17
セントラル海軍病院のショーゴの病室には、主治医となる医師がサッタールの到着を待っていた。
広い個室を与えられていたが、既にいくつもの医療機器が所狭しと運び込まれている。
「脳外科の主任をしております。ニコラス・ライシガーです」
通達が行き届いているのか、握手を求めることなく、医師はすぐに説明を始める。
「何をするにもあなたの同意と許可を、と聞いていますが。勝手ながらMRIを撮影させていただきました」
反駁が口から出る前に、ショーゴの思念がサッタールをくいっと引っ張る。
『怒るな、怒るな。もうここまで来たらごまかせねえみたいだぜ。どっちにしても必要だろうからな』
サッタールは医師の脇を黙って通り過ぎ、ベッドに横たわる友人の横に膝をついた。力のない手を握って、額に当てる。
『何があった?』
『なにってほどのことはねえよ。軍艦にいた時みたいに繋げられた機器をいじってやったら、そこの医者はすぐに見破ったぜ。こんなはずはないってさ』
『そうか』
『まあ治療の為っつーんだからしかたねえ。ちょいと腹をくくって説明してやってくれないかな。不信感でいっぱいだろ』
『わかった。だけど納得いかないことがあれば叫んでくれ。絶対に飛んでくるから』
『ああ、頼む』
手は握ったまま立ち上がると、ライシガー医師は太い眉根を寄せたままじっと見下ろしている。その思念は怒りに彩られていた。
「MRIの結果をお聞きしましょう」
「それを聞いてもなにもなりませんな。ダミーの脳を見せられても、治療の方針はたてられません。聞くところでは、あなた方は人の心を読み、あなたのご友人は機械などを心で動かすとか。あれが、ご友人が無意識にやったことならばしかたない。ただ、物理的に脳がどうなっているのか掴めないままで治療は始められません。もし、わざと、と言うことならば、次は余計な手間はかけさせないでいただきたい」
「仰るとおりです」
少し頭を下げ、サッタールは病室内を見回した。アレックスとジャクソンは遠慮して廊下にいるが、ここでは心を読めない代わりにあらゆるところに盗聴器が仕掛けられている可能性は頭に入れておかねばならない。
「説明をさせていただく前に。医師としてのあなたにうかがいたい。あなたは超常能力者についてどのようなお考えをお持ちでしょうか?」
「能力者について……? 興味深いの一言です。これまで長い年月、それこそ地球時代を含めて、その存在の可能性を指摘されながら科学的に証明も解明もされていない能力です。あなた方が確かにそうだと言うのなら、その脳に関心は持ちますが、私は科学者ではなく、人体研究者でもなく、医師だ。脳外科医としては、脳の障害をいかに患者にストレスを与えることなく回復させるか、を第一に考えていると自負している」
ライシガー医師の思念はまだ怒りと不信感に満ちていたが、嘘は言っていない。少なくとも本人の意志としては。
「中央府があなたに委ねられている患者を使って実験しろと言ってきても? 仮に、あなたの医師としての地位も剥奪すると脅されても?」
「なるほど、懸念はわかります」
怒りが不意に凪いで、ライシガーはショーゴと繋いだままのサッタールの手に視線を落とした。
「医師としての良心でお答えしましょう。もし、そのような事態になったら、それこそ真っ先にあなたに連絡しましょう。私自身が手を染めることがないのはもちろん、そのような目的を持ったあらゆる組織、個人に患者を渡すことはない」
絶対に安全を保障するとは言えないがと心で付け加えて、ライシガーが咳払いをする。
「これで答えになるかね?」
「十分です、ドクター」
サッタールは頷いて、ショーゴに訊く。
『聞こえていただろ?』
『ああ、悪くないおっさんだな。頑固者っぽい』
自分のことなのに面白がる思念に肩をすくめたくなる。
