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 三十分前に送られてきた気象図によれば、台風はトノン島の南南西八十キロの海上に停滞しているようだった。つまりトノン島は暴風圏のまっただ中にある。


 それでも海上に山の頂上が浮かんだようなトノン島唯一の港は、巨大な火山と突き出た小さな半島に風と波を遮られて、大洋の真っ直中にいるよりはよほど静かだった。

 嵐を避けて島人の漁船が全部帰ってきているのだろう、桟橋はどこもいっぱいで、二の腕ほどもある綱でしっかりと縛りつけられている。


 ただ一つ、一番半島よりの入り江に、半分砂に舳先を突っ込んだように泊められている船が、妙に人目を引いた。


「まさか、帆船か?」


 アレックスの呟きに、シムケットがしかめっ面で答えた。


「エンジンを積んでいるようには見えませんが……。しかも木造ですな。少なくとも外観は」


 絵本の中じゃあるまいしという思いがありありと伝わる声のシムケットは、無遠慮にその小さな船を眺めおろしている。


 二本のマストが風に揺れていた。しっかりと畳まれた白い帆の端や帆綱が激しく煽られてバタバタと音を立てている。船尾に小さな船室が見える他は、甲板に人影もない。


「全長はおよそ十五メートル、スクーナーですね」

「詳しいな」

「実物を見たのは初めてですので、違っているかもしれませんが。少なくともこの海域で見たのは初めてです」


 シムケットは長年ペレス基地に勤めているだけではなく、このトノン島の出身だった。その彼が見たことがないという船が、なぜ今ここにいるのだろうとアレックスは首を傾げた。

 酔狂なレジャー船が台風を避けてここに停泊でもしているのだろうか。


「港に無線連絡。この嵐の中で桟橋を開けろとは言わん。一番南の桟橋の先に取り付いている船に接舷すると伝えろ。漁民の船を壊さんように上陸準備」

「アイ、キャプテン」


 通信士が呼びかけをし、他の乗員が接舷の準備を始めると、アレックスはまだベッドに固定されたままだったワイマーに歩み寄り、ベルトを丁寧に解除した。


「厳しい航海になりまして申し訳ありません、ドクター。間もなく上陸できますが、立てますか?」


 誰もが繰船に集中していた為にすっかり放置された形の中年の学者は、やれやれと言わんばかりに腕を頭上に伸ばし、身体を解した。


「台風は君たちのせいではあるまい。迅速かつ安全な航海に感謝する」


 軍艦乗りにとってさえ酷い揺れだった。民間人の学者なら酔って吐き散らしながらぐったりしていても不思議ではないのに、ワイマーが青ざめた顔色ながらもしっかりと謝辞を述べたことに軽く驚きながら、アレックスは壁のハッチから濡れたタオルを出して渡した。


「港湾管理所を通してドクターの今夜の宿を探してもらいましょうか? この風雨の中では天文台のある山に登るのは危険です」


 ワイマーは窓の外を睨んで低く唸ったが、最大瞬間風速七十五メートルの中で標高三千メートルの山道を登るのは、陸軍の山岳用の重甲殻車両でも持ってこなければ無理な話だ。


 アレックスはまだ通信中の部下を振り返った。


「港湾担当者に、天文学者のドクター・ワイマーの宿泊できる施設を問い合わせてくれ」

「アイ、キャプテン」


 しかしワイマーは頭を振って、アレックスの肩越しに通信士に呼びかけた。


「いや、島守に連絡を取ってもらうように頼んでくれ。ワイマーが来たと伝えれば泊めてくれる」


 島守は、ペレス諸島では昔から使われている呼称で、文字通り島民を率いる長である。今はほとんどが政府の行政官も兼ねているが、地元の者たちは今でも島守と尊敬を込めて呼ぶ。


