19
ジョットの丹念な手で新品以上に整えられたコラム・ソルの服を着込んで、アレックスの部屋の前に立つと、少しだけ開けられたドアの奥からは猛烈な不服の声が響いてきた。
「おかしいとは思わないの? だって議長閣下主催のパーティーに私が招かれないで、何であなたが行くのよっ! 護衛ならあの熊みたいなのがいるじゃない」
「いや……でも、参会者は私が決めた訳でもありませんし……」
しどろもどろで答えるアレックスを無視して、またイリーネが叫ぶ。
「見て。せっかく新しいドレスを誂えたのよ? ロンバーのお店で。私のこのブロンドにとっても映えるって、みんな言ってたわ。それに将来有望なご子息たちも来るんでしょ? あの、なんて名前だったかしら、財務大臣の息子とか。有力企業の御曹司とか。知り合うチャンスじゃないの。だいたいあの漁民の息子は家に滞在してるのよ。もてなしているのはミュラー家なの。それなのにその女主人が出席しないなんてある? お祖父様の横に誰が立つって言うのよっ」
「えーと、今夜はそういう趣旨ではないと思いますよ、お嬢さん。集まるのは年輩の……その、現在の高位者だけで、そんな青田刈りの場じゃ……」
「青田刈りのどこが悪いのよ。ボヤボヤしてたらいい物件はすぐに予約されちゃうのよ。お祖父様はわたくしのこと、まだ子供だと思ってそういう方向に頭を回さないから、わたくしは自分で探すの。それの何が悪いの?」
サッタールの漁民呼ばわりはおいたとしても、名前も知らない相手でもいいのかとか、そもそも物件扱いはどうかとか、突っ込みたいところをアレックスがぐっと堪えているのがわかった。
(子供扱いって、子供じゃないか。ユイの方がずっとマシだぞ。あいつは他人を物扱いなどしないからな)
冷笑がこみあげそうになるのを抑え、ドアを強めに叩く。すぐに足音が近づいて、アレックスが曖昧な笑顔を見せた。
「あ、すまない。今、行くから」
「まだ上着も着てないのか?」
見れば、髪もボサボサで、かろうじて白いシャツに軍服のズボンをはいただけの状態だった。
サッタールはむくれた顔でドレスのスカートをつかんでいるイリーネに厳しい目を向けた。
「申し訳ありませんが、イリーネ嬢。お帰りくださいませんか? 男の着替えをつくづくと見たいとおっしゃるなら構いませんが」
少女はさっと顔を赤くした。
「なによ。あなたなんか、お祖父様が好意で泊めてあげてるだけじゃない。漁師なんかに指図される覚えはないわ」
「漁師の娘の方がまだマシな礼儀をわきまえていると思いますが? 三歳の幼児のようにだだをこねても埒はあきませんよ。アレックスならあなたが何を言っても笑って許してくれるでしょうが、私は彼ほど大人ではありません。愚痴を言いたいのなら、せめて帰ってきてからにしてください。アレックスではなく、私がじっくりうかがいましょう」
この少女はアレックスを祖父の部下だから、ただの少尉だからと見下し、甘えているのだ。
逆らえないと知っている相手に突っかかっていこうとする人間は、コラム・ソルにもいる。だが、あの島ではそんな品性はすぐに広まってしまい、結果態度を改めざるをえなくなる。
しかし精神感応力などないイリーネは、存分に甘やかされるばかりで、他人の心に生じる自分に対する評価など知る由もないのだろう。
「イヤよ。あなたなんて。どうせわたくしの事をバカだと思っているんでしょ? わたくしの心を読んで陰で笑ってるんだわ。そんな人と毎日顔を合わせなきゃならないのに我慢してあげてるんですからねっ。わたくし、あなた嫌いだわ」
別に嫌いで結構、と口から出かかったのを寸前で止める。イリーネはポロポロと涙をこぼしていた。
「政治的理由なんか、わたくしにはどうせ関係ないもの。お祖父様の邪魔にならないようにしてるだけでいいんだわ。だから自分で結婚相手を見つけようというだけなのに、居候に見下された目で見られる謂われなんてなにもないわよっ」
きれいに巻かれた髪がぱさっと落ちて、イリーネは髪飾りをむしりとると、サッタールに投げつけ、バタバタと出ていった。
「嵐のあと……だね」
困ったような顔で、アレックスはサッタールが受け止め損ねた髪飾りを拾いあげた。
「彼女はいつもああなのか?」
「いつもというほど知ってはいないけど。ご両親も亡くなられて元帥もなんだかんだと忙しいしね」
かばうような口振りにサッタールは眉を寄せた。
「私は彼女をどんな目で見ていたんだろう……」
アレックスは上着に袖を通しながら、くすっと笑った。
「君の方が確かに精神的に大人だと思うけれど。でも君もお嬢さんとは一つしか違わないだろ? 若いなぁって思うよ」
