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 セントラルの下町は、銀狐事件の影響もなく変わらずに賑やかだった。

 マレ街はその中でも高級店の集まる地区だった。以前シムケットと行った安い大衆酒場が軒を連ねる通りとは違って、華やかなイルミネーションの下に着飾った男女が行き交う。

 半袖のネイビーブルーのシャツに細身のスラックスという地味な服装で交差点に立ったアレックスは、素早く左右に目を走らせた。


 サーニー中佐が派遣してくれた諜報任務に長けているという男は、バックルに録音機能のついたベルトやライター型の閃光銃、人には関知できない臭いを石畳につけて歩く靴など、アレックスの知らない装備を持ってきてくれた。


(私用では武装するわけにもいかんしなぁ)


 靴やベルトはつけていればいいというものの、こんなちっぽけな閃光銃など取り扱った経験はない。落ち着かない気分でエステルハージを探して辺りを見回す。

 コードネームはアンコウとふざけた名乗りをした小男は、にこりともしないで告げた。


「あんたを見失うことは絶対にないが、あんたは万が一あたしを目にしても顔に出さないでくれ。目も合わせるなよ。それからバックルの録音器は無線で飛ばすタイプじゃないから逆に気づかれにくいと思うが、くれぐれもはぎ取られないようにしろ」


 殴られるとか撃たれるとかならともかく、ベルトをはぎ取られるなんて場面が想像できないが、アレックスは素直に頷いた。

 録音のみということは、会話が危険な方向にいってもアンコウが察知して踏み込んでくることはないということだ。自分で自分を守らねばならない。



 交差点の信号が三回目の青に変わる頃になって、ようやく通りの向こうから見知った赤髪の男がやってくるのを認めた。


「やあ、悪かったな、イルマ。こんな時間に呼び出して」


 エステルハージはそばかすの浮いた顔に笑みを浮かべていたが、目に緊張の影があった。


「いや。こっちこそ、この時間にならないと抜けられなくてね。どこに行く? 俺はセントラルはそんな詳しくないんだ」

「予約してある。行こう」


 あっさりと歩きだした同期について、雑踏の中を縫うように歩いた。


「セントラルに詳しくないって、女遊びもしないのか?」

「え……そんな暇はないよ」

「そうか。君はほとんど二十四時間、彼に付きっきりなんだったな。今夜はいいのか?」

「もう部屋で休んでいるからね。元帥邸の警備がしっかりしてるから俺個人の出る幕はない」

「なるほど……」


 一瞬顎に手をやってアレックスに目を向けたエステルハージは、にやっと笑った。


「なら宇宙に出てしまう前に美人を左右に侍らせて、と言いたいところだが。君はそんな店だとかえって落ち着かないだろう? それとも男が相手をしてくれる店がいいかい?」

「……両方遠慮する」

「だろうな」


 見透かしたような口調が気に障ったが、アレックスは肩をすくめて見せるに留めた。

 エステルハージは大通りから外れ、いくつか角を曲がって、看板も出ていない重々しい木のドアを叩いた。すぐにいらえがあって、黒服の男が顔を出す。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


 顔なじみなのか、名を告げることもなくエステルハージは男の横を通ってドアから続く階段を降りていく。アレックスも黙って後を追った。狭い石造りの壁にランプの明かりだけが反射して、洞窟に分け入っていくような気がした。

