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最初の手がかりは警察からだった。下街のあちらこちらに設置された防犯カメラの一つが、襲撃犯の顔をはっきり撮していた。
「エンリコ・カロッソ。銀狐の一党です」
報告を受けたマクガレイは険しい顔をミュラーに向けた。
「お嬢さんが標的の一つでしたから、もしかしたらと思っていましたが」
「またか……」
ミュラーは沈痛に呟いて、マクガレイにうなずく。
「今、港の倉庫、町中の廃屋や使われていないビルの地下室を虱潰しに探索しています。通信はすべて傍受して解析していますが、時間がかかりますね。それから議長からメッセージです」
打ち出された紙を受け取ったミュラーは、ちらりと文面に目を走らせるとグシャっと丸めた。
「なんと言ってきたんですか?」
恐る恐る尋ねたアレックスに、元帥は噛みつくように答える。
「ミスター・ビッラウラを無事に救出できない場合は、襲撃犯もろとも殺せと。コラム・ソルには彼が銀狐に殺されたと伝えるつもりだろうが、そんなものが通用すると思っているあの男はとんだ間抜けだ」
「通じなければコラム・ソルごと押し潰すおつもりでしょう。議長は交渉が平和に成り立つならばそれを承認するでしょうが、この件でこじれるようならば宇宙軍の提案に乗る気ですね。特にコラム・ソルに海底資源があることを知ったのならば」
冷静にマクガレイが指摘し、元帥は鼻で笑った。
「宇宙軍野郎は戦争がどういうものか頭でしかわかっておらん。超常能力者全員の恨みを買ったら、ファルファーレが争乱の中に戻りかねんぞ。ミスター・ビッラウラは必ず無傷で取り戻す。海軍はそんな不毛な戦争をするつもりはない」
「もし、ミスター・ビッラウラが銀狐に心を寄せるようなことがあれば?」
「その可能性があると?」
「わかりません。あの少年は感情こそ豊かでしたが、その反面、年に似合わず自制心にも富んでいました。しかし元々持っていた中央府への不信感も強かった。それが増幅することは十分にあり得ます。他人の思考、感情を読めるならば、彼らにも一定の理解を示すかも。今もイルマに連絡をしてこないのですから、そう疑う要因はありますね。なにしろあの少年は惑星の反対側からでもイルマに話しかけられる能力を持っているはずですから」
ミュラーは配下の女性将校をしばらく見つめてから、アレックスを振り返った。
「イルマ?」
「……私にも、わかりません。ですが、最後に見たときは明らかに気を失っていました。まだ回復していないだけかもしれません。ただ……彼は他人の痛みにも人一倍敏感だと思います。だから不毛な戦争は望まないと、そう思っています。そして……こう言ってはなんですが、我々の戦いを回避したい気持ちも汲んでくれているような……」
「我々のと言うよりも貴様の、だろう。施政者が個人的な感情に左右されるか? 彼はコラム・ソルの代表者で、それを彼自身よく理解しているぞ。貴様と違ってな」
マクガレイの言うことはよくわかる。そして仮にサッタールが自分を信じてくれても、アレックスがちっぽけな力しか持たないことも、政治を左右するどころか命令に反することもできないと承知している。
「私は、彼からの連絡を待ちます」
もう時刻は日にちが変わって数時間たっている。連れ去られてからだと十二時間以上だ。サッタールがまだ意識不明のままなのかどうか。それが気がかりだった。
「自室におります。下がってもよろしいでしょうか?」
不服を露わに言うと、マクガレイがひらひらと手を振った。
ありがたくその場を退去し、アレックスはそのまま自室には戻らず、サッタールの部屋に入る。
これは明白な命令違反で、しかもそれはすぐに発覚するだろう。しかしアレックスはどうしても確かめないではいられなかった。
