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中央府との交渉はパーティーの翌々日から始まった。
当面は細部を事務方の官僚と詰めるということで多忙な議長は出席しない。パフォーマンスのできる調印のときだけ出てくる、ということらしかった。
しかしコラム・ソルの代表はサッタール一人で事務方もなにもないから、中央府に設けられたカンファレンスルームに缶詰状態になる。
アレックスも、役に立つか立たないかは別としてオブザーバーとして会議に同行するが、ジャクソンは行き帰りを除いては別の任務があるのか姿を見せない。
「人口七百……ということは小さな村レベルですが、行政機関はどうなってるんですか? コラム・ソルの税収と主要産業の規模は?」
行政機関と問われても、実質ないに等しい。全体に関わることは、集会で話し合って長が最終決定するだけだ。むろん税もないし、産業といっても……。
「個人が富を蓄積できるような環境にはありません。それぞれの能力、技量で生産された物はいったん倉庫に納められた後に等しく住民全員で享受するもので、従ってそれらが税といえば税ですし、産業といっても個々の生活を成り立たせる為のもので、どこかと商取引もしませんし」
「原始共産性ですな」
「そうも言えるでしょうね」
事務方の担当者は困惑して互いに顔を見合わせた。いったいこんな集団とまともな交渉ができるのだろうかという疑念が会議室に満ち満ちている。
「突出した能力の持ち主が圧倒的な生産性を持っていても、それは全体に還元されるだけだと? いわゆる支配層がいると聞いていましたが。あなたのように」
「支配層と言えるかどうか。能力に秀でた者が尊敬を集め長に選出されます。それがある一定の家に偏れば、必然的にその家、その血筋は重んじられます。私もそういう家の出身ですし、一度は長の地位におりました。ただ長は全体の奉仕者であって、支配するという概念は薄いだろうと思っています。連合中央府に加わるのに、コラム・ソルのあり方が問題になると? あなた方の憲章で謳う自由も公正さも侵してはいないと考えますが?」
「……民主的に選出された行政の長と議会の設置が必要なのですが」
「なるほど。では、長の選出が選挙で、議会は集会ということで問題ないですね?」
どう答えたものかと迷った末、この問題は先送りすることにしたらしい担当者は話題を変えた。
「発電所再建の援助を、という話ですが。予算はどのぐらいに見積もっておいでで……」
「わかりません」
「わからない?」
「こちらの相場がわからないので。そもそも貨幣を持っておりませんし」
担当者は頭を抱え、うめくように尋ねた。
「地熱発電だとか?」
「地下約十五キロの深さに穴を掘り、マグマ溜まりから得た熱を利用して発電していますが、この三十年ほどは地下にある熱交換のためのパイプも保守が十分ではありませんし、発電のタービンに至っては三百年前のものを直し直し使っていました。今、早急に修理をしたいのはタービンの方です」
「……話を整理したいのですが。あなた方はどうやって修理をしてきたのですか? 外との交流がいっさいないなら部品はどうやって? それにパイプ類だってまさか三百年ものあいだ同じ物を使っていた訳ではないでしょう?」
サッタールは、海軍病院のベッドにいるショーゴに思念で呼びかける。
『ショーゴ。すまないが、起きてるか?』
すぐに馴染みのある思念が返ってきた。が、その思念はどことなく弾んでいる。
『なんだよ、サッタール。今、いいとこなんだよ』
『いいとこって? 検査中なら後にするが』
『いやいや。俺専任の可愛い看護師のお姉ちゃんがさ。体拭いてくれてる最中』
『……ちょっと聞くが、なんで可愛いとわかるんだ? 清拭だって必要な処置だろうけど、あんた、もしかして視力が戻ったのか?』
『あっはは。そうじゃねえよ。相変わらずだ。だけどこの看護師の姉ちゃん、チュラポーンっていうんだけど、俺が無反応だろうがなんだろうが構わすにぺらぺら喋るわ、歌うわ。可愛いんだよ。仕事は丁寧みたいだけどなー』
『……行ったら私も挨拶しておこう。それより聞きたいんだが、すぐにも修理したいのはタービンの方だな? 故障個所はわかるか? それともこっちの技術で新設したとして私たちで管理できると思うか? パイプの方はどうなんだ?』
ショーゴの思念から陽気さが薄れ、仕事モードに切り替わる。
