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 アルフォンソと海軍軍人たちを見送ると、サッタールはそのままショーゴの元に向かった。

 今日一日、サハルの介護なしにどうしているだろうかと気にかかった。ショーゴの体と脳を繋ぐ神経は、切れたままだ。身近な者と心で話せるといっても、体のいっさいを人に任せるのはストレスが溜まるだろう。ましてや今日は利かん坊のユイが世話をしていたのだから。


『どんな奴らだった?』


 ドアのノブに手をかける前から、ショーゴが待ちきれない様子で話しかけてくる。


『来たのは女将軍だって? それからおまえが会ったことのある若い士官。あと強面の男たちって……』

「ユイが話したのか? あんたを置いて見物してたんだな」


 ショーゴの部屋に入ると、ユイがふくれっ面でせっせとタオルを畳んでいた。サッタールは声に出して呆れたように兄妹を睨む。


『まあ、そう言うなよ。島中の奴らが見物に来てるのに、ユイが我慢できるわけないだろ?』


 ショーゴは笑って妹の弁護を試みる。


『ユイだけじゃねえよ。ミアも寄ってくれて、夕飯作りがてらひとしきり喋りまくっていったぜ』

「何だと言ってた?」

『怖いお目付け役がいなきゃ、夜中に忍んで行くのにってよ。何しろデッカい船に男たちをわんさか積んでるんだろ?』


 サッタールは顔を上げて宙を睨み、全島に響きわたるように念話を発した。


『誰もあの船に近寄ることは許さない。いかなる理由でもだ。交渉が終わるまで、各自自重して欲しい』


 夕飯時の命令に、不満の声も感じたが、それは聞かないで意識をショーゴに戻す。


「大声過ぎるよ、サッタール。びっくりしたじゃない」


 それでもユイの肉声だけは遮れず、サッタールは不機嫌に答えた。


「おまえ、明日も見に来るつもりだろう?」

「ううん。だってあの後ろの人たち怖かったもん。なんか武器をいっぱい持ってたよね? でも通信機は欲しいなあ。みんな持ってるなら一つぐらいくれたっていいのに。そしたらあたしでも島の受信機ぐらい直せるよ」

「さすがショーゴの妹と誉めてやりたいが、他人の持ち物に手は出すなよ。ここでは物の貸し借りは当たり前だし、一人が余るほどにため込むようなことはないが、あっちはそうじゃないんだ。全ての物はその個人の所有で、それを侵すのは罪になる」

「ふーん。変なの。不自由なんだね」


 よくわからない顔で不承不承頷いたユイは、ミアが作った食事をしに出て行ってしまった。


『そうか。所有の概念もずいぶん違うんだろうな』


 ショーゴの思念が曇った。


『俺たちはみんなで飢えるかみんなが食べるかしかないが、あちらさんたちはそうじゃないんだ。そんなこと通信機にかじりついてた俺が一番知ってそうなのに、おまえが言うまで気づかなかったよ』

「恐らく交流が増えれば増えただけ、そういう問題が次々に起こるだろうな」


 サッタールが最初にそれに気づいたのは、トノンでアレックスに腕を掴まれた時だ。

 あの時、荒天の中へ出ていこうとする自分たちを引き留めようとしたアレックスの心は、何の防御もなかったし、自分も遮蔽を立ててなかった。

 見えたのは彼の記憶だ。

 商船に乗っていたらしい父親の突然の死。家族の嘆きと困窮。三人兄弟の長男だったアレックスは、だから軍人になったのだ。口減らしと俸給目当てで。


 しばらく後になって、その記憶を反芻したサッタールは不思議に思った。外の世界には富があふれているのではないのか? 働き手をなくした家族がいれば、それは生き残っている他の大勢が支えるのではないのかと。幼い子供が働きに出て家族を支えなければならない世界なのかと。


「個人の持ち物はその当人だけが所有権を持っている。才覚のある者は富み、ない者は飢える。才覚のある者は子弟へ投資して、富は蓄積されその差は広がっていく。もちろんその差を縮めるシステムはある。それが国家の仕事の一つだ」