ポケットから私用の通信機を取り出し、しばらく迷った末に指がある番号を押す。時差はおよそ十二時間だから、あちらは今は昼過ぎのはずだった。
呼び出し音が数回鳴り、通話ボタンが点滅する。心臓が口から飛び出しそうなほど緊張しながら、アレックスは話しかけた。
「アロー。私はアレックス・イルマです」
通信機は数秒沈黙してから、突然男の声を響かせた。
「ガナールだ。サッタールに何かあったか?」
脳裏にコラム・ソルの長の顔を浮かべ、ほっと息をつく。ユイが出たらどうしようかと思っていたのだ。
「あなたでよかった。実はお聞きしたいことがあります。ミスター・ビッラウラは今ここにはいません。この通話も傍受され、すぐに切られるかもしれません。ですが、どうしても確かめたかった。ミスター・ビッラウラは本当に人の心を操れるのですか?」
しばらく間が空いた。ガナールの息づかいだけが聞こえる。
「できる。心を操るというより、その人間の意志に反して行動を起こさせることができる。だがあいつはその力は封印しているはずだ。誰かに危害が加えられない限り。少なくとも自分を守る為には使わない。それで答えになるか?」
ガナールはなぜ、どうしてそんな質問を、とは訊かなかった。時間が限られているのを察したのだろう。
「もう一つ。その力を使うと、彼は人事不詳になったりしますか? その場合、放っておいても回復しますか?」
「ああ……そうだな。もしあいつがそんなことをやらかしたのなら、しばらくは寝込むかもしれん。俺たちの力は常にその本人の状態、感情に左右される。使いたくない、使わないと決めた力を使ったら、それは大変な負担だ。心を押し潰すほどのな。まあ寝込んでもそのうちに目を覚ますだろ。蹴り飛ばしてやればもっと早く起きるぞ」
低く笑ったアルフォンソは、すぐに厳しい声に切り替えた。
「何があったかは本人から聞く。ここからでは俺はあんたの思念なんて読めないからな。ただ、アレックス・イルマ。あいつはあんたを信じていたぞ。あんたがいるそっちの世界を信じてみようとな。あいつは本人が思うほど強くはないが、見かけよりは頑固でしぶとい。信頼している人間の為なら無茶もやらかすぞ」
アレックスは息を飲んだ。サッタールの揺れる心を側で見ていたのは自分だ。マクガレイがなんと疑おうと。
「ありがとうございます」
「初めての通信があんたからだとはな。ユイが聞いたらむくれるだろう。それと……ショーゴはどうしている?」
「ミスター・クドーならセントラルの海軍病院にいます。まだ検査中で手術の日程が決まったとは聞いておりませんが」
「……もしサッタールがいないのなら、あんたがショーゴを見舞ってやってくれ」
「しかしミスター・クドーは意識を……」
「それでもだ、イルマ」
唐突に通信が切れる。アレックスは手の中の小さな機械を見つめてから、そっとポケットに戻した。
主のいないソファに座り、両手を組んで額に当てる。もしサッタールがまだ眠っているのなら、起こさねばならない。中央府が無情な決断を下す前に、なんとしてもあの少年を取り戻したかった。
「ミスター・クドーか……」
もう一人のコラム・ソルの人間。だが、彼はまだ意識不明のままだろう。今行ってみても、この時間では病院に迷惑なだけで何の役にもたたない。それはわかっている。
だが、アレックスはただ待つだけの時間に耐えられそうになかった。
自室に戻ると私服から制服に着替える。腰に拳銃だけ挿して足音を忍ばせて廊下を踏み、裏口から庭に出た。今、元帥邸は厳戒態勢のはずだ。それなのに人の気配がしなかった。
なにかおかしい、と思いつつ、堂々と正門から外に出た。道に何台かの車が止まっているが、中から誰も出てこない。顔を上げ、いかにも任務中の素振りでその脇を通り過ぎ、街路を曲がってから駆け出す。
空は厚い雲が垂れ込めて、月も星もないせいか、一定の間隔で足下を照らす街路灯の光がやけにまぶしく思えた。
