っ気ない返事にもイリーネは怒らなかった。それどころかサッタールの腕を取って、笑顔で見上げてくる。


「まあ、じゃあこっそり潜入するのね? やっぱりジャクソンは宇宙軍と繋がっていたの? それとも本当はこちら側のスパイで、もう既にトゥレーディアに忍び込んでいるのかしら? だから行方不明ってことになってるの? 少しぐらい教えてくれたっていいじゃない。それに特に問題がない式典なら、ぜひわたくしも行きたいのよ。だって有名人がたくさん来るんですもの、お近づきになるチャンスじゃない?」


 触れられた手から、イリーネの感情が流れ込んでくる。

 何か怖いことが起きるのではないか。元帥は無事に帰ってくるのか。いつまでも自分は何も知らされず守られるばかりでいいのか。表情とは裏腹なそんな気持ちが。


 口にされた言葉と、心に秘めた感情の双方が絡み合って、どうしたものかと困惑したサッタールに、救いの手が現れた。


「おやおや。軍人としては最高位であるファルファーレ海軍元帥のご令嬢が、朝っぱらから男性に迫っておいでとは。いけませんなぁ」


 開けっ放しだったドアにもたれるように、サーニー中佐が寝不足など微塵も感じさせない爽やかな笑顔をふりまいた。


「ごきげんよう、サーニー中佐。朝からお祖父様の使い走りなの? 今日はマクガレイ少将はおいでじゃないのね?」

「ははは。中間管理職は暇なしですよ、お嬢さん。少将の方がよろしかったですか?」

「マクガレイ少将は頭から叱るけど、あなたはすぐに煙に巻こうとするから嫌いよ」

「そんな悲しいことを!」


 サーニーは大げさに両腕を広げて、さりげなくサッタールとイリーネの間に入り込む。


「あんな式典に来るのは、たいていは脂ぎった中年以上の紳士淑女ですよ。加えて僕がお嬢さんのターゲットにならないのは大変残念です」

「あなたは奥様がいらっしゃるじゃないの」

「ええ、愛妻ですよ。海の男は愛妻家が多いのです。ところでイリーネ嬢。このお邸にはもう一人関係者がいるんですがね。お嬢さんよりだいぶ年上ですが独身のいい男が」


 イリーネは細い眉をひそめた。


「そういえば、いつもこの人にひっついているイルマ少尉はどうしたの? まさかまだ寝ているの?」

「さて? 実は昨夜、彼は泥酔したらしいので、まだ寝ているのかもしれませんなぁ。どうです、ここは一つ、重要参考人の様子を見に行ってくださるというのは?」


 あからさまに疑わしそうな顔で、イリーネはあらぬ方を見ているサッタールを睨んだ。


「泥酔って本当?」

「見てくればわかりますよ。ちょうど看護師が来ているはずですし」

「看護師? まあ、それじゃあ毒殺でもされそうになったの? 大変じゃない」

「ええ、大変です。我々一同非常に心配しているのですが、なにせ不調法な男ばかりですから女性のように細やかな看病はしかねるので」


 絶対に仲間外れにしようとしてるくせに、と呟いたが、イリーネはサーニーに押されるように書斎を出ていく。海千山千な中間管理職に食い下がるよりも、弱っているアレックスの方が組みしやすいという判断もあるのだろう。



 静かになってホッとしたところで、サーニーは表情を改めた。


「マクガレイ少将はヘリ空母で既に出発されました。沖に出てからMI24輸送機でペレスに向かいます。ペレスの西方面艦隊は既に出航していますので、ランデブーはトノン沖になるかと思います」

「了解。短い時間にご苦労だったな」

「いえいえ。演習で慣れていますから、西司令も意気込んでおいでですよ」

「何のことですか? マクガレイ少将がペレスにって」


 サッタールが二人の軍人の顔を見比べる。


「この陰謀は、もうコラム・ソルの存亡だけが問題ではないのだよ。もし本当にサムソンがトゥレーディア基地に人質を集めているのだとすれば、中央府の機構全体が崩れる。従って我々は、我々に許される範囲で事前に手を打たねばならん」


 よくわからないという顔のサッタールに、サーニーが補足する。


「とりあえずは宇宙からの攻撃が実際にあったらという予測でね。コラム・ソルが標的なのだとすれば、我が海軍はそれを迎え撃つ。サムソンの命令には一片の正義もないからね。そのために、昨夜のうちに西と東の司令には迎撃ミサイルを含む艦隊をコラム・ソル近海に展開するよう命令がでている。場合によっては、レーザー砲を持つ軍事衛星も海上から破壊する。指揮を執るのは西司令だが、マクガレイ少将自身は西から小艇を借りて、コラム・ソルに連絡将校として向かうことになってるんだよ」

