30
アレックスが海軍本部に着くと、あのやる気のなさそうなアンドロイドが無表情に「マクガレイ少将の部屋に」と伝えてくれた。
いくら民間人が滅多に来ない軍の受付だといっても、もう少し柔らか目のプログラムは組めなかったのかと現実逃避ぎみに思いながら、最上階まで階段で登る。
恐る恐るノックをすると、中からドアが開いて、中央方面副司令のサーニー中佐が顔をだした。
「ははは、その顔は懲罰食らう覚悟だな? まあ入れ。少将が人食いザメみたいに歯をガチガチさせてるぞ」
「アイアイ・サー」
アレックスは、かちっと踵を打ちつけて敬礼し、一歩部屋に入るとまた直立不動になった。
「アレックス・イルマ少尉。出頭いたしました」
机に向かっていたマクガレイは顔も上げずに命じた。
「そこの書類を読んで、抗弁がなければサインしろ。あとはサーニーが軍事委員会をうまく丸め込んでくれるはずだ」
「私の弁舌が生きるってことですな。しかしイルマがいつの間に中央方面所属になったのか、ちっとも知りませんでしたが?」
にやにやと笑う副官に、マクガレイが顔をしかめた。
「実は私も知らん。正式にはイルマはまだ西方面所属のままだからな。かといって、今すぐ戻すわけにもいかん。日付をさかのぼって出向の辞令を出してあるから、それで誤魔化せ」
「ははぁ、電算部に無理を言いましたな?」
「無理をねじ込んだのは元帥だ。私ではない。その念書も元帥から取ってあると言ったら、いそいそと偽文書を作ってくれたぞ」
「それはそれは。では私もそんなこととは露とも知らずってことで、弁舌爽やかに問題児の弁護に努めましょう」
アレックスはマクガレイ少将とサーニー中佐のぽんぽん飛び交うやりとりを、身を縮めて聞いていた。するとマクガレイの雷が落ちる。
「イルマ、早くしろ。貴様、上官の時間を無駄に使う気か?」
「イエス・ダム。イエス・サー」
下っ端には口を挟むことなど許されない。一応ざっと書類に目を通し、次々とサインをしていく。銀狐事件で、目の前でコラム・ソルの使者を奪われたこと。勝手に元帥邸を抜け出したこと。拳銃を使ってライシガー医師を脅したこと。更には、命令を待たずにルキーノに体当たりをかましたことまで、書類は十数枚あった。
ところどころ真実とはかけ離れたことが書いてあったが、それは全体の辻褄を合わせる為の作文だろう。供述書のはずだが、アレックスはこんな供述をした覚えはない。
「あの。これ、私自身が委員会で証言を求められたら……」
「それまでに、内容を頭に叩き込んでおけ。これがコピーだ。いいか、そこに書いた線から一歩もはみ出さないように、何なら貴様の脳細胞から改竄しておけ」
「イ、イエス」
アレックスがサインする側からサーニーが取り上げ、書類をまとめていく。アレックス一人のことでこれだけの書類提出が求められるなら、あの事件全体ではどれだけの報告が必要なのかと思うと、机に縛りつけられている上官たちに同情を禁じ得ない。
軍は大きな力を持ってはいるが、それでもシビリアンコントロールの原則から外れることは許されない。議会で選出された議長が三軍を最終的に統括し、それをまた議会が精査し承認するのだ。
全てにサインを終えると、サーニーはそれらを封筒に入れ、口笛を吹きながら出ていった。呼び出された用事はこれで済んだのだろうかと逡巡しながら、机に向かったままのマクガレイの様子をうかがう。
「あの、マクガレイ少将。私もこれで退出してよろしいでしょうか? ミスター・ビッラウラとイリーネ嬢が病院で待っていると思うのですが」
マクガレイは、向き合っていたキーボードから指を離し、初めてアレックスに視線を向けた。
「書類にサインは呼び出しの口実だ」
「口実?」
「サインだけなら、別に元帥邸でもできるからな」
マクガレイのグレーの瞳が、いつもよりも濃いような気がした。しばらく睨み合うような時間が過ぎ、それから悩める少将はゆっくりと腕を組む。
「下水道で銀狐と少年を襲った部隊のことだが、探索してもその尻尾は掴めなかった。あの時、セントラル全体が騒然としていたし、我が海軍も陸の作戦と海上封鎖に手いっぱいだったからな。ジュール通りから地上に出て、その場で解散したことしか掴めていない。おそらくバラバラに民間人に偽装して逃げたのだろう」
