20
「ホッとされましたか、元帥」
固唾を飲んでこの一幕を見ていたマクガレイが、小さく囁いた。
「ああ。ホッともしたし、感心もした。あの少年は見かけは細っこくて綺麗なばかりだが、なかなかしたたかだな」
「そうですね。議長の思惑を見抜いたのは当然としても、受け取った上で、まさか個人的に贈り物を、しかも勲章と等価と思わせるようなものを差し出すとは。驚きました」
「銀狐の時は床に投げ捨てられたが、今度の海鷲は波頭を越えて飛んで行きそうだ」
中央府は惑星ファルファーレの支配者だ。だが、その施政にまつろわぬ者はいる。
大陸間戦争が終結した後も連合に加わらなかった北の覇者がいた。通称銀狐という。氷の山脈と氷の海に阻まれてブリージョ大陸陸軍も手を出しかねていたその一族に、二十五年前、当時の中央府議長は和解の呼びかけを行い、セントラルに呼び寄せたのだ。まるで今回のコラム・ソルと同じように。
そして交渉の結果、大陸政府と同等の、外宇宙に関する政策以外の大幅な自治権を与える代わりに、恒久の平和が訪れるはずだった。
状況を一変させてしまったのは、今回と同じ議長が授けようとした勲章だ。銀狐はそれを見た瞬間に鷲掴みにして床に叩きつけ、憤然とセントラルから立ち去ったのだ。銀狐は対等の同盟を結んだつもりだったのだろう。
国家の権威を公然と踏みにじられた中央府も激怒し、陸、海軍共同の大がかりな作戦が敢行されたのは、それから三ヶ月後。壮年のミュラーは、厚い氷の下を潜航した潜水艦から対地核ミサイルで北の大地を攻撃し、銀狐の一族はわずか三日で壊滅した。
ミュラーにとっては忘れることの許されない記憶であった。
「今度は、あのような惨劇を起こしてはならん。それが宇宙野郎にはわかってないがね」
ミュラーの苦々しい口調の底にある思いを、マクガレイは推察してうなずいた。
パーティーは儀式の部分を終え、歓談の時間に移っていた。
最初のうちはサッタールを遠巻きにしていた人々も、好奇心の強い一人が話しかけると、次々と声をかけ始め、そこに人の輪ができていた。
「やれやれ。俺の出る幕は全然ないな」
この中では地位も身分も吹け飛ぶようなアレックスは、手持ちぶさたに壁にはりつき、ちゃんと護衛の役を与えられているジャクソンにぼやいては仕事の邪魔をしていた。
「仕方ないでしょう。あなたが政府要人の顔と名をちゃんと覚えていないのが悪い」
口に衣着せるつもりがないジャクソンは、そんなアレックスを一刀両断にする。
「本来ならば、あなたは彼の側について、各人を紹介しなくてはならなかったはずです。それなのに」
「あー、俺だって事前に名簿を渡されていたら予習しておいたさ。だけど全員燕尾服なんか着てると、いつもと違って見えるんだよ」
「問題外です」
最初はちゃんとサッタールの後ろに控えていたのだ。しかし、まず、与党党首とブル大陸首相を取り間違えて紹介してしまったところで思い切りつまづいた。見るからにあたふたしたアレックスを見て、マクガレイが笑顔の裏に噛みつきそうなほどの怒気を潜めてやってきて、さっさとアレックスをお役御免にしたのだ。
一応軍人らしく直立不動の姿勢を取ってはいるものの、内心は床に寝そべってしまいたいぐらいにやさぐれている。
「元帥もマクガレイ少将も、全面的に彼を支援する心づもりのようですね」
そんなアレックスの内心を知った上で完全に無視したジャクソンは、無表情に視線だけで会場の人の流れを観察していた。
「ラ・ポルト大陸将もミュラー元帥に同調されるでしょう。他に誰と誰が海軍側で、誰が宙軍側か。あるいは議長のように別の思惑を持っているか。マクガレイ少将が彼に付きっきりなのですから、代わりに少しは働いたら如何です、イルマ少尉。出世のチャンスですよ」
「俺にあの中に入って社交しろと?」
「じゃなきゃ、何のためにここにいるんです? 甲板磨きしようにも、艦の上じゃありませんよ」
アレックスは、唇を不機嫌に結んでじろりとジャクソンを睨んだ。
「サッタールが気に入らないんじゃなかったのか?」
「あなたのように個人的感情で任務についてはいません。彼と彼らを敵とするか否かは国家の判断です。元帥がコラム・ソルを敵に追いやらない為に動いているというのなら、私もそれに従います。個人的には生意気でムカつくガキだと思っていますが」
一番子供なのはおまえだと言われた気がして、アレックスは拳を握りしめた。
(俺がしたいこと、やらなきゃならないことか)
きらびやかな中に入るのは確かに苦手だ。だが情報を交換する相手は何も要人じゃなくてもいい。お偉いさんについてきている秘書や副官はアレックスと歳も立場もそうは変わらない。
ぼやくのをやめて、物色する目で会場を見回して、ふと議長が派手なパフォーマンスをするでもなく片隅に立っているのに気づいた。その横でサムソン大宙将が熱心に話している。
(何を話しているんだ?)