「言われた通りにしろ」


 学者が島守と親しいとは意外だったが、アレックスは頷いて通信士に命令した。天文学者など、伝統的な生活を営む島民とは疎遠だろうという思いこみがあった。


「この二十年、一年の半分はこの島で過ごしている。だから島には詳しいぞ。天文学者でありながら宇宙に出たこともないがな」


 考えを察したか自嘲気味に言うワイマーに、アレックスは小さく頭を下げた。


「私も実は宇宙は苦手です。軍人でありながら」


 二人の目が合って、自然と口の端が上がった。


「ドクター、島守が直接話したいそうです。こちらにおいでいただけませんか?」


 通信士の声にハッとしたように、ワイマーはいったん緩んだ表情を引き締めた。まだ力が入らない足を踏ん張って、通信モニターの前に座る。そこには白くなった髭に顔の半分を埋められた老人が映っていた。


「ドクター、よく……お越しくだされた。今、この時に……」


 島守のやせぎすな厳つい顔が、微かに強ばっている。


「台風でしたが、どうしても急ぎ来て確認したいことがありましてな。軍に無理を言いました。もっともこの厚い雲が晴れんことにはどうにも……」

「確認したいこととは……もしかして彗星、でしょうか?」


 老人の声が震え、ワイマーは眉を跳ねあげた。


「何故、それを? 大彗星の接近については、まだ政府からなんの発表もないはず」

「それが……その……お疲れのところ申し訳ないが、ここまでご足労願えるだろうか。モニター越しで説明する自信は私にはないのです」


 ワイマーがアレックスを振り返る。アレックスは頷いて、脇から自分の声を割り込ませた。


「ペレス海軍基地所属のイルマです。ドクター・ワイマーの宿をあなたにお願いするつもりでした。正式の発表もない情報をご存じである事情をうかがいに、私も同行させていただきます」


 島守は声の主を捜すように視線をさまよわせた末、頷いた。


「これは……大変失礼をいたしました。そうですな……我が家へお越しくだされ、イルマ少尉」


 歯に物が挟まったような物言いの後、プツと唐突に通信が切れた。アレックスは、何か言いようのない不安を胸に抱きつつ、無線で部下たちに告げる。


「ドクターと共に私も上陸する。総員、二点交代で待機せよ」


 あちこちからの威勢のいい応えを耳に、アレックスはワイマーの荷物を抱えてトノン島へ上陸した。






 港から島守の館まで、迎えに来た車が慎重に進んだ。山が海に迫るこの島では、港湾設備を除き、島民は皆、高台の斜面に住んでいる。濡れた溶岩質の土は滑りやすく、道路の脇の水路は滝のような勢いで水が流れ落ちていた。


「イルマ少尉はトノンに来たことは?」


 ライトで照らしても、殴りつけるような雨と風で視界はほとんどきかない。おまけに斜面を登る道は狭く、曲がりくねっていた。

 ゆっくりと進む車の中で、ワイマーは怒鳴るように声を張り上げた。そうでもしないと聞き取れないほどの雨音だった。


「上陸するのは初めてです。この辺りまで海賊は来ませんからね。奴らは小島と暗礁の多い大陸北西部の沿岸地帯が根城ですから」

「海賊か……軍の装備を持ってしても彼らを根絶はできんか」


 笑いを含んだ問いにアレックスはむっつりと答える。


「中央府の支配下に入りたくないなら、それなりの覚悟があってしかるべきでしょう。自由や独立を謳っておきながら、やってることは付近を通る希少資源を運ぶ運搬船を襲い、ブラックマーケットで利ざやを稼ぐことでしかない」

