第一章 彗星の襲来 1
西方面艦隊ペレス基地所属少尉アレックス・イルマは、自身の統率下にある沿岸警備用の巡視艇ウェイブレット号の狭いベッドの上で跳ね起きた。
係留中でも小型の艇は常に揺れている。だがアレックスを目覚めさせたのは慣れきって意識もしない揺れではなく、司令部からの通信だった。
「はい、イルマです」
通信機を顎に挟んだまま、床に飛び降りて手探りでズボンを探す。
いついかなる事態にも即応するのが軍人のあるべき姿と士官学校で叩き込まれたアレックスは、未明の暗闇の中でも着実に着替え一式を腕に抱え込んだ。
「イルマ、すぐに出航できるか?」
「イエス、サー」
素早く頭を巡らせる。海賊襲来の知らせか、どこかの小島で事故か急病人でも出たのか。
海賊ならいいなと、不埒なことを考えながら、ズボンに足を通す。
「天文学者のドクター・ワイマーが十五分後にウェイブレットに乗りこむ。彼を連れてトノン島に向かえ。なにやらトノン天文台の望遠鏡が不穏なものを映したとか。貴艇は、解析に向かうドクターを最大限援助するように。詳細は……ああ、本人に聞いてくれ」
プツッと耳障りな音を残して通信が切れた。その時になって初めて、通信の相手がオペレーターではなく基地司令だったことに気がつき、唾を飲み込んだ。
(トノン天文台……? 確か地上で最大の光学望遠鏡だったか……)
ペレス諸島は、中央海とは反対側、ヴェルデ大陸の西海岸から広大なロジェーム海へと突き出たサムストラル半島の先に点々と伸びる三十余りの小島の集まりで、珊瑚礁に囲まれた豊かな漁場を持っている。
最大の島は本島ペレスで海軍基地もここに置かれているが、トノン島はペレスから五百キロメートルほど外れた海中に浮かんでいた。
標高三千メートルを越える火山を持つトノンは、溶岩質の土地で耕作には全く向かない代わりに、低緯度にある高山という特質から天文台を置くには適している。その住民のほとんどが漁民という島だ。
(しかし軍の艦艇で天文台に人を送るなんて聞いたことないぞ)
着替える間にも船内無線で他の乗員を叩き起こし、ブリッジへと駆け込む。少し縮れた前髪が額に落ちるのを無造作に払いのけ、まずは艇長の席についた。
ウェイブレット号は乗員十名足らずの小艇だ。だからこそ少尉に過ぎないアレックスが艇長を務めているのだが、暗礁が多く海岸線も複雑で海賊が跋扈するこの海域では、小回りの利く使い勝手の良さを買われて基地での出動回数はピカイチだった。
ロジェーム海を無補給で横断するほどの遠洋はできなくとも、比べれば小山のように見えるヘリ搭載の護衛艦をはるかに上回る高速性と口径二十ミリ機関砲を一門、更に防御用に全方位レーザー砲までを装備している。
士官学校を卒業して数年、護衛艦の副官を務めてきたアレックスにとっては、小さくとも我が領土であった。――むろん経験豊富な下士官と海士達に支えられてこそ、であるが。
「キャプテン、何事ですか?」
席に座るやいなや、当直についていた副官であり機関士長でもあるシムケットが、無遠慮に声をかけてくる。
「お客さんだ。乗艇次第に出航する。行き先はトノン。エンジンを暖めておいてくれ」
「客……海賊じゃないんです?」
自分より頭一つ分は大きな副官のボソッとした呟きに、ついさっき同じことを考えたことは棚に上げて、アレックスは厳しい顔を向けた。
「命令だ。ウェイブレット号には任務に口を挟む乗員はいないと思うが?」
「ですが」
通信士が気象図をモニターに映して手を挙げる。
「台風が接近中です。そのお客さん、大丈夫っすかね?」
空母ならともかく、ほんの百トンしかない小艇は凪に見える海ですら揺れる。ましてや遮るもののない外洋では、数メートルを超える大波を登り下りする羽目になるのだが。
「知らん。どのみち乗ってしまえば途中で降りる訳にはいかん。台風が来る季節に我々に船を出すよう要請するなら、そんなことは覚悟のうちだろう。遊覧船じゃないんだ」
