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 上陸用ボートがけたたましい轟音と白い波の尾を引きながら走るその前を、小さなボートが静かに滑っていく。


「舷から飛び降りたのも驚いたが、あれはあれでやはり怪異だな」


 マクガレイが愉快そうに笑った。この艇には准将とアレックスの他に六人の屈強な男たちが乗っている。前後に据えられていた機銃は取り外されていたが、迷彩色の無骨な軍用艇と比べれば、先のボートはまるで水鳥のようだった。


「あれは我々に力を見せつけたのでしょうか?」


 マクガレイのすぐ後ろに陣取った特殊戦闘長が低く聞いた。


「どう思う、イルマ?」


 アレックスは首を振った。


「どちらかというと、単に煩わしかったんじゃないですかね? いちいちクレーンで釣り上げられるのが」

「それなら梯子で乗り降りさせればよかったな」


 あははと声に出してマクガレイは笑ったが、その目が笑っていないことに同乗の全員が気づいていた。


 訓練を積んだ海軍兵士でも、あの高さから飛び降りるのは多少の恐怖を伴う。ましてボートはとても飛んで乗り移れる距離ではなかった。だが少年は不自然な放物線を描いてすとんとボートの上に降り立ち、着地の揺れすらろくになかったのだ。


「だがあれはビッラウラ少年の力ではないのだろう? ボートに乗っていた男のものだな」

「たぶん。トノンにも来ていましたし」

「何故長を交代したのかな。だが共に行動しているところを見ても、あの二人が対立しているようにも思われん。まあ我々はコラム・ソルについてなにも知らないのだがな。彼らの力だけではなく、統治機構も、産業も、文化も」

「統治機構なんてものがあるとは思えませんね。こんな小さな島では数千人もいるのかどうか。せいぜい村長といったところでしょう」


 戦闘長は色の混じらない調子で答える。


「海賊の一団としても小さな規模です。女子供を含んでの数字でしょうから。しかも海中の孤島でどことも交易もない。生活レベルは僻地の寒村と変わりないのじゃないでしょうか」

「その寒村レベルの島に、中央府が戦々恐々としているのだ、ジャクソン曹長。行ってみれば驚異の島なのか脅威の存在なのか、わかるだろう。その両方かもしれんがな」

「准将。何度でも言っておきますが、万が一生命の危険を感じた場合、我々はあなたの命令よりも早く動きます。彼らが我々の知る通常の兵器を使うなら、あなたやイルマ少尉でも十分対処できるでしょうが、目に見えない、エネルギー感知もできない手段を持っている以上、命令を待つつもりはありません」

「承知してるよ、曹長。だがその為にも頭から脅威脅威と思わぬことだ。おまえたちのその感情がかえって彼らの暴発を招きかねん」

「心にさざ波ひとつたてませんよ」


 ジャクソンは、普段は物静かだが気のいい男だった。アレックスはこの男に、ペレスに帰ったシムケットを思い出した。二人に共通するのは、己の職務に対する揺るぎない自信だ。


(もっともシムケットは機関士長で、ジャクソンは殺しのプロだけどな)


 特殊戦闘員は平時は要員の護衛も務めるが、戦闘時には部隊と離れて敵地に潜入し、敵の中枢を攪乱し、時には暗殺もやる。軍のいわば暗部を受け持つ存在だ。反政府運動が地域住民を巻き込みながら拡大しようとすると、密かに彼らに命令が下る。非戦闘民の人間の壁を無慈悲に攻撃できない表の軍に代わり、中心の指導者たちだけを殺し、組織を瓦解させる。


 そんな彼らがマクガレイの護衛を受け持つことに、准将自身は大して違和感を覚えていない様子だったが、アレックスは一人納得できない思いを抱いていた。


(俺の知らないところで変な命令が出てないだろうな……)


 アレックス・イルマは本人の自覚の有無によらずコラム・ソルに対する情報流出の元になる、という見解があることは承知している。事実そうなのだろう。少なくとも航海長は、島での行動を策定する会議で、アレックスを途中で追い出した。


 最初は護衛なしでと言った准将も、あれがどこまで本気だったか、心を読むなどという才能を持たないアレックスにはわからない。

 どんどん大きくなる緑の島を睨みながら、アレックスはこの会談が平和裏に終わることを切に祈った。同時に何故自分がこれほど彼らに惹かれているのか不思議に思う。


(二度しか会ってないのにな)


