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 館を出たアレックスが、教えられた通りに曲がりくねった小道を歩いていくと、すぐに青いスレート葺きの屋根を持った家が黒々とした発電所の手前に見えてきた。

 帽子を脇に挟んで、インターホンを目で探す間に、ドアが勢いよく開く。


「通信機、貸してくれるのっ?」


 挨拶もなにもなく勢い込んで叫んだのは、長い亜麻色の髪をおさげにした少女だった。頬と鼻の頭にそばかすをちらした少女は、期待を込めた目でアレックスを見上げている。


「あ……はじめまして。私はアレックス・イルマ。軍艦に乗ってきたんだよ」


 思いがけない成り行きに、どう話しかけようかと迷った末、妙に曖昧な笑顔になった。


「うん、知ってる。で、通信機は?」


 少女の目が、アレックスの手の中のシルバーの機器の上に止まる。食事を前に待てをされた子犬のようだった。


「えーと。この家には衛星の通信を捉えられるアンテナがあると聞いてね。これが繋げられるかどうか試したいんだ。入ってもいいかな?」


 噂のエンジニアの妹が、運用できるだろうとサッタールは言ったが、アレックスには少女がほんの子供にしか見えない。


(規格が違うものを俺に繋げられるかなあ。規格も仕様も違うんじゃないか? 艦から通信技術者を呼んだ方が早そうだけど)


 内心が筒抜けになることを忘れて、ひたすら熱心な瞳で通信機を見つめる少女から通信機を奪われないようにと、アレックスは手に力を込める。


 と、不意に少女が視線を地面に落とし、それから唇を尖らせた。


「あのっ、失礼な態度でごめんなさいっ。あたしはユイ・クドーと言います。サハル……えっと、ビッラウラの姉が、あたしの兄の部屋にいます。まずそちらへどうぞ」


 念話で叱られでもしたのか。渋々といった様子で中に案内する少女におかしさがこみ上げる。


(叱られた時の妹が小さい頃にそっくりだな)


 しばらく会っていない家族を思いだして、少しほのぼのとする。


「ありがとう。ぜひ、ミスター・クドーとミズ・ビッラウラに挨拶させてもらいたいな。通信機のことはその後でいいかな?」

「も、もちろんよ」


 あっと言う間に元気を取り戻した少女が後ろを振り返りながら尋ねる。


「妹がいるの? かわいい? あなたに似てる?」

「あ……」


 そうだ、ここの人間は皆、心を読むんだったと改めて思いながら、アレックスは微笑んだ。


「うん。弟と妹が一人ずつ。もうみんな君より大きくなったけどね。可愛いよ、見た目はともかく」

「あなたに似てるならかわいいと思うわ」


 生意気な口で評価を下しながら、奥のドアを開けると、中から艦の軍医とサハルが出てくる。


「ようこそ、いらしてくださいました、イルマ少尉。ユイが礼儀知らずで申し訳ありません」


 サハルは淑やかに礼をしたが、その瞳が濡れているような気がして、アレックスは軍医に目を向ける。壮年の医者は、小さく頭を振ってみせた。


「クドーに会ってやっていただけませんか? 彼が倒れたのは島の通信機が壊れた時でした。外の通信機を目にしたら、どんなに興味津々で喜んだでしょう」


 顔を上げたサハルは冷静に見えたが、軍医の表情からも容態はあまりよくないのだろうと考え、アレックスも静かにうなずく。


「承知しました。ではしばらくお邪魔いたします」

「私は軍医殿ともう少し話がありますので」


 視線で促され、アレックスは島で唯一だというエンジニアの部屋に入った。


 目に付いたのは、ベッドの頭上の壁に貼られた大きなファルファーレの世界地図だった。


「お兄ちゃんはこれを見るのが好きなの。あたしはコラム・ソルがあんまりちっちゃいからガッカリなんだけど」


 確かにこの島は小さい。しかもどの大陸からも離れた大海の孤島だ。だが三百年という月日の間、どことも交流がなかったこの島の住人の多くは、もしかしたら島の小ささなんてあまり考えないのかもしれない。


(でもミスター・クドーは知っていたんだな)


 初めて会う自分と同年輩の男は、アレックスの感慨をよそに静かに眠っているように見えた。点滴すらないこの島で、意識を失ってからひと月。普通ならとっくに息絶えていても不思議ではないと思うのに、クドーの肌は思ったよりもずっと生気があるように感じた。