『タービンははっきり言って超年代物だから、部品をあれに合わせて作るよりも新設した方が早い、と思う。ただしそれだと完全に電子制御されたものになるだろうな。その方が俺がいなくても訓練を積んだ者が当たれるからいいかもしれん。人が育てばだけどね。じゃなきゃ中央のエンジニアに常駐してもらうことになりかねない。こっちが構わないとしてもあちらはどうかな? 俺が戻れれば、その間にユイをこちらで研修させられるだろうが、あいつはまだ子供だ。そしてその後が今のところない』
『わかった。だが能力で制御し続けていくのは難しいと私は思う。それはアルフォンソも理解しているだろう。私たちはあまりにも数が少ない。最終的に島を開くか捨てるかの選択になるなら、外の人間が常駐できる体制を作ろう』
『任せるよ。島を捨てることは、少なくとも俺は考えてない。おまえが俺たちの島を開いて存続させるっつーなら、俺は賛成だ』
『うん』
これだけの会話をほんの数秒で済ませたサッタールは、じっとこちらをうかがっている担当者に目を向けた。
「正直に言えば、補修も制御も、それに適した能力の持ち主が携わってきました。この能力とは、あなた方の言う特異能力です。私自身がその持ち主ではないので、どのようにという説明はしがたいのですが。物質の状態を走査し、場合によってはその性質を変えたり、電子の流れから直接その情報を読みとりコントロールする力です」
ウソだろ? という思念が壁に反射するほどの勢いで放出される。官僚たちは、それを口には出さなかったが、ありありと懐疑的な顔をした。
「ただ、それらの力を持つ者は減って、今はいません。ですから、少なくともタービンについては新設が必要だと思います。確か三十万キロワットの出力があると思いました」
「人口七百の島にそれほどの大容量の電力が必要でしょうか?」
「海底鉱山からの採掘と精錬。それに手工業では非効率に過ぎるものの生産工場があります。主に繊維と製紙ですね。他の、原子力はもとより化石燃料もないのですから」
さらりと言われた言葉に、全員がうーんと押し黙る。
「それらの経費を……中央府からの丸々援助でとお考えですか? それとも借款で?」
莫大な経費をどう考えているんだという心の声が聞こえる。なんという非効率なことだと。中央府の財源をただでかすめ取ろうというのか。たかが数百人なら移住させた方がずっと安いじゃないか。
一方で、投資に見合う利益が得られなくても、発電所建設の利得があるかもしれないと計算する者もいた。
サッタールは薄く微笑んで、様々な思惑の役人たちを眺める。
「発電機の分は即金で支払いましょう。その後の運営費、こちら側の人材育成費などは借款で」
また沈黙がおりる。人口七百の弧絶した島のくせに即金とは! 価値基準が違いすぎて自分が何を言っているのかわからないのか? この少年は気が狂っているのか。それとも、まさか精神操作とやらで丸め込むつもりか?
不信と警戒をもはや隠そうともしない相手に、サッタールは再び微笑んだ。
「この三百年、生活に必要な鉄や銅などを掘り出してきましたが、あまり必要性がないからと貯まる一方だった資源があります。金です」
「……金? 金が採れるのですか?」
「他にも、高度に発達したこちらの社会には必要とされる鉱物、いわゆるレアメタルもですね。それらは私たちの生活では必要なかったものです。支払いはそれらでいたしましょう。後は魚と果物しか採れない貧しい島ですが」
「そ、その採掘場は……いったいどこに? 公海上ならばそれは中央府の……」
「経済水域というものが認められていると思いますが。コラム・ソル沿岸から約十キロ以内です」
サッタールはどこでこんな知識を仕入れたのだろうかと、壁際にひっそりと座ってアレックスは首を傾げた。脳裏にあの年代物のコンピューターと通信機を思い浮かべる。情報収集はしていたと聞いたが、あれだけで、しかも確固たる教育制度もなさそうで、とりあえずはその必要性もない島で、中央の制度や法律を学べるものなのだろうか。
答える言葉は一つ一つ的確だが、問われて答えるまでほんの少し間が空くのは、必死で知恵を絞っているからだろうか。
ふと交渉に当たる少年の顔を見遣ると、その額にうっすらと汗が浮かんでいた。相当な緊張の中にいるのだろうと同情しかけて、はっと思いつく。
(もしかして、彼は目の前の役人から情報を得ているのか?)