 自分の心の有様に首を傾げているうちに、艇は真っ白な砂浜の脇に作られた小さな桟橋に着いた。





 浜はその奥が石段になっており、南洋の木々に囲まれた広場がある。その真ん中にサッタール・ビッラウラとアルフォンソ・ガナールが立ち、周囲を多くの島人が取り巻いていた。広場の右手には岬の先に建つ発電所へと続く道が通り、左手に石造りの古めかしい館があった。


 マクガレイは颯爽と桟橋に降り立つと、そのままスタスタと広場に向かった。准将の証である金の肩章が日光を跳ね返してきらりと光る。

 二人の前に立ち海軍式に敬礼をすると、サッタールはまた足を引いて礼を返したが、アルフォンソ・ガナールは仁王立ちしたまま頷いただけだった。


「ようこそ、我が島へいらせられた。サラ・マクガレイ准将ファルファーレ海軍中央司令殿。コラム・ソルの長、アルフォンソ・ガナールです」


 それは完全に上からの物言いだったが、マクガレイは気にした様子も見せず、アルフォンソを見返す。


「上陸の快諾、ありがたく思う、ミスター・ガナール」

「こちらも、サハル・ビッラウラへの医療援助に心から感謝申し上げる。彼女は新しい知見をこの島にもたらすだろうと期待している」


 この言葉に、遠巻きにしていた人々から低いざわめきが起きた。そのざわめきに驚きが含まれているのをアレックスは肌で感じた。


(人質ではないと島人に示したのか……?)


 自分が軍とサッタールとの間の葛藤に揺れるよりも、あの二人はこの事態と島人との間の、より微妙な立場にあるのだろうと思い至って、アレックスは頬を引き締めた。


(どんな組織にもあることだな)


 ましてや指導者という彼らの立場なら余計だろう。それならば自分は彼らと中央世界との間の齟齬を、極力減らしたい、とそう思う。


「席を用意してあります。まずはゆるりと座って話しませんか、マクガレイ准将?」

「お招きに感謝し、ありがたくそうさせていただこう」


 アルフォンソが先に立ち、マクガレイと護衛が続く。その後ろについたアレックスの側に、サッタールが目立たぬように並んだ。



「一つ、聞いておきたいんだが。バカバカしいと言われるかもしれないけど」


 前置きして、そっと少年に問いかける。


「さっき私の心に押し入ったと言っていたけど、あれはセントラルにいる時に見た君の夢の……」


 サッタールは目線を上げないで口の端だけで笑った。


「今はそのことを考えないでくれるとありがたい」

「え……?」


 小さく狼狽したが、サッタールの言葉は周囲の島人への配慮だろうと直感して、話題を切り替えた。


「子供をあまり見かけないね。私たちを警戒してるのかな?」

「いや。少なくとも三十歳以下の者はほとんど来てる」


 驚いてアレックスは視線だけ素早く巡らせた。数百人の中に子供と言える歳の者は数えられるほどしかいない。若者もだ。集まった大半が中年以上の男女で、その顔に怯えと困惑の表情を浮かべている。

 軍など滅多に見ない僻地に行った際、好奇心で無防備に寄ってくる子供たちの相手をすることが多かったアレックスには、居心地の悪い視線だった。


 それきり、誰もが口をつぐんで、緊張をはらむ行列は広場脇の館に吸い込まれていった。




 館に入ると、広いホールになっていて、開け放たれたテラスからは青い海と護衛艦が見渡せた。

 再度の挨拶の後、マクガレイとアレックス、アルフォンソとサッタールが着席する。二人の軍人の後ろには護衛たちが黒っぽい壁を作る。一方コラム・ソル側では華やかな肩布をひらめかせた若い男女が、中央のテーブルに若草色の梨のような果物と水差しを置いて回っていた。


「日差しの強い日だ。喉も渇かれただろう。島で採れるものしか差し上げられないが、くつろいでいただきたい。後ろの方々も」


 アルフォンソがにこりともしないで勧める。アレックスの後ろで、ジャクソンが微かな息を漏らした。すると水差しからグラスに水を注いでいた十代後半の少女が戸惑った視線をサッタールに投げかけ手を止めた。

 サッタールは動こうとしない軍人たちに、これ見よがしなため息をして見せ、皮肉な笑みを浮かべた。


「心を読まれまいと気をつけておいでのことかと思いますが、申し訳ありませんがだだ漏れですよ、マクガレイ准将。この果物や水は口にしても大丈夫なのかと思っておいでなのが」

