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 翌朝早く、ショーゴは病室から手術室に運び出されて行った。寝ているだけの存在だったのに、いなくなると急にガランとして見えた。

 その中で、看護師のチュラポーンだけがきびきびと楽しそうに働いている。


「あなたは手術室には行かないのか?」

「手術はそれ専門の看護師が必要なんですよ。看護というよりもう助手に近いです。私は元々は回復期の患者さんの看護が専門なの」

「ああ、だから食事のさせ方も上手なんだな」

「身体の機能が低下して嚥下が苦手な患者さんも多いですけどねぇ。その点、ミスター・クドーはちょんちょんってつつくとゴックンがお上手でしたよ」


 うふふと笑う看護師はサッタールよりも年上なのだろうが、小柄な体格と丸い瞳があいまって可愛らしく見える。


「ショーゴが手足が使えるようになっても、あなたに世話を頼めるだろうか?」

「もちろんです。今後義足もつけるとなると、しばらくリハビリが必要ですからね。ここの患者さんは軍人さんがほとんどですから、リハビリは厳しいですよぉ」


 アレックスが洗った顔をふきながら笑った。


「そりゃあね。一刻も早く復帰したいからなぁ。リハビリも訓練の一部」

「あなたも入院するほどの怪我をしたことが?」

「俺は中央方面隊に所属したことはないからここではないけど。迫撃砲を艇に打ち込まれてね。直撃はしなかったけど飛んできた破片が腿に突き刺さって……ああ、ごめん。こんな話はすべきじゃなかったな」

「いや。たまにあなたが軍人だということを忘れてしまうから」


 少しだけ口角を上げてみせて、サッタールも着替え始める。病衣は診察には好都合なのだろうが、やはり着替えると気分も変わる。


(そういえばショーゴの服、買えなかったな)


 せっかく街に出たのに事件に巻き込まれてしまってと残念に思っていると、ノックの音もなくドアが勢いよく開いてぎょっとした。


 イリーネが勝ち誇ったような笑顔と共に現れ、その後ろにはジャクソンが両手に大荷物を下げていた。


「あら、失礼。まだ着替えてなかったの? お寝坊さんね」


 シャツに片袖通したままのサッタールは、とたんに眉間にしわを作った。


「お嬢様のマナーというものが私にはよくわからないな、アレックス」

「あー、うん。イリーネ嬢、申し訳ありませんがあと五分ほど廊下でお待ちいただけますか?」

「五分も?」


 無邪気に首を傾げてみせて、イリーネはチュラポーンを指さした。


「あの人だっているじゃない? それにわたくしだって殿方の着替えを見たぐらいじゃあ、キャーなんて言わないわよ」


 サッタールはイリーネを無視して淡々と着替えているが、まだパジャマだったアレックスはそうはいかない。困ったようにジャクソンを見るが、知らん顔をされて眉が下がる。


「ミズ・タナラットは看護師です。とにかく、出てください。すぐそこに談話室がありますから、そこでお茶でも飲んで。ジャクソン、お連れしろ」


 ジャクソンは黙ったままアレックスに荷物を押しつけると、イリーネを威圧するように見下ろした。


「お嬢様、どうぞ」


 イリーネは唇をとがらせて渋々とジャクソンに従った。ドアが閉まるとアレックスは肩の力を抜いた。チュラポーンが小さく声をあげて笑う。


「すごい迫力でしたねぇ、あの曹長さん」

「俺にはあんな迫力はないって言うんだろ?」

「いいえ。ただ少尉はお顔からして優しいですものねぇ。ドクターに拳銃突きつけても全然緊迫感がありませんでしたよ」


 チュラポーンが、じゃあ私も出た方がいいですねと朗らかに言って、換えたシーツを抱えて病室から出ていく。アレックスは痺れをきらしたお嬢様が再度襲撃をかける前にと素早く着替えた。