 半個室のテーブルには赤いドレスの女が案内してくれたが、注文した酒を運ぶとそれ以上つきまとうこともなくさっさとカウンターの向こうに下がってしまう。


 薄暗い店内にはいくつかテーブルがあり、人の気配もあったが、客同士が顔を合わせないような巧みな配置になっていて、ほどよくかかる音楽で話し声も定かには聞こえない。


「会員制のクラブなんだ。祖父の代からの常連でね」


 尻が沈み込むようなソファーに身を任せてエステルハージが言った。


「ああ、だから看板もなかったのか。どんな地下組織なのかと思ったよ」


 ぎこちなく笑い返してアレックスはグラスを口に運ぶ。ウィスキーの銘柄だけで何十もあって、値段が明記されてなかっ

たから選ぶのに冷や汗をかいた。一口すすると芳醇な香りが口から鼻に抜ける。


「地下組織って。まだ銀狐事件を引きずってるのか?」


 揶揄うようにエステルハージもシャンパンを喉に流し込んだ。


「海軍はまた名を上げたな。当代の銀狐を壊滅させたって」

「セントラル市当局はカンカンだけどね」


 軽く受け流しつつ、どういう話の流れになるのか身構える。


「そうでもないだろう。あの地区は以前から問題が多かった。鼠どもを一掃したついでに再開発でもするんじゃないか? そういえば主犯の男は死んだんだってな」

「ああ」


 ルキーノの最期を思い出してため息がでた。哀れなという思いもあったが、それよりももっと背後関係を探ればよかったという後悔の方が強い。


「だが壊滅したのはセントラルに巣食っていた連中で、銀狐の残党はまだ大陸各地にいる。知っていたか?」

「うん。ペレス諸島の海賊にも、そう名乗る一派がいるよ。ただ一般市民に被害は出していない割に、殲滅するには難しい多島海で、半ば放置状態だけど。藪蛇になるぐらいならば徐々に軟化させたいというのがヴェルデ大陸政府と海軍西ロジェーム方面司令の考えでね」

「それが事情の知らない人間からは、海軍は海賊と癒着しているように見えるんだな」


 薄く笑ったエステルハージは、自分で氷の入ったバケツからシャンパンの瓶を取り、グラスに注いだ。細かい泡が縁まで盛り上がり、落ち着くのを待ってもう一度注ぐ。

 そんな動作もこなれていて、この男が地方の名門の出だということを改めて思い起こさせた。


「……二十五年前。銀狐を叩くのならばもっと徹底的にやるべきだったんだよ。女子供も容赦なく全てを根絶やしにして。跡形もなく。だが実際には、彼らをあの土地から追いやっただけで、多くの者たちが逃れ出た。汚れた場所を掃除したつもりでいたのに、細かい埃は舞い上がって部屋中に四散したようなものだ。宙に舞った埃はやがてまた床に落ちて、机の下や棚の裏側で仲間を増やしていく。今回の作戦は、セントラルを島ごと包囲して、逃げ出した子鼠たちを一人一人取り調べているようだけどね」

「子供も含めて皆殺しにしろと?」


 思わず反論したアレックスに、エステルハージは顔色も変えずに頷いた。


「だってそうだろう? 今回の主犯の男も二十五年前は子供だったはずだ。それとも身内を殺された恨みは時間と共に薄らぐはずだとでも? 君がそうであるように」

「……俺の?」

「君も父親を海賊に殺されたと聞いたよ。だから復讐するつもりで軍に入ったんじゃないのか? 復讐なんかしなくていいから、いつ死ぬかわからないような軍人になるのはやめてくれと泣く母君の反対を押し切って、全ブル大陸でも上位の優秀な成績で士官学校に入学してきたんだろう? それが今は、復讐に燃えているようには見えないけどね。もう恨みも復讐心もなくなったってことかな?」


 ここに来る前、アレックスは大急ぎでエステルハージの経歴を頭にたたき込んできた。

 ミハイル・エステルハージの父親は、北のブリージョ大陸の南端の州知事だ。兄が地元で父親の秘書をしており、来年にはブリージョ大陸政府議会議員選挙に立候補すると取りざたされているらしい。

 そうした情報を海軍が掴んできたように、エステルハージもアレックス・イルマについて調べたのだろう。しかもアレックスが触れて欲しくないところまで。


「他人の家族の事情まで勝手に推測しないで欲しいな」


 アレックスは顔から表情を消して、ウィスキーのグラスの中の氷が溶けていく様を見つめた。


「それはすまなかったな」


 少しもすまなそうでなくエステルハージが答えた。


「皮肉か?」

「いいや。違う。皮肉でもなんでもなく。そうだな……ここに二つのやり方がある。徹底的に焼き尽くして、草一本残さないやり方と。ほこりを拭き取った後は、そこにほこりがたまらないように毎日掃除していく方法。そのどちらがいいのか、僕自身、よくわからなくてね」

「どういう意味だ? それは宇宙軍中尉としての悩みなのか、それともエステルハージ、君自身のことなのか?」


 またエステルハージがグラスを空にする。ついそれにつきあいたくなってしまうが、ここで本格的に酔っぱらう訳にもいかない。アレックスは酒に強い方ではないのだ。

 グラスに伸ばそうとした手を引っ込めて、代わりに吹き出しかけた思いを手のひらに握りこんだ。


「ははは。その二つは分けられるものじゃないよ。君だって海軍士官としての行動と私人としての思いが混ざることはあるだろう? 特にセントラルに来てからは」

「どちらも自分だよ」

「私情にとらわれて復讐に燃えることはなくても、私情であの少年の保護者は買って出る。確かに君らしい」

「ミスター・サッタールは保護者が必要な子供じゃない。エステルハージ、すまないけど君が何を目的に俺を呼びだしたのか、さっぱりわからないんだ。腹芸は苦手だと知っているだろう? 任務上でも個人的にも、俺は君に言ってはならないことを喋ったりはしない。たとえ家族の話で揺さぶりをかけられてもだ。それもわかるだろう?」