「だがペレスの漁民が生活物資を売りに行ったりもするだろう? それも取り締まって捕まえるのかね?」

「賢い漁師は潮の流れには敏感です。軍の船が近くに来ると、漁船は一斉に漁に精を出しますね」


 わはははと笑いながら、ワイマーは雨が叩きつける窓ガラスに視線を移した。ときおり叩きつけるような突風が吹き、車はゆさゆさと揺れる。


「コラム・ソルのことは知っているかね?」

「伝説として、ですね。島影を望むほど近づいたこともありません。どちらにしても私の艇ではトノンまでの往復がせいぜいですし」

「ふむ、わしも行ったことはない。実在はしているさ、衛星写真で見たことがあるからな。だが軍ですら、なぜかあの島には近づかないだろう? しかしな、少尉。トノンにはコラム・ソルの土を踏んだ者がいると聞く。よそ者には決して口にせんがね」

「トノンに……?」

「噂だ。それとも伝説とも言うべきかな。ただ何十年かに数日だけ潮の流れが蛇行することがあってな。その時にだけコラム・ソルへの道が開けるのだそうだ。まあ帰り道はないらしいから、海で遭難した身内を悼む思いが産んだ伝説だろうが、それにしても……」


 言葉を切ってワイマーは近づきつつある島守の館を見上げた。青みを帯びた石造りの昔風の館が雨に煙って見える。脇の尖塔は灯台を兼ねているのだろう。ちらちらとした明かりが雨の筋を貫いていた。




 玄関ホールまで出迎えた島守は、モニターで見るよりももっと青ざめていた。

 トノンは主な産業が漁業しかない。ロジェーム海を横断するには大切な位置にあるが、大陸が惑星の半分に寄り集まっているファルファーレでは、そんな船は少ない。


 天文台と美しい珊瑚礁を売りに観光客を呼び集めようと思えばできるだろうが、そんな野心もないらしく、ポツンと海中に取り残されたような島である。


 ただ、島の北側で切り出される青みを帯びた方解石がふんだんに使われた町並みは、見る者にロジェームの青い真珠を思わせる。晴れていれば美しい島だった。


 島守の館はその中でも断トツに大きい。しばしば高波に襲われ、嵐が続けば漁にも出られず穀物も不足しがちな島民の守りとして、そこはいざというときの避難所であり、巨大な倉庫でもあり、今はヴェルデ大陸政府の出先機関でもあった。


「よく……この嵐の中をおいでくだされた」


 しわがれた島守の声がホールに響いた。


「台風のせいでいつもの民間船は雇えなかったのですがね。さすがは海軍と言うべきでしょうな。乗り心地は最悪でしたが無事に着きました。前後左右に思う存分揺さぶられて、まだ内蔵がひっくり返ったままですが」


 ワイマーは、島守と握手を交わしながら丁重に続ける。


「ただ、どうしてもこの目で確認したいことがありまして、無理を承知でねじ込んだ次第です」


 アレックスは軍人らしく無表情にワイマーの酷評を聞き流した。


「それはそうと。船でもおっしゃっていたが、何故彗星のことを?」

「それは……」


 言葉を濁した島守の視線が奥の一角に向き、その場の全員が吸い寄せられるようにそちらに顔を巡らせた。

 ワイマーがハッと息を飲んだ。

 アレックスも、何度か瞬きを繰り返した。

 入ってきた時にすぐに気づかなかったのが不思議なほど、印象的な人物がそこに立っていた。


(男と女と……子供か? いまどきこんな民族衣装は滅多にお目にかからないが……)


 三人は揃って白いシャツとズボンの上に極彩色の布をまとい、それぞれ色の違う髪は長く伸ばして緩く後ろで束ねている。どこの地方の出身か見当もつかない。少なくともアレックスは見た記憶のない衣装だったし、顔立ちも揃って整っているという他は特徴がなかった。


 元々植民した当時は人種の差もくっきりあったと聞くが、それから七百年以上経った今日では、外観の差はほとんど薄れている。地球での出身は、僅かに姓名にうかがえるのみだ。それでも住み着いた地域や職業集団によってファルファーレ独自の民族差というものは存在する。


