表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/44

14

 出航の朝。上陸艇で迎えに来たアレックスは、港に集まった島人たちに息を飲んだ。七百という数字が真実なら、そこには島のほぼ全住民がいた。

 丈の長い白いシャツとゆったりしたズボンに鮮やかな肩布をまとった老若男女は、ざわめきもなく黙って静かに立っている。


 人々の壁が割れ、中から担架に乗せられたショーゴ・クドーが現れた。兄の手を握りしめたユイは、真剣な顔でアレックスを見上げた。


「お兄ちゃんを、元気にするって約束してっ」


 昨夜の軍医の話では可能性はある、ということだった。だが、それはアレックスにできる約束ではない。それでも少女の気持ちを思うと拒否はできなかった。

 アレックスは自分の手を、兄の手を握る少女の手に重ねた。


「私にできるだけの、いや、最大限の努力をすると約束するよ。お兄さんが目を覚ましたら、あの通信機で話すといい。君ならちゃんとメンテナンスできるんだろう?」


 ユイの顔がくしゃっと歪んだ。


「バカッ、お兄ちゃんは元気になるんだからっ! あ、あんたなんか、大っ嫌いっ!」


 手を勢いよく振り払われて、思わず苦笑する。寄り添っていたサハルが代わりに頭を下げた。


「申し訳ありません、イルマ少尉。ここでは容易には会えないような遠くに身内が行くということがなかったので、ユイも混乱しているのでしょう」

「いいえ。私が士官学校に入学するときの妹を思い出しました。明日には帰ってくると信じていたのですよ。嘘つきと思ったと、後で聞きました」


 サハルの黒い瞳が、ユイに負けず劣らず真剣になる。


「あの通信機は、あなたにも繋がるのでしょうか?」

「もちろんです。これを……」


 胸ポケットから、受信機の使い方から自分のプライベート用の番号まで書かれたメモを取り出す。


「海軍は、コラム・ソルと友好的に交流を図りたいと考えています。先ほども申し上げましたが、私自身も最大限努力します」

「心から感謝申し上げます、イルマ少尉」


 サハルはメモを受け取ると、膝が地面につくほど深くお辞儀をした。慌てて最敬礼を返すが、頬に血が昇る。


 その後ろから、無遠慮な笑い声がして、肩をぐいっと掴まれる。


「サハル、ショーゴの心配ばっかじゃなくて、弟のことも頼んでおいたらどうだ?」

「まあ。サッタールはもう私の心配なんか必要じゃないわよ」


 笑って答えたが、サハルの瞳にはやはり憂慮の色が深い。


「だとよ。姉ちゃんの信頼を裏切るなよ。努力しますなんて言い種は、おまえには許されん。おまえは下っ端じゃなくて、島の代表だからな」


 アルフォンソは、連れだってきたサッタールを振り返った。


「少なくともあんたよりは礼儀はわきまえているからな、アルフォンソ。まあ、うまくやるさ」


 サッタールはいつものシャツの上から銀糸の縫い取りを施した上着を羽織っていた。金細工をあしらわれたベルトからは短剣が下がり、手の込んだ刺繍に縁取りされた青い肩布をふわりと巻いている。


(これが正装なんだな)


 かちっとした軍服を見慣れた目には、古代の貴族のようにも見える。


「お迎えにあがりました、ミスター・ビッラウラ」


 声をかけると少年は思いがけないことににっこりと微笑んだ。


「世話をおかけする。セントラルに着くまでの間に、そちらの風習についてレクチャーしてもらえるとありがたい」

「了解しました。交渉がうまくいくことを私も願っています」


 挨拶がすむと、サッタールはそのままスタスタと艇に向かう。特に何のセレモニーもないようだったが、それでも人の輪は崩れることなく、少年と担架、そして沖に浮かぶ灰色の軍艦をいつまでも見つめていた。





 トルネード号でも、歓迎の儀式はなかった。航海長が厳しく通達をしていたのだろう。乗員たちは誰もが黙々と職務に励み、風変わりな客とは目を合わさないようにしている。


 会議室で艦の幹部たちを紹介されると、サッタールはすぐに数日を過ごす部屋に案内された。待機していたジャクソンは、サッタールを上から下まで眺め下ろしてから、視線で腰の短剣を示した。