「感情が面に出ないよう、気をつけよう」
そういう事じゃないんだけどと言って、アレックスはやっかいな髪にクリームを塗り付け、少なくとも帽子から飛び出ないように固めた。
もう車寄せではジャクソンが不機嫌に待っているはずの時間だった。
足下から這い上る夕闇を追い払うように、議長公邸は煌々と明かりに照らされていた。
元帥とは別に、広いリムジンではなく目立たない海軍の小型車で乗り付けたサッタールの一行は、出迎えた議長秘書に案内されてホール横の小部屋に入った。
「ミスター・ビッラウラは、お声をかけますまでこちらに。その前に冷たいお飲物はいかがでしょうか?」
プロの執事であるジョットとは違う、役人らしい愛想笑いを浮かべた秘書に、アレックスは一礼をして聞いた。
「実はまだ今夜の名簿に目を通していないのですが。もしお手元にお持ちなら……?」
「ああ、これは大変失礼いたしました。皆様は今日セントラルに到着されたばかりでおいでなのを失念しておりました」
慇懃に言ってポケットから四つに折り畳んだ名簿を取り出す。
「今夜は、あくまでも政府関係の幹部のみの会合です。議会からは、与党の友愛党党首ミスター・グレンダー、野党からは自由同盟のミスター・ワン、あとは閣僚の皆様方。四大陸の首相方。それに三軍の長とマクガレイ海軍少将がいらっしゃいます」
「マクガレイ少将?」
「あ、はい。本日辞令が交付されまして、ミズ・マクガレイは少将に昇進されました……残念ながら、その、イルマ少尉は……」
「へえ。知りませんでした。いや、本人にお会いする前に教えていただいて助かります」
自分の昇進など頭にないアレックスは快活に答える。
「それと、ですね。えー、議長はミスター・ビッラウラを驚かされるおつもりでいるのですが……」
口元だけで笑みを形作りながら、秘書が続けた。
「コラム・ソルの方を歓迎する印として、ミスター・ビッラウラを叙勲されるおつもりで」
「叙勲?」
「銀海鷹勲章です」
「へえ」
サッタールには、話されている内容がよく飲み込めない。アレックスは瞠目してから難しい顔で考え込んでいる。
「その件は、元帥はご存じですか?」
「さて……?」
「では、申し訳ありませんが、パーティーが始まる前に、あなたから元帥に耳打ちしていただけませんか?」
「……議長は内密に、と」
「それでもです。外交は議長は議会の責任でしょうが、我々海軍は既に少なからずコラム・ソルと関わってしまっています。円滑な交渉の為にも、ぜひ」
黒い小さな目をぱちぱちさせてから、秘書はゆっくりとうなずいた。
「了解しました。そのようにいたしましょう」
「ありがとうございます」
アレックスの謝辞とともに秘書がせかせかと出ていき、小部屋には三人が残された。
「アレックス。すまないが説明してもらえないか?」
サッタールはイスに座ったまま、うろうろと歩き回るアレックスを見上げた。ドアの向こうからは人々のざわめきが聞こえる。
「うん。どう考えたらいいか、ちょっとよくわからないのだけど」
前置きをして、アレックスはサッタールの向かいに腰を下ろした。
「今夜のパーティーはイリーネ嬢が期待するようなものではないのは知っていたんだ。実際、招待客も政治絡みの人物ばかりだし、交渉に入る前に君を正式に紹介しておこうという趣旨なんだけど。ただ議長が勲章を贈る手はずをしていたのが」
「勲章とは?」
「平たく言うと、国家が誰か個人に対して、その功績や栄誉を称えて表彰する制度なんだ。つまり議長はファルファーレ中央府とコラム・ソルとの間の交渉に入る前に、君をファルファーレ大陸連合中央府の市民として遇し賞するってことになる」
「市民として……? なるほど、そうか」
サッタールはコラム・ソルの代表だが今は長ではない。その上、コラム・ソルはまだ連合に加わり中央府の支配の下に入ると決まったわけではない。いわばフライングだ。
議長の思惑は、どさくさに紛れてコラム・ソルを名目上中央府のものとしてしまおうというところだろうか。しかし公式の場で大勢の要人の前で叙勲を断ったら、その後の交渉は暗礁に乗り上げるだろう。
黙って壁際に立っていたジャクソンがボソッと付け加える。
「外星系の元首に贈るならば金蝶勲章ですね。ちなみに銀海鷲勲章は大陸政府首相に贈るのと同じだから、格は高い。優遇しようって気はあるらしい」
ちらりとその無愛想な顔を見上げると、ジャクソンはにこりともしないで続けた。
「断るってことは宣戦布告にも等しいってことだ。元々戦争終結時に創設されたものですから」
「情報、感謝する、ジャクソン曹長」
