13
サラ・マクガレイは護衛艦トルネード号の自室の窓から月を眺めていた。水平線を昇ってきたトゥレーディアは、普段よりも大きく赤く見える。
「さて、どうしたものかな」
一人ごちてから視線をテーブルを囲んでいる男たちに戻した。数日かけてコラム・ソルとの交渉は進み、明日には出航が決まっている。
正式な取り決めはセントラルで法務役人たちの助言の元に議長が明文化すべき仕事だったが、海軍としては協定が結ばれるまでの暫定的な関係のあり方を詰めておかねばならなかった。それがようやく終わる。
ガナールもビッラウラも、物わかりの悪い人間ではなかった。長く隔絶された島で生まれ育ったのに、こちらの社会への理解力もあるし、驚くほど法律的な知識もあった。
「胸に秘めた感情ですらさらけ出されてしまうからこそ、口に出す言葉や紙に書かれた文章しか公式には認めないとは、逆説的ですが賢いあり方ですな」
今は艦長席を譲っている航海長が皮肉に口を歪めて笑った。
「一見、木訥な時代遅れの島に見えるが、彼らはしたたかだよ」
マクガレイも応じて、テーブルの紙の束をトンと叩いた。
「港の広場に、島人に対する通告掲示板が置かれているんだが、そこにはビッラウラが心で命じたことがいちいち文章にして掲げられている。我々が来てから飛躍的に増えたようだがな。彼らはそれを我々に隠そうともしない。つまり、事前にこういう問題が起こりそうだからこのように対処しているとさりげなく知らしめているのだな」
「掲示板とは……。風で飛んだりしないんでしょうかね?」
「普通の紙じゃなかった。薄い陶版に刻みこんでいるようだから、雨風には強いだろう。倉庫には三百年分のそうした陶板を保管してあるらしい。つまりコラム・ソルの歴史を学びたい者がもしいたとすれば、宝の山な訳だ。どうもコラム・ソルの法律は――と言えるかわからんが、コモン・ローなのだな」
それらの陶板は、比較文化学者からすれば垂涎の的だろうが、軍人たちにはさほど魅力のあるものではない。
「ほとんどが我々に不用意に近づくなってことでしたね」
アレックスが控え目に言う隣でジャクソンも頷く。
「要するに、その通達にもかかわらず我々に近づく者は何らかの明確な目的があると考えられます」
「ユイ・クドーのことか?」
アレックスの通信機の顛末は、技術者を驚愕させ、ここに集まった面々を唸らせたが、クドーの妹はそんな軍人側の思惑を知ってか知らずか、その後もアレックスの姿を見かける度になにかとまとわりついてくる。
小さな少女の扱いは慣れているアレックスだが、あまり肌を触れさせないのが礼儀のはずのコラム・ソルの少女が、何の躊躇もなく手を繋いでくるのには閉口した。
「それは貴様が一番ガードが緩いからだろうな」
皮肉でも何でもなく、当然といった顔で上官に断定され、アレックスは情けない顔になった。元々微妙だった自分の立場はどんどん難しいものになっていく。
「まあ、そうクヨクヨするな。貴様には国家の中枢を揺るがすような機密は教えてやらんから、気楽に遊んでやれ」
「アイ・アイ・ダム」
同席している軍医にまでくすりと笑われ肩を落とすが、いたしかたない。
「実際問題として、接触を最小限にというのは、我々にとってもありがたいですな。ユイ・クドーの能力を思うに、艦に招待などすれば一人でミサイル発射装置までいじりかねん。……まあ、その少女がその必要性を感じたら、の場合ですが」
航海長は口をへの字に結んだまま嘆息した。
「そこは彼らの良心と正義に頼るしかないだろう。こちらだって後方の駆逐艦からミサイルを飛ばそうと思えばできることだ。ビッラウラが言ったとおりにな」
「そのためにはきちんとした大義名分と、うんざりするような手続きが必要ですがね」
コラム・ソルの脅威をどのように計るのかが見えないのが、軍人たちの不安の元なのだ。戦闘だったら相手の装備や資源を推し量りつつ計画を立てられる。
が、彼らにはほとんど何の装備も資源もない。見たところ武器と言えそうなのは刃物の類しかなかった。人口もたった七百人なのだ。ミサイルの二、三発を打ち込めば、あの小さな島は灰燼に帰することは明白なのに、もし本当にそうしたらどんなことが起きるのか全く予測がつかないのだ。
「戦争するんじゃないんですから」
小さく抗議したアレックスは、一斉に睨まれてまた口を閉じた。
「ミスター・クドーの件だが」
気まずい沈黙を破るようにマクガレイは話題を変えた。
「セントラル海軍病院から受け入れると返答が来ている。搬送はセントラルまでこの艦だ。なるべくなら目立ちたくないからな」
軍医は重々しく首肯する。
「ミズ・ビッラウラの付き添いを打診しましたが、島に医師が他にいない為、こちらに任せたいとのことでした。容態は安定しているので医師の常時付き添いは必要ありませんが、いわば植物状態なので専任の看護師は用意した方がよろしいでしょう」
「点滴すらなくて、どうやって栄養補給をしているのかと思ったのだが?」
「身体機能は驚くほど保たれています。流動食を喉に流し込むと、反射的に飲み込むのですな。あそこでは脳波も取れませんし、MRIはむろんX線撮影もできませんから脳のどの部分がどの程度損傷しているのかは未知数ですが……ミズ・ビッラウラは回復できると期待しているようですな。実は私も同意見です」
「理由は?」