「……アルフォンソ、いえ、ガナールはそんなこと……」

「うん、だからね。ぜひ君からも口添えをして欲しいんだ。少将も連絡は取るだろうけれどね。今は移動中だから。少将はコラム・ソルが攻撃された場合、島と運命を共にする覚悟なんだ」


 昨夜、アルフォンソと話した時はまだ遠いものに感じていた緊迫感がサッタールに一気に押し寄せる。


「そんな……何故、そこまで……」

「ミスター・ビッラウラ。これは君たちだけの問題じゃないと言っただろう。軍が暴走して、議会の同意もなく武力を行使するようなことは絶対にあってはならん。憲章の根幹を揺るがして、再びファルファーレを内戦の中に投げ込むような行為だ。だから、コラム・ソルの同意を得たいのだよ。それがあれば我々の行動もある程度は正当化される」

「しかし……コラム・ソルはまだ連合に……」

「交渉中だな。それでもあちらから問答無用に武力行使をしてきたら迎え撃てる。こちらから先制する訳にはいかんがね」


 ミュラーの顔に一瞬影がよぎった。その意味を察してサッタールも苦しい息を吐き出す。


「ミサイルなら迎撃可能かもしれません。でもレーザー砲は……?」

「島が動いて避ける訳にもいかんからな。防御の方法はサラがミスター・ガナールと協議するだろう。一度でも撃ってくれば、こちらも衛星を破壊できる」


 それでも全ての攻撃を迎撃できる保証はなにもないと、ミュラーの表情が語っていた。その為にも海軍少将が現地に赴くのだ。信頼の証に。


「ガナールと話します。通信機で話しますので、一緒に聞いていてください」


 皆で聞けるようにと通信機をスピーカーに繋いでからコラム・ソルの番号を押す。コールは二回でアルフォンソが出る。

 そういえばショーゴはユイと話しただろうかとふと思った。落ち着いたら、なんて言っていられないと考えて首を振る。


(落ち着いたらでいいんだ)


 二度と声が聞けないなんてことは起こらないと、自分に言い聞かせた。


「なんだ。また何か起きたか?」


 アルフォンソの太い声が挨拶もなく聞こえた。


「悠長なことを言ってられなくなったんだ。数日内に宇宙軍がコラム・ソルを攻撃してくるかもしれない。空から、レーザー砲とミサイルで」


 数秒間が空いた。念話でなくてもわかる。アルフォンソは湧き上がった困惑と怒りを抑えようとしているのだ。


「それで? 宇宙軍と言ったな。その攻撃は中央府の意向なのか、それとも単独か? 事前通告してきたということは、宣戦布告だとでも?」

「いや、違うんだ」


 サッタールは慌ててアレックスの友人からの情報とトゥレーディア基地の式典について伝えた。


「私は、トゥレーディアに潜入する。実行される前に止めてみせる。だが海軍は私が為し得なかった場合を考えて、既にそっちへ艦隊を派遣しているんだ。マクガレイ少将が上陸の許可を求めてくるはずだ」

「ほう、あの女将軍か。肝が座ってるな」


 凄みのある声で答えて、アルフォンソは低く唸った。


「おまえ、そのなんとかいう宇宙軍の大将を抑え込めるか? やりたい仕事じゃないだろ。その後、ますます化け物扱いされかねんぞ」

「かまわない。できる。ある程度まで近づければ」

「中央府自体との交渉は?」

「議長もトゥレーディアに行ってしまっている」

「それでは、中央府議長がコラム・ソルへの攻撃を容認した場合、海軍はどうするんだ? 軍全体で反逆するのか?」


 サッタールはミュラーに目で問いかけた。ミュラーが通信機を取り、サッタールに代わる。


「海軍元帥ヴィンツ・ミュラーだ。あなたがミスター・アルフォンソ・ガナールか?」

「ああ、そうだ。通話を聞いていたのか? ならば話が早い。俺はあんた方の覚悟とやらを聞きたい。議長が容認した場合、女将軍一人を犠牲に撤退するのか否か」

「しない。議長は確かに絶大な権力を持っている。そして軍はその下に位置づけられている。だが」


 ミュラーは大きく息を吸い込んでから答えた。


「ファルファーレ人民憲章では、敵対もしていない交渉中の相手に対する武力行使など認めておらん。それが認められれば、もはや憲章は形骸化し、どの大陸政府も一斉に中央連合から離脱しかねん。ましてや反政府分子の連中と和解することなど未来永劫できなくなる。我々軍人は政治に直接干渉することは許されていないが、全ての責任はわしが負う。全てが終わってから裁判でもなんでもすればよい」

