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 サッタールは夢うつつの中にいた。海の中だったり、アマル・フィッダの湖だったり。あるいは押し寄せる群衆の中だったり。

 どの夢でも息苦しくて、なんとか新鮮な空気をと思うのに、なぜか手も足も動かない。


 パニックを起こしそうになっては、横腹を蹴られて目が覚める。そして自分の置かれた状況を再確認しては、また浅い眠りに入る。


 水を飲まされたあとは、また猿ぐつわがはめられていた。息苦しい夢はそのためだろう。繋がれた手首も足首も擦過傷になっていてじくじくと痛むが、それよりも無理矢理丸められた背骨が悲鳴をあげていた。

 もしコラム・ソルにいるならば、島の誰もがサッタールの苦痛を感じ取ってくれるだろう。だが、ここは精神感応力など持たない人々の島なのだ。どれほどの人口があっても、サッタールの叫びを聞ける人間はいない。


 また蹴られて、床に無様に転がったサッタールは、視界の隅に映るルキーノの靴を睨んだ。力を使ってこの男を操れないかと考えてみたが、他に十数人の仲間がいるらしい中でそんなことをしても、ルキーノが言うように諸共に殺されておしまいになる。

 アレックスに念話を送ろうにも、頭の中がぐるぐる回るばかりで集中できなかった。


「うるさいぞ。くそったれめ。少しはおとなしく寝やがれ」


 ルキーノがいまいましげに悪態をついて、サッタールの身体を起こした。吐き気がこみ上げたが、今戻したら本当に窒息しそうで何とか飲み下す。


「待っていても助けはこないぞ。軍と警察が港を必死で探しているらしいがな。けっ、海軍ってのは何でも海に逃げると思ってやがる」


 ということは、ここは港の近くではないのだろう。サッタールはうなだれたままその情報を冷静にインプットする。ルキーノは見た目では荒事をするような人間には見えない。褐色の短い髪に黒縁の眼鏡をかけて、ごく当たり前の服装をしていた。


(そりゃ、そうだな。一目で犯罪者だと思わせるような人間なら、セントラルに潜伏なんてできないだろう)


 だが顎を掴んだ手から流れ込んだその人物像は、サッタールの知らない種類のものだった。憎悪に溺れ、暴力に慣れ、復讐に燃えている。そんな人間はコラム・ソルにはいなかった。


(いや、父さんが死ぬ前はこんなだったな)


 嫌な記憶が蘇り、サッタールはルキーノの視線から逃れるように顔を背けた。同時に、父親を操ろうとした時の自分を思い出す。


(人間なんて、そう変わりはしない、か……)


 あの時の自分も憎しみでいっぱいだった。もしサハルやショーゴやアルフォンソがいなかったら。島人たちが見守ってくれなかったら。サッタールは他人を操って破滅させることに喜びすら見いだしたかもしれなかった。


(そうだ、ショーゴ……)


 セントラルに着いたのがもうずっと前のことのように感じていたが、ショーゴを入院させたのはほんの数日前のことだ。そして今日も会議の最中に思念で話した。


 大人しくなったサッタールを見て、ルキーノが側を離れる。


「腹が減ったな。朝になったらダニーロと交代して黒猫の店で何かつまむか……その前に薬漬けにしておきゃあ、こいつも数時間はおとなしいだろ」




 サッタールは目を瞑ったまま、その独り言をしっかりと記憶した。そして回らない頭でショーゴに呼びかけを始める。


『ショーゴ……ショーゴ。聞こえないか? ショーゴ、どこにいる?』


 思念を伸ばそうとする度に、冷たい壁に跳ね返されるような気がした。焦りでまた吐きそうになる。でも朝になったらまた薬を打たれてしまう。試すならば今しかなかった。


『ショーゴッ!』

『あいよー。おお、サッタール生きてたか、よかったっ!』


 何度目かの呼びかけに、不意にショーゴの声が脳に響いて、危うく叫ぶところだった。


『ショーゴ。こんな夜中にすまない……まだ夜中だよね?』

『夜中ってか、もう明け方だぜ。あーよかった。俺もおまえさんを探し回っていたんだ。ったくよー、俺はおまえみたく念話の達人じゃねえからな。時間かかってすまなかった。とにかく生きてて無事だな?』


 ショーゴの声がこんなに懐かしく思えたことはなかった。一度通じてしまえば、あとはそんなに苦労しなくても念話を操れるが、それも恐らくショーゴが慣れない力を最大限使ってくれているからだろう。