ジャクソンは半ば面白がっているのを感じたが、それは有益な情報だった。サッタールは自分の膝頭を睨むように考えた末、ふっと挑戦的な笑みを浮かべた。
正式な招待客は数十人でも、それぞれ夫人や秘書、副官を連れているから、パーティーはなかなかに混雑し、それなりに華やかだった。
もう間もなく、議長が登場するだろうという間際になって、元帥は自分の背後にそっと近寄る人物に気づいて、歩き回っていた足を止めた。銀縁の丸い眼鏡をかけた小柄な男は議長の懐刀だ。
「ミュラー元帥。イルマ少尉から頼まれまして」
視線を前に向けたままうなずくと、秘書は声を低めて囁いた。
「議長がミスター・ビッラウラを叙勲なさいます」
「なに? ……今から止めるのは無理だな?」
「そりゃもう。裏に刻印もされていますしね」
ミュラーは吐き出したい息を腹に留めて、議長が出てくるはずの奥のドアを見つめた。
「他に知っているのは?」
「サムソン大宙将です。あの方のご提案ですが、私の観察では、サムソン大宙将はミスター・ビッラウラは受け取らないだろうと思っておいでのようでしたね。議長は頭から受けるものだとお思いですが」
「ありがとう、ミスター・チェン」
記憶を探って議長秘書の名前を引っ張り出すと、チェンは黙礼だけしてさっとその場を離れた。今夜、彼はこのパーティーの段取りで大忙しだろう。その合間を縫って知らせてくれたことには大いに感謝したいが。
(サムソンの野郎が言い出した時に早々に注進しに来ないかっ)
どうにも手の出せないギリギリに知らされても、胃が痛むだけの情報だった。
「何かありましたか、元帥?」
人々の輪から離れてひっそりと立っていたはずのマクガレイが、今の一幕に目を留めたか、さりげなく脇に立った。
「サラ。君は二十五年前の銀狐事件とその後に起きた陸海軍の作戦を知っているかね?」
突然何を、と言いかけて、マクガレイはさっと顔色を変えた。
「コラム・ソルが反旗をあげると?」
「いや、わからん。そうならないことを祈る。我々は軍人だ。命令されればいかなる作戦も遂行する。完璧にな」
「むろんです」
場所を考えて敬礼こそしなかったが、マクガレイの返答は歯切れよかった。
「あの少年は、事件のことは知りますまい。ですが、彼は浅慮ではありません」
「わしもそう思っているよ」
孫娘とちょっとした微笑ましい喧嘩はしていたようだが、サッタール・ビッラウラは愚かではない。側につけてあるイルマが、叙勲の情報を秘書に託したということは、もう彼はその意味を理解しているだろう。
「この場では高見の見物をさせてもらうとするか、サラ」
「他にできることはありませんよ」
老将をいたわるように、マクガレイは名を呼ばれても一言も抗議はしなかった。
議長が現れたのは、その後すぐのことだった。黒の燕尾服をさらりと着こなした議長に客たちの注目が集まる。
「今宵、惑星ファルファーレ大陸連合中央府は数百年ぶりの和解の使者を迎えたことを、諸君に報告し、この歴史的な瞬間の証人となっていただこうと思う」
力強い宣言と共に、中央のドアからサッタールが一人で進み出た。黒服の人々の群の中で、サッタールの銀糸の織り込まれた白い上着と鮮やかな青の肩布が、場違いなほどに輝いて見える。
厚い絨毯をコラム・ソルの柔らかい革靴が踏み、待ち受ける議長の三歩手前で止まった。
「セントラル南港での式典に引き続き、このような盛大な会を開いていただきまして、誠にありがとうございます、ジェーコフ議長」
足を引いて膝を折り、両手を前で組んだ礼は、コラム・ソルの民族衣装にぴたりと合って、集まった夫人たちの間からため息が漏れる。
「この三百有余年。ファルファーレは激動の歴史を刻んできた。多くの血が流れ、不和と不信に苦しんだ時代もあった。だが我々はその恩讐を乗り越え、英知を集め、ついにファルファーレ人民憲章の掲げる理念の旗の下に、互いに手を携えることを学んだのだ。そして今」
議長は両腕を広げて見せる。
「惑星ファルファーレは植民以来空前の発展の時代を迎えた。再び外宇宙へと翼を広げ、ファルファーレの名は宇宙に富と平和をもたらすものと期待をこめて語られている。その我々の惑星にも、不幸な歴史的経緯から孤児となった民がいた。コラム・ソルだ」
黙って議長の演説に耳を傾ける聴衆の反応は、港の広場とは微妙に色合いが違っていた。ここには熱狂的な大衆は存在せず、それぞれが己の立場を鑑みて損得計算をしていると、サッタールは笑顔の底で感じ取っていた。
(孤児……か。その孤児に望外の栄誉を与える慈悲深い専制君主のつもりか?)