「確かに、ショーゴ・クドーの意識は起きています。そして検査の手間をかけさせたのも本人です。しかし私たちはそれを、できるだけ伏せておきたかった。理由はおわかりでしょう。私たちはこちらの世界を知らない。どのように受け取られ、どのように扱われるか想像できない。自衛の為と了承していただきたい」
医師の表情は固いままだったが、思念ではサッタールの説明を受け入れていた。
「クドーの能力は、物の性質や電気的な反応を恣意的に変える、非常に繊細な念動力です。孤島での住民の生活を維持するのには、クドーの能力は欠かせないものでした。そしてその能力の使いすぎの結果、脳に損傷を負ったのだと私たちは考えています」
「ふむ。詳細な検査はこれからと言うことになりますが、たとえば脳のどこかに障害を発見し、それを回復させる施術を行ったとして。その結果、患者の特殊な能力を減退させる可能性は? 実験的な意味ではないが、脳のどの部分を能力の発揮に使っているのかわからないまま開頭することになるかもしれません」
「それは私にも本人にもわかりません。先ほど私は、クドーの能力は島の生活維持に必要不可欠と言いましたが……」
身体の機能が回復しても、能力を失う可能性があると指摘され、一瞬サッタールに動揺が走る。
『サッタール、サッタール。俺は構わねえよ。能力がない状態が想像つかねえけどな。ユイもまだ抱っこが嬉しい年だ。死んじまうつもりでいたのが、能力と引き替えにあいつを抱っこして安心させてやれるんなら。それに、それならそれでこっちのやり方を勉強し直すさ……なあ、サッタール。おまえは構わねえか? 俺が、その……無能の役立たずになっても?』
握った手に力を込める。流れ込んでくるショーゴの感情は不安で乱れていたが、それでも意志は固かった。
『無能だなんて、私は誰に対しても思ったことはない』
ただそう返して、医師に向き直る。
「その可能性を減らす為の検査なら、いくらでもしていただいて結構です。そして万が一のことがあっても……クドーはそれを受け入れる覚悟はできています」
ライシガーは疑わしい顔で目を閉じたままの患者とサッタールの顔を見比べた。
「本人が、そう言っているのですね?」
「ええ」
「できれば私もそれを確認したい。彼が心でしか意志の疎通はできないのは、間違いないのか?」
「実は聴覚は生きています。しかし視覚の方は、瞳孔の反射があるにも関わらず見えないようです。島の医師は脳がそれを認識できないのだろうと言っていました」
「ではもう一度MRIに入ってもらいましょう。私が質問し、それに脳が反応しているのなら、間違いなく彼の意識が清澄だと確信できる。その時に能力を使ってもらってもいいかな? むろん、脳のどの部位に反応があるか確認するだけだ。データは私が責任を持って破棄する」
「お願いします。それから。クドーにも直接話してください」
ライシガーの医師としての良心を信じて、サッタールは深く頭を下げる。この男がおかしな功名心に駆られないことを祈って。
ライシガーは再度同じ説明をショーゴに向かって繰り返し、更に付け加えた。
「足の方は脳と身体の連携が取れるようになった後、検討していくことになります。具体的には、神経を通過する電位を読み取って意志のままに動かせる義足をつけるかどうか、ということですね」
『へえ、いわゆるサイボーグって奴? それって動力はどうなってんの?』
電子制御された義足というところに食いつくショーゴに、思わず苦笑を洩らしながら、サッタールが通訳する。
「そうです。軍では手足や臓器の一部を失った兵に対してサイボーグ化を優先的に進めていますので、ミスター・クドーにもその選択が与えられると思います。仕様については軍用という訳にもいきませんのでまた後日。何よりも脳機能の回復が最優先です」
「ごもっともです、ドクター」
サッタールははやるショーゴの手をポンと叩いた。
話が終わったところで、廊下のアレックスを呼ぶと、彼は医師とショーゴの双方にきちんと礼をし、サッタールに新しい通信機を差し出した。
「君のだよ。今、海軍本部から届けられた。病院との連絡の為にもあった方が心強いだろう」