 だがその三人は強烈な個性を持ちながら、アレックスの知るどんな集団とも違っていた。


 長身でがっしりとした体格の男は、濃い褐色の肌と鮮やかな緑の瞳を持っていた。傍らの女は、しなやかで肉感的な肢体を深い青の布に包み込んでいる。


 何よりもその二人の前に立つ子供の瞳がアレックスの関心を引いた。


 最初は男か女かわからなかったが、尖った肩やよく筋肉のついた腕を見れば少年だろう。だが性別など吹き飛ぶほどの少年の瞳の力に圧倒された。

 薄い青灰色なのに、人の心の奥底まで見通すような瞳は、それでいてそこに何の感情も窺わせないほどに澄んで静かだった。

 人とは違った何かがそこにいるような気がして、アレックスは無理矢理視線をそらせた。


「し、島守……あれは……あの三人は……?」


 ワイマーの喘ぐような問いかけに、島守は重々しく頷く。


「あのお三方が知らせてくれたのです。星の欠片が降ってくる。台風が去ってもしばらく漁に出ないで、この館に皆を避難させろと」

「それは……」


 ワイマーはまるで泳ぐような足取りで謎の三人に近づくと、驚いたことに深々と頭を下げた。傲岸不遜な学者だとばかり思っていたアレックスは、また目を瞬かせる。


(何者だ?)


 入り江の帆船も彼らのものだろうか? どこかで祭りでもしていて、台風の暴風に流されでもしてトノンに避難したのだろうか?

 それにしては島守とワイマーの恭しい態度が不自然にすぎる。いや、館の物影から固唾を飲んで見ている島民たちも、あの三人を恐れているようにも、敬っているようにも感じられた。


 ――まるで神でも降臨したかのように。


「はじめて……お目にかかります。私は、このトノンの天文台の、責任者で…ゲオルグ・ワイマーと申します。ここの島守が、あなた方から彗星のことを教えられた、と聞きましたが、あなた方は……その、もしかしたら……」


 妙にあちこち区切って話すワイマーに答えたのは、長身の男だった。


「質問は、我々が何者か。どうやって彗星の接近を知ったのか。何故トノンにいるのか。どうやって来たのか。と、そんなところか?」


 その声は耳に快いバリトンだったが、アレックスはその口調に尊大さと面白がっている気配を感じて眉を顰めた。


「はい。あの彗星を発見した時、私はセントラルにおりました。トノンからのデーターを見て、ただちに中央府に警告を送りましたが、軌道を計算しようにも肝心の星が太陽の向こう側に消えてしまい、取り急ぎこの目で確認しようとこちらに出発したのですが、生憎と台風で……。ようやく軍の船に送ってもらったところでした。宇宙軍は既に探査を始めているはずです。しかし……常時この星系内を観測している第四惑星も、今は太陽のこちら側にいます。それなのに何故……」

「答えは単純だ。我々はあの星のおよその軌道を知っていた。今年、この時期に来るとな。あれの接近は初めてではないのだ」

「それは星紀一二三年の? ならば周期は六四二年もあると……」

「違う」

 男の唇の端がくいっと持ち上がった。

「前回は四四四年だった。大陸間戦争の初め頃だな」


 ワイマーの少したるんだ頬がぶるっと震える。


「なんですと? そんな記録はどこにも……」

「その理由は知らんな。大陸政府と中央府の怠慢だろう」


 なんてことだ、それでは計算も違ってくるかもしれない。衝突の危険があるのかないのか。だがどちらにしてもあと数日しか残されていないはず……。

 衝撃を受けた様子の学者は、口の中でブツブツと呟きながら、時々床を蹴っては歩き回り始めた。


 それを呆気にとられて眺めてから、アレックスも三人の前に立つ。ワイマーと話していた時と、微かに空気が変わったのは、自分の軍服のせいかもしれないと考える。

 男は彗星のことしか語っていない。彼らが何者なのか知らねばならない。そして軍に報告する義務が自分にはある、と生真面目に思った。

 もしかしたら自由政府を標榜する海賊の一党かもしれない。


 だがアレックスにはその推測は間違っていると、頭のどこかで承知しているような気がした。


「失礼ですが。あなた達はどこからいらしたのですか? 見たところトノンの住民ではないようだ。入り江の帆船はあなた達の船でしょうか? あと、政府の怠慢で何の対策もされていないらしい彗星の危険を、前もって知っていた理由も詳しくお聞きしたい。私は海軍西方面司令部ペレス基地所属の少尉、アレックス・イルマです」