アレックスは肩をすくめる乗員たちを睨みつけてから、客を迎えるため、乗船口に急いだ。
通常なら民間船をチャーターするか定期船を待つはずの学者が、軍に依頼したのは台風のせいだろうか。しかし気候が安定するのを待てない程の異変が静かな天文台で起きているなんて、専門外の自分には想像できない。
日常的な自然の脅威に勝るような何があるのだろうかと、わずかに湧いた不安は、胸の奥底に沈めた。
狭い乗船口に現れた天文学者のワイマーは、学者というよりも漁師のような日に焼けた赤ら顔で、いかにも頑丈そうな中年の男だった。
が、その風体よりも何よりも、持参してきた荷物の大きさに、アレックスはかろうじて眉を上げただけで飛び出そうとした感想を飲み込んだ。
「ドクター・ワイマー。ようこそウェイブレットへ。居住性は保証できませんが、あなたのご要望を叶えるようにと命令を受けております」
型どおりに敬礼してから、足下の荷物に手を伸ばすと、ワイマーは塩辛い声で怒鳴るように制止した。
「精密機器なんだっ、わしが運ぶからさっさと中に入れてくれ。もうじき雨が降るぞ、濡らしたくない」
案内してきた基地勤めの海士には目礼で済ませると、黙って道を開け狭い自室へと学者と荷物を導く。
艇長だから一応個室を使っているが、実用優先の軍用艦にはプライバシーもなければ個人の荷物など必要最低限の着替えぐらいだ。客を乗せるなど頭から想定していない。
「なんだね、この部屋は?」
しかしワイマーは太いごま塩眉をひそめて不機嫌そうに言った。
「普段は私が使っております」
「だろうな。では君はどこに寝るのかね?」
狭いという苦情かと思いきや、違ったらしい。
「私は任務中のほとんどの時間をブリッジで過ごします。新たな指令が入った場合もその方が即応できますし。ましてやトノンへの往復ならば眠る必要もありません」
ワイマーはブルドックのようなうなり声で部屋とアレックスを交互に睨みつけ、渋々といった様子でうなずいた。
「心遣い感謝しよう。だがここでは荷物は解けんな」
「精密機器、とおっしゃいましたか?」
「そうだ。この天候では揺れるだろうから、床に固定してもらいたい」
床に固定しても中身は縦横無尽に揺れるのだが、という心の声を押し隠し、アレックスは頷いた。ともあれ、中身のパッキングは学者本人の責任だろう。
改めて無線でブリッジに連絡し、シムケットに荷物の固定は任せることにする。出航はしばらく遅れそうだった。
ワイマーと彼の大事な機器をシムケットに引き渡し、アレックスは、乗員が出航前の作業に黙々と勤しんでいるブリッジの自分の席についた。
ウェイブレットのような小さな船は、一人で幾つもの仕事をこなす。艇長であるアレックスは、舵も取れば射撃管制もするし、副官のシムケットは機関士長だけではなく艇の機械類全般の責任者でもある。
少数精鋭である以上は誰が欠けても航行を続けられなければならないのだと言えば聞こえはいいが、大陸間戦争が終結してから百五十年以上、地域を限定した紛争はあるものの海軍の仕事の大半は海賊などの不法者の取り締まりと海難事故の対処であり――つまりは若者が厳しい訓練と上下関係の中で生きることを選ぶにはいささか魅力に欠ける職場なのだ。
ともあれ士官学校で進路を決める時、花形である宇宙航行に適性がないとされたアレックスには、陸か海しか選択の余地はなかったし、海の仕事は好きだった。
たとえ厄介な民間人を乗せることになっても。
「台風の奴め、トノン近海で停滞か」
目の前のスクリーンに映し出された気象予報図に顔をしかめた。
「今年は偏西風が弱いのと大陸の高気圧ががんばってますからね。この分だと少なくともトノン周辺は丸一日暴風圏です」
「すると昼前に着くのは無理だな」
ウェイブレットの最高速度七十八ノット(時速約一四五キロメートル)だが、いくら何でもうねりが何メートルもある中を全速でカッ飛ばすのは無理な話だ。