『ユイじゃねえが、そりゃ厳しい社会だな。だが、それでもおまえは外に出たがってる、だろ?』


 笑いを含んだショーゴの声に、サッタールは反論しようと口を開きかけたが、何も言えなかった。


『俺が外に行ってみたいのは、もっと技術を取り入れたいからだ。使えるものは何でも取り入れて、そんで島に持って帰ってくる。だけどおまえは違うよなー。おまえほど島を誇りに思ってる奴はいねえけど、おまえほど嫌ってる奴もいない。外で生き抜く才覚ってもんがあることを祈るよ』


 言葉はおうおうにして行き違いを生むが、心で話す分にはそれは限りなく小さい。ショーゴはサッタールを揶揄している訳でも何でもなく、心底そう思っているのだ。


「島の為にならないことはしない」


 食いしばった歯の隙間から押し出すように答えれば、ショーゴの笑いは大きくなった。


『ああ、信じてるよ。だけど無理はしなくていい。島の面倒はアルフォンソがするだろ。俺も……まあ体が動くようになればもう少し手伝える。しっかし俺たちの社会なんてよお、偏在するのは権力じゃなくて超常能力。しかも投資しようったって遺伝子の気まぐれ。蓄積されるのは富じゃなくて責任。その象徴がおまえだもんな。おまえが変われば、島も少しずつ変わっていくさ。俺たちの子供……が生まれればだけど、その世代はもう外と変わりない考えで生きてるかもしれないぜ?』


 大きな力の持ち主を排出した五つの家が残したのは、外の人間とは決定的に違ってしまった自分たちの島を守れという使命だけだった。それは老ゴータムのサスティ家ですらそうだった。考え方の違いはあっても。

 幼いアレックスが家族のために軍に身を投じたことを哀れに思う以前に、サッタールは生まれた時から島への使命感を植え付けられて、がんじがらめに縛られている。


「それでも島は必要だ」


 島と外の間には、頭で理解し、互いを暖かい心で受け入れても、埋められない溝が残るだろう。そのときに帰る場所は必要だった。




 サッタールはショーゴの体の位置を変えながら、話題を転じた。


「ところでユイは本当にちゃんとあんたの世話をしてたのか?」


 自ら動けない体は、同じ姿勢で放っておけばすぐに血流が滞って褥瘡を作る。防ぐ為には度々姿勢を変えてやらねばならない。


 サッタールは、ショーゴをうつ伏せにして、背中に手を滑らせた。サハルならどの血管が詰まりそうかわかるだろうが生憎自分にはそんな技はない。だから中心から末端へ、末端から中心へとまんべんなくマッサージをしていく。

 ショーゴは研究肌の男だが、同時に手も足もよく動かす技術者だった。だから肩も腕も背も、アルフォンソとはまた違った筋肉がついていたのだが、このひと月でそれらは見る影もなくなった。押しても跳ね返りのない柔らかい肉を押しながら、湧きあがる不安を押し殺す。


『あー、気持ちいいって言ってやりたいが、全然感じなくて。悪いな』


 ショーゴはのんびりした調子で続けた。


『サハルがさあ。内蔵もちゃんと動いてるから心配するなって言うんだけど。刺激すれば俺の男のものもちゃんと勃つらしいぜ?』

「私にそこもマッサージしろと?」


 わざと冷たい声を出すと、ショーゴはくっくと笑った。


『アルフォンソならごめんだけど、おまえなら頼んでもいいぜ?』

「それが体の機能を保つのに必要ならやってやってもいいが。その代わり最後の一滴まで絞り尽くす」

『やっぱ、やめとく。ちゃんと動けるようになったときに弾がなくちゃ情けないもんなー』


 慌てて答えるショーゴの白くなってしまった臀部をピシャと叩いて、サッタールはマッサージを終わらせた。


 まだたった一日の交渉が終わっただけだ。これからうんざりするような問題と長い時間をかけて向き合わなくてはならないだろう。でも、心は疲れを訴えている。


「アマル・フィッダにいるとアルフォンソが来たら伝えてくれないか?」


 ショーゴの体を元に戻して頼むと、年長の友人は小さく笑った。


『自分で伝えろよ、と言いたいとこだけど。マッサージのお礼にそれぐらいはしてやるよ。クラゲと遊んで頭冷やしてこい』


 心の声とは裏腹にやせて生気のない頬をつついて、サッタールは足早に部屋を出る。ユイに見つかると面倒だ。サハルの話も聞かなければと思う一方で、少し一人になりたかった。