「わかった。具体的な迎撃方法などはマクガレイ少将と話そう。最初の一発ぐらいなら俺がなんとかする。だが、そういうことなら一つ頼みがある」

「聞こう」

「島の三十歳以下の連中を避難させたい。数は多くないからそちらの軍艦で充分収容できるはずだ」

「三十歳以下? それならあなたも含まれるのではないか?」


 アルフォンソはくっくと笑った。


「まあそうだが、俺が逃げる訳にはいかん」


 サッタールが再び通信機を奪った。


「アルフォンソ。だけどそれだと、ほとんどあんた一人の力しか使えないぞ。私が……」

「バーカ。おまえがこっちに来ちまったら、誰がトゥレーディアまで行って宇宙軍だの議長だのを止めるんだよ。こっちの作戦はあくまでも保険だろ? おまえがそっちできっちり片をつけりゃ、俺の出番なんぞねえんだよ。なぁに、受けるのは最初の一発だけだ。その後は専門家に任せるさ。おまえの力なんざ当てにするか」


 笑い声だけ残して、アルフォンソは通話を切った。



「なんとまあ、実際的な男ですねえ。もっと細かいことを聞きたがるかと思いましたが、ずいぶん我々を信頼してくれてるものだ。いや、ミスター・ビッラウラを信頼しているのかな」


 サーニーが感心したように呟いた。そう、アルフォンソはいつも多くを語らず、ただ後は任せろとサッタールの背を押すのだ。


「まあ、具体的なことは確かに現地に任せるしかないでしょう。既に衛星の捕捉はしているはずですし。西司令も少将も戦闘のプロだからね。それよりもミスター・ガナールが言うようにあちらは保険だ。何よりも君をしっかりとトゥレーディアまで送り届けないとね。なにしろ我らが元帥の首もかかっているんだし」


 慰めるように肩を叩かれる。そうだったとサッタールは改めて奥歯を噛みしめた。

 その瞬間、ノックもなくドアが開かれ、毛を逆立てた猫のようなイリーネが青い顔のアレックスを引き連れて立っていた。


「レディともあろう方が、不作法ですなあ」


 サーニーは慌てずに迎えたが、イリーネは唇を尖らせた。


「マナーなんて守っていたら何にもわからないままじゃない。聞いたわよ。お祖父様の首がかかっているってどういうことかしら? それにこの人はトゥレーディアには行かないって言っていたの、やっぱり嘘だったのね。それならわたくしも行くわ」


 つかつかと元帥の前まできたイリーネは、剣呑な顔で祖父を見上げた。


「いつもいつも置いていかれるのは嫌よ、お祖父様。わたくしも連れて行って」

「ダメだよ、イリーネ。それはいかん」

「なぜ? お遊びだなんて思ってないわ。何かがトゥレーディアで起きるんでしょ? お祖父様やこの人はそれを止めに行くんでしょう? わたくしだって何かの役に……」

「ダメだ」


 ミュラーは孫娘には滅多に見せない厳しい顔で答えた。


「おまえが行って、万が一にも人質にとられたら、わしは海軍元帥としての信念を曲げてしまう。それがわかっているのに連れては行けぬ」


 イリーネの顔がくしゃっと歪む。


「わたくしのことなんか、気にしなければいいのに」

「そんなことできるはずがないだろう、イリーネや」


 細い体を引き寄せて、抱きしめながらミュラーは囁いた。


「おまえこそ。わしのことなんか気にしなくていいんだよ。大丈夫だ。ちょっと行ってくるだけだ」

「嘘ばっかりね」


 祖父の胸に顔を埋めたイリーネが首を振る。


「わたくしは絶対に軍人なんかと恋に落ちたりしないわ。いつも、どこで何をしているのかもわからなくて、帰って来るのかどうかもわからないなんて」

「そうだな」


 ミュラーは孫娘の髪を、頭から背中まで撫で下ろした。いつだって死ぬつもりはないが、いつ死んでしまうかわからないのが軍人だ。それなのに、民間人だった妻にも息子夫婦にも死に遅れて、今はイリーネだけが家族だった。