「現在の風速は十五メートル。トノン島の最大瞬間風速は七十五メートルです。台風の中心に向かっての航行になります。今のところ衛星からの送受信に問題はありません……」
気象予報も兼ねている通信士の報告を聞きながら、避けるべき岩礁を思い浮かべ進路を手元のコンソールにインプットしていく。嵐の中では自動航行は無理だが、後はその場の状況で判断すればいい。アレックスは自艇の乗員の熟達さを十分に認めていた。
「キャプテン。ドクター・ワイマーをお連れしました」
やがてびしょ濡れになったシムケットが客をブリッジに案内してきた。
「ドクターの持参された機器は機関室に取り付けました。バッテリーを取り外してありますので、この艇には影響ないかと思います」
「了解」
遅れて入ってきた電測士が海中、海上、上空のレーダーを操作し始める。すでに機関は暖まっていた。
「シムケット曹長、着替えてきたまえ。碇を上げろ」
「アイ・アイ、キャプテン」
あちこちから怒鳴るような声が返る。アレックスは興味深くブリッジ内を見回しているワイマーに顔を向けた。
「湾を出たらむちゃくちゃ揺れます。とりあえずトノンに着くまでは私の部屋にいた方がいいと思いますよ」
「民間人がここにいてはいかんかね?」
「我々の邪魔をしなければ構いません。戦争もないこのご時世、ブリッジにものすごい機密があるわけでもありませんし」
ちらりと腕の時計を確かめてアレックスは肩をすくめた。
「到着は一四○○予定です。台風の為、安全航行に努めますので。ここにいらっしゃるなら……どうぞ」
壁の一部を操作して仮眠用のベッドを出してみせると、ワイマーは両眉を大げさに上げた。
「わしは貴官の寝床を奪ってばかりのようだな」
「はい、ですがこの椅子は譲れませんので」
歯を見せて笑うと同時に、着替えたシムケットが戻った。
「出航」
全員があるべき場所に収まると、アレックスは舵をグイッと回した。司令から命令を受けてから、もう一時間以上が経っていた。とっくに日は昇ったはずだが、海も空も灰色に塗りつぶされている。ウェイブレット号はそのまっただ中に舳先を向けた。
「イルマ少尉、わしが急いでいる理由を説明したいのだが」
叩きつける雨と風、それに対抗するようにうなりをあげるエンジン。刻々と変わる気象レーダーや海底ソナーからの情報を伝える声。
それらに負けじとワイマーが大声で話しかけてきたのは、出航してしばらくしてからだった。
アレックスはモニターに向けていた視線を、壁際のワイマーへ移した。
「トノン島にお連れすればよいのでは?」
「それはそうだが。なぜ軍の船を借り出してまで急いでいるのか、疑問には思わなかったかね?」
「それは……」
アレックスは言い淀んで、また目を海図のモニターに向けた。そこには海底の地形図が映し出され、更にソナーによって得られるデーターを元にした些細な変化も更新されている。
ヴェルデ大陸から伸びたペレス諸島の南西五千三百キロの先には、伝説の島コラム・ソルがぽつんと浮かんでいる。そしてその間には、水深一万メートルを超える海溝が惑星を南北に分断するように走っていた。
トノン島は、その海溝のすぐ東側に位置しており、海底から計れば実に一万三千メートルを超える巨大な火山でもある。
今は四つ大陸の形からファルファーレと名付けられたこの惑星も、数十万年も経ればダイナミックな地殻変動の結果、全く違った大陸と海洋を持つ星になるだろうとは、アレックスも士官学校の授業で習った覚えがある。
だが、そんなのはせいぜい数十年しか生きない人間にとっては頭の体操ほどの意味しか持たないとも思っていた。
宇宙に関しても、外宇宙への宙港を兼ねているトゥレーディア月基地や、資源開発が比較的容易な第五惑星の衛星には関心もあるし、新たな植民星探査には興味も湧くが、宇宙そのものの成り立ちだの星の一生だのには、読み物としてぐらいにしか認識していない。