※※※



 月が二つとも出ていた。東の空に太りかけたトゥレーディアが、西の空には痩せたロビンが、静かな湖に光を投げている。湖面には月の光に誘われたクラゲたちがゆらゆらと漂っていた。

 サッタールは泳ぐのはやめて湖岸に膝を抱えて座った。風もなく補食する相手もいないのに、クラゲはふわふわととらえどころのない体を揺らしている。


 中央府が、自分たちが思っていたよりもずっと警戒しているのには驚いた。アレックスの警告が胸に蘇る。


(奴らは本当にこの島を滅ぼそうとするのだろうか?)


 中央世界の人間たちが羨むような暮らしはしていないはずだ。所有の概念が違うのは、そうしないとこの島では生きられないからだ。


 移住してきた当初は、まだ外の人間たちと大差のない考えを持っていただろう。なにしろその頃は、金銭が流通し、店があったのだから。

 しかし人口が減った今、実った作物も、漁で捕った魚も、織った布も、陶器も革製品も、全てが共有の財産で、売り買いされることはない。倉庫に収められたそれらを必要に応じて各々が持っていく。ショーゴが必死で管理していた電力と金属資源も、共有されるものであって、誰もが似たような暮らしを営んでいる。


(異質、なんだろうな)


 ここには競争もない代わりに、新しい文化を産み出す力もなく、時の中に忘れ去られたような島だ。天から与えられた力に差異はあっても、力が大きく有用ならば責任が増えるだけの代物だった。




 サッタールは、自分の力が並外れて大きいことは幼児の頃から知っていた。島どころか沖で漁する者たちにまで響きわたる心の泣き声に、皆、苦笑しながら父親に言ったものだった。


「あの坊主はしっかりしつけないと、皆が迷惑する人間になるぞ」


 サッタールを産む時に母は亡くなり、元から厳格だったらしい父親は、傍目でも厳しくサッタールに当たった。最初は島の運命を背負える人間になるようにという願いもあっただろう。


 しかし、成長するにつれて父親のサッタールに対する態度は、苛烈を通り越して、ただ大きな力を持って生まれた息子が憎いだけのように感じられるものに変わっていった。

 感情を素直に面に出すだけで父はサッタールを何度も殴り、地下室に閉じこめ、食事も与えず何日も放置した。食事を運び、手当をしてくれるサハルがいなかったら、サッタールは十歳になる前に死んでいたかもしれない。


 あれはサッタールが十一歳になる直前だった。父親の思考を読んで、激しく反抗したのは。


「父さんは僕を殺したいんだろ? だけど僕は絶対に死んでやらない。母さんを殺した僕を殺して、姉さんに自分の子を産ませようなんて、そんな下劣なこと、僕が生きているうちは絶対に許さないっ」


 喉が破れそうな声で叫んだが、思念は抑えたつもりだった。自分の父親がこんな恐ろしいことを考えているなんて、島人に触れ回るつもりはなかった。


「島から出ていけっ。二度と僕たちの前に姿を現すなっ!」


 父親の顔色が変わった。恐ろしい形相で息子を睨みつけた父は、足を引きずるように海へと向かった。

 サッタールが初めて他人の精神を操作した瞬間だった。


 そのままだったら父親はサッタールの命令通り、海に飛び込んで死んだだろう。そしてサッタールは父親殺しの罪を負ったに違いない。


 親子が救われたのは、サハルの悲鳴を聞きつけたアルフォンソが駆けつけたからだ。飛び込んできたアルフォンソが父親を柱に雁字搦めに縛り上げ、当時の島長だったゴータムと力を持つ者たちが一斉にサッタールを抑えにかかった。