「戦場に行くんじゃないぞ。何よりもミスター・ビッラウラを無事にここに連れ返さなくてはならんからな。いい子で待っていてくれるかな?」


 小さくうなずくのを確認して腕を開くと、サーニーが咳払いをして注意を促した。


「それなんですがね、元帥。まああちらの意向がはっきりしない現状では用心に用心を重ねてもしくはないかなーと。で、イリーネ嬢ですが、セントラルの警護を預かる身としては、なんとしてもご無事でいらしていただきたく。よろしければ海上散歩にお誘いしたいんですが」

「どういうこと?」


 イリーネの細い眉がきゅっと上がった。


「元帥がセントラルを離れましたら、私もインディペンデンス号を外海に出します。ご一緒していただけませんか、お嬢様?」

「……そんな危険な状況なのね? そういえばマクガレイ少将はどこにいるの?」

「万が一ですよ。少将はお留守ですから、噛みつかれることもありません。そうそう、お嬢様は軍人はお好みではいらっしゃらないようですが、中央方面隊には私に負けず劣らず若い有能な男たちがいますから。まあ、目の保養に」

「別にマクガレイ少将に噛みつかれてもなんともないわ。でも、いいわ。行ってあげる。その代わり、わたしくはわがまま言いたい放題するわよ。お茶の時間にはロジャーズの店のケーキと新鮮な果物を出してちょうだい」


 つんと顎をあげたイリーネは、もういつものイリーネだった。


「果物は保証しますよ。あとは艦の調理長の手腕をお楽しみください。さあ、そうと決まったらご旅行の準備をしておいでませ」


 イリーネは、ぐるりと頭を巡らせ、サッタールに目を留めると、いーっと舌を出してみせた。


「あなた、悲壮感でいっぱいの顔、してるわよ。いいこと? こういう時、いい男は笑顔で出かけるものよ」

「悪かったな。私はいい男にはなれそうもない。だが……」


 イリーネの瞳の奥をのぞき込んで静かに言った。


「元帥は無事に帰ってくる。私に予知の力はないが」

「そう……じゃあ、あなたがちゃんと連れて帰るのね。約束よ?」


 一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、イリーネはすぐに勝ち気な表情を作って自分の部屋へと戻っていった。




「さて、本題に戻りましょうかね」


 サーニーが空気を元に戻すように言うと、元帥は口をへの字に曲げたまま頭を下げた。


「すまんな、サーニー。あの子を頼む。わがままを言ったらサラのように叱ってくれればいい」

「あはは。イリーネ嬢はそう見せているほどわがままなお嬢さんじゃありませんよ。僕ぐらいの歳から見ると、ですが」


 笑って、サーニーはさっさとソファーに陣取り、テーブルに昨夜の名簿を広げた。ミュラーもサッタールもテーブルを囲む。

 ただ先ほどから一言も発していないアレックスだけが、ふらふらしながらサッタールの後ろに立った。


「とにかくミスター・ビッラウラが潜入してサムソンを抑えてくれないと、こっちは本格的に内戦を始めにゃならんですから。ところがなかなか難しくて、ですね。シャトル搭乗もトゥレーディア基地への出入りも、すべて宇宙軍の管轄ですからね。まず軍関係者の中に紛れ込ませるのはダメです。元帥の随伴なんて徹底的に調べられるでしょう」

「ラ・ポルト大陸将のとこもダメか?」

「だめです。あの人は元帥と親しいってあちらさんも知ってますから。真っ先に疑われます。それにこう言っちゃなんだがミスター・ビッラウラはとても軍人に見えません」


 一斉に見つめられてサッタールは肩をすくめる。確かに、ひょろひょろとしている自分は、鍛え抜かれた軍人の体型には

ほど遠い。


「それに、今回、軍関係者や政府要人とその随伴者には特別のパスがいるようなんですよ。一般的なテロを想定しているならむしろ民間人を警戒すべきなんですがね」

「ふむ。偽のIDを作るにも、まず誰になってもらうかが決まらんと先に進まんな。となると経済人や芸能関係、それに学者か?」

「偽ID? そんなもの簡単に作れるんですか?」


 サッタールの疑問にサーニーが歯を見せて笑う。


「簡単とは言って欲しくないな。だが我が諜報部は架空IDを幾つか持っていてね。もちろんこれは非合法だ。公になったら議会がカンカンに怒るだろうな。とは言うものの、中央府議長も他の軍組織も皆持っていると思うがね。スパイはどこにでもいるものだよ」