「ミスター・クドー。ファルファーレ海軍アレックス・イルマです。初めてお目にかかります」


 声もなく目も開かないエンジニアに、アレックスは精一杯敬意を込めて敬礼する。そんな様子に痺れを切らしたようにユイがアレックスの腕を掴んだ。


「その通信機をね、少しお兄ちゃんの手に握らせて欲しいの。大丈夫、落っことしたりしないから。ちゃんと丁寧に扱うわ。だから貸して?」


 言われるまま少女に通信機を渡しながら、アレックスは笑った。


「ちょっと床に落としたぐらいじゃ壊れたりはしないよ」

「ありがと。あなたは怖い人じゃないのね」


 にっこりと笑ったユイは、兄の力のない手のひらを開かせて通信機を握らせ、そのまま自分の小さな手を重ね合わせた。うつむいた頬の産毛が窓から射し込む日の光にきらきらと輝く。


 アレックスは兄妹の触れあいの邪魔をしないよう、そっと視線を外して部屋を見回した。窓の下に大きな机があり、幾つもの工具や紙の束が置かれたままになっている。目を上げると発電所が迫るように建っていた。


 近づいて見れば、それはもはや骨董品、遺産と称していいようなものだった。それはそうだろう。なにしろ三百年だ。まだセントラル自体がなかった時代。

 この島のエンジニアたちがどのようにその能力を使ってあれを保持してきたのか、想像もつかない。


(集積回路が作れない、か)


 逆に言えば、これほど外界と隔絶されているここで、彼はその構造を知っていた唯一の人間なのだろう。

 たった一人で、恐らくは学校も師もなく、ただ遺されたものと壊れた受信機で傍受できるか細い糸のような情報しか得られない中で、孤独に奮闘していたのかもしれないと思うと胸が痛む。

 通信機を握らされた手は、ごつごつと節がたって、それは仕事で手を使う男の手だった。


(助からないのか?)


 先ほどのサハルと軍医の表情を思い出して、アレックスは慌ててその思いを打ち消した。ここでは思考は口にするのと同じなのだ。兄の手を真剣に握る妹の前で、不吉なことは考えまい。


 ふう、とため息をついた少女は、アレックスの思考に注意を払っていなかったのか、明るい声で呼びかけた。


「ありがとう、えっと……イルマさん?」

「どういたしまして。これが繋げられて、お兄さんも少しはホッとしてくれるといいな」

「ホッとするどころか……」


 言いかけてユイは拳を口に当てた。


「なんでもない。アンテナからの線は地下室の作業場に来てるの。一緒に来てくれる?」

「ああ。お兄さんは一人にしても大丈夫かな」

「大丈夫。サハルが隣にいるし」


 ユイは兄の手を大事そうに布団の中に戻して、跳ねるように立ち上がる。


「外がどんなところか知らないけど、お兄ちゃんはすごいのよ。見せてあげるね」


 おさげの先をひょこひょこ揺らしながら、少女はまた先に立って案内していく。後ろについて歩きながらアレックスはさりげなく観察した。


 天井にライトがない。壁に掛けられた時計はなんと振り子式だ。床は板が張ってあり、よく磨かれていた。カーテンも絨毯も人の手で織られたものなのだろうか? 外見は石造りに見えたが、中は木と布がふんだんに使われている。耳に入る音は自然のものばかりで、まるで昔話に出てくる家のようだった。


 それなのに案内された地下室に足を踏み入れて、驚く。

 焼けた壁と放置された様々な機器。モニターの残骸と思われるものは、中がむき出しになって、基盤を取り外した跡があった。


 ここで一人こつこつと働いていただろうクドーを思うと、元気になった彼と話してみたいと思った。


「ねえ、これよ。聞こえないの?」


 ちゃんと声に出しているのにと言わんばかりの不満そうな少女に、現実に引き戻されたアレックスはユイに手招きされるままに机に歩み寄った。


「これが中継器よ」


 それはどう好意的に見ても稼働できるとは思えない年代物だった。アレックスは期待に目を輝かせいてる少女を慮って控え目に告げた。


「これは私では扱えそうもないな。でも軍艦にはこうしたことの専門技師がいるから……」

「大丈夫。ほら、電源入れて、どこかと話してみて」


 ユイは待ちきれないように言って、アレックスの手を叩いた。渋々電源を入れると、なぜか勝手に設定が変えられているのに気づく。この通信機は小型コンピュータでもあるはずなのに、映し出された画面にはキーパットしかない。


「ねえ、どこの誰とお話するの? それ、電話なんでしょ?」


 電話なんて必要ないはずのこの島育ちの少女はこともなげに言い切って、アレックスの目をのぞき込んでいる。狐につままれたような気分で、指が言われるがままにセントラルの海軍本部の番号を押す。きっちりと二回、呼び出し音が響いて、カチャと相手が出た。