 エステルハージはしばらく迷うような素振りをみせて、深く息を吐いた。


「この店は祖父の代から懇意にしていて、客の話が外に漏れることはない。携帯通信機はもちろん、盗聴器の電波も飛ばない。ジャミングかけているからね」

「つまり秘密の話をしたいと?」

「父の州にも銀狐の残党はいるんだ。反政府を掲げていてね。最初は迷惑なことだと思ったよ。陸、海軍は、なぜやるなら徹底的にやらなかったのかと。散々に手こずらされる州軍を見ていると特にね。叔父は奴らとの戦いで命を落としたし。生温いやり方などせず、ミサイルでも化学兵器でも打ち込んで抹殺すればいいのにと。だが父はそうはしなかったんだ。それが子供の頃は不満だった」


 話の方向が見えないながら、アレックスは神妙に相づちを打った。どこから見ても優等生で隙のない同期だとばかり思っていたのに、それはアレックスにも覚えのある感情だった。

 きれいさっぱりなかったことにしてしまえればどんなに楽だろうと、考えていたことがアレックスにもあった。


「まず、奴らに共感する市民がいる。彼らは、政府に対してそれぞれ何らかの不満を抱えているんだ。その不満の元は役人の不正だったり、社会の不公正だったりする。貧困や無知もそうだ。そういう市民を多数抱えていては、銀狐の残党を皆殺しにしても次の不満分子が実力行使に出ると父は言った。賊の殲滅を続けても、その先にあるのは大勢の市民を巻き込む虐殺にしかならないとね。だから、子供の僕の目にはまだるっこしいほど緩やかな方法で、父は戦ってきた。賊の資金源を絶ち、投降した者には職業訓練をして民の中に返し、家族を奪われた者には補償と同時に融和を呼びかけ、州政治から不正をなくす。そんな先の見えない戦いを」

「立派な人だな」

「そうだな。だが実際には問題は次々に起きて、今も銀狐を名乗る者は絶えない。その上、奴らを憎んで父のやり方に反対する者は、融和派を攻撃すらしかねない」

「そうか……そりゃあ、現実は理想通りには」

「理想は理想だ。それがなくては単なる場当たり主義に陥るだろう。だが……君は憎しみを乗り越えたのか?」


 アレックスは死んだ父親の亡骸を見た子供の自分を思い返した。あの時の身を焼くような激しい怒りは、鮮明に覚えている。それどころか普段はしまいこんでいる胸のずっと奥底には今もくすぶっている。

 怒りのままに軍に入ると決めた自分を、泣いて引き留めた母。その手を引き剥がすように家を出たアレックスには、もう実家に戻る気持ちはない。


 ただ、確かに燃えるような怒りも恨みも、顔をのぞかせることは滅多になくなった。


「海軍で揉まれたからね。攻撃する命令が出たら、目的を果たす為に戦うけど、だからといってそこに感情を乗せていては身がもたないよ。憎しみは連鎖する。だけど残念ながら寛容はなかなか連鎖していかないんだよな」


 苦笑が漏れる。本当はこんなもっともらしく取り作った話では嘘になる。しかしアレックスはそれ以上は言葉を持たなかった。

 エステルハージもその複雑な思いを察したのか、そうだなと呟いて、ソファーに背中を預けた。


「そうだ。君は明日にはトゥレーディアに向かうんだろう? いいのか、こんな時間まで飲んでいて」


 エステルハージの用件が本当に個人的なことだったと知って、ようやく警戒を解いたアレックスは、飲んでも顔色の変わらない友人を心配そうに眺めた。

 トゥレーディアまでシャトルで丸二日はかかる。しかも恒星間宇宙船には設置されている重力発生装置はシャトルにはついていない。慣れない者はまずトゥレーディア行きのシャトルで宇宙酔いにかかるのだ。