「それは失敬。で、大丈夫なのかな?」


 きわめて非礼とも言えることを平然と言って、マクガレイは肩をすくめた。

 サッタールはグラスを配ろうとしている少女に笑いかける。


「ミア。水をまず私に。それからサポテを割ってくれないか?」


 ミアと呼ばれた少女は、少しだけ口を尖らせ、おずおずとマクガレイに可愛らしい顔を向けた。


「せっかく朝、一番いい実を採ってきたのに、毒なんて入ってないわ」

「ミア。思ったことを口にしないではいられないなら、接待役は失格だ。下がれ」


 アルフォンソが厳しく叱り、ミアは不満そうな表情のままグラスをサッタールに押しやり、腰帯に下げたナイフでサポテというらしい果物を四つに割って大きな種を取り除いた。他の若者たちがなだめるようにミアの腕に触れ、さっと潮が引くように出ていくと、ホールに静寂が降りる。


「この果物はサポテといって、あまり中央では見かけないかもしれません。が、とても甘くて滋養のあるものです。ヴェルデ大陸からここまで、あなた方の船ならばそう多くの日数は必要としないでしょうが、新鮮な果物がもてなしになるだろうと考えたのですが」


 淡々と説明しつつ、サッタールはミアが割ったサポテの実を無造作に一つ取り、スプーンですくって見せた。頑固に動こうとしない軍人たちの中からまずアレックスが動いて、一つをマクガレイの皿に、一つを自分に取る。


「私が味をみましょう」


 後ろで余計なことをと思っている空気がしたが、構わずにアレックスが一口食べ、目を丸くする。


「うまいか、少尉?」

「もっと酸味があるのではないかと思いましたが、うまいですよ、甘くてクリーミーですね。確かに滋養がありそうです」


 酸っぱいものの方が好みなのだがと手を伸ばす准将に、ジャクソンが諦めたようにため息をつく。


「毒がなくてもアレルギーがあるかもしれませんよ。と言っても聞かないでしょうが」

「そう言うな。こう甘い香りを漂わせられたらな。おまえたちは食わんのか?」


 またジャクソンがこれ見よがしにため息をついた。


 サッタールとアルフォンソにはその心中が読めたが、それはおくびにも出さず、会話も聞こえないふりをする。


『護衛のくせに主に毒味をさせるのか、こいつらは』

『准将が倒れても自分たちが助け出すという判断だろ。まあ、渇こうが空腹になろうが、こちらの知ったことじゃないな』


「さて、召し上がりながらで悪いが、まずは中央があなた方を派遣した理由からお聞きしたい」


 あっと言う間に小さな実を平らげ、あとはサッタールに給仕をさせながらアルフォンソが鷹揚に尋ねた。


「三百年というもの。中央は我々の存在を知りながら放置してきた。それはこちらも同じことではあるが。それが何故、今、来られたのか?」


 マクガレイも口の中の甘い汁を滴らせる実を飲み込むと、平然と応じた。


「それはそちらこそ、と問い返したいところだが、押し掛けて来たのはこちらの方だからな。こちらから申し上げるのが筋ではあるな」


 いったん言葉を切り、グラスの水を飲み干してから、マクガレイは居住まいを正した。


「昨年の彗星の襲来が始まりだ。正確にはあなた方のトノン訪問に端を発しているのだが、それはひとまず置いて。実を言えば、あの彗星で、我々は大変な被害を被った。迎え撃つ準備ができていなかったというのは言い訳だ。恐らくはもっと以前から気づいていたとしても、結果に大差はなかっただろう」


 マクガレイが口にしたヴェルデ大陸での被害規模、死傷者の数に、コラム・ソルの二人は驚愕した。被害があったことはショーゴが傍受した放送通信で知っていたが、総勢七百人あまりしかいないこの島では考えられない被害の大きさだった。


「我々の社会は隅々まで大容量のエネルギー消費と電子的な制御に支えられている。軍備にしてもしかりだ。単純な火薬による小銃ならばまだしも、レーザー砲はもとより機関砲、ミサイルの管制も発射もコンピューターに頼っている。観測網も通信も発電も移動手段も、全てだ。それが一つ残らず役立たずの金属片に変わったのがあの彗星襲来時の我々だ。ところが、ロビン基地の光学望遠鏡で目視した者の報告によれば、この島は何らかのエネルギーを保持し、落下してくる彗星片をことごとく打ち落としたと言う。それは軍のみならず中央府に大きな衝撃をもたらした。何故、どうやって、彼らはそれを成し遂げたのか、とな」



 そう言えば、と思い出す。この島ではサッタールたちがトノンに行く前から、ショーゴの助言に従って発電所を止め、各戸に取り付けられている太陽光パネルも外して地下にしまった。

