35
サッタールがセントラルに意識を戻したとたん、夜の空気が不意に乱れた。ガラガラと門が開かれ、車が滑り込んでくる。
玄関先に止まった車から、まず小柄な男が降りてきて、助手席のドアを開けた。中からぐったりとした人間を引っ張りだし、肩にかつぎ上げるのまでを見て、サッタールは窓も閉めず部屋を取び出した。
ホールにはジョットと見知らぬ男が立っていた。それよりも――。
「アレックス!」
担がれていたのはアレックスだった。黒い縮れ毛が顔を隠しているが、意識がないのは間違いない。そして酷く酒の匂いがした。
「ミスター・ビッラウラ。申し訳ありませんがイルマ少尉のお部屋に案内をお願いできますか? 私は旦那様に」
「わかった。こっちだ」
身振りで示すと、男は自分よりも上背のあるアレックスを担いだまま、小走りについてくる。
サッタールはアレックスの部屋を通り過ぎ、自室の寝室へと導いた。
「アレックスは外出時には鍵をかけるから」
一言断って、急いでベッドの上から毛布を取り去ると、男はそっと正体をなくした男を横たわらせる。
「あなたも海軍兵士か? アレックスは……まさか酔っぱらっているのか?」
「初めまして、ですね。ミスター・ビッラウラ。あたしは一応中央方面所属ってことになってますがね。サーニー中佐の配下で諜報を専門にしている者ですよ。アンコウと呼んでください」
アンコウはサッタールには目もくれず、アレックスの身体を横向きに直すと、ベルトを引き抜き、スラックスを緩めた。
サッタールもシャツのボタンを外し、びしょ濡れになるほどかいた汗を乾いたタオルで拭いて毛布をかける。
呼吸が荒く、顔が真っ青だった。
「もう間もなく海軍病院から医師が来るはずですよ」
なにがあったのかと再び問いかけてもアンコウは答えなかった。
医師を待つ間に廊下を重い足音がして、元帥が顔をのぞかせた。アレックスを一目見て、アンコウに鋭く訊く。
「薬を盛られたか?」
「ええ、恐らく」
「薬?」
少し前の誘拐された時の自分が、サッタールの脳にフラッシュバックする。あの全身を覆い尽くす不快感。自分の身体なのに自分の自由にならない怒りと絶望。
「会うのは友人じゃなかったのか? 何の薬だっ?」
アンコウは肩をすくめた。
「あんたが盛られたような危険なものじゃないと思いますけどね。多分、アルコール濃度を一気に上げるようなものでしょう。急性アルコール中毒ってヤツですよ。点滴しながら尿で排出させるしかないでしょうね」
サッタールがなおも事情を聞こうとする機先を制して、元帥が口を開く。
「イルマが相手から聞いた内容はわかるか?」
「こいつがちゃんと動いていれば、ですね。場所が用意周到に会員制クラブでしたので、私はついて行かなかったんですよ。宇宙軍との関わりもない店でしたし」
ベルトを持ち上げてアンコウが答える。
「その宇宙軍中尉はどこに行った?」
「仲間が後をつけてますから、おっつけ報告が入ると思いますがね」
二人の会話を耳にしながら、サッタールはアレックスの額に浮いた汗を拭った。この男をこんな風に巻き込みたくはなかった。
そもそもはトノン島で偶然会っただけの関係だったのに。自分が呼びかけたりしなければ、アレックスは今もペレスで艇長として海賊を追い、海を自由に行き来していたはずだと思うといたたまれなかった。
そう言ったら本人はきっと、ここにいるのも任務だから気にするなと笑うだろうけれど。
待つほどもなく、医師と看護師がやってきて、てきぱきと点滴の準備を始める。腕に点滴が刺さると、アレックスの呼吸は目に見えて楽になってきたようだった。
そしてアンコウと元帥、医師と一緒に来たサーニー中佐が隣のサッタールのリビングに移る。
「イルマは心配ない。君も来たまえ」
「私が聞いてもいいのですか?」
