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 今日の交渉を切り上げたサッタールとアレックスは、ジャクソンの運転する車を見て驚いた。空のはずの後部座席にはちゃっかりイリーネが収まっていたからだ。


「あら、二人とも。そんな幽霊でも見たような顔をしなくてもいいじゃない」


 イリーネはすねたような口振りをしたが、すぐに笑顔を作った。


「お昼どきだと思って。ご一緒にランチでもしませんこと?」

「学校はどうなさったんですか?」


 アレックスはイリーネではなく澄ましてハンドルに手をかけたままのジャクソンを睨んだが、護衛の特殊戦闘隊長は知らん顔を決めていた。


「今日は午前までなのよ。ほら、遠来のお客様もいるし、セントラルまで来てどこにも行かないんじゃ可哀想でしょ? あなたに任せていたら家と会議の往復で終わるわよ」

「ご心配なく。午後は病院に行くつもりでしたし」

「ああ。あちらじゃ診られない重病の人ね? いいわ、わたくしもお見舞いしてあげる」


 どこまでも自分中心のお嬢様をどうしようかと困惑してそっとサッタールの顔をうかがうと、ついいましがたまで消沈していた少年が、あからさまに不機嫌そうな、でも面白がってもいるような顔をしていた。


「どうする? やっぱり邸に戻って……」

「いや。せっかくのイリーネ嬢のお誘いだから、断るのも失礼だろう」


 疲れているはずなのにという言葉はアレックスの口からは出なかった。確かに気張らしは必要だった。





 商業地区の入り口で車を止めると、ジャクソンは三人を降ろして去って行ってしまった。大男で迷彩服のジャクソンがいてはランチをするにも人目を引くという配慮だろう。

 当然のごとくどこからか護衛についているのはわかっていたが、それはまあいい。それよりもアレックスを悩ませたのは連れの二人だった。


「ねえ、シェルリの店で見たいものがあるのよ。三番街の」


 イリーネが腕を引く。


「なんですか、そのシェルリの店とは?」

「知らないの? 今一番流行ってるのに。襟にファーがついててすっごく可愛いの」

「残念ながら知りません。それにセントラルの気候でファーなんてつけてどうするんですか」

「まあ、何にもわかってないのね。気温がどうこうじゃないのよ」


 イリーネはにっこりとアレックスを見上げてくる。ブロンドの髪を複雑に編み込んで、ヒラヒラの白いブラウスに赤いスカート、キラキラした飾りがついた焦げ茶のジレを身につけた少女は、どこから見ても金持ちのお嬢さんだ。港湾労働者と小役人目当ての商店が並ぶこの界隈では目立つことこの上もない。


「最先端の場所なんて行かないんですよ。ただ息抜きできればいいんです」


 頭を抱えたい気分で答えると、イリーネは眉をきゅっと寄せてアレックスではなくサッタールを睨んだ。


「そりゃあ、漁民の王子様ならこういう猥雑なところがお似合いかもしれないわね」

「お嬢さん。ミスター・ビッラウラは中央府への使者で元帥閣下の賓客です。仲良くしていただけないのなら、どこかにジャクソンがいるでしょうから、お邸に送ってもらいますよ」


 しかし無言でいるサッタールによけいに腹を立てたのか、イリーネは人並みでいっぱいな通路の真ん中に立ち止まって、指を突き立てた。


「何か言いなさいよっ。わたくしが気に入らないのなら、イルマに言わせずに自分で言ったらどうなの、卑怯者ね」


 いわれのない非難に、サッタールの青灰色の目が挑戦的にイリーネをとらえる。


「これは、イリーネ嬢。あなたがここにおいでだとは今の今まで気づきませんでした。申し訳ない。なにしろ私は無知無学の若輩者なので、潮騒に負けずにけたたましく鳴く鴎でも飛んでいるのかと」

「なんですってっ!?」

「礼儀知らずの田舎者ですから、ご無礼がありましたらご容赦を。なにしろ今までは、穏やかで優しい花のように可憐な島の娘たちしか知らなかったので。都会風のお嬢様は私には荷が重いようです。ですがどうかイルマ少尉に当たるのはやめていただきたい。私は地位をかさにきるのはもちろん、その尾っぽにくっついて威張る人間はなおさら好きではありません。あなたがそうだとは言いませんが」

「はあぁっ! な、なんですってっ!」


 流れるように丁寧に罵倒するサッタールに、アレックスの頭はますます痛んだ。子供の喧嘩かと言いかけて、そういえばイリーネはむろん、サッタールもまだ子供なのだと思い直す。


(とにかく往来の真ん中で言い争うのはやめてくれ)


 サッタールはシャツにズボンとジャケットという、こちらでは普通の格好をしていたが、よくよく見ればその瞳の光や立ち居振る舞いはやはりどこか異質で、庶民の群からははみ出ている。


(根っからの庶民は俺だけか)