「申し訳ないが、それはこちらで預からせてもらいます。ここでは軍務につく者以外は武器の携行は許されてません」


 用心深く一定の距離を取る戦闘専門の男を、無感動で見上げたサッタールは、自らベルトごと短剣を外すとアレックスに差し出した。


「す、すまない。私が先に言うべきだった」


 気まずい思いをさせたことを詫びたが、少年は首を振って床に置かれた自分の荷物に目を遣った。


「荷物検査はもう終わっているようだな。着替えさせてもらってもいいか? それからクドーを見舞いたい」


 ジャクソンはサッタールにではなく、わざわざアレックスに顔を向ける。


「この中には禁止物はありませんでした。ただ相当量の金がありましたが、それも短剣と共に金庫に預かりでよろしいでしょうか?」


 階級がアレックスの方が上なのだからジャクソンが敬語で話すのは正しい。部外者の前ならなおさらだ。だが、その中に確かな悪意があるのを読みとって、アレックスは大げさなため息をついた。


「ジャクソン。今後、ミスター・ビッラウラの私物に手をつけるときは本人の許可を取ってからにしろ。いいか、私にではなく本人に、だ」

「イエス・サー」

「それから、笑顔を作れとは言わんが、ミスター・ビッラウラは客人だ。君はその警護にあたるのが任務だろう。長いつきあいになるのだから、その毛を逆立てたような態度は慎め」

「顔は地顔ですので、どうにもできません」


 厳つい顔のままジャクソンは言って、ドアの外に出る。サッタールが着替えると言ったからだろう。



 アレックスはカーテンで仕切られた狭い船室の一番端のベッドを手で示した。


「こちらを使ってください。真ん中に私、反対側にジャクソンが寝起きします。部下の態度が悪いのは謝罪します。荷物は壁の中に棚がありますのでそちらへ。それからジャクソンが言っていた金ですが」


 どうしようかと考えながら、アレックスは渡された短剣に目を落とす。その鞘は、ベルトと同じく見事な金細工でサラマンダーが描かれていた。紅い貴石をはめ込まれた瞳が、生きているかのようにアレックスを睨む。


「艦で盗難などが起きるとは思いませんが、こちらと一緒にお預かりしましょうか?」

「そうだな。ではこれも」


 サッタールはあっさり首肯して、荷物から取り出したずっしりと重い袋をアレックスの手に渡す。


「そちらの流通価値がわからないが、その金はかなり価値のある量だと思う。手で持つと重いから、なんならセントラルまで預かってもらえるとありがたい。もちろんセントラルまでの行程で支払いが必要ならそこから取ってもらって構わない」

「あ、いや。それは必要ありません。あなたは中央府の客なので……と元帥も言うかと」


 びっくりして答えると、サッタールはふっと笑みを口に昇らせて上着を脱ぎ、ベッドに座った。


「私はずいぶん物知らずなのだろうと思う。奇異な振る舞いをしているようだったら、きちんと伝えて欲しい。たとえば、今あなたが言った棚も、どこをどうすれば出てくるのか見当がつかない」


 アレックスはまた狼狽して顔を赤くした。こちらが気づかねばならないことを、少年から言わせてしまっている。


(まったく、俺は接待係には向かないな)


 ウェイブレット号での副官だったシムケットなら、こんな風に気を使わせる前に、さっさと棚を開け、さりげなく使い方を教えてついでに今頃は上着にブラシをかけている。


(しっかりしろよ。士官学校で給仕のやり方だってきっちり習ったじゃないか)


 遅ればせながら以前習い覚えたマナー集の教科書を頭に思い浮かべて、失礼と断ってから棚を開ける。クローゼットになっているそこに荷物を入れ、上着を掛けるだけで背中に汗が伝った。

 サッタールはアレックスの動作をじっと見つめている。多分一回で覚えようとしているのだろう。


(生活の仕方を一からレクチャーする必要があるんだな)


 マクガレイがなぜ賓客とも言うべきこの少年に、個室を与えず自分を同室にしたのか、今更ながら思い当たった。


「これでおわかりになったでしょうか?」


 いったん棚を閉めて、もう一度開けてみせるべきかと思案しながら首を回すと、サッタールは笑いをこらえるような表情をしていた。


「す、すみません。私はまた何か失礼なことを考えていましたか?」

「すまない。あなたの思考を読むまいと気をつけてはいるのだが」


 サッタールは拳で口を押さえた。


「トノンでも言ったが、それは私の方が無礼なのだ。だが、なぜかあなたの思考は……親和性がとても高くて」

「親和性……? いや、それは単に私が単純だからでしょう。ほら、子供の考えてることとか、本人は隠しているつもりでも分かりやすいじゃないですか? 今日のユイ・クドーもそうですが。とにかく読んでミスター・ビッラウラが困らないなら私はいっこうに構いません……あ、いや、困ることもあるのですが。講話中にろくでもないことを考えていたりとか……いや、そんなことはどうでも……」