官僚たちは、経済、法務、技術のエキスパートだ。彼らもサッタールが思念を読むことは聞いているだろうが、それほど警戒した様子はない。そして話し合うに当たっては、それぞれ話題に関する事柄を頭に思い浮かべているだろう。そうでなくては、人間は話し合いなどできないのだから。
もしかしたらサッタールは表層の思念だけではなく、必要な知識そのものも彼らの脳から引っ張り出しているのかもしれない。たとえばわからない言葉をコンピュータの検索にかけるように。
(だとしても俺がとやかく言うことでもないけど)
そういえばトルネード号に乗っている時、マクガレイも航海長もサッタールをブリッジにはもちろん、機関部にも武器関係の部署にも案内するなと命じていた。もし案内中にサッタールに何かを問われたら、一般人に答えられる部分をより分けて返答したとしても、その過程では脳内では機密の部分も考えてしまう。だから初めからそんな場面を作らないようにしていたのだ。
アレックスは初めてサッタールの持つ能力に戦慄を覚えた。
しかし少年の痩せた頬には疲労の影が漂っている。
(それをするのにどれほどの力を振り絞っているのか?)
必死ならば、悪用しないのならば、見逃していいのだろうかという軍人としての感覚と、サッタールの疲労を思い遣る感情が葛藤する。
「とにかくも、概算を出すためにも調査隊を出さねばなりません。それと資源についてもお話だけではなんとも」
「当然でしょうね。調査から概算を出し、資材の調達、運搬、技術者と作業員の確保、それから発電機の設置までのタイムスケジュールはどのぐらいになるでしょうか? 私たちは必要ならば待てます。しかし何年もという訳にはいきません。もし私がこの交渉に失敗した場合、次善の対策を考えねばなりません」
「それは……少しお時間いただきませんと」
対する経済官僚の一人が酸っぱい物を口に入れてしまったような顔で腕を組んだ。
ちょうどいいと見極めて、アレックスが後ろから手を挙げる。
「では今日はここまでということにしませんか? ミスター・ビッラウラもセントラルに着いて間もないですし、皆さんも協議がおありでしょう?」
サッタールが驚いたようにアレックスの視線をとらえ、すぐに睫を伏せてうなずく。
「そうですね。私も少し性急に話を進めようとしたかもしれない。申し訳ない」
「あ、いや。我々もこうした案件を取り扱うのは慣れていますので。次回にはもう少し具体的な数字を交えてお話ししましょう」
取りなすように笑顔を浮かべたのは法務専門の役人だった。それを潮におのおの資料を小脇に抱えて席を立つ。サッタールもアレックスに従うように一礼して会議室を出た。
「私は……あなたの不信を買ってしまっただろうか?」
ぽつんとサッタールが呟いたのは、中央府の建物を出てからだった。すぐにジャクソンが車を回してくる。それまでのほんの僅かな時間。
「いいや。そんなことはない」
海千山千の官僚相手に、少年は持てる武器で戦っていただけだ。多少のハンディはいいのではないかだろうか。
「君が実際に何をしたのか、俺にはわからないからね。ただ、やりすぎには注意した方がいいと思う。彼らは何も気づかなかったかもしれないけど、長く交渉すれば誰かが必ず気づく。多分、悪意を持って見る人間の方が早く」
「忠告は胸に置いておく」
サッタールは素っ気なく答えたが、アレックスと視線を合わせようとはしなかった。それが少年の後ろめたさを感じさせる。
「今日中に君の部屋に小型コンピュータを入れよう。それでこちらの事情の少なくとも表面は学べるはずだ。あと、海軍の資料室の閲覧許可も取っておこう。君には君の戦い方があるだろうけど、表面上のアリバイはあった方がいい」
サッタールは顔を上げたが、ジャクソンの車が視界に入るとすぐに視線をそらして役所を取り囲む林に目を向けた。
その向こうには全てに繋がる海が見えた。