(こそこそ動くってのは、こんな緊張するものなんだな)
まるで自分が犯罪者になったような気がした。いや、任務中に抜け出すなんて、敵前逃亡に等しい命令違反だ。今度こそ軍法会議が待っているかもしれない。
(まあ、そうなったらその時のことだ)
無職になる覚悟なんて二カ月前にもしたじゃないかと、自分を励ましつつ、アレックスは精一杯長い足を動かした。
海軍病院の警備員は、アレックスの制服と身分証で簡単に通してくれた。おりしも急患が入ったばかりのようで、深夜の病院は慌ただしい雰囲気の中にあった。
医師も看護師も咎めないのをいいことに、エレベーターを目指す。
しかしそこで思わぬ邪魔が入った。
「こんな非常識な時間に何の用ですか?」
エレベーターの中には、間の悪いことにショーゴの主治医が腕組みをして立っていた。
「ドクター・ライシガー。イルマ少尉です」
なんと言い訳をしようかと頭を働かせながら敬礼をすると、ライシガーは胡乱な目でアレックスを眺めた。
「ミスター・ビッラウラならともかく、君が来ねばならんような緊急事態でも発生したかね?」
「はい、いえ……ああ、答えはその……イエスです。ミスター・クドーに会えますか?」
「会っても何にもなりません。彼は君と話せはしないのだから。帰りなさい」
曖昧な返事が気に入らなかったか、ライシガーはエレベーターの操作盤の前から一歩も動かない。アレックスは医師の腕を掴んで言い募った。
「会うだけでいいんです。それにもしかしたらここにも襲撃があるかもしれませんし」
「襲撃? 誰の? いや、誰を狙って?」
「コラム・ソルを狙って」
ライシガーはギロリと大きな目で睨んでから、囁くような声で言った。
「どうしても通りたいなら私を脅しなさい、イルマ少尉。私は今、ミスター・クドーの主治医を降りる訳にはいかんのです。彼を守ると約束したので。……もし君にその覚悟があるのなら」
アレックスは二、三度瞬きをしてから、むっつりとした医師の顔を見下ろした。エレベーターには防犯用の監視カメラがある。無理矢理通ったというアリバイが必要なのだと思いついて、遅ればせに腰の拳銃を取り出し、医師の背に当てる。
「大事なことなんです。ミスター・クドーの病室に案内してください」
「ここは病院だぞっ。そんなものを振り回すとはっ」
「早くしてください」
ライシガーは渋々といった様子でクドーのいる特別病棟へのボタンを押し、少々大げさに両手を上げた。
二人とも無言のまま小さな機械音に耳を澄ませる。異常を知った警備員が駆けつけて来る様子はない。ドアが開くと、医師は怒ったような足取りで無人の廊下を進んでいく。
これで命令違反どころか本物の犯罪者だと破れかぶれな気分でその後について行きながらライシガーの顔を見下ろすと、口ひげがかすかに震えていた。
(笑いをこらえてるのか? まあ、俺の芝居なんて下手だろうからな)
アレックスには、誰が敵で誰が味方なのかの判断がつかない。海軍も元帥も信じてはいたが、中央府の決定が降りた時、元帥がどこまでサッタールとコラム・ソルの側に立てるのかまではわからない。
それでもこの医師が、少なくとも自分の患者を守るつもりでいてくれるならば、彼の芝居に乗らざるを得なかった。
ライシガーはショーゴの病室の前でいったん足を止め、ドアを強く叩いた。中で女の声がして、鍵がガチャリと開けられる。
「あら、ドクター。回診ですか?」
顔を出したのは若い看護師だった。
「タナラット看護師だ。ミスター・クドーの専属になってもらっている。こちらはイルマ少尉」
押し退けるように中に入ると、ライシガーはアレックスに看護師を紹介する。タナラットは丸っこい目をまん丸にしてから、人懐っこくにっこりと笑った。
「チュラポーンでいいですよ。タナラットなんて呼ぶのはドクターだけですから」
アレックスは戸惑って医師を見下ろす。まだ芝居が必要なのではないのか?