「ジュール通りなら、封鎖地域の外ですね」
「そうだ。つまり、奴らは事前に我々の封鎖がどこで行われるか知っていた。そして銀狐の潜伏場所も知っており、下水道から逃走することも予期し、私の派遣した小隊がどこにいたのかも知っていた、ということだ」
聞いているうちにアレックスの顔から血が引いていく。
各小隊には、作戦の一部しか知られていなかったはずだった。最初の異臭騒ぎを起こし、小規模の爆破を仕掛けた者。街を封鎖し、治安の回復を図る者。下水道を回る者。潜伏場所に突入する者。それぞれがそれぞれの役割を命じられていた。全体を知るのは――。
「作戦の全体を知っていたのは五人。元帥、私、サーニー。それに貴様とジャクソンだ」
マクガレイの声に怒りと困惑が入り交じっている。
「正確にはミスター・クドーも聞いていたが、彼は特殊な立場だ。そして元帥も私も他の誰にも漏らしてはいない。無論サーニーもだ。貴様はどうだ?」
「私がジャクソンの下に派遣された時点では、下水道の事もルキーノをおびき寄せることも知りませんでした。説明を受けたのは元帥邸に着いてからです」
「そうだったな。それに事前に知っていたとしても貴様は元々西方面の所属で、セントラルにそれほど親しい者はいない」
アレックスの交友関係も調べたのだろう。
「しかし、まさかジャクソン曹長が……」
「と、私も思った。元帥もだ。ジャクソンは十年以上前からよく知っているのだ。特殊部隊は司令直属で極秘に動くから、入隊する時はむろん、その後もたびたび素行調査の対象になる。ジャクソンは今までわずかでも引っかかったことはない。多少皮肉屋だが、その能力は抜きん出ているし、部下の信頼も厚い。経歴のどこにも宇宙軍との接点を疑うものはない。海軍一筋の男だ。それなのに……」
「だいたいあの部隊が宇宙軍のものだと確定してないのでは?」
「確定はしとらん。奴らが使った火器は一般的なもので、我々も陸軍も持っているものだしな。ジャクソンのこともだ。なんの証拠もない。だが状況はジャクソンが宇宙軍と内通してると思うしかないのだ。他にコラム・ソルに敵意を持っている組織は見当たらん」
「なぜ……そんな……。しかし、もしその疑いがあるなら……今も彼はミスター・ビッラウラの側にいるんですよ? マクガレイ少将。とにかく私は病院に戻ってもよろしいでしょうか?」
「まあ、慌てるな。今は大丈夫だろう」
マクガレイが青ざめたアレックスを苦笑して眺めた。
「イリーネ嬢が一緒にいる限り、ジャクソンが何を考えていたとしても手は出すまい」
「イリーネ嬢が?」
「そうだ。ジャクソンはあのお嬢さんには負い目を持っている。これまでずっと、セントラルで警備が必要な時は、彼は元帥というよりお嬢さんを守ってきた。そこに嘘はあるまい」
思い返して、そういえばイリーネ嬢はジャクソンを執事と同じように扱っていたことを思い出す。
「ジャクソンの父親も海軍兵士だった。二十五年前の銀狐掃討作戦にも当時少将だった元帥と共に出撃し、戦死している。それから数年して、士官学校ではなく、一般兵士枠でジャクソンは海軍に入隊してきた。元帥は元部下の息子に目をかけ、その身体能力と統率力を見抜いて特殊部隊に入れたのだ。そして十年前、元帥のご子息夫妻が殺された時、ジャクソンは真っ先に突入した部隊の一員だった」
「……知りませんでした。その頃、私はまだ士官学校生でしたから」
「田舎から出てきた学生に特殊部隊の知り合いがいたら驚くぞ。地下室に隠されていたイリーネ嬢を救出したのもジャクソンだ。ただ、救出する事だけに頭がいっていて、幼い少女に惨たらしい両親の遺体を見せてしまったのだな。イリーネ嬢は激しく非難したそうだ。何故、せめてあと十分早く来てくれなかったのか、と」
十年前の事件のことは、噂では聞いていた。だがそれは、見知らぬ雲の上の人の話であり、事件自体に憤りを感じた覚えはあったが、目の前で両親を殺された不幸な少女と、あのワガママなイリーネの姿が重なることはなかったのだ。
「だから……ジャクソンはお嬢さんの前では人を殺さないと……?」