その話に割って入るには地位が低すぎるが、宙軍の若い士官相手なら構わないはず。秘書からちらりと見せられた名簿を頼りに、アレックスはジャクソンの存在を忘れて、人の波の間に入っていった。
「おい、アレックス・イルマ。久しぶりだな」
目指す相手は、向こうから声をかけてきた。士官学校の同期、北のブリージョ大陸の名門、成績優秀で競争率の高い宇宙軍からスカウト同然で入隊した男だ。
「エステルハージ! よかった、ここで会えて」
思っていたことが素直に口に出てしまい、アレックスはいささか狼狽えて手を差し出した。
士官学校時代、庶民出身で成績も言動も目立たなかったアレックスと比べて、エステルハージは常に生徒からも教師かも注目の的だった。小柄ではあったけど運動能力は高く、赤毛の下の頭脳はエリートの集まる士官学校でもずば抜けていた。
だからまさか自分の顔と名前を覚えているはずがないと思っていたのだ。
「はは。なんだ、そんなに僕に会いたかったのか? 何のために?」
「えっ、いや。名簿を見たら君の名前があって。懐かしいなと」
「名簿でね」
エステルハージは差し出された手を軽く握ってから、左手のグラスに目を遣った。
「君は飲まないのか?」
「うん。いや、そうだな。炭酸水を」
「お互い任務中だからな」
さらりと言って、気泡のたつグラスを取ってやり、エステルハージは値踏みをする目つきでアレックスを上から下まで眺めた。
「僕の方こそ、君を探していたんだぞ。今注目の彼の世話係なんだろ? 特異能力者とのつきあい方をご教授願おうと思ってね」
「世話係ね……うん、でも彼は別に世話のいるような相手じゃないけどな。つきあい方も普通だよ。民間人の少年と変わらない」
世間の自分の評価を改めて知らされて、アレックスは曖昧な笑顔で答える。
「へえ。じゃあ議長の勲章授与を台無しにしたのは、君や海軍の差し金じゃなくて、彼の考え? それとも本気で単純な贈り物だと考えて振る舞ったのか?」
エステルハージの声が低く鋭くなって、アレックスはハッとその顔を見返した。慎重にならねばと自分を戒めて言葉を探す。
「この場に来るまで、俺は招待客の顔ぶれも具体的には知らなかったし、単なる儀礼的なパーティだと思っていた。無論、叙勲の事も知らなかったし、彼ならなおさらだよ。だいたい、コラム・ソルは本当に孤立した島で、大陸やセントラルで起きていることを彼はほとんど知らないんじゃないかと思うよ。何しろ最初はシャワーの出し方もわかっていなかったぐらいなんだ。非常に文化的だけど、我々が当たり前に享受している文明の恩恵は知らない」
「シャワーの出し方?」
ふっと笑って、エステルハージはグラスに口をつけた。飲んでいるのはどうやらアイスティーのようだった。
「なるほど。で、彼はシャワーの使い方を君の頭から学ぶって訳か」
「いいや。ちゃんと口で説明したよ」
コラム・ソルの住人が他人の思考を読むというのは真実だ。だがエステルハージの口調に棘を感じて、アレックスはきっぱりと言った。
「少なくとも彼はわからないことがあれば、丁寧に質問してくる」
「ふーん。では勲章の件はあの少年のその場の判断か。にしてはうまくやったものだな。あれで中央府側の優位は見た目かなり削がれたね。まあ、昔おきた銀狐事件みたいにならないようなら、宇宙軍の出番は残念だけどなさそうだな」
「銀狐事件……?」
確か自分が幼児の頃の話だと記憶を探ろうとすると、エステルハージは心底呆れた目をした。
「いやしくも海軍士官のくせに銀狐事件を知らないのか?」
「……知ってるよ、もちろん」