「この病室は監視カメラも盗聴器もついておらんよ。医療機器に影響すると言ってフロア全体から取り外させた。さて、タナラット。私は脅されて彼をここに案内してきたことになっているので、君もそのつもりでいてもらいたい」
あっけらかんと看護師にぶちまけると、医師は眉を寄せてアレックスの手の拳銃を見た。
「それをしまってもらえんかね? やはりいい気分ではないからな」
すみませんと拳銃をホルダーに戻し、どうしたものかと横たわっているクドーに顔を向ける。ガナールがわざわざ言及したのだから、なにか起こるのではないかと期待したが、患者はぴくりとも動く様子はなかった。
「襲撃と言ったね?」
ぼんやりと立っていると、ライシガーが尋ねてくる。この件は軍の機密なのは間違いないが、ここまでしてしまった後で理由を話さない訳にもいかなかった。
「いずれ公表されるかもしれませんが。当分は聞かなかったことにしてもらえますか?」
「患者とその周辺のことについて、医師も看護師も守秘義務がある。元帥が来ても議長が来ても、何のことかわかりませんぐらいに答えておこう」
ライシガーは口髭を引っ張りながら重々しく答え、チュラポーンはこくこくとうなずいている。
「実は、サッタール・ビッラウラが誘拐されました。現在海軍は警察と共同で行方を探しています。セントラルから出てはいないようなのですが。ミスター・ビッラウラは私に念話で連絡すると言い残したのに、いまだに接触はありません。軍は……いえ、中央府はミスター・ビッラウラとコラム・ソルの意図について疑念を持っているんです」
「疑念? 誘拐したのは誰かわかっているのかね?」
「銀狐です」
ライシガーは銀狐を知っているのだろう。うーんと唸って、手を髭から離し、腕を組んだ。
「コラム・ソルが反政府集団に取り込まれると?」
「ミスター・ビッラウラにはそんな意志はないと私は思っています。海軍もそうではあるまいと思いつつ、ですが……」
「私もそんなことはあるまいと思うがね。なにしろここにミスター・クドーを預けたままだからだ。ミスター・ビッラウラは友人の為にここまで来たのにあっさり宗旨替えするとは考えられん」
そうだった。それは説得材料の一つにならないだろうかと考えるアレックスに、ライシガーは呆れたように続けた。
「疑念の原因は、誘拐されたミスター・ビッラウラから連絡がないことなのだろう。それも念話の?」
「はい」
「今までミスター・ビッラウラが君以外の大陸の人間にそうした方法で接触したことはあるかね?」
「ない……と思います」
「ならば答えは簡単だ。君が嘘をつけばいい」
「はぁ?」
「だから。念話の内容なんて所詮その力を持たない我々にはわからんのだろう? 君がミスター・ビッラウラから接触があったが、閉じこめられていて場所も相手の正体も人数もわからない、助けてくれ、と言ってきたと証言すればよいではないか。実際のところは救出されないとわからんが、銀狐の人質の扱いがそんな好待遇とも思えん。少なくとも本当の接触があるまでは、それで時間稼ぎができるんじゃないかね」
唖然としてアレックスは謹厳そうな医師の顔を見つめた。
「もっとも君の芝居はたいそう下手だからな。警察の嘘発見器にかかれば疑われること請け合いだが、元帥は君のその証言を待っているんじゃないかね? あの人は嘘と承知でも都合がよければその線を守れると思うがね。マクガレイ大佐も堅物で有名だが、それぐらいの柔軟さは持っているだろう」
ライシガーはマクガレイの昇進を知らないのか、旧階級で話したが、アレックスは気づかないで目まぐるしく自分の役割を考え込んだ。
「あの……もしかしてミュラー元帥をよくご存じですか?」
「あの男は無茶をやってはしょっちゅうここに入院してきたのでな。彼の詩は君の芝居とどっこいどっこいの駄作だと思うが、バカではない」
ふん、と鼻を鳴らして、ライシガーはクドーを見下ろした。
「コラム・ソルに連絡は?」
「私が無断で取りました」
「そうか……なんとかあの少年を助けてやってもらいたいものだな」
それはアレックスに言ったのか、眠っているクドーに言ったのかわからなかったが、アレックスは構わずに勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます、ドクター・ライシガー。もし、私がここに来た件で咎められたら、ぜひ私に脅されて仕方なく案内したが、何もできずに去っていったとお答えください。ミズ・チュラポーンも」
「当然だ。なに、医師も看護師も小芝居には慣れているからな」
あくまでも重々しく言って、ライシガーは目でドアを示す。
「さあ、行きたまえ。もし君が罪に問われるようなら、適当に証言してやろう」
アレックスはもう一度頭を下げ、また夜の道に飛び出した。もし元帥とマクガレイが休んでいたら、たたき起こしてでも一世一代の芝居を打つつもりだった。