「お嬢様というのは、みんなあんな感じなのか?」

「さあ? 俺はイリーネ嬢の他に知らないしね。確かに妹とは違うな。君は姉君を見て育ったんだろうから、そりゃあ違うと思うだろうね。ミズ・ビッラウラの方がずっとご令嬢って感じがしたよ」

「そうか? だが姉は、というより島には使用人なんていないし、他人に命令する習慣はないぞ」


 サハルが聞いたら喜ぶだろうか? と考えながら答えると、アレックスは懐かしむような顔で首を振った。


「そうじゃなくて、敵かもしれない大勢の人間の中にいても毅然としていたところがね。君もそうだけど。本当の意味でのノブレス・オブリージュを感じたよ」

「別にそんないいものではない」


 サハルが魅力的な女性だということはよく知っていた。島で、彼女との時間を過ごすことを喜ばない男はいなかったし、女たちの間でも人気があった。


(私はサハルにずいぶん助けられたんだな)


 それに比べてイリーネは、と考えて、サッタールは肩をすくめる。


「とにかく放っておくわけにもいかないだろうな。あなたがもうよければ、呼んでこよう」

「あ、いや。一緒に行くよ。ついでに朝食を取ってくるから談話室で食べよう」


 きっちり軍服を着込んだはずのアレックスの頭がボサボサのままだったのは、気づかないことにした。





「ほら、見て。お友達のお洋服持ってきてあげたわよ。これルイスの男性服の新作なの。大丈夫よ、サイズはちゃんと確かめたわ」


 談話室のテーブルは、病院にはおよそそぐわない極彩色のシャツとズボンの海になっていた。シーツを片づけに行ったはずのチュラポーンも、なぜか同席して、驚いたことにイリーネと二人できゃあきゃあと歓声をあげていた。


「これを、ショーゴに?」


 サッタールは予想を遙かに越えた派手な服の数々に呆気にとられた。

 そういえばコラム・ソルでは男も女もほとんど変わらない生成のシャツとズボン姿が普通で、色のついたものは肩布ぐらいだった。染料の材料集めに始まって、糸を染め、布を織り、さらに刺繍を施すのは大変な作業なのだ。だからこそ肩布の意匠にはそれぞれ熱を入れ工夫をこらすのた。

 目の前にある服は、そんな素朴さからはかけ離れていた。たとえば真っ赤な地に奇妙な魚たちが泳いでいたり、鳥が飛んでいたりした。かと思えば、全体に星がちりばめられてキラキラと照明を反射させたりしている。幅のひろいベルトには鎖が垂れ下がっているし、ズボンは破けていた。


「すいぶん手が込んで見えるが、その割に服が破れているのはどういうわけだ?」


 思わず尋ねると、イリーネはふんと顎をあげる。


「パンクでキッチュなファションなのよ」


 意味が分からず、目でジャクソンに問いかけると、戦闘専門の大男は器用に片頬だけで笑って見せた。


「お嬢様のお心づくしです」


 サッタールは恐る恐る手を伸ばして服を手に取ってみる。ショーゴは見た目にあまりこだわらないだろうと思うが、これはいかになんでもどうだろうか、という懸念が、その手触りの良さでわずかに薄らいだ。


「軽いな。それによく伸びて着心地は悪くなさそうだ」

「そうなんですよぉ。ルイスの良さは見た目だけじゃわからないんです。身体の動きを邪魔しない服は、これからリハビリされるミスター・クドーにもぴったりだと思います」


 チュラポーンがうっとりと答え、イリーネが得意げな視線をよこす。


「エンジニアなんでしょ? それならスーツよりも楽しい普段着の方がいいじゃないの。なんならあなたの服も見立ててあげるわよ」

「いや。それには及ばない。こんな奇抜な格好で中央府の役人と交渉に臨んだら……彼らの反応が目に見えるようだ」

「びっくりして、あなたの言うことに何でもうんうんうなずくかもしれないわよ」

「それはないな。彼らは交渉のプロだから」


 断固断りながらも、意外にもイリーネはよく考えて服を選んでくれたのだという事実を認め、頭を下げる。


「ありがとう。ショーゴも驚くだろうが、きっと気に入ると思う」


 ところがイリーネは途端に不機嫌な顔で黙り込んでしまった。その気配だけを読んで、サッタールもまた眉を寄せる。この少女のくるくる変わる感情についていけない。たとえ心を読んでもとても理解できそうになかった。