「最初は脳死状態なのを無理に生かしているのかと思いました。しかし瞳孔の反射もあり自発呼吸ができていることを考えると、少なくとも脳幹は生きています。大脳の活動については不明ですが」
軍医はどう説明したらいいか思いあぐねるように眉を寄せた。
「あの島の人々の驚異を思うと、もしかしたらミスター・クドーは意識があるのではないかとも思いました。心で話せる人たちなのですから、意識があればわずかでも意志の疎通ができているのではないかと。そう考えて看護にあたるミズ・ビッラウラの行動を観察したのですが、私には確信が持てませんでした」
「ふむ。意識があるのを承知しているからこそ、彼らはクドーの回復に熱心なのかもしれんな」
「ならばなぜそうと言わないのでしょう?」
アレックスの疑問に、マクガレイは薄い笑みで答える。
「我々をどこまで信用できるのか、彼らも不安なのだ。クドーの身柄をいわば何の担保もなく委ねるのだからな。宇宙軍などに渡してみろ。奴らはクドーの身体を切り刻んで実験材料にしかねん。そうじゃなくても少しでも功名心のある医者ならば、脳波を診るだけでも興奮するだろう。違うか?」
視線を向けられた軍医は、顔色も変えずに頷いた。
「医学研究に功名心があるかどうかは自分でもわかりませんが、実験してみたいという気持ちに駆られることは認めます。ただそれが、目の前の患者を治療したいという意志に勝るかどうかは、個人の資質でしょうな。属している組織からオーケイがでれば、私でもやるでしょう」
「許可は出さんから安心しろ。クドーの治療はコラム・ソルと我々が共同できるかどうかの試金石だ。誠意をこちらが先に踏みにじる行為は許さん。元帥ならそう言うだろう」
了解の印に黙礼を返して、軍医は席を立つ。医務室の一部をクドーの為に空ける準備があった。
「ビッラウラ少年の世話は、イルマに一任するからな。使節への待遇としては文句も出るかもしれんが、イルマと同室で過ごしてもらう。念の為にジャクソンも」
アレックスに異存はなかったが、その命令にジャクソンは微かに嫌そうな顔をした。鉄面皮の男にしては珍しい。
「どうした。不埒な考えを持っていなければ問題ないだろう? 彼は読んだ他人の秘密を吹聴したりはすまい」
「敵意を抱いていても?」
「セントラルに行けば、もっと苛烈な敵意に囲まれる。少々訓練を積んでおいて損はなかろう。それから、セントラルでは元帥のお宅に滞在する。イルマも貴様もな、ジャクソン。命令に不服なら軍を辞めろ」
はっきり敵意という言葉を使ったことに、アレックスは驚いた。だがマクガレイは承知していたようだ。
「職務には忠実でありたいと思っております」
「それでいい」
マクガレイは短く答えて、アレックスを除いたメンバーに退席を命じた。
「さて、イルマ。貴様にはもう一つ命じておかねばならん」
「イエス・ダム」
居住まいを正して、上官を見つめる。
「不測の事態がおきたら、ジャクソンはビッラウラを殺すかもしれん。彼にはその権限がある。特殊部隊だからな」
「……はい」
「敵意を向けられてもあの少年は動じないかもしれんが、それが殺意になったら、ビッラウラも静観はできんだろう。身体能力でかなわなければ彼は彼の能力を使って対抗せざるを得まい」
「それなのにジャクソン曹長を側に置くのですか?」
「艦員の動揺はそれだけであらかた抑えられる。皆が貴様のように彼らに好意を持っている訳ではないのだ。だから貴様は、ジャクソンとビッラウラが互いの特殊能力を発揮して戦うことがないよう最大限留意しろ。そして、それが不可避の時は……」
マクガレイは真顔で告げた。
「貴様が先に死ね」
「イエ……は? ジャクソン曹長に殺されろとおっしゃるんですか? それともビッラウラに……?」
「ジャクソンだろうな。貴様を見下すわけではないが、いくら鍛えていても、特殊部隊の小隊長にかかっては勝てまい。ビッラウラの方は殺意を向けられても相手を殺しはしない」
混乱して目を見開いたままアレックスは唾を飲み込んだ。
「根拠は?」
「ガナールが言っていただろう。相手の苦痛がそのまま自分のものになると。特にビッラウラは最高の精神感応者なのだろう? とすると、たとえ赤の他人でも死の苦痛と恐怖に、あの少年は容易に染まるんじゃないか。だからビッラウラは相手を殺そうなどとは考えまい。だが、それは必ず隙を生む。ジャクソンの腕ならば一瞬の隙でも十分だ。殺す気で争えばジャクソンが勝つ。だが、こちらの手でコラム・ソルの使節を殺してはならん。絶対にだ」
「だから……私が……」
「そうだ。不服か?」
「ノー……了解、しました。ですが、そんなことにはならないと思います……ジャクソンは理性的な男ですから」
「そうだな。私もそう願っている。そして自身の感情を完璧に抑え込めれば、あいつほど有能な護衛いない。コラム・ソルに敵意を向けるのはジャクソンだけではないからな」
青ざめた若い士官の顔に表れた様々な感情を眺めてから、マクガレイは胸のポケットから小さなボタンを渡す。
「自分の手に負えなくなる前に、私に通報しろ。なるべく駆けつけてやる」
「ありがとうございます」
ボタンはマクガレイの体温で暖められていた。アレックスは無意識に型どおりの敬礼をして退室した。
ジャクソンが、三人の部屋を用意している。それを検分することだけに心を傾けた。