『無事とはいえないが。ショーゴ、なぜ私のことを知ってる?』

『さっき、っつっても一時間ぐらい前だな。アレックス・イルマが病院に乱入してきて、俺の病室で主治医とぺらぺらしゃべっていったからさ』

『アレックスが? なぜあんたのところに……彼はあんたの意識があることに気づいてないはずだが』

『どうもアルフォンソの奴に通信で連絡したらしいなー。俺のとこに行けって。あいつ今頃カンカンに怒ってるぜ』


 ショーゴはくすくすと笑ってから、思念の色を変えた。


『なに、あいつだっておまえが生きて帰ればそんなとやかく言わないさ。今、自分がどこにいるか分かるか?』

『分からない。薬を打たれて、今の今までどうしても心をコントロールできなかった』

『そっか。それでもなんとかイルマに接触できないか? あの男の話じゃあ、このまま音信不通だと、中央府はおまえが犯人側と通じていると判断して、一緒に始末しちまいかねないらしいぜ。海軍は乗り気じゃないらしいがな』


 そんなことになったら、ルキーノの思惑通りにコラム・ソルと中央府が全面的に対立することになる。その場合、島に勝ち目はない。

 サッタールは怒り狂ったアルフォンソを思い浮かべてみた。他人に見せかけているよりもずっと冷静な男だが、島が全滅の憂き目に合って平然としていられるとは思えない。


(ルキーノのようになってはダメだ)


『んー、誰だルキーノって?』

『あ、ごめん。ちょっとボーッとしていた。ショーゴ、あんたと繋がったままアレックスに接触してみる。もう少し……いてくれないか?』

『もちろん。それぐらいしか助けにならなくて悪いな。おまえがイルマに接触する間、おまえの心は俺が支えていてやる。がんばれ。そんでさっさとそんなとこから出ろよ』


 ショーゴは確かにサッタールほど優れた念話者ではない。でもショーゴから流れてくる力にサッタールの心は間違いなく軽くなった。


 先ほどまで壁に跳ね返されていたのが嘘のように、サッタールは思念の糸をするすると伸ばしていく。ルキーノの熱い泥のような思念には触れないように、夜明け前の闇に沈むセントラルの空に舞い上がった。

 見ているのは、実際のセントラルではない。第一サッタールはまだ、セントラルの街の半分も知らない。しかし思念を広げれば、どこかでやきもきしているだろうアレックスの思念を捕まえられるはずだ。





「ですからっ。接触できたのはほんのわずかな時間でっ。苦しいと助けてくれとしかっ」


 不意にアレックスの声が響いた。


「とにかく助けを求めているんです。我々にっ。それに応えるのが軍人だと、自分は思います」


 誰に向かって話しているのかと思ったら、繋がったままのショーゴにも聞こえたらしい。慌てて注釈が入る。


『ああ、あれ、嘘ついてんだよ。接触が何時間もないとまずいからってさー』

『では相手は元帥かマクガレイ少将か?』

『さあ、それはわかんねえ。俺、会ったこともないからな。でも嘘がバレる前に言ってやったほうがいいんじゃね?』


 アレックスの性格ではまことしやかに嘘をつくなんて無理だろう。サッタールはショーゴの力を借りて、アレックスの心に呼びかける。


『アレックス、アレックス・イルマ。私だ。サッタールだ』


 熱弁をふるっていたアレックスが急に黙り込んだ。心の中が混乱していろんな感情が次々に浮き上がってくる。


(あれ? 俺、それが本当だといいなと思うあまり、幻聴を聞いたのかな?)


『違う。アレックス。私だ。幻聴じゃない。聞こえているな?』


 アレックスは直立不動のまま固まって、何度も瞬きを繰り返した。



「どうした? 貴様の報告はもう終わりか?」


 マクガレイが不機嫌に言った。イルマの証言はどこからどう見ても偽証としか思えなかった。まあ、それで構わない。どうせ本人たちにしか分からない。確かめようもないことなのだから。こちらは証言があれば中央府を抑える材料になる。

 だが、この青年の力んだ顔を見ればどんな信じやすい人間でも騙されはしないだろうところが問題だった。


「わかった。もういい。議長にはちゃんと報告するから下がっておけ」


 元帥は仮眠を取っているが、ジャクソンと彼の部下はむろん、マクガレイ配下の中央方面隊所属の部下たちは、今も夜のセントラルを捜索中だ。自分は眠る訳にはいかなかった。

 イルマが抜け出したのも、その前にコラム・ソルに連絡を取ったのも報告は受けていたが、それには目を瞑り、密かに護衛もつけてやった。すると、この若い士官は真っ直ぐに病院へ向かい、半時間もしないうちにまたそこを飛び出して戻ってきた。