顔に皮肉の影が射さないように注意しながら、視線は議長から外さない。向こうがそのつもりでいるならば、こちらもその芝居に乗るまでだった。
「諸君。ここにコラム・ソルの若き指導者、ミスター・サッタール・ビッラウラを紹介しよう。私はファルファーレ人民憲章を選んだ彼の勇気と見識に深く感動した。故に、今宵、ミスター・ビッラウラに中央府議長としてできる限りの感謝の印として、これを贈りたいと思う」
チェン秘書がビロードの張られた盆を差し出すと、ジェーコフ議長はサッタールを手招きした。口元は笑みを浮かべたままだが、その目は笑っていない。
よもや拒否などしないだろうなという恫喝にも似た視線に、サッタールは驚きに目を見張った顔を向けた。
「銀海鷲勲章を受けてくれるね?」
サッタールの頬が紅潮した。見守る観衆の中から、不安が伝わってくる。
「ありがとうございます、ジェーコフ議長」
深く頭を下げたサッタールに、議長は秘書から受け取った勲章を差し出した。ライトにきらりと光る勲章は、その名の通りに銀で鷲が象られ、海の色のリボンがついている。
それを両手で受け取ったサッタールは一歩下がると再び膝を折った。
「まだなにも為し得ていない若輩の私に、このような大きな栄誉は身に余る光栄です。しかしながらせっかくの議長の寛大なるご配慮、お受けしない訳にも参りません。今後は示してくださった格別な御厚情に応えられる自分であるよう精進いたします。そして……」
サッタールはいったん手にした勲章をチェン秘書に預け、腰に下げていた短剣を外した。
「これは我がビッラウラ家に伝わる短剣です。私たちの祖先がコラム・ソルへと移住するよりずっと以前から、父から息子へと受け継がれてきたもの。意匠のサラマンダーは、語り継いできた我が家の掟を表しております。曰く、偽りを口にするとき、サラマンダーがその舌を焼く、と。ジェーコフ議長の雅量に対する返礼としてはささやかな物ですが、どうぞこの短剣をお納めくださいますよう、お願いいたします」
風変わりな少年がどう対処するかと見守っていた人々から、低いどよめきが漏れた。
褒章は国家が個人に対して示す一方的なものだ。そもそも叙勲を決めたのは議長でも、それはあくまでもファルファーレ中央府という組織の意志の現れなのだ。だからどれほど高価なものであっても返礼など普通はあり得ない。あるとしたら対等な立場にある外星系の首長からぐらいのものだろう。
サッタールの行為は、この褒章を中央府とコラム・ソルという二つの組織の関係から、ウラジミール・ジェーコフとサッタール・ビッラウラという個人間でのやりとりに矮小化するものだった。
「田舎者めが」
吐き捨てるように呟く者、嘲笑を口に昇らせる者がいる中で、議長は、ほんの刹那、唇を歪め、すぐに笑顔を作った。
「ミスター・ビッラウラ。そのような大切な家宝をみだりに他人に渡してはいけないよ」
まるで子供を諭すような口調で、議長は捧げられた短剣をいったん手に取り、素早く向きを変えてサッタールの手に戻した。
「しかし君の真情には非常に感銘を受けた。偽りを口にすることはないと、ここで宣誓するというのだね?」
「ご明察、恐れ入ります」
短く応えて、サッタールは短剣を手にしたまま議長を見上げ、微笑んだ。
「それは今後行われる交渉の中で示したいと思っています」
元々、嘘も方便などという考えは精神感応力を持つ人間しかいない島では通用しない。
「ふむ。誠にすばらしい信条だ。実りある交渉になることを私も願っているよ」
「ありがとうございます」
立ち上がったサッタールは、何でもない風にチェンから勲章を受け取り、その場で肩布につけた。が、それはもうコラム・ソルが中央府に隷属した証ではなく、単なる記念品のように人々に思わせた。