 つまりあの数日間、島では全ての電気器具は使えなかったのだ。


「どんくらい影響あるかわかんねえけど。すっげー強い電磁波でショートしたらもう直せないからなー。ギリギリの運用してんだから、それぐらいはやった方がいいと思うぜ」


 そう言ったショーゴに、日頃不満の多い島人の誰も異を唱えなかった。壊れたら困るのは自分たちだったし、サッタールもアルフォンソもさっさと自分で屋根に登って作業するのに、嫌だと言い出せる雰囲気でもなかったからだ。


 なによりもコラム・ソルの住人は、日常の隅々までそうした機器に頼る生活をしていなかったのが大きい。嵐がくれば電気が止まるなんて当たり前のことだったし、ましてや通信機器など最初から必要としない。



「申し訳ないが、我々には少し想像しかねる。我々の生活とあなた方の社会のあり方が違い過ぎるせいだと思うが。そして、どのようにしてという部分に関しては、基本的に帆船やボートを動かしたのと同じ力でとしか答えられん。それはあなた方の理解の外だろう」

「欠片と言えどそのスピードはマッハ六十を越える。中には推定だが直径数十メートルのものもあった。そのエネルギーを、人の力で砕いたとおっしゃる?」

「砕いてはいないな。ただ人家や重要な施設に被害がないよう落下の軌道を逸らしただけだ。この島は小さい。中央の都市とは比べものにならない。そして周囲は海だ。魚たちには迷惑だっただろうが、弾いてもどこからも苦情は出ないしな」


 うっすらと笑って、アルフォンソは視線を海に向けた。少しずつ日が落ち始めていた。風が出てきて、波頭が白いモザイクとなってエメラルド色の海を飾っていた。


「人の力かと問われているのなら、その通りだ」


 マクガレイは低く唸った。エンジンのない船を見ても、何か手品を見ているような愉快な気すらしていたが、今はじわじわと恐怖が募ってくる。

 大気を切り裂く衝撃波だけでも立っていられないほどだったあの日。空から無作為に機銃掃射されているのに等しい状況の中、何もできなかった無力感と自分や軍に対する激しい怒りは、あの日を体験した軍人なら誰でも鮮明に思い出せるだろう。


「ミスター・ビッラウラは、自ら精神操作に長けていると明かしてくださったが、ではあなた自身の力がそうしたものなのか、ミスター・ガナール? そんな大きな力をその体の中に秘めているのだと?」


 内心の恐怖を顔にも声にも出さず、マクガレイが訊く。


「そうだな。正直に答えれば、俺一人の力じゃない。だがマクガレイ准将、力の大きさとはなんだ? 数万トンの物体を動かす力は確かに大きい。しかし俺はナノメートルで配線された精密機器なんぞ扱えないし、精神操作もできない。サッタール・ビッラウラは思念で他人に命令を下すことはできるが、動植物に対してはさっぱりだ。こいつの家の庭はひどい有様だからな。が、さっきあなた方に突っかかったミアはどんな植物も育てられるし、心の力で品種の改良までやってのける。力とはなんだ? 人の顔が違うように我々の持つ力も様々だ。どの力が傑出していて、どの力が無用なものかなど計れはしないし、我々はそうした目で互いの力を見たりもしない」

「ますます怖いことを。我々の社会が電子制御の元に成り立っていることを思えば、心の力だけでそこに介入されたらどれほどの混乱が起きるか。また植物を育てられるなら枯らすこともできるだろう。増えていく人口を養う穀倉地帯にあの可愛らしいお嬢さんが力をふるえばどんな悲劇になるか。申し訳ないが、私たちはあなた方に恐怖を覚えざるをえない。しかし、だからこそ」


 マクガレイは身を乗り出して、じっとアルフォンソの緑の目を見つめた。静かな威圧があった。


「どうしたらあなた方と共存していけるのか、考えねばならない」

「共存とは?」

「昔、あなた方はブルーノ大陸に拠点を持っていたはずだ。我々は、当時、あなた方とブルーノ大陸政府との間で結ばれたという協定を探したが、見つからなかった。どういう経緯でコラム・ソルに移住したのかもわからなかった。故意に伏せられたのだろう。しかしこの三百年、伝説としてしか存在していなかったあなた方と、また出会ってしまったからには、再度両者の関係を構築していかなければならないと、中央府は考えている。艦でミスター・ビッラウラはおっしゃった。我々がミサイル搭載艦を持っていてもそれをいきなり発射したりしないように、あなた方もあなた方の価値観の元で自制されていると。それを協定という形で目に見えるものとし、疑心暗鬼や悪意のある憶測で歪められぬようにしなければならない。その為の前交渉役として私はここに来たのだ。協定を交わし明文化するには時間がかかる。だから中央府に、あなた方の代表を招きたい」