この件では何もするなというのが、海軍のスタンスではなかったのかと反論すると、元帥はおかしそうに唇を上げてみせた。
「こっそり聞き耳をたてられるぐらいなら、最初から一緒に聞いてもらった方がいい。それにここは君の部屋だぞ」
リビングでは、アンコウがサッタールの小型コンピュータを再起動させており、サーニーは冷蔵庫から勝手にミネラルウォーターを取り出して飲んでいた。
サッタールは開けっ放しだった窓を閉め、空調を入れる。蒸した空気が徐々に乾いていくのを肌に感じた。
「悪いな、勝手に再起動させて。だがやりかけだったあんたのデータは見てない。しばらく海軍仕様の環境に切り替えさせてもらうぞ」
アンコウは目をモニターに向けたまま、指をキーボードに滑らせ、出てきた認証画面に複雑なパスワードを入力した。
とたんにサッタールが目にしたことのない画面に切り替わる。更にベルトのバックルから取り出した二ミリ四方のメモリーをカード式のチェンジャーにセットし、コンピュータに繋ぐ。
「さて、これで宇宙軍が何を企んでいるかわかるといいんですけどね」
スピーカーを調整して、アンコウは一歩下がった。その空いた場所に元帥とサーニーが陣取る。サッタールはアンコウと肩を並べて、流れてくる音声に耳を傾けた。
最初は、なごやかとは言えないまでも、若い士官同士らしい会話だった。銀狐をはじめとする各地の不満分子に悩む地方政治。それにアレックスの秘められた思い。
本人に無断でそれを聞くのは、思考を探るのと似て居心地の悪いものだが、三人の軍人は顔色も変えていない。
やがて、二人の間の雰囲気が一変する。アレックスがトゥレーディアの式典のことを問い、エステルハージが答えるあたりからだ。
『ビッラウラをトゥレーディアに連れてこい。あの人を止められるのは彼だけだ』
低いがはっきりとエステルハージはそう言った。そして、数分の間があき、店の者と思われる声が、アレックスを揺り起こそうとしていた。
「ここまでですね。私が店に入ったのはこの直後です。会員以外は決して入れないはずなのに、あっさりと通されたのは、宙軍中尉が店に言付けをしていたのでしょう」
アンコウは腕だけ伸ばして再生を止めた。元帥は眉間に深くしわを刻み、サーニーは胸の前で指を組んでパキッと鳴らす。
「どういうことですか? なぜこの男は私をトゥレーディアに連れて来いと……」
入ってきた情報を消化しきれずにサッタールが呟くと、サーニーが背を抱くようにして少年をソファーに座らせ、水を差し出す。
「どういうことかなんて、こいつに聞かなきゃわからんよ。あ、私はサーニーという。初めましてだね?」
一口、ぬるまった水を口に含んで、サッタールは小さく笑った。
「存じてます。マクガレイ少将の副官で、中央方面隊の中佐でいらっしゃる」
「はは。少将は元帥のお守りで、僕は少将の守役ってとこかな。基本的に平時は少将と僕が交代でセントラルに詰めているから、よろしく」
「よろしく」
おうむ返しに言って、サッタールは元帥に顔を向けた。
「ミュラー元帥。サーニー中佐は真実はこの声の主に聞けとおっしゃってますが、あなた方は推測できているはずだ。もういいでしょう? 宇宙軍はコラム・ソルを滅ぼそうとしている。それにジャクソンが荷担した。そしてこのアレックスの友人は、宇宙軍がトゥレーディアの式典で事を起こすと警告している。そうですね?」
「全て憶測だ」
吐いて捨てるように言ってから、ミュラーはサーニーに手を出した。
「君のことだから、もうちゃっかり式典の名簿を手に入れているんだろう?」
「ご慧眼恐れ入ります」
サーニーはにっと笑って、胸ポケットから数枚の紙を取り出した。
「公表されていたのは議長をはじめとする政府要人だけでしたが、実際には各界の著名人も招かれてますね。本人だけじゃなく夫人や秘書なども合わせると総勢五百名は越えますよ。トゥレーディア基地ってそんな大きかったかなと思ってしまいましたが、そういえば私もこの十年ほどは行ってませんでしたねえ」