「おー、これはまたすごいね」


 その場の気まずい空気に頓着しないアレックスが、朝食のプレートを手に現れて声をあげた。そして服を片側によせるとサッタールの前にプレートを置く。


「悪いんだが、本部から出頭せよって通達が来てね。二時間ぐらい離れるけど、ジャクソンがいるから心配ない。イリーネ嬢、申し訳ありませんが私が戻るまでここにいていただけませんか? 今日は学校も休みでしょう?」


 ふくれっ面のイリーネがうなずくと、アレックスはサッタールの腕にちょっと触れた。


『頼むからお嬢さんが誘っても街に出たりしないでくれよ』


 こうすれば伝わるものと頭から思っているらしく、反応する前にアレックスはもうジャクソンに顔を向けている。


「そんな訳で、二人のお守りを頼むよ」

「なんの用事でしょうか?」


 珍しいジャクソンからの自発的な問いに、アレックスはおどけて両手を広げた。


「本来なら懲罰もののあれやこれやがいっぱいたまっているからね。連合議会の軍事委員会に提出する書類にサインしなくちゃならないんだ」

「それは……?」


 慌てて腰を浮かすサッタールを手で押し止め、アレックスはあちこちに飛び跳ねている髪を軍帽に押し込めて、足早に立ち去っていく。





 サッタールはため息をついて目の前の朝食をぼんやり見つめた。ショーゴの手術が終わるまで、ここを離れるつもりは全くなかったが、なにやら機嫌を損ねたお嬢様と残されるのも気が重かった。


「どうしたのよ。早く食べないと冷めるわよ?」


 気づくとチュラポーンも席を立ち、ジャクソンは談話室の全体が見渡せる壁に貼りつくように立っていた。


「ああ。あなたはもう食べたのか?」

「当たり前じゃない。ジョットがわたくしを空腹で外に出すはずがないわ」


 傲然と言って、イリーネは広がったままの服のタグを一つ一つ丁寧に取り始めた。サッタールも魚の薫製が挟まったサンドウィッチを手にする。


「わたくし、あなたが嫌いよ」


 イリーネがぼそっと呟いた頃には、プレートの上もきれいになくなり、服も畳まれて紙袋にしまわれていた。

 なんと返したものかと考え込むサッタールを上目遣いで見ながら、イリーネは続ける。


「ジョットたちは邸の使用人だからわたくしには優しいわ。わがまま言っても、お嬢様だからって気にしないの。お祖父様はわたくしに負い目があるから、何を言ってもよしよししか言わない。部下たちだってお祖父様に遠慮があるから誰も厳しいことを言ったりしないわ」

「私の口が悪いのが気に入らないのか? それはすまなかったな。気をつけよう」

「違うわっ」


 イリーネの怒りの思念が、頬を殴るほどの勢いでぶつかってきて、サッタールは行儀悪くソファーに背中を預けた。

今頃、ショーゴの手術はどのぐらい進んだだろうか? 昨日話し合ったように、たとえ中央府との交渉で成果が得られなくても、ショーゴが回復するならそれでこの旅は来た甲斐があるのだ。こんな自分勝手な少女の愚痴につきあいたい気分ではなかった。


「皆がわたくしを甘やかしているのは知ってる。内心で、わたくしをワガママで自分勝手な子供だと思っていることも。あなたがそうじゃないのは、単にあなたにはそうする理由がないからだってことも」

「そういう自己分析ができるなら、改めればよいのでは?」


 おざなりに言うと、イリーネは泣く一歩手前のような顔をした。


「あなたは、わたくしがどうしようもない女の子だって思っているわよね。それなのに何でたまに優しいの? そんな必要もないのに。あなたが心を読めるから? だからわたくしのワガママも仕方ないと思っているの? そんなの屈辱だわ。嫌な子だと思うならずっとそういう目で見てればいいのよ」