「君は――いや、君だけではない、中央府も、このファルファーレ星の所属する恒星系がどんなところであるか知ろうとしない。役に立つか、たたないか。それだけだ。違うかね?」
「ええ、まあ、夢やロマンでは人類は生息できませんし。亜空間航法の発見と実現以降、大多数の関心は利益となるか否かだと承知しています」
生真面目に答えるアレックスに、ワイマーはフンと鼻を鳴らした。
「自分の依って立つ場所のこともろくに知らんで、新たな植民など……。遙か昔に地球を出ざるを得なかった時代から人類は全く進歩しておらんな」
ワイマーは大きな揺れと騒音に臆することなく、滔々と説明を始めた
曰く。
ファルファーレの歴史を紐解くと、約百年に渡って行われた植民が落ち着いた頃、大きな隕石の落下があったと伝えられている。それは巨大クレーターを作るほどの規模はなく、気候の大規模な変化も引き起こしこそしなかったが、大地に降り注いだ直径にして数十メートルの星の雨によって、星を渡る亜空間航法エンジンを搭載した宇宙船がすべて破壊されてしまったという。
そのため、以後この星は自給と自立の道を歩まざるを得なかった、と。
「それは誰もが初等教育で学ぶことだと……」
口を挟んだアレックスを咎めるように見据えて、ワイマーは話し続けた。
「わしは若い頃からずっと、おかしいと思っていたのだ。その隕石なるものが硬い岩石でてきている小惑星の衝突であったなら、もっと大きな災害――いや、ヘタをすればこの星の地殻を破りかねないものだったはずだ。そうしたら我々は一人も生き残りはしなかっただろう。そうならなかったからには、衝突したのは小惑星ではなく彗星だ。それならば隕石が破片として残っていないのも頷ける。彗星のコアはいわば雪玉だからな」
「はあ、そりゃあ不幸中の幸いでしたね」
ワイマーが息継ぎをする瞬間を狙って再び口を挟むと、赤ら顔の天文学者は指定された壁際のベッドから立ち上がり、揺れる床を踏みしめてモニターの前に立った。聞き耳を立てていた乗員が全員、胡散臭そうに見上げたが、そんなものは蚊に刺されたほどにも感じないらしい。
「しかしそれが今の我々と何の関係が……?」
ワイマーが語る話は、昔さんざん学校でやった植民初期の歴史であって、たとえその頃の人間にとっては生死を分ける大災害であったとしても、今に生きている自分にとっては単なる昔話だ。
アレックスの興味関心は常に今と近い未来にあって、歴史や夢物語は人生を彩る座興に過ぎない。
「馬鹿者っ、わしが単なる昔話を語りたいが為に生涯を費やして研究をしてきたと思うのかっ! 関係は大ありだとも。長らく衝突して消滅したと思われていた彗星が再び現れたとあってはな。それなのにだっ! 大陸政府も中央府も宇宙軍も利益を産む近辺の惑星と外宇宙にしか関心を寄せん。我らが母なる星、ファルファーレの危機であるにも関わらずだ。連中の頭にあるのは、資源、利益、効率だっ、なんたる怠慢っ、なんたる愚鈍っ!」
日に焼けた顔がますます赤みを増していくのを見つめながら、アレックスは内心でため息を吐いた。軍には嫌な奴も気の合わない者もいるが、厳格な階級制度の元に予定調和的な空気が流れている。
だがワイマーは全くの部外者で、しかも見学者のような好奇心や、軍備反対論者のような分かりやすい目的で乗鑑しているのではないだけに、対応が面倒くさい。
部下たちが皆、この演説を何とかするのが艇長の役目だと思っているのがひしひしと伝わってくる。
「あー、ドクター・ワイマー。あなたの崇高な研究目的は理解しましたし、我々も最大限お手伝い申し上げるつもりでおりますが……で、お話の悠久の時の間に現れる自然の脅威が台風の通過を待てないほどの差し迫った危機であるというのは……?」
あやふやな口調で仁王立ちの学者に問いかけると、ワイマーは真っ直ぐにアレックスに強い視線を向け、低い声で続けた。
「再び彗星が現れたと言っただろう」
「それならば宇宙軍の方でなんとかするのでは……?」