「民間の惑星間宇宙船発着場も作っていたんですから、それぐらい余裕ですよ」
アンコウが横目で名簿を見ながら口を挟む。
「経済界の大物、芸能人、それに学者も含まれてますな」
「うん、そう。それでサムソン大宙将は何を考えているんでしょうね?」
ミュラーの顔が一層険しくなる。
「見た限り、これだけの人物がトゥレーディアに集まるとなると、地表に決定権を持つ人間がいなくなるな」
「ああ、我が海軍もですね。つまり……?」
「人質だ」
その言葉が重くサッタールの耳を打った。
「何の為の?」
「さて。こうなってくると、もう少しサムソンに近づいておればと思うがね。まあ、後の祭りだ。奴は実力行使を考えているのだろう。この中尉の話では」
アンコウがもう一度、最後の部分を再生する。
『コラム・ソルという小さな島がファルファーレから完全になくなったとして、彼らの持つ遺伝子は一掃されるのか……』
自分たちの遺伝子の働きなど、コラム・ソルの者は誰も関心を持っていないとサッタールは首を振る。能力の出現の研究もろくにしていなかったのだ。まして死んだ後のことなど。
除湿されているはずなのにじっとりと手のひらに汗が浮かぶ。
「元帥。あなたは、私にこの件から手を引いて交渉に専念しろとおっしゃいました。私が私の能力を公に使いたかったら、少なくとも緊急避難が明らかに認められる場合で、議長の裁定が必要だとも」
「言ったな。君たちの力は非合法というよりもむしろ法の概念を越えている。我々にとっては魔法、または神頼みに等しい。民衆はその力を、聖なるものだと崇めるかもしれんし、悪魔の振る舞いと考えるかもしれん。諸刃の剣だ」
「これは緊急避難ではないのですか?」
「対抗する手段はいくつかある。艦隊を派遣して、全住民を島から避難させればいい。いくらサムソンが焼き尽くしたいと思っても、標的が大陸に散らばってしまえば宇宙からはどうしようもない」
「第二の銀狐になれと?」
無意識に嘲るような口調になった。この人は、銀狐との闘争に悔いを持っているのではなかったのか?
「君たちは総勢七百人。それもそのほとんどが中高年だ。次世代に恨みを引き継ぐには少なすぎるな」
「アルフォンソはたった一人でも海軍最大の航空母艦を沈められますよ。ショーゴはコンピュータとネットワークに支えられたセントラルの機能を全て破壊できます。ミアは穀倉地帯の畑を不毛の土地に変えられる。私も……あなたの意志を乗っ取って代わりに命令を下せます。あなただけじゃない。中央府議長の意識でも。そんな報告をマクガレイ少将からも受けておいででしょう。私たちができないとお思いですか? そうしてしまいたいと考えるだけで、私たちはできるのだっ!」
「できるのかもしれんな。そして、君たちは永遠に能力を持たない我々から忌み嫌われ、狩り出されるだろう。君たちの存在は、どれほどの犠牲を払っても探し出され、抹殺される」
そんな未来が欲しくてここまできたんじゃないだろう、落ち着け、という声がどこからかした。
そんな未来の為に、島の者たちはサッタールを送り出したのではない。
そんな未来にするために――――。
「だが一方で、わしは君はそんなことはできないだろうとも思っている。見くびっているのではない。能力はあるだろう。しかし、神は何故君たちに、能力の種類を問わず等しく精神感応力を与えたのだろうな?」
「……どういうことですか?」