 そのスパイは、心の表面を撫でてもわからないほど巧妙に他人になりすませられるのだろうかと、サッタールは口に出さずに考えた。自分なら、誰がスパイかわかるだろうかと。


 しかしサッタールにはジャクソンが何を考えているか、ついによくわからなかった。


「君のような人間が、もし敵方にいるなら、我々もそれに対処できる訓練を考えなければならないだろうね」


 サーニーはサッタールの考えを正確に見抜いて続けた。


「で、いろいろ分析してみたんですが、招待客の中に一人だけ気になる人物がおりまして」


 サーニーの長い指がズラッと並んだ名簿の下の方をたどっていく。その名前は学術関係者のカテゴリーにあった。


「ゲオルグ・ワイマー?」


 誰だろうと思うより先にアレックスが声をあげた。


「トノン天文台の? 彼も宇宙軍に招かれているんですか?」

「そう。なんだってまたと思うだろう? 彼は天文学者としては一流かもしれないが、彗星襲来の時には散々中央府と軍に噛みついた人物だ。まあ宇宙軍としては、その時の意趣返しにトゥレーディア基地宇宙港の偉容を見せつけてやろうってことじゃないかと思うがね」


 サッタールの脳裏に、トノンの島守の邸が浮かんだ。赤ら顔でずんぐりとした学者のことも。だがあの時、サッタールはワイマーとは直接会話を交わしてはいない。


「あの人は……私のことを覚えているだろうか? なにより協力してくれるのか?」

「それは当たってみなければわからないよ。ただ、彼はコラム・ソルに関心がありそうで、しかも利益を求めない人物じゃないかな?」


 意見を求めるようにサーニーがアレックスを見上げる。


「そうですね。実は私に最初にコラム・ソルについて話してくれたのはドクター・ワイマーでした。伝説としてですが。それに彼はコラム・ソルの島守とも親しい。ミスター・ビッラウラがトノンに来たとき、明らかに畏敬の念を持って接していましたし。軍や政府に不信感があるのは確かだと思います。それでもこの話を聞けば協力してくれるかもしれません。サッタール、君が頼めば……」


 アレックスの手がサッタールの肩を掴んだ。その手から乱れた感情が伝わってくるが、その中身を分析する前に元帥がうなずいた。


「イルマ。おまえはすぐにドクター・ワイマーに接触を図れ。アンコウに段取りをつけさせろ」

「イエス・サー」


 かちっと敬礼で答えたアレックスはサッタールから離れてドアに向かう。


「あー、それからドクターと話がついたら君は海軍病院に行きたまえ、イルマ」


 サーニーがその背に呼びかけた。


「病院?」


 振り返ったアレックスは声に動揺を混じらせている。


「そう。今日、ミスター・ビッラウラは意識不明で倒れて入院する。もしかしたらミスター・クドーと同じく脳の障害かもしれない。ずっと過労ぎみだったしね。僕がミスター・ビッラウラを救急車で病院に運ぶから、君は病院に駆けつけてくれ。その後はアンコウと僕が、ドクター・ワイマーの自宅まで送り届ける」


 昨夜の急性アルコール中毒の後遺症で血の気がなかったアレックスの頬がひきつった。


「私は病院に詰めることになるのですか?」

「そりゃあ、そうだろう。君はミスター・ビッラウラがセントラルに来て以来、ずっとぴったりくっついていたんだ。その彼が人事不省で入院しているのに君が付き添わないはずはない、と誰もが思う。君が病院に詰めて、時々顔を見せることがミスター・ビッラウラのアリバイになる」

「しかし……」


 アレックスの反論を遮って、ミュラーが厳しく言った。


「行け、イルマ。時間が惜しい」


 軍というのは上官の命令は絶対な組織だ。アレックスが反論を許される余地は、少なくとも今ここにはなかった。


「……アイ・アイ・サー」


 ふらつくような足取りで出ていくアレックスを、しかしサッタールはホッとした思いで見送った。イリーネはもちろん、アレックスもこれで安全な場所に置いておける。

 ショーゴはまだ病院でリハビリ中だし、コラム・ソルの少なくとも若い世代は海軍の軍艦に保護されるはずだった。サハルも、ユイも。


「ありがとうございます、元帥。サーニー中佐」


 深く頭を下げたサッタールに、元帥は渋い顔をむける。


「君がどう思っているかは知らんが、別に礼を言われることではないぞ。イルマは海軍士官だ。場合によっては死地に赴くよう命令も下す。今回はあれがセントラルにいることが重要だとサーニーが判断しただけだ。それに君の側にイルマがいないということは、君の盾になる者はいないということでもある。君とドクター・ワイマーにこちらから護衛をつける訳にはいかんのだ」

「わかっています」


 サムソン大宙将に近づける機会が来てからがサッタールの戦いだった。それまではこの人たちに全てを任せようと思った。


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