 男の表情がますます皮肉さを帯びる。


「尋問か、イルマ少尉?」

「質問です」

「ほう。あんたは、軍服を着た人間に質問された民間人は、なんでも答えるのが当たり前と思っているようだな」

「そうではありません。しかしドクター・ワイマーの話ではその彗星は危険なもののようだ。だからこそドクターはすぐに政府に警告したのでしょう。そのような惑星規模の危機を知っていたのなら、通報するのが健全な市民の義務だろうは考えています」


 不意に哄笑が男の口から飛び出し、アレックスは口を閉じた。今にも身を二つに折って笑い転げそうな男をしばらく見据えから視線を女と少年に向ける。


「私は何かおかしなことを言いましたか?」


 青い顔の島守も、ウロウロとしていたワイマーも、ぎょっとしたように動きを止め、ついで非難がましい目をアレックスに注いでいた。


 誰も答えないのに苛立って、アレックスは笑いの収まらない男に手を伸ばした。その手が途中で跳ね退けられ、気づくと少年の青灰色の瞳がアレックスを射抜くように向けられていた。


「アルフォンソに触れないほうがいい。我々は他人に触れられることを好まない」

「……それは失礼した。ですが……」

「私たちはコラム・ソルの者だ。そう言ってもあなたには通じないかもしれないが、少なくとも私たちはこの星のいかなる政府の下にもない。従ってどこにも通報する義務を持たないが、トノンとは昔から細々とした交流があった。それ故に台風が去っても十日ほどは漁に出ない方が安全だと告げに来ただけだ。あの帆船は確かに私たちの船だ。彗星のことを知っていたのは、アルフォンソが既に説明したが、単に我々はその記録を保持し、伝えてきた為だ。他に聞きたいことは?」


 骨格の細さからまだ十二、三歳の少年かと思っていたアレックスは、その認識をすぐに訂正した。淀みのない口調は、この少年が、所属する社会において既に大人として扱われていることをうかがわせた。


(十二ということはない、もう少し上だな。十五歳といったところか? 幼年学校から士官学校にあがったばかりの子供達もこんな感じだったよなぁ……で、えーと、コラム・ソル? それって確か、ここに来る途中ドクターが話してた伝説の? ……えぇ?)


 考えていたことが顔に出たのか、アルフォンソと呼ばれた男がますます顔を赤くして笑い、少年は見事なほどに無表情になった。


「くくっ、おまえ、ずいぶんガキだと思われてんなぁ、え? サッタール。まあ男だと気づいてもらえたのはよかったがな。くくっ、伝説かぁ、そりゃそうだろ。何しろこの数百年でまともに島の外に出たのは俺たちだけだからな」

「アルフォンソ、サッタールをからかうのはおやめなさいな。それにそちらの方は、何も失礼なことを口にされてはいないわ」


 女が困ったようにたしなめる。


「ああ。そうだな、サハル。確かに海軍さんは何も言っちゃあいねえ。俺が勝手に解釈しただけだ」


 まだ笑いの余韻を残しながらも、アルフォンソは身を真っ直ぐに起こした。サッタールという名の少年は相変わらず無表情だったが、サハルと呼ばれた女は咎めるように腕を組んだ。


「いいかげんになさい。その軽い口を縫い針で縫い閉じてしまうわよ」

「いいぜ。俺の力は舌に宿っているわけじゃないからな」

「アルフォンソ。黙れ」


 サッタールの声は静かだった。だが、歳上の男はぴたりと口を閉じ、笑みも消した。サハルもまた黙って少年を見下ろしている。


(なんだ? 何が起きてるんだ?)