「わしが受けたサラの報告を一部聞かせてやろう。コラム・ソルでは犯罪は滅多におきないと考えられる。それは、彼らの能力により犯罪事項がすぐに露見するからという理由もあるが、それ以上に彼らは犯罪的行為そのものを憎み恐れるからである。彼らはその精神感応力により、容易に他人の感情を共有してしまい、故に他人の身に起きる悲劇を自らのものとして感受する。よって、彼らはその共同体全体が自己破壊を容認するような状況に陥れられない限り、非常に自制的に振る舞う。共同体全体の幸福が自らの幸福に直結するが故に。そしてその感応力は、共同体外の我々に対しても発揮される為、彼らは全力を尽くして我々との共存の道を探ろうと努めるだろう。彼らの力の大きさに幻惑されず、彼らの特質を十二分に理解し、彼らと共存する方策を中央府は採るべきである。もしそれに失敗し、彼らが自らを引き裂いても構わないと考えるほどに追いつめられた場合、我々は彗星のもたらした禍を遙かにしのぐ惑星規模の災厄に見舞われる可能性に留意されたし」
よくできた報告だろうとミュラーは自慢するように目を細めた。
サッタールは何度も何度も深呼吸を繰り返す。ミュラーの精神は怒りを含んでいたが、それはサッタールやコラム・ソルに向けられたものではなかった。サーニーも、アンコウも。
隣のベッドルームからはアレックスを見守る医師と看護師の息づかいが聞こえる。夢も見ないで眠っているイリーネ。深夜になっても働いている邸の主たちを台所で気遣っているジョット。
もうショーゴは眠っただろう。もしかしたらその隣にはチュラポーンがいるのかもしれない。
セントラルのすれ違っただけの人々。眠っている者、まだ働いている者、あるいは遊びに興じている者たちの心を撫でて、サッタールの精神は薄く細く広がって大陸にまで伸びていく。何千、何億の人々。
自分一人の感情も持て余すのに、そんな多くの人間の怒りや悲しみを含んでしまったら、弾けてしまうと考え、サッタールは乾いた笑いを漏らした。
そうだ、自分は何千の人間でも操れる。その一人一人の人生を無視し、意志を押し殺し、思うがままに。
――自分自身の感情をなくしてしまえば!
不意にあげた笑い声に、サーニーがぎょっとしたように目を剥き、アンコウが本能的に身構えた。
だがミュラーはじっとサッタールが落ち着くのを待った。激情を理性が打ち負かすまで。
「……艦隊を……派遣して保護してくださるという提案には感謝します、元帥。しかし同意はできません。私たちにはあの島が必要なのです。海底資源があるからではありません。私たちは三百年前、あなたがたとの共存に一度失敗してあそこに逃れました。様々な政治的な思惑もあったでしょうが、それ以上に私たちは私たちがより集まって安心できる場が必要だったのです。私たち自身が、自らの能力に振り回されることのない環境で、子を産み育てる場が。しかし三百年たって、惑星の他の部分から孤立しても生きることはできないと気づきました。私たちにはあの島が必要です。あそこで育まれたものを持って、あなた方と共同して生きる為に。あなたたちの中で点在しては、私たちは自らの能力を上手に制御する方法を学ぶ前に壊れてしまうでしょう。だから」
サッタールは唾を飲み込んで、順々に三人の顔を見つめた。
「滅ぼされることなく、宇宙軍の企てを防ぐ方策を考えてください」
ほーっとサーニーが息を吐き出した。
「いやー、びっくりしたよ。君が僕たちの目の前で、それこそ悪魔に変身するのかと思った。でも見たところ尻尾も翼も生えてないね」
「そんなものは生まれてこのかた、生やしたことなどありません」
必死に感情を抑えたというのに、と苦々しく答える。
「いや。サーニー中佐の言いたいことはわかりますよ。あたしも腕の毛が逆立ちましたからね」
アンコウも腕をさすってみせる。
「まあ、誰だって家族友人を抹殺されようとしているのに怒らない訳ないですからねえ。それが思考だけで人を殺せる人間の怒りだと思ったら、そりゃあビビりますよ」
「だから、そんなことは……」
「うん、しないんでしょ? まあ僕も少将の報告読んだときは今一つピンとこなかったけど、君を見ていたらわかる気がするよ」