弁解しながらも自分の暢気さに自分で呆れた。マクガレイ少将も元帥も、あの事件は常に頭にあったに違いない。中央府が地方の勢力を取り込み損ねた結果は、凄惨なものだったと学校でも習った。
(第一、ペレス付近の海賊の中にも、その流れを汲む連中がいるじゃないか)
なぜ頭に浮かばなかったかと言えば、サッタールに戦争も辞さないという様子が全くなかったからだ。
アレックスはその理由もわかるような気がした。
「そんなことにはならない。第一、残念とはどういうことだ?」
エステルハージの薄い唇に皮肉な笑みがともった。
「宇宙軍には宇宙軍の事情ってものがあるのさ。聞きたいかい?」
アレックスは視線だけをサムソン大宙将に走らせた。もう議長から離れて、今は与党の党首と話している。視線を戻すと、エステルハージはグラスをじっと見つめていた。
「知りたいけど。でも俺は海軍の思惑なんてわからないよ?」
正直に答えれば、優秀な同期ははぁとため息を漏らす。
「全く、君は。学校時代と少しも変わらないな。そこは少しはもったいぶって情報交換しようと持ちかけるものだぞ」
「……腹芸は苦手でね」
しばらく睨むようにアレックスを見てから、エステルハージはまたため息を吐いた。
「宇宙軍は、昨年の彗星では大失態をやらかした」
「それはどの軍も同じだろう?」
「いいや。陸も海も、できることはしたけど及ばなかっただけだ。だが宇宙軍は自分のフィールドで文字通り手も足も出なかったんだ。少なくとも市民はそう見ている。宇宙軍なんて単なる運送業とせいぜいその用心棒で、軍らしく活躍することもない。星系間戦争でも起きれば別だがね。いまのところそんな兆候もない」
「それはそれでいいじゃないか」
「そう言い切れるのは、君たちがなにがしか治安維持に貢献しているからさ。創設以来、我々は一度も戦ったことがない軍隊だからな」
本気で言っているのかとまじまじと見返したが、エステルハージは真顔だった。
(戦争したいって? こいつの気が狂ってるのか、それとも宇宙軍全体がそういう風潮なのか?)
アレックスだって大きな作戦に加わったことなどない。戦争終結の願いこそが中央府の設置の目的だったのだから当然だ。それでも、大陸沿岸に残る独立派や海賊への対処で、攻撃をしかけたことも一度や二度ではない。
(そういえば、ドクター・ワイマーが乗船する時も、海賊相手かと意気込んだよな)
あの時の自分を思い返してみれば、エステルハージの言い分もわからないでもなかった。だがそれは、口にして良いとも思わない。
「サッター……いや、ミスター・ビッラウラもコラム・ソルの長のミスター・ガナールも愚かじゃない。そんなことにはならないよ」
「そうか……。海軍は悔やんでいるんだな」
「北の銀狐は滅んだけど、その怨嗟の思いは長く残った。それを知っているだけだ」
「ああ。元帥の息子夫婦か……」
うなずいて、アレックスはぐいっとグラスの水を飲み干した。すっかり炭酸の抜けた水は生ぬるくて、爽快感は欠片もない。
指摘されるまで、元帥の家族に起きた悲劇を、遠い出来事のように思っていた自分の頭を殴り飛ばしたい気がした。
「残念でも宇宙軍の出番はないと信じてる。それより植民星の動向について聞きたいな。テラフォーミングが進んで、そろそろドームが不要になるんじゃないのか?」
「いやまだまだだ。それについては学者どもと意見が合わなくてね。奴らは性急にあれやれ、これやれと言ってくるが……」
心情を汲んでくれたのか、エステルハージが話題を変えてくれたのに安堵して、アレックスは同期の話に熱心に耳を傾けた。