 アレックスには一連の出来事がさっぱり掴めなかった。この三人の関係も、伝説の島の由来も、彗星との関連も、何もかも。



 静かになった男女に頷くと、少年の目はアレックスを通り越して呆然といったていの島守に向けられた。


「私たちはこれで去ります。忠告を受け入れるか否かはあなた方次第だ。私たちはただ、古い誓約に従ったまで。それでは騒がせてしまってすまなかった」

「あ……誓約を……お忘れでなかったことに、島民を代表して感謝申し上げます……コラム・ソルの若長。どうぞ、良き航海を」


 島守は、まるで古代の芝居でもしているかのように丁重に頭を下げ、それにその場にいた島民も倣った。ワイマーですら。

 ただ一人、アレックスだけが腑に落ちないまま、出ていこうとする三人の背中を見つめた。


 ドアが開くと猛烈な風がホールに吹きこんでくる。一斉に長い衣装の裾が翻った。


(この風の中、あの帆船で出て行くのは自殺行為じゃないのか? 島守は何故黙って送り出すんだ?)


 自身も船乗りであるアレックスは、海の恐ろしさを骨身にしみて知っている。数々のレーダーを備え、強力なエンジンを積んだ自分の艇だって、あれほど揺さぶられたのだ。第一他に動力のない帆船でこの風の中を出ていったら、外海に出た瞬間にマストが真っ二つに折れるに違いない。

 マストが折れ、船体が割れる光景を思い浮かべ、衝動的に飛び出して、少年の細い腕を掴んだ。


「待ちなさい。まさかあの船で帰るつもりか? 嵐がやむまで待ったらどうだ?」


 心底驚いたように見開かれた青灰色の瞳が、アレックスを見返す。


「入港する時に見たが、誰も船を守っている様子ではなかった。他の乗員はどこにいる? 喫水も浅いし横から波をかぶれば容易に転覆するぞ。いや、その前に風に煽られた帆に引きずられてマストが折れるだろう。嵐の真っ直中に出て行くなんて正気の沙汰じゃないぞ」