「そうだ。今回もイリーネ嬢は邸宅に残ると主張したが、ジャクソンは断固として病院へ避難するよう説得していた。まあ、私も元帥もあの場にお嬢さんを来させようとは思わなかったがな」
口の中が乾いたのか、マクガレイは冷めきった珈琲カップに手を伸ばした。
「だからイリーネ嬢と一緒にいる限り、ミスター・ビッラウラにジャクソンが何か仕掛けることはない」
アレックスは、トルネード号で初めて会った時からのジャクソンの行動を一つ一つ思い返してみた。いかにも歴戦の戦士といった感じのジャクソンは、常に冷静で信頼できる男だった。ただ……。
「ジャクソンは初めからコラム・ソルには否定的でしたね」
「そうだな。それは意外だった。我々は基本的に、銀狐との闘争の反省もあって、コラム・ソルを暴発させることなく連合政府に迎え入れたいと思っている。大多数の海軍幹部も同意見だ。我々は反政府組織に手を焼いてきたからな。潜在的に脅威になりうる存在ならば、味方にいてくれた方がずっといい」
「わかりません。トルネード号の乗員も、曖昧な恐怖心や不信感を持つ者はいました。それは理解できます。しかしジャクソンはもっと明確に反感を持っていたような気がします」
乗艦した日。サッタールの短剣を取り上げ、荷物を探っていた。それは仮想敵に対しては模範的な兵士の態度かもしれないけれど、それ以上の感情があったのだろうか?
しかし共にいることが増えて、どことなくギスギスした二人の間の空気も和らいできたように思っていたのは、単に自分がのんきに構えていただけなのか?
うつむいてしまったアレックスを、マクガレイの厳しい声が打った。
「馬鹿者、そんな情けない顔をするな。そんなではミスター・ビッラウラにはもちろん、ジャクソンにも何かあったと感づかれるぞ」
「ノー・ダム。大丈夫です」
顔をあげて答える。
「しかしサッター……ミスター・ビッラウラにはわかってしまうことは避けられないと思います」
「口にはするな。聞かれても答えるな」
「……お言葉ですが、それではミスター・ビッラウラは一人で秘密を抱えることになります。ただでさえ難しい交渉を抱えているのに」
「そういう優しさは、貴様のいいところだが軍人としては欠点だ。貴様は見ないふりをしているようだが、彼は我々の頭から情報を得ているだろう? 意識的に盗もうとしなくても聴こえてしまうと言っていたからな。役人との交渉でも、持って生まれた能力をフル回転しているはずだ。それなのにこの件だけは一人で抱え込めないというなら、為政者としては失格だ。その気になれば我々に知り得ない方法でミスター・ガナールと連絡を取ることもできるはずだぞ」
「彼は未成年ですよ? まだ子供です」
「だから世話役として貴様をつけている。だが、これは別問題だ」
アレックスに、コラム・ソルの人々のような能力があれば、その視線で頑固な上官を動かしただろう。だが実際にはアレックスはただの少尉に過ぎず、いくら睨んでも命令は命令だった。
「それとも。逆にミスター・ビッラウラにジャクソンの脳を探って欲しいと依頼するか? ついでにサムソン大宙将もジェーコフ議長も。それを公に依頼したらどうなると思う? 際限なく他人の心を覗き、意志を奪ったその先は? 貴様が情にほだされていても、あの少年はその危険をよくよく承知しているぞ」
それ以上は何も言えなかった。全員が精神感応者の社会の細部が想像できないアレックスと違って、サッタールは彼なりに必死でこちらの世界に合わそうとしているのだ。
「もう、失礼してよろしいでしょうか?」
「ああ。そうだ、イルマ。トルネードで私が貴様に命じた事を覚えているか?」
「はい。ジャクソンが行動を起こすならミスター・ビッラウラの前に私が死ねと」
「あの命令はまだ生きている」
「アイアイ・ダム。失礼します」
心は波立っていたが、それを表に現さぬよう、細心の注意を払ってアレックスは静かにドアを閉めた。急いで病院に戻らねばならない。いくらイリーネ嬢と一緒なら大丈夫と言われても安心はできない。ジャクソンの腕はアレックスを遙かに凌駕するのだ。
足は急いでいたが、気は重かった。
(何故……どうしてなんだ、ジャクソン?)