(そういえばショーゴ・クドーの意識は起きているかもしれんとトルネードの艦医が言っていたな……近いうちに主治医に意見を求めなくてはならんが……)


 考え込んでふと目を上げると、イルマはまだそこに突っ立っていて、しかも目が宙を泳いでいる。そのうちにぶつぶつと口の中で喋りだして、明らかに様子がおかしかった。


 マクガレイは執務に使っていたライティングデスクから立って、聞き耳を立てた。


「薬? 薬を盛られたのか? 麻薬か何か……ああ、それは多分筋肉弛緩剤のたぐいだ。下手をすると呼吸が止まるぞ。大丈夫か?」


 マクガレイの眉が跳ね上がる。急いで机上のメモをひっ掴んで、アレックスに押しつけた。


「今度は本物だな? 聞いたことを声に出して復唱しメモしろっ」


 マクガレイは一度だけ、サッタールの念話を聞いたことがあった。コラム・ソル訪問の際だ。そのときは挨拶程度だったから問題ないが、込み入った事情を心で伝えるには明確に言葉を浮かべなくてはならないと痛感していた。

 アレックスはきょとんと上官を見つめ、それから慌てて床にしゃがみ込み、メモを書き付ける。


「両手足を縛られて……地下室だな? 港の近くではないと……で、床はコンクリート。広さは君の部屋ぐらいか。犯人の名と顔や身体の特徴は?」


 集中しようとしているのだろう。アレックスはいったんペンを置いて自分の両耳を塞いだ。


「銀狐のルキーノ。銀狐は大叔父だった……褐色の短髪に黒縁眼鏡。年齢は三十代後半から四十代。……朝食に黒猫の店? よし、よく聞いてくれた。がんばったな、サッタール」


 代理でマクガレイがアレックスの呟きをメモにしていく。店の名を聞き取れたのは僥幸だった。夜明けまでもういくらもない。マクガレイは通信機を取り上げ、ジャクソンを呼びだした。


「私だ。セントラルの飲食店で朝からやってる黒猫という店を探せ。見つけるのは褐色の短髪、黒縁眼鏡のルキーノという名の男だ。年齢は三十から四十代。警察には私から連絡する。ルキーノの情報を依頼せねばならんからな。いや、まだ接触はするな。尾行して行き先を突き止めるんだ。地下室のある建物だ」


 通信を切ると、アレックスが床にへたりこんだままこちらを見上げていた。


「他に情報は?」


 アレックスは首を振って立ち上がり、マクガレイの目を真っ直ぐに見つめた。


「最初の私の報告は取り消します、マクガレイ少将」

「あんな戯言は最初から信じておらんから安心しろ」

「サッタールは最後に大切なことを告げました。彼は……私たちを、あなたや元帥を信じている。コラム・ソルを銀狐のようにさせてはならないし、そのつもりもない。救出を願うと」


 マクガレイは険しい顔で詰問する。


「貴様、議長の思惑を話したのか?」

「いえ。そんな時間はありませんでした。彼が銀狐と接触した結果導き出した答えかと思います。そして朝にはまた薬を使われそうなので、救出の際、自分は立つこともできないだろうとのことです。だから、全面的に私たちに任せる、と……」


 思いがけない言葉に、マクガレイは額に手を当てて唸った。


「信頼して任せるから結果を見せろということか。あの小僧っ子め。まあ銀狐が出てきたのは全面的にこちらの責任だ。応えてやらんとファルファーレ海軍の名が泣くな」


 にこりともしないで吐き捨てるように呟くと、厳しい態度のままアレックスに命じる。


「貴様は探索には加えてやらん。顔も知られている上、大根役者だ。が、突入には同行しろ。少年は誰よりも貴様を信じてるだろうからな。安心させてやれ。従って今からきっちり三時間、仮眠を命ずる。今度はこそこそ抜け出すなよ。コラム・ソルへの連絡も禁止だ」

「イエス・ダム」


 ぴしっと敬礼すると、アレックスは図々しくもそのままソファーに倒れこんだ。実は割れそうなほど頭が痛んでいたのだ。体温が伝わるほど間近での念話ではなんともなかったのに。


(俺はやっぱり精神感応者じゃないんだなぁ)


 がっかりするような安心したような奇妙な気分のまま、すーっと眠りに落ちた。


「貴様は子供かっ! 部屋で寝ろと言ったのだっ!」


 激怒したマクガレイの声も聞こえない。ただひたすらにサッタールの無事を祈っていた。






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