 表情を変えることなく、二人の若者はマクガレイを見つめ続けた。



 見えなくても聞こえなくても、二人が心で会話しているだろうことは、アレックスにも推測できた。思い切って一つの情報を心に浮かべてみせる。


『受けてくれ。准将が言っているのは中央府の中にある考えの一つだ。もう一つが優勢になれば、この島は宇宙から攻撃されかねないんだ。海軍はそれに与するつもりはないが、そんな流れを止める為にも交渉に入って欲しい』


 伝わるのかどうか自信はなかったが、サッタールの青灰色の瞳がすっと伏せられ、すぐに上げられた。


「どうして私たちがこの島に拠るようになったのか。私も先祖の日記や言い伝えでしか知らない。主立った家にもそれぞれあるだろうが、それを持ち寄ったこともない。だが共通の認識はあります。曰く、外の人間たちを信用するな。彼らは常に私たちの力を都合よく使い捨てた後は、異物として排除する。先ほどあなたはガナールの力に恐怖しておられたが、私たちは三百年という時の間、ずっとあなたたちに恐怖と不信を抱いてきた。それはとても根深い」

「だからこその協定ではないか?」

「あなた自身は信用できると思っています。イルマ少尉も。後ろの方々とですら、互いに理解し合えるかもしれません。ですがあなたたちが集団になった時、そのエネルギーは彗星の比ではない力となって私たちを引き裂こうとするのではないか、という疑いは捨て切れません。協定などという紙切れでそれが変えられると思われますか? 私たちは三百年前に一度失敗しているのです」


「惑星ファルファーレに生きる全ての人間は、生まれながらに侵されざる尊厳を有し、その自由と権利をファルファーレ中央府は尊重し、平等に保護するものとする。その良心に従って、ファルファーレ中央府はあらゆる圧制を廃し、相互理解と友愛の精神をもって問題の解決にあたることを誓い宣言する」


 突然マクガレイが語りだしたのは、中央府の定めたファルファーレ人民憲章だ。それは凄惨な戦争で傷つき、憎しみと絶望と疑心暗鬼の中で、それでも共同できる世界を作らねば未来はないと考えた先人たちによって綴られたものだった。


「三百年前とは、我々もあなた方も変わっているはずだ」


 穏やかに言ってマクガレイは口を閉じた。

 まずアルフォンソが大きく息を吐き、サッタールの肩をぽんと叩く。


「考えが煮詰まった時は休んだ方がいいな」

 その顔に苦笑が浮かんでいるのを見ればやはり二人は心で会話をしていたのだろうと、アレックスも肩から力を抜いた。


「マクガレイ准将。少し時間をいただきたい。会合はまた明日もってもらうわけにはいかないか?」

「もちろん。ほんの数時間で片がつくとは思っていない。我々は一度艦に戻るが、さて、そうするとミズ・ビッラウラをお送りせねばならんな」

「いや。こっちから迎えに行こう」


 アルフォンソが応じながら立ち上がると、全員がそれに倣う。



 アレックスは物足りない気持ちを抑えて、島の二人に背を向けた。もっとこの島を見てみたかったし、腹を割って話してもみたかった。彼らがどんな生活をしているのか、何を考え、望んでいるのか、知りたかった。

 しかしそれを言い出す権限はない。自分はあくまでも中央側人間なのだから。


 まだ日は落ちていなかったが、夕に吹く風が出始めていた。その風に島の二人の長い髪が乱れる。来たときは島人で賑わっていた広場は閑散としていた。

 既に了解していたのか、島のボートにはアルフォンソ一人が乗り、サッタールは広場に残っていた。


「また島の長が直々に送り迎えか?」


 マクガレイの問いにアルフォンソは皮肉に笑った。


「エンジンのついた船もあるし、他の者にやってもらってもいいが、不測の事態が起きると困る」

「そうか。それなら私もそちらに乗ってもよいかな、ミスター・ガナール」

「はあ?」


 思わず素の返事をしたアルフォンソは、マクガレイの後ろの護衛を顎で示す。


「とんでもないと非難轟々のようだが?」

「だがこれでは物足りん」

「あんたが島に残って俺の子を産むというなら歓迎するが、中央の偉い将軍ならそちらの不同和はそちらで片を付けてからにしてもらいたいものだな、マクガレイ准将」

「二十年前なら一考したかもしれんな。そしてそちらの言い分はもっともだ」


 不遜なアルフォンソの言いぐさに怒りも見せず、マクガレイはからっと笑った。このやりとりを広場に一人立つサッタールは聞いているのかいないのか、陰になってその表情は見えなかった。


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