 腕を掴んだ手に力を込めてアレックスはまくし立てる。それなのに少年は聞こえているのか否か、黙ってアレックスを凝視するばかりでピクリとも動かない。

 視界の隅に、真っ青になって立ち尽くしている島守とあんぐり口を開けている学者が映ったが構わなかった。


「ここからコラム・ソルまで何キロ離れていると思ってるんだ? 潮の流れに乗っても一日では着かないんだぞっ!」


 返事もしない少年にじれて揺さぶりたくなってきた頃、細い指先が少年を捕らえたアレックスの手に軽く触れた。


「ご心配ありがとう、少尉さん。でもまずその手をお放しくださいません?」


 歌うようなサハルの声に、まるで呪縛が解けるように手から力が抜けた。サハルは謝るように小さく頭を下げ、少年を促す。


「行きましょう、サッタール」


 少年は不思議なものを見るような目でアレックスを見上げ、アルフォンソに素っ気なく言った。


「姉さんを船まで連れていってくれ。私はもう少し……この男を納得させてから行く」


 あれほど饒舌だったアルフォンソは、太い眉を思い切り寄せたが、一言の反論もなくサハルの背に腕を回した。激しい雨にたちまち二人の姿が霞んで、消えていく。




「君は……君が長なのか? 島守もそう言っていたが……その、乱暴に掴んでしまってすまなかった」


 一瞬の激情が去って、アレックスはもそもそと詫びる。そして体に触れることが、自分が思っていたよりも重大な禁忌だったのかもしれないと思い直し、もう一度頭を垂れた。


「無礼なことをしたのなら許して欲しい。だが今出航するのは賛成できない。私は今まで何度も海難救助を行ってきた。その経験から言うが、無謀に過ぎる」


 サッタールはわかっていると言わんばかりに頷いて、手のひらをアレックスに向けた。


「あなたに他意がないことを認め、謝罪を受け入れよう。しかし私たちは三人であの船に乗って、逆風の中ここまで来た。出航したのは今朝だ。その方法は問われても答えられないから納得はできないだろうが、私たちが海に沈むことはないと断言する。それよりも彗星の接近は三日後の早朝。おそらくは西ロジェーム海の真ん中、コラム・ソルの浮かぶ海域から東側のペレス諸島、及びヴェルデ大陸とブルーノ大陸の西沿岸にかけて多数の隕石が降るだろう。大多数は大気中で燃え尽きるだろうが、中には衝撃波を伴って町を直撃するものもあるかもしれない。あなたは軍人なのだろう? それなら私たちの心配をするよりも、軍でも政府でも動かして住民の安全を図るのが先ではないのか?」

「それは……もちろんだが……」


 なぜそこまで詳しく言えるのか? 目線でワイマーに問いかけても学者は小さく首を振って、その予言が当たっているのかどうかも答えなかった。


 戸惑いの表情をどう思ったか、サッタールは手を差し出し、アレックスの手を今度は自ら握って、すぐに放した。


「私たちは知っているのだ、アレックス・イルマ少尉。三二一年前の接近は、もう少しでファルファーレに真っ正面からぶつかるところだった。それを当時の人間達は危うく回避したが、多数の犠牲者も生んだ。コラム・ソルの住人はその生き残りで、このトノン島の島守はその時に我々を手助けしてくれた者の子孫なのだ。そして再びの危機が訪れたら必ず知らせると、私たちの先祖は当時の島守と誓約を結んだ」


 それはまるで寝しなに子供が母親から聞かされる物語のようだった。


「誓約は果たした。その後のことはあなた方の問題だ」

「……しかし君たちの島も被害を受けるのではないのか?」

「それはこちらの問題だ。中央府は、海賊たちにすら保護を与えようとするだろうが、コラム・ソルには関与しないだろう」


 そんな馬鹿な。たとえ支配下になくても同じ惑星、同じ海を共有しているのではないか?


 だがアレックスはこれまで、軍の中でも不自然なほどにまで誰もコラム・ソルの存在に触れてこなかったことを改めて思い出した。そもそもロジェーム海の真ん中とはいえ、海は海軍の庭であるはずなのに。

 それともそれは取るに足らない、些末な存在だからではなく、触れたくない重大な秘密だったからなのだろうか?


 ――政府が忘れ去っていた危機を語り伝え、軍も学者も軌道を定かにできない星の行方を知り、嵐の中でも決して難破しない船を操る人々。


「一つ、教えてくれないか。君たちは……」


 神なのか、という問いは余りに青臭く思えて、アレックス口をつぐんだ。そんな訳はない。少なくとも目の前の少年は神になど見えはしない。尊大に見えかねないほど落ち着いた態度を取っているが、腕を掴まれた時に見せた驚きの表情は歳相応の少年のものだった。


「コラム・ソルの人々とは、何者なんだ?」

「それは私たち自身も知らない。わかっているのは私たちもまた、あなた方と同じ地球から植民した者の子孫だということだけだ」

「それなら何故、そんなに孤立して生きている? 反政府を標榜する海賊達だって周辺の住民はおろか軍とも政府ともなにがしかの交渉を持っている。なのに君たちのことは誰も知らない。誰も近づかないし近づけない。何故だ?」


 ふっとした笑みがサッタールの唇に浮かんで消えた。一歩、少年はアレックスに歩み寄り、囁き声で答えた。


「私に触れるなと言ったのは、触れたあなたの方が危険だからだ。私は自分に触れた者の思考も記憶も読みとれると聞いたらどうだ? あなたが隠しておきたい、胸の奥底にしまってある、普段は意識すらしないような秘密も、私には通用しない。その上、たとえ触れなくてもコラム・ソルの者たちは周囲にいる人間の表層にある明確な思考や感情を読みとることができるとしたら? 怖いと思わないか? そんな人間と共に生きることが、あなたにできるのか?」

「え……?」


 アレックスはこの一時間のうちに起きたことを思い返した。アルフォンソという長身の男の突然の哄笑。あれはもしかしたら自分の考えを読みとったからなのか……?