「ろくに彗星の軌道計算もできない奴らだがな」
言葉を切ったワイマーは落ち窪んだように見える褐色の目を光らせた。
「くだんの彗星は六百年前に消滅したのではなかった。衝突したのは剥がれたコアの一部だろう。それだけで外宇宙船を破壊するほどの力を持っていたのだ。トノンの天文台はずっとこの星系内を観察し続けていた。主に小惑星帯から外れて飛んでくる隕石がないかどうかを調べるためにな。いいか、我が天文台では直径百メートルに満たない物まで全てに名をつけ、追跡しているのだ。それが突然、新たな小天体を発見した。あるはずのない物が太陽の陰から現れたのだ」
「太陽の陰? そんなら俺たちにゃ関係ねーんじゃないの?」
ぼそっと呟いたのが誰か確かめる間もなく、大きな波にウェイブレットの船体がぐぐっと持ち上げられ、超特大すべり台のように落ちていく。
足を踏ん張っていたワイマーもさすがにバランスを崩して床に転がった。
「揺れる中で演説してると舌を噛みますよ、ドクター」
シムケットが巨体とは思えない機敏さでワイマーを捕まえると、抱き上げてベッドに手早く固定する。
「いつ来るかわからない彗星よりも、さし当たってはこの台風だと思いますがね」
「いつ来るかわからんどころか、彗星は既にファルファーレの軌道の内側に入り込み太陽を回りつつあるのだぞ。それがあの星紀一二三年と同じ物なら、そしてわしの計算が間違っていなかったら……」
案の定舌を噛んだか、ワイマーが顔をゆがめて黙った。シムケットを下がらせたアレックスは、その上に屈みこんで耳元ではっきりと聞こえるように釘を刺す。
「部下が申し上げた通りです。あと数時間はそこか部屋で、できれば身体を固定していてください。申し訳ありませんが昼食は出ません。医療サービスも緊急でなければトノンに着いてからお申し出ください。任務の重要性も緊急性も理解しましたが、我々としてはまずあなたをトノンまで無事にお連れするのが最重要任務です」
「ふん、軍も政府も目先のことばかりかまけおって……」
憎まれ口が聞こえてきたが、それは聞かなかったことにした。額にたんこぶ作った人間は、悪態の一つもつきたくなるものだ。彼は軍人ではなく学者なのだからなおさらだった。
窓の外は絶え間なく叩きつける雨と波でほとんど視界はきかない。各種のレーダーとにらめっこで常に指針を変えていく荒天での航行は、今も昔も神経を削る作業だ。その上に学者の高説をきく余裕などない。
しかしアレックスは、忙しく頭を働かせながら、心のどこかでワイマーの告げた話を反芻していた。
(彗星か……彼の懸念が本当ならまず宇宙軍が動くんじゃないのか?)
小惑星の衝突ならば、その規模によっては確かに星全体に及ぶ災厄となるだろう。彗星であっても落下地点に都市でもあったら壊滅的だ。だがワイマーの言うとおり、政府と軍がいくら目先の利益を追っているとはいえ、そんな災厄の接近を手をこまねいているとは考えにくい。
(突然現れた? 既にファルファーレの軌道を越えてるだと?)
考えられるのは、彗星の公転軌道が惑星の黄道面に対して垂直方向にあることだろう。宇宙軍の探査機もほとんどが惑星の軌道面上に向けられているはずだ。そこ以外は僅かな塵がただようだけの真空空間なのだから。
それでも彗星が黄道を越えるほど近づき、尾を光らせ始めたら宇宙軍が気づかないはずはないし、危険な軌道を描いているなら破壊するなりすればよいはずだった。なにしろ相手は雪玉なのだ。植民当初の、乗ってきた宇宙船以外の手段を持っていなかった時代とは違うのだから。
(ってことはもうすぐ華麗な天体ショーが見られるって訳だ)
灰色に塗り込められた窓の向こうに、長く尾を曳く彗星と光る雨を思い浮かべて、アレックスは少しだけ唇を緩めた。
それは幻想的で美しいだろう。まだトノンにいるなら天文台で見てもいい。台風一過の澄んだ空気はうまいに違いない。
たとえやかましいドクター・ワイマーと一緒だとしても、だ。