外気を思いっきり吸って、アレックスはその疑問を胸の奥底に深く沈める。今はその疑問を口にできる時ではなかった。
***
「もうっ、ずるいわっ! わたくしの心を読んだわね?」
「誤解だ。そんなことをしなくても目の動きと表情の変化でわかる」
「それじゃあ、わたくしが単なる間抜けみたいじゃないのっ。あなたは何でそんなに無表情なのよっ」
「そういうつもりはないけどな」
「なによ、鉄仮面っ」
「それは罵倒なのか?」
「当たり前じゃない」
「鉄で仮面を作ったらさぞ重いだろう。それともこちらでは超軽量で作る技術があるのか?」
「知らないわよ、そんなこと。さあ、もう一回やるわよっ。今度は目を瞑ってやってちょうだい」
「私よりあなたが仮面を被ればよいのでは? それなら目の動きも表情もわからない」
「見たくもないような顔だって言いたいの?」
「そんなこと言ってないだろう。ただ勝ちたいのなら……」
「馬鹿っ」
お手上げだとサッタールは壁の前に置かれた彫像のようなジャクソンを見上げた。会話も筒抜けのはずだが、この男はイリーネとは正反対に表情筋の一筋たりとも動かさない。
「ジャクソン曹長。あなたもやらないか? 二人でやっていては埒があきそうもない」
「申し訳ありませんが、私の仕事は護衛でカードのお相手は遠慮いたします」
とりつく島もない答えに、思わず顔をしかめる。アレックスと喋っている時は、わずかに打ち解けて見えるが、自分には相変わらずだった。
「逃げないでしょうね?」
イリーネがふくれっ面でカードを配り始める。それを手にしながら、本当に目を瞑るべきかと悩むが、そうしたらしたでイリーネは文句を言いそうだった。
配られた五枚のカードを見れば、それだけでも勝てそうだ。これをどうやったら自然に負けられるのかと、真剣に考え始めた時、エレベーターの音がして、アレックスが姿を見せた。
これでカード仲間ができるとほっとした瞬間、サッタールはアレックスの纏う色が微妙に沈んでいるのを感じて、カードの陰で眉をひそめる。
(なにか、あったのか?)
アレックスの性格では、上官に絞られてもそうこたえはしないだろう。参ったなと情けなさそうに笑うはずだ。
「やあ、思ったより時間がかかってすまなかったね。そろそろランチを注文しようか? それともイリーネ嬢はお帰りになりますか?」
軍帽を脱いで、アレックスは気さくにサッタールの横に座った。しかしたっぷり一人分の距離を置いている。ソファーには余裕があるのだし、何でもない事なのだろうが、少し気にかかった。
「わたくしはもう少しいるわ。だってこの人のお友達の手術、まだ終わらないんでしょ? それにカードで勝ちたいのよ」
「カード……ははあ、連戦連敗なんですね?」
「そうよ、悪い? イルマが入ったら変わるかもしれないわね。少なくともあなたには負けないわよ」
「ははは、ではランチの注文だけ先にしてしまいましょう」
食堂に注文する為、端末器に向かったアレックスの明るいブルーの目は、いつも通り陽気に見えた。
「イルマ少尉、申し訳ありませんが、私にも呼び出しがきたようです。ここをお任せして抜けさせていただきます」
その背に、ジャクソンが慇懃に敬礼をした。
「おまえもか? まあせいぜい絞られて来るがいい」
「イエス・サー」
大男はくるりと向きを変えると、足音を響かせてエレベーターに向かう。
「ジャクソン」
真剣にランチメニューを見ているアレックスが、視線をモニターにやったまま声をかけた。
「今度、酒でも飲みに行こうか?」
「任務中の飲酒は厳禁ですよ、イルマ少尉」
ジャクソンも背を見せたまま答えた。小さな機械音と共にエレベータのドアが開く。
そして、ジャクソンはそれきり帰っては来なかった。