「はい、セントラル海軍本部受付です」


 それは確かに、あの無愛想を絵に描いたような受付のアンドロイドの声だった。誰と何を話すか考えていなかったアレックスはしどろもどろになる。


「あの……イルマ少尉です。その……ミュラー元帥は」


 しかし受話口からは無情な音声がそのまま続いた。


「ただいまの時間は対応できません。緊急の場合は……」


 よく考えればセントラルは今は真夜中の時間だった。そのまま切られてしまった受話口に、ツーツーと機械音が流れて、アレックスは何とも言いがたい顔でユイを見下ろす。


「あれってセントラル? 今のおばさん誰?」

「ごめん。あれは録音された音声なんだ。でも確かにセントラルには繋がったよ」


 手の中の通信機は、通話を切っても元には戻らず、キーパットのままだ。


「えーと……これはこんな機械じゃないんだけど。いったいどうやったの?」

「それはね……えーと、内緒っ!」


 得意げにニイッと笑ってユイは通信機を取り上げ側のテーブルに置き、中継器の電源も落とした。


「今ので貯めといた電気をだいぶ使っちゃったから、やっぱり発電所をなんとかしないとなぁ」


 そう呟く様子はやっぱり子供の顔だったが、アレックスの頭はすーっと冷える。


(何をどうしたか知らないが、これをこの子がやったのか? この子は通信機や中継器の仕組みをいつの間に知ったんだ?)


 サッタール・ビッラウラはコラム・ソルは滅びの寸前にあるように語った。確かに、ここはアレックスの知る豊かさとは違う、何もない無力な島に見えた。

 だが、こんな小さな女の子が何気なくやってのけた能力に、初めて恐怖を覚えた。筋骨たくましいガナールや理知的なビッラウラなら、不思議な力があるのだと言われればそうかもしれないと納得できたのに、目の前の小さな少女と能力がどうしても結びつかない。


(俺は、自分が思うよりも脳天気じゃなかったらしい)


 アレックスは浮かびそうになる恐怖を、慎重に胸の奥底に沈めた。





『こいつはおまえが一人でやったと思いこんでるんだなー。悪いな、ユイ』

『ううん。お兄ちゃんが本当は起きてるって、思われない方がいいんでしょ? あたしは平気。どんな風に思われたっていいよ』


 ユイはアレックスの放射した一瞬の恐怖に身をすくませたが、すぐに気遣う兄に元気よく答えた。


『兄ちゃんが起きたら、一発殴っとくからな』

『お兄ちゃんの方がどう見ても弱そうだけど?』

『バーカ。兄ちゃんを信じろ』


 通信機を実際にいじったのはショーゴだった。脳の中に閉じこめられた知識と技を、繋いだユイの手を通して使ったのだ。

 だが、サッタールもアルフォンソも、セントラルで治療を受けるには、今もショーゴが活発にその能力を使えることは伏せておいた方がいいという結論を今朝には出していた。



「あんたの身体を委ねたら、彼らは間違いなく治療のついでにあんたを研究材料として扱おうとするだろう。禁止事項は決めておくが、それが厳密に守られるとは思わない方がいい」


 サッタールの懸念は、いかにもありそうなことだった。


「しかもおまえの力は機械関係だからな。彗星にお手上げだった奴らにとっちゃ、見えない力で大事な機器類をいじられたらと思うと、間違いなく最重要危険人物に指定されるぞ。意識もなく力も使えないと思えば、とりあえずは治療の方に熱心になるだろ」

『でも意識があるまま頭蓋骨開けられるのはちょっとヤだな』

「そのときは、サッタールに意識を預かってもらえよ」


 アルフォンソはぞんざいに言って、ショーゴの鼻を摘む。


「考えてみれば、サッタール一人をセントラルにやらないで済むんだな。まあ、こいつが膝を抱えてメソメソしだしたら喝を入れてやれ」

「誰のことだ?」


 冷たい視線でアルフォンソを睨んで、サッタールはすっと立ち上がった。


「ショーゴ。あんたの身体はちゃんと治すからな」

『何度もクソ真面目に言うなよー。そんなに俺が好きなのかと思っちまうぞ。照れるだろ』

「言ってろ」


 口の端だけで笑って、二人はマクガレイ一行を迎えに出ていったのだった。




『やれやれ。ユイにとばっちりが行くとは思わなかったな』


 身体をベッドに横たえたままショーゴは心の底で呟いた。


『外の人間とのつきあいは疲れそうだ』


 それでもそうしなければならない理由が、ショーゴにも島にも、あった。


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