 襲撃でもされない限りジャクソンは姿を見せないだろうから、自分が何とかするしかない。アレックスは挫けそうな自分を励ましながら、二人の間に強引に割って入った。


「とにかく。ランチにしましょう。ここで言い争っても邪魔です」


 イリーネが気に入ろうと気にいるまいと、アレックスはそそくさと二人の腕を掴むようにして目の前のカフェに飛び込んだ。




「まあ、こういう気楽な店もたまには悪くないわね」


 取るものも取りあえず席に落ち着くと、イリーネは特大のパフェに機嫌を直したようだった。アレックスは黙ってサンドウィッチにフルーツジュースを飲んでいるサッタールに向き直る。


「で、えーと。せっかくだから買い物したほうがいいかな? ごめん、本当言うと私もそれほどこの街には詳しくないんだ」

「特に買いたいものはないな。というよりも、生まれてこのかた買い物というものをしたことがないから、商品のだいたいの相場もわからない」


 ちらりと店のメニューに目を遣って、そこに並ぶ値段を示す。


「このジュースが三百ダラというのは妥当なのか?」

「ああ、そうか。そうだったね。うん、そんなものだと思うよ」


 答えながら、そういえばコラム・ソルには貨幣経済すら存在しないことを遅ればせながら思い出す。共同作業と物々交換の社会。それはあの規模の人口と特殊な生産体制だから成り立つのだろうが、サッタールが貨幣の概念こそ知ってはいても使ったことがない事実をすっかり失念していた。


「ええ? あなたお金使ったことないって……そりゃぁID払いもできるけど。細々したお店だと今でもお金を使うでしょ? それともチョコレート一つ買うのもおつきの召使いにさせていたの?」


 イリーネが口を挟む。サッタールはどう答えたものかと一瞬逡巡してから、丁寧に答えた。


「いや。私の生まれ育った場所には、そもそも商店というものがなかった。島民が、それぞれの技量で生産したものは、必要に応じて誰もが使っていいことになっている。そうだな……大きな家族のようなものだな」

「……よくわからないけど。それだと、一つしかないものはどうするの? 全員で分かちあうなんてできないでしょ? それに他の娘よりも綺麗に着飾りたい時に困るじゃないの」

「一つしかないならば、それを一番必要としている者に渡す。着飾りたいときは……普通は自分で作るな。各家に伝えられている紋章をデザインして刺繍をする娘は多いと思う」

「何か、すっごく古代なのねっ!」


 言葉は失礼だが本人に悪気がないらしいと見て取って、サッタールは困り顔のままのアレックスにうなずいてみせた。


「そうだな。とりあえずショーゴが目覚めたときに着る物と後は彼が喜びそうな電子機器……持ち歩ける小型のコンピュータを買いたい。資金は足りるだろうか?」

「了解。資金というか、ジョットさんに頼んで君の砂金を銀行に預けてもらったから、支払いはお嬢さんが言っていたIDでもできるよ。計算では君が一年豪遊しても十分なほどあったから、小型のコンピュータぐらいなら何百と買える」

「そうか。それはよかった」


 微笑むサッタールとアレックスを交互に見てから、イリーネは口に入れたアイスクリームを飲み込んだ。


「ねえ、そのショーゴっていう人の服、わたくしが見立ててあげてもよろしくってよ? 最先端で揃えてあげるわ」


 最先端の、しかも男性の服装というのがさっぱり想像もつかなかったが、サッタールはイリーネの寛大な申し出に頭を下げた。


「よろしくお願いする」


 たぶん、ショーゴならどんな奇抜な格好でもあまり気にしないような気がした。





 街はどこに行っても人でいっぱいだった。サッタールは港に集まった群衆を見たときの驚きがすぐに薄れて行くのを感じていた。島で心配していた群衆の思念の波も、慣れてしまえばそう気にならない。九割以上の人間は、店で買い物をする自分たちに注意を払わない。皆、自分たちのことで頭がいっぱいなのだ。


 ときおりイリーネに関心を向ける男たちもいたが、それはごくプライベートなもので、連れのアレックスを見ると誰もがすっと思念をそらす。

 細身で柔和な表情のおかげで軍人であることを忘れがちだが、多くの人の中にいれば、アレックスは身長も高く、よく鍛えられた体をしている。


(私ももう少し身長が欲しいな)


 珍しく年頃の少年らしいことを考えた瞬間。刺すような思念を感じた。首の後ろの産毛が一斉に逆立つ。


(何だ? いや、誰だ?)


 すぐに振り向きたいのを堪えて、イリーネがあれこれ言ってくるのに笑顔で答えながら、そっとその思念の糸を探った。


『見つけた。ヴィンツの孫娘とコラム・ソルのガキだ』


 その思念に憎悪の混ざった熱を感じる。誰かと会話しているらしいが、その相手の思念は掴めない。


(誰かと通信しているのか?)


『護衛についてるのは一人だ……いや、他には見えない……そうだないないはずはない……仕掛けてあぶり出すか』


 狙われているのが自分たちだと悟ったとたんに、恐怖が心臓の鼓動を早鐘のように打ち鳴らした。見知らぬ街。大勢の顔のない群衆の無秩序なざわめき。何かあった時、自分はこの群衆を押さえられるだろうか?