 それで抑えられたのはサッタールがまだ子供で、力はともかくも心が未熟だったからだ。命令は撤回され、サハルとサッタールは父親が一年後に突然死するまで、ショーゴとユイの暮らすクドー家で過ごし、島中の大人たちが面倒をみた。


(あの時から、私は島に責を負っている)


 力の衰えたゴータムが島長の交代を告げる前から、ずっと。




 ちゃぽんと、湖面にさざ波がたった。振り返ると、思った通りにアルフォンソが立っていた。


「またずいぶん昔のことをクヨクヨと悩んでやがるな、おまえは」


 せせら笑って、アルフォンソはうずくまっていたサッタールの胸ぐらを掴んで引き上げた。


「サハルもショーゴもおまえには甘いからな。おまえが膝抱えてベソベソしててもニコニコ暖かく見守ってやるかもしれんが、俺は違うぜ」


 アルフォンソの吐く息に顔を背けようとすると、今度は顎を掴まれる。


「昔のことなんざ、どーでもいいんだよ。ゴータム爺さんだってそう思ってら。おまえだけだよ、いまだに親父さんに囚われてんのは」


 真っ正面から、そのことを持ち出されるのは初めてで、サッタールはギリッと奥歯を噛んだ。間近に迫る緑の目がギラギラと光って見えた。


「おまえは聡いくせに馬鹿だからな。島の者がみんな思っていることに気づいてねえだろ。皆、おまえならこの状態を変えてくれると信じてるんだよ。八方塞がりな島をな。それなのに大事な交渉の前に自分の弱みにはまってんじゃねえよ」

「爺さんが……? でも、あの人は私が何をしても文句しか」

「だからおまえは馬鹿なんだよ」


 吐き捨てるように言って、アルフォンソが乱暴に手を放す。よろけたサッタールが尻餅をついたまま見上げると、強大な力を誇る男は、しゃがんでサッタールの頭を撫でた。


「小さいことは気にするな。外の空気を島に持ち込んで、かき混ぜて、新しい島を作るんだよ。おまえはそのための触媒だ。反応が尻すぼみじゃ困る。今のおまえはもう、自分の力に振り回されたりしないだろ? アレックス・イルマが伝えてくれたように、島ごと吹っ飛ばそうとする奴らがいるなら、おまえはセントラルに行ってそいつらを抑え込め。誰の心を読んでも操っても構やしねえ。それで味方を作ってこい。それがおまえのやることで、後は全部俺が引き受けてやる。メンドくせーけどな」


 転んだ拍子に髪紐がほどけて、うつむいたサッタールの顔を隠した。


「おいおい、いつもの小憎らしい顔はどうしたよ?」

「……あんたほどじゃないだろ」

「そうか? 俺は島きってのいい男だぜ? その俺を顎で使うくれーに高慢ちきだったくせに。何でもわかってるみたいな顔しやがって。あれは単なる子供の背伸びか?」

「……悪かったな、高慢な子供で」


 喉に熱い固まりがこみ上げてきて、息が詰まりそうになる。


「ロビンが沈むまでには戻る。話があるならそれからにしてくれ、アルフォンソ」

「バーカ。その頃には俺は誰かの寝床でぬくぬくしてるぜ。邪魔すんなよ。セントラルから援助を引き出す方法はおまえ一人で考えろ」


 アルフォンソが立ち去る気配をサッタールはうずくまったまま聞いていた。心を落ち着けると、小動物たちの夜のにぎやかな物音が耳に入ってくる。すぐ近くで地面を歩き回る鳥たちがクゥオーと鳴き交わしていた。捕食者がいると告げているのだ。


(喰われないようにしないとな)


 ぽつんと思って、サッタールは柔らかな草の中に寝ころんだ。中天に昇ったトゥレーディアが眩しかった。


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