ピカピカ光る淡いシルバーブルーの小さな機械を見下ろす。ショーゴが欲してやまなかったものが、ここにはふんだんにある。それが胸に痛かった。
「これは私の連絡先です」
ライシガーが素早くメモを書いて差し出すと、アレックスが代わりに受け取り、サッタールと自分の連絡先を渡した。
「ミスター・ビッラウラの滞在先はミュラー元帥のお宅です。もし、緊急で、どちらの通信も繋がらない時は、海軍本部か元帥のところにご連絡ください」
「そうさせてもらいましょう。とにかくしばらくは治療の前段階の検査になるが、一日に一度は連絡することにします」
頑固そうな男は、意外に患者や家族に対する細やかさも持っているようだった。ショーゴの意識が目覚めていることについてアレックスにも語ることなく、手でドアを示した。
「長く寝たきりの上、軍艦に揺られてきたのだから、少なくとも二、三日は患者の体調を整え、体力を回復させたい。ここで引き取ってもらえませんか?」
「もちろんです、ドクター」
アレックスはもう一度ショーゴに目を遣り、医師に頷きかける。
「私も彼と話ができるのを楽しみにしています。よろしくお願いします」
家族でも友人でもないのに、とサッタールは思う。だがその表情の奥に、言葉通りの感情があるのを感じて、ふっと力が抜けた。
車に戻ると、再びジャクソンが黙ったままハンドルを握る。
「着いたばかりであちこち引っ張り回して悪いんだが、これから元帥のお宅に行って、夕方からは議長公邸で歓迎のパーティーがあるんだ。と言っても、そう多くの人数が来る訳じゃない。中央府と軍の幹部だな。あ、お腹空いただろ? 元帥宅の執事が昼食の用意をしてくれてるそうだ。そこで元帥のご家族にも挨拶することになるけど……」
言い淀んで、視線を一瞬泳がせたアレックスは、ふうと大きくため息をついた。
「どうした?」
「まあ、その……元帥ご自身も強烈な個性をお持ちなんだが、ご家族、いや、お孫さんのお嬢さんがね。いかにもお嬢様で……」
運転しながら、ジャクソンが片頬を歪めて笑った。
「元帥に輪をかけて思いこみが激しい上に、高慢ちきで、世界中の注目を浴びないと気が済まない見栄っ張りなワガママ娘だと、はっきり言ったらどうです、イルマ少尉」
勘弁してくれと言わんばかりに両手を広げて、アレックスはジャクソンに食ってかかる。
「悪意で人を見てばかりだと疲れないのか、ジャクソン。お嬢さんは君が言うほど、その……」
否定する言葉を探して、がっくりと肩を落とした。
「今や全世界からの注目の的である孤島の貴公子を、ジリジリと待っているんでしょうな」
「……おまえ、彼女をよく知ってるのか?」
「セントラルに長くいる海軍士官の間では有名ですよ。幸い私は士官ではないので、ご令嬢の視界にも入っていませんが」
話が前の二人で盛り上がっている間に、サッタールはそっとショーゴに話しかけた。
『大丈夫そうか?』
『ああ。順調順調。今はどうも若い看護師のお姉ちゃんが俺に食事をさせてくれてるみたいだぜ。島の女たちと違って話はできないけどよ、彼女、ちゃんと自己紹介してくれたしな。快適だよ』
『そうか。ドクターは配慮のできる医師だったんだな』
『食べ終わったら風呂なんだとー。チェッ、身体の感覚がないのも目で見られないのも残念だよ』
のんびりとした思考が、ジョーゴの状況を伝えてくれる。
『私もこれから妙齢のお嬢さんと会うらしい。また連絡する』
『うん。あ、それから俺からじゃおまえを探すのはちと難しそうだ。ここは人が多すぎるし、やっぱ身体がないと馬力がないのかな』
『常にあんたに向けてアンテナを立てておく。何かあったら叫べ』
『よろしくな、サッタール。それから、ありがとう』
ふつっと接触が切れた。ショーゴの意識が他に向いているのだ。
前の二人はまだ、噂のお嬢さんについて言い合っていた。少しだけ疲れがたまっている。
アマル・フィッダのほとりで昼寝できたらいいな、とそっと思った。