サーニーは緩く笑って、水をぐいと飲み干した。
「他のコラム・ソルの人間を知らないからわからないけどね。少なくとも君を使節に選んだのは大正解だったね。世論に対する受けが全然違う。さっきは一瞬鬼気迫るものがあったけど、基本的に君を見る世間の評価は、礼儀正しくナイーブな少年だからね」
「……世間、ですか?」
「あれ? 知らないのかい? 君は一部ではなかなかの人気者なんだよ。なにしろセントラルに着いた時のシーンがね、芝居のようだったからね。あの民族衣装といい、君の優雅な物腰といい。ネットの世界では君をストーカーのごとく追いかけて写真を撮ってはアップロードする連中すらいるからね」
そういえばそんなようなことをアレックスが言っていたかと首を傾げる。
「そんなことは今はどうでもいいでしょう。それよりも」
「それが、どうでもよくはないんだな」
くすくす笑いながらサーニーは元帥を振り返った。
「元帥。サムソン大宙将が何をしようと企んでいるにしろ、少なくとも議長は同意しないんじゃないですかね? だって、あの人の権力欲はすごいですからねえ。宇宙軍の人質になって言われるがままに攻撃命令なんて出したら、その後、中央府は宇宙軍の傀儡になってしまう。そんなことにあの議長が耐えられるはずがありませんよ。しかも目下のところ民衆はミスター・ビッラウラに好意的な目を向けている最中です。議長の権限は強大ですが、その基礎になっているのは民衆の支持ですからね。傀儡になったらその後がなくなります」
「そうだな。そこは重要な点だ。だが、ジェイコフが何を言おうと軍は実力行使できる力を持っている。惑星中の重要人物の自由と命を引き替えに抵抗できるとも思えん」
ミュラーは立ち上がって、広くもない部屋の中をぐるぐると歩き始めた。
「エステルハージは、自分は逆らえないと言っていたな。彼は確かに下級士官だし若い。上官の行動に異議があってもこっそり同期に漏らすのが関の山かもしれん。だが宇宙軍にはサムソン以外にも将軍がおるのだぞ? なぜ彼らまで同調しているのだ。要人を基地に集めた上で、平和理に交渉中の相手にいきなりミサイルを打ち込むなんて暴挙を、全員が黙って見ているとしたら、それはそれで大問題だ。シビリアンコントロールもクソもないぞ。宇宙軍は上から下まで一致団結してサムソンの専制軍人国家でも望んでいるのか?」
「そうですねえ。どこかの大将軍なんて、ランチの時の談笑のネタにされておいでなのとは大違いですよねえ」
ミュラーはふんとサーニーを睨んでから、テーブルに目を落としたままのサッタールに視線を向けた。
「だからこそ。エステルハージは君をトゥレーディアに送り込めと言ったのだろうな。解決の糸口を探し、あるいは強制的にこの茶番を終わらせる為には君が必要なのだと」
のろのろと頭をあげたサッタールの視線がミュラーのそれと絡む。
「議長の裁定は?」
「行ってから得るしかないな。サムソンがさっさと自分の計画とやらを喋っているとしたら、今頃議長は胸中煮えくり返っておるだろうさ。あの男はサーニーの言うとおり自分の権限には敏感だからな。それでも基地はむろん、シャトルも宇宙軍の管轄だから脱出の方策はない。議長がその場でサムソンの解任を告げても、配下の兵士全員が荷担しているのなら撤回せざるを得まい。ところで改めて聞くが、君は本当に人の意志に反してその行動を操れるのか?」
サッタールの胸に苦い記憶がよみがえる。激情に任せて殺そうとした父親のこと。そしてイリーネを連れ去ろうとした男のこと。
「できる、と思います。ただ、それは私にとっては最大の禁忌で……実際に使ったことはほとんどありません。そして……やってみなければわからない部分もあります。人の心というものはとらえどころがなくて、複雑です。どんな相手でも抑えられるかどうかは……」
「言葉も操れるのか? 単に身体を人形遣いのように動かすのではなく。でなければ使えんぞ」