「わからないな。私は確かにあなたのことをワガママで、これまで見たことのないほど自己中心的だと思っている。だが、別に、だからといって常に嫌な態度を取りたいとも思わない。もしあなたに誉めるべき美点があればそう言うし、感謝すべきことがあれば礼を言う。それだけのことだ。特に優しくした覚えもない」


 イリーネは大きな目をじっとサッタールに当ててくる。


「それから心を読めるのは今更否定しないが、読もうと思ってしているのではない。こちらに来てからは極力そういうことがないように努めてもいる。ただ強い感情はどうしても拾ってしまうし、それであなたに不快な思いをさせているのなら謝る」

「……ねえ。わたくしの美点とか感謝すべきことってどんなとこ? いいところなんて本当にあると思っているの? あなたは心を読めるかもしれないけど、わたくしにはわからないのよ。ちゃんと説明して」

「欠点は言わなくてもいいのか?」

「それは自分でも知ってるって言ったじゃないっ」


 サッタールは見上げてくる褐色の目をのぞき込む。


「あなたは、自分勝手なりに人を喜ばせようという気持ちを持っている。それはこの服もそうだし、先日街に出たこともそうだった」

「独りよがりだって言いたいのね?」

「まあ、それもあるけど。それと、あなたには勇気がある。誘拐事件の時、私の救助に協力もしてくれた。本当はとても怖かったはずだ」

「でもわたくしはその時、ここにいたのよ。ちゃんと武装した兵士だってついていたわ」

「私が強い感情は拾ってしまうと言っただろう? あなたは怖がっていたし、今もまだその恐怖は残っているはずだ。だけどそれを他人に見せまいと努力している。普段通りの自分を見せようと。それは大きな勇気だ」

「……あなたのそういうところが、やっぱり嫌いなのよ」


 イリーネの声が震えた。


「だって。わたくしは海軍元帥の孫娘なのよ。しかもテロリストに両親を目の前で殺されたの……。誰もがわたくしに同情したわ。わたくしが泣けば、みんなが気まずい思いをするの。わたくしを見るだけで周りは傷つくのよ。だから誰が見ても呆れるようなワガママ娘になって、昔のことなんか頭から吹き飛ばすの。もう怖くなんかないわ。寂しくもなんともない。やりたいことも言いたいことも我慢なんてしない。それがイリーネ・ミュラーなのよ。それなのに……あなたはそのブルーグレーの瞳で何でも見通して。嫌いよ、そんなことするの……」


 唇を噛む少女は、それでも泣きはしなかった。


(ショーゴやサハルなら、もっとうまくこの娘を慰められるだろうな)


 自分自身の背負う物ですら投げ出してしまいたいほどに重いのに、その上、イリーネの重荷を、その恐怖や虚勢を軽くしてあげられるような度量はないと、サッタールはため息をついた。


「それは……すまなかった。だが……その、もし元帥やジョットさんの前では泣けないと言うのなら……私の前ならいいんじゃないか? 私は外から来てやがては去っていく人間だ。ここにいつまでもいるんじゃないし……」

「嫌よ。絶対にイヤ。何でそんな弱みをあなたに見せなきゃならないのよ」

「いや、もしそうしたいのなら……と」

「それにあなたには、いつもイルマやジャクソンがくっついてるじゃないの。いいの、わたくしは自分勝手なワガママ娘のままで。今更よ」


 ふーっと息を吐くと、イリーネは見事なぐらい普段の勝ち気な表情を取り戻す。


「退屈だろうってカードゲーム持ってきたのよ。一緒にやって。お友達が戻ってくるまでつきあってあげるんですからね。ありがたく思いなさいね」

「カードゲーム? わからないな。ルールを教えてくれ」


 確かにショーゴを待つ間、サッタールにできることは何もない。あれこれ無駄に思い煩うよりはと、心の内だけで感謝しながら、カードに手を伸ばした。





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