(あの時考えていたことって……)


「……それは……すまない。いや、確かに先ほどは君に対して失礼なことを考えていた、かもしれない」


 頬に血が昇っているのがわかったが、潔く頭を下げる。子供扱いをされて、この気位の高そうな少年は気を悪くしただろう、と。

 しかしサッタールはまた不思議そうな顔をした。珍しい物を発見したかのようにアレックスの赤くなった顔を見つめ、それからまるで笑いをこらえようとでもするように口がへの字に曲げられる。


「いいや。私たちの間では、口にしなかった言葉も綴られなかった文章も、存在しなかったことにするのが礼儀とされている。あなたに非はないし、アルフォンソが無礼だっただけだ。気にしないで欲しい」

「しかし……」

「私も気にしてはいない。確かに私はあなたよりも若輩だ。何らかの交渉相手とするには幼いと見るのが当然だろう。ただ、それでも私はここにコラム・ソルを代表して来ている」

「あ……ああ……」

「わかっただろう。私たちのことを心配するには及ばない。私たちは私たちの方法で島に帰る」

「……了解、した。だが私は君たちのことを軍に報告はしなくてはならない。そのことは了承してくれ。それから……」


 アレックスは踵を打ち付け直立不動の姿勢を取って敬礼した。


「トノンへの厚情に感謝を。もたらされた情報はただちにこの惑星の住民の安全確保に使わせていただきます。君たちの航海の安全を祈ります」


 サッタールは微笑んで両手を組むと優雅に礼をし、背を向けた。その姿が消えるまで、その場に残された者は誰も動かなかった。






「キャプテン、例の帆船が動き始めました」


 アレックスの携帯通信機にシムケットから連絡が入ったのは、それから半時間もたたないうちだった。


「どんな風に動いている?」

「それが……帆も張っていないのに風に向かってるんですよ。赤外線レーダーで見ましたが、いかなる種類のエンジンも動いていません」


 機関士である副官の声に微かな恐怖が入り交じっている。


「追いかけますか?」

「いや。恐らくは追いつけないだろう。放っておけ。それより私も艇に戻るが、ドクター・ワイマーはここに残る。基地に報告をしたら全速で戻るぞ」

「アイ・キャプテン」


 連絡を終えるとアレックスは島守とワイマーに向き直った。


「彗星の接近による被害については、すぐに対策を講じることになるでしょう。トノン島として必要なものはありますか?」

「私どもは水も食料も持っておりますし、コラム・ソルの若長が言われた通り、漁に出るのを控えるだけですが……」


 落ち着きを取り戻した島守はさらりと言ったが、天文学者の方は苦い顔を横に振った。


「万が一、隕石が天文台の望遠鏡を直撃しそうになったら、軍が打ち落とすという訳にはいかんかね?」

「それが容易ならやりますが、現実的ではありません。一般的に大気圏に入った隕石の落下速度は秒速一五キロメートルを越えます。迎撃ミサイルの倍の早さですよ。落下位置も軌道も速度もバラバラのものを打ち落とすのは、少なくとも私には自信がありません。天文台を囲むように全方位レーザー砲を置いて一日中エネルギー放射でもすればいいかもしれませんが、恐らく天文台は優先順位から外れるでしょう」

「では?」

「自然が相手では……祈ってください」


 ワイマーが口の中でブツブツと罵るのは聞かないことにして、アレックスは二人に別れを告げた。


 外に出るとまだ、激しい雨も風もやまない。

 その中を悠々と滑るように進む帆船が見えるような気がした。


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