「試したことはありませんが」
ふむと考え込んだミュラーをよそに、アンコウがコンピュータを復元しながらつぶやいた。
「やってみりゃいいじゃないですかね? 銃だって試し撃ちはするでしょう?」
「おまえが練習台になるか?」
サーニーの問いにアンコウはにやりと笑った。
「いいですけど。あたしじゃどんな行動を取ってもどんなことを喋っても、本来のあたしとの区別はつきにくいじゃないですか。それよりいい練習台がいるでしょうが」
意味ありげに隣室を顎で示す。
「イルマ少尉に、ミスター・ビッラウラに銃を向けさせ、おまえが嫌いだ、おまえみたいな化け物は死んでしまえって言わせられれば本物だと思いますよ。絶対に言いたくないしやりたくないことでしょうからね。あ、もちろん本人には無断で。じゃなきゃ、実験になりませんからね」
「そんなことできるかっ!」
テーブルに拳を打ちつけ怒鳴ったサッタールにアンコウは追い打ちをかけた。
「あんたにとっての最大の禁忌を破ろうっていうんでしょ? やりたくない仕事をするためにゃね、その前に、その仕事よりやりたくないことをやってみるもんですよ。それでできるんなら、現場でもやれるってことさ」
睨み合いが続いた。アレックスはこちらの人間の中で、真っ先にサッタールを受け入れてくれた存在だ。そしてサッタールを化け物呼ばわりする者に対して、激しい怒りを持ってくれた。そんな彼を操って、心情とは真逆のことを自分に言わせるなんて。
「ま、まあ。そいつはミスター・ビッラウラがやれるというのを信じることにして。何よりもまずは送りこむ算段が必要ですし。それより少しは寝ないと回る頭も回りませんよ、ねえ、元帥」
両腕を頭の上にあげて、あっけらかんと言うサーニーにミュラーはやれやれと首を振った。
「年寄りが働いておるのに」
「お年を召すと睡眠は短くても事足りるじゃないですか? 僕はともかく、ミスター・ビッラウラは寝かせませんと。未成年の保護は成人の務めですし。まあ実際に誰がどこで何をやるか、どうやってやるかは僕と少将が計画しますので、元帥はトゥレーディアに行くスーツケースでも準備しててください。ああ、でもその前に」
サーニーはよっこらしょとかけ声をかけて立つと、ミュラーに近づき、何事か囁いた。ミュラーは表情を動かすことなく、うなずく。
「サラにはわしから命じよう。出動は西と東に出す。旗艦は西だ」
「そこは僕の権限を遙かに越えますので、よろしくお願いします」
サーニーは最後にはかちっと敬礼で応え、サッタールには笑いかけた。
「では僕は失礼するよ。このお年寄りとそこの魚もどきも連れていってあげるから、君は少し休みたまえ。イルマの様子を看るのは構わないが、くれぐれもさっきの話は内緒でね。なに、すぐに僕が謎解きして慰めてあげるから心配いらない」
その言葉通り、サーニーはミュラーとアンコウの背を押すように出ていった。
一人、静まり返った部屋であれこれと考えあぐねていると、ベッドルームからアレックスをみていた医師と看護師が出てくる。
「もう大丈夫でしょう。明日一日休めば夕方には任務に復帰できます。点滴は朝九時頃に看護師が抜きに来ます。元帥閣下に報告は?」
サッタールは溜めていた息を吐いてうなずいた。
「元帥には私から。他に留意することは?」
医師は首を振って出ていった。再び静かになった部屋を横切り、そっとベッドルームに入る。窓の外がうっすらと白み始めていた。
アレックスはよく眠っていた。看護師が世話をしたのだろう。汗もふき取られ、着替えもされている。
床にひざまづき、口元に指を伸ばして規則的な呼吸を確かめると、サッタールは額に落ちている前髪をそっとあげた。
もう数時間も眠る暇はなさそうだった。サッタールは猫のようにそのまま毛布にくるまると、背を丸めて床に寝転がった。