(狙われているのは私か、イリーネ嬢か?)


 自分が悪意を持って迎えられることは想定していたはずだった。もしかしたら命の危険があるかもしれないと。だがイリーネが狙われる理由はわからない。金持ちのお嬢さんだからというだけにしてはヴィンツの孫という言葉が引っかかる。


「どうした?」


 アレックスの心配そうな目が見下ろしていた。イリーネは往来にまで広げられた彩り鮮やかな雑貨を見ている。


「アレックス。イリーネ嬢から目を離さないで。誰かが私たちに危害を加えようとしている」


 暢気で間が抜けて見えてもアレックスは軍人だった。問い返すよりも先にイリーネのすぐそばに立ち、さりげなくポケットに手を突っ込んだ。


「ねえ、これっ。可愛いじゃない? ほら海鷲の指輪なんていかにもよ」


 何も気づいていないイリーネが振り返った刹那。サッタールの脳に警鐘が響いた。


『よし、やれ』


 誰かが命じている。

 とっさにイリーネの腕を掴んで店の奥へ無理矢理駆け込む。

 後ろで大きな物音がした。アレックスが狭い通路で男を投げ飛ばしていた。


「そこにいろっ。すぐにジャクソンが来る」


 珍しく大声で怒鳴ったアレックスが、跳ね起きて逃げようとした男の足を蹴りあげる。

 興奮。怒り。痛み。恐怖。興奮、興奮、興奮。

 一斉に周囲の思念がサッタールをとらえ、目の前が白くなる。


「どうしたの? ねえ、ちょっとっ!」


 耳元で少女が叫んでいた。首を回すと、青ざめたイリーネの顔が間近にあった。


「大丈夫だ」


 腕を掴んだままだったイリーネから、凍りつくほどの怯えと燃えるような怒りが流れ込んでくる。

 ――怖い、コワイ、恐いよ、あいつらをやっつけて、イヤ、嫌――――!


「大丈夫」


 イリーネの感情に飲み込まれないよう息を吐いてもう一度答え、サッタールは男を地面に組み伏せたアレックスを見守った。


(おかしい。あの声の様子ならあんな弱い男一人のはずがない)


 通りの注目はアレックスに集中していた。なんとかもう一度あの声の思念を捉えられないか、と目を瞑る。

 瞬間。イリーネの腕を掴んでいた手がもぎ離される。甲高い悲鳴が上がった。


「イリーネッ!」


 叫んだ時にはもう、イリーネの身体は店の奥から出てきた男に抱えあげられていた。とっさに腰に手をやったが、短剣は邸に置いてきている。

 追いすがろうと伸ばした手が、別の覆面の男に捕らえられ、そのまま後ろ手に捻りあげられる。

 アレックスが振り返り、拳銃を構える。


「動くなっ。二人を放せっ」


 しかし更に数人がアレックスを取り囲んでいた。サッタールの視界に、人混みの中をかき分けてくるジャクソンの姿が映ったが、人質がいては容易に手は出せないだろうと悟る。


「私に用があるならついて行ってやる。だがお嬢さんは放せ」


 捻られた肩の痛みに歯を食いしばって怒鳴ると、背中で笑い声があがる。あの思念と同じ声だった。


「それはあんたが自由の身でいる間に言う台詞だ。せっかく捕らえたのに何で放すと思うんだ?」


 視線を先に向けると、アレックスが為す術もなく手をあげていた。守るべき者が二人捕らえられては、発砲などできる訳がない。そしてイリーネを抱えた男がどんどん遠ざかっていく。少女の悲鳴が心に突き刺さる。

 迷ったのは一瞬だった。


『アレックス。聞こえるか? 私がイリーネ嬢を抱いている男を倒す。そうしたら何としても彼女を守るんだ』


 アレックスの視線が驚きをもってこちらに向けられる。

 サッタールはもう一度イリーネを抱えた男を睨んだ。その後ろ姿を視線で突き刺すように、自分の思念を伸ばす。


『その手を放せ。彼女を地面に降ろして下がれ』


 背中を押された。一歩、二歩と歩かされる。肩の骨が抜けてしまいそうな痛みに、心を乱されまいとイリーネの姿にだけ思念を集中させる。


『止まれ――っ』


 男が不意に足を止めた。驚きと困惑に首を振っている。


『彼女を降ろせ』


 しかし男はすぐにまた足を出そうとした。サッタールの脳が燃えるように熱くなり、肩の痛みも自分を捕らえる手も忘れた。


『降ろして下がれっ!』


 男がぎこちない動作でイリーネの身体を地面に落とした。刹那、人の間から飛び出したジャクソンが片腕でイリーネを抱きとめる。


 アレックスはジャクソンを認めると、イリーネには向かわずサッタールに突進した。


「サッタールッ!」


 その叫びを耳にした次の瞬間、ガクッと膝から力が抜けた。サッタールの意識がゆっくりと闇に落ちていく。


『大丈夫だ……意識が……戻ったら……声を届け……』


 アレックスの耳元に少年の囁くような声がした。


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