 しかしエステルハージは宇宙軍士官の余裕を見せて笑い、アレックスのグラスにウィスキーを注ぎ足して渡した。礼を言ってぐいと喉に流し込む。

 少し、空調が効きすぎているのか肌寒かった。


「君じゃあるまいし。荒波に揺れる船に乗っても平気な男が、なぜそこまで宇宙に弱いのか、僕には理解できん」


 なぜと言われてもダメなものはダメなのだ。アレックスは士官学校時代の己の醜態を思い出して憮然とした。


「海は投げ出されても百万に一つぐらいは生き延びることができるけど、宇宙じゃそうもいかないじゃないか」

「そうだな。我々はいつも上からファルファーレを見下ろしているからそれを忘れてしまいそうになるが」


 どこか上の空で答えてエステルハージは姿勢を正した。


「君も式典に来るのか?」

「式典? いや、元帥と護衛士官だけだと思うけど? 俺は今のところミスター・ビッラウラに付きっきりだしね」

「そうか……では、ミスター・ビッラウラが来るのなら?」

「そんな予定はないよ。なぜそんなことを?」

 エステルハージの表情に真剣な逡巡を見いだして、アレックスも背を伸ばす。何か、隠しているのか?

「……あの少年は人の心を読むと聞く。本当か?」

「俺が見る限り本当だ」


 それは皆に知られた能力だ。


「その上……人を操れるとも聞いた。それは?」

「誰からそんなことを?」


 アレックスの警戒心が息を吹き返し、瞬時に警報が鳴り響く。心を読むと操れるとでは大違いだ。

 だがサッタールがその才をはっきり見せたのは、銀狐に連れ去られそうになったイリーネを救助する為と、元帥邸でルキーノの動きを止めたほんの一瞬だけだ。

 その詳細は海軍のほんの少数が知るだけの極秘事項のはずだった。


 エステルハージは額に汗をかいていた。肌寒いとアレックスは感じているのに、それは奇異な眺めだった。

 何を迷っているのかと揺さぶり声を荒げたくなる衝動を抑え、アレックスは辛抱強く同期が迷いを自ら克服するのを待った。

 一秒が永遠に思えるほど時間が過ぎてから、エステルハージが囁くように言った。


「いったん宇宙に出てしまえば、我らがサムソン大宙将は絶大な権力を持つ。しかも式典には議長も、四大陸政府の首相も、陸海軍の長も来るんだ。非武装でね」

「君はいったい何を……?」

「聞け、イルマ。僕は自分の所属する組織を裏切れない。反旗を翻そうにも、たかが中尉に過ぎない」

「それは俺だって……」

「いいからっ。宇宙軍はトゥレーディアに四つ、ロビンに二つのミサイル発射台を持っている。他に地表を焼くことのできるレーザー衛星が十二あるんだ」

「それは……でも、外宇宙からの守りで……」


 アレックスの言葉は恐ろしい想像で途切れた。今、エステルハージは何て言った? 地表を焼くと言わなかったか?


「コラム・ソルという小さな島がファルファーレから完全になくなったとして、彼らの持つ遺伝子は一掃されるのか? 彼らは非常に強い精神感応力の持ち主だ。その恨みの心が、肉体が滅んだ後も残って復讐を果たすなんてことはあるんだろうか? 我々は我々と全く同じ力しか持たない銀狐のような存在にすら、長い間翻弄されているというのに?」

「何を……何を言ってるんだ、エステルハージ? はっきりと言えっ。宇宙軍、いや、サムソンは何を企んでいる?」

「サムソン大宙将だ」


 アレックスの言を正したエステルハージの元々白い顔は、いまや真っ白な紙のようになり、そばかすだけが浮き上がって見えた。


「証拠も何もない。証人もいない。僕も何も言わない。だからイルマ」


 その血の気を失った顔が、アレックスのすぐそばまで近づいて、耳元で囁いた。聞き取れるかどうかの声で。


「ビッラウラをトゥレーディアに連れて来い。あの人を止められるのは彼だけだ」


 はっと肩を掴もうとしたアレックスの手が、宙を滑った。

 エステルハージはさっと身をかわして、テーブルの向こうに立っている。不意に視界がぐにゃりと歪んだ。


「目が覚めたら全て忘れたなんてこと言うなよ、お人好しのイルマ」


 苦しそうに言い放つと、エステルハージは背を向けた。

 待てと言ったつもりだった。だがアレックスの意識は急速にブラックアウトした。




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