 しどろもどろで答えると、サッタールは声をあげて笑いだした。そんな風に笑うと、この少年がまだ十代なのだと改めて気づかされる。


「島ではお互い様だが、ここではそれはフェアーではないのだと、肝に銘じておこう、イルマ少尉。それから非公式の場では名で呼んでもらってもいいだろうか? あまり、家の名は好きではないのだ」


 最後にほんの少し苦さが混ざった声に、アレックスはハッとする。


「承知しました、ミスタ……えーと、サッタール……君……?」


「呼び捨てでいい。敬語も必要ない。あなたもその方が楽だろう。それとも……あまり私と親しいとあなたの立場が苦しくなる?」

「え? それは」


 一瞬だけ言い淀んで、すぐにアレックスは首を振った。


「既に軍も中央府も、私のことはコラム・ソルの専任と思っていま…いるんだ。トノンで君に出会ったのが私なのだから。だけど仕方ないなんて思っていないよ」


 そして、心の中で付け加えた。


『この部屋に限らず、あらゆるところに盗聴器が取り付けてあって、君も私も全ての言動は監視されている、と思う。多分今もジャクソンは聞いているだろう。窮屈なことだと思うけど、辛抱して欲しい』

「あなたに甘え過ぎないように、気をつけよう」


 サッタールは何事もなかったように答えて立ち上がった。


「さて、ショーゴの様子を見に行こう」

「あ、はい……そ、そうだな」


 言葉遣いを直そうとしたあげく、舌を噛みそうになりながら、アレックスはベッドから降りてドアを開けた。案の定、ジャクソンが苦虫を噛んだような顔で出てきた二人を見下ろす。


「まずは医務室。それからひととおり艦内を案内する」


 一応告げると、ジャクソンは黙って頷いた。




 ショーゴは医務室の一角に寝かされていた。腕には島ではなかった点滴がつけられている。その他に、心電計や血中酸素濃度を計る器具にも繋がれていた。


「ミズ・ビッラウラほどの念入りな看護は難しいので、栄養状態を保つために処置しました。他には何もしておりません」


 慇懃に軍医に告げられ、サッタールは白い包帯を巻かれたショーゴの腕にそっと触れた。


『大丈夫か?』

『ああ、ちと眠いな。軍医のおっさんも、他の看護師も、俺に触るのが怖いらしい。おかげで胃や気管に穴を開けられないで済んでるみたいだな』


 くすっと笑う気配がした。


『どんな処置も私の同意を得てからと、頼んでおこう。何かあったら呼んでくれ』

『うん、頼むよ』


 念話を打ち切ると、サッタールは軍医に丁寧に頭を下げた。


「面倒なことだろうと思いますが、処置の前には私に説明をお願いできるだろうか?」

「承知しました。急変しない限りそのように。食事ですが、流動食の用意はできます。点滴だけでも数日ならば問題ないと思いますが」


 言葉を濁した先を読んで、サッタールは再度頭を下げた。


「私が食事の世話をしましょう。姉からやり方は聞いている」


 ショーゴ・クドーの意識が本当に眠っているのか疑っていた軍医は、安堵を滲ませて頷く。


「よろしくお願いします。連絡はイルマ少尉にいたしますので」


 サッタールはもう一度ショーゴに触れてみた。もうその意識は眠りの中にあった。


(薬を入れられたか……)


 ショーゴの能力の概要を知っている幹部たちにとっては、心の表層を読まれることよりも、ショーゴが艦の機器に何かする事の方に危惧を抱いているようだった。


(用心深いことだ)


 すまない、と眠っている男に詫びて、後ろに控えている二人を振り返った。ここでの言動は全て監視されているというならば、せいぜい大人しく振る舞って、侮られていた方がよさそうだった。


「次はどこに行くのかな?」


 話の成り行きをうかがっていたアレックスが、肩から力を抜いたのがわかった。


「まずは食堂に。食事は他の士官たちと同席になりますので。それからシャワー室と……」


 艦内見取り図を思い浮かべて手で促すのに、サッタールは期待に満ちた顔を作ってうなずいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