第3幕 いきなりは、無理
涙声の柊から電話がかかってきたのは、夜8時を過ぎた頃のことだった。
葵は何事かと説明をもとめたが、柊は直接会って話しをしたいという。
「別に構わないけど。私が柊ちゃんちに行こうか?うん・・・うん、あー大丈夫だよ心配しなくても。うん・・・うん、じゃぁ柊ちゃんちのそばの公園ね、すぐ行くから待ってて。変な人が近づいてきたら一目散に逃げるんだよ?私の事は気にしないでいいからね。携帯忘れずにもっていってね。うん・・・うん・・・うんうん、平気だよ柊ちゃん。きにしちゃだめ。大丈夫だから。それじゃあ携帯きるよ?すぐに向かうから安心してね。・・・うん、それじゃ」
ディスプレイの通話終了ボタンを押す。
葵は腰掛けていたベッドから急いで腰を上げると、部屋の外に顔を出して階下へと声をかけた。
「おかーさーん!」
「なーにー!?」
階下からお母さんの声が小さく聞こえる。
「私今から柊ちゃんと会ってくるー!」
「えー今からー!?」
「今からー!」
普段はのほほんとしている母も、娘がこんな時間に外出することにはいささか危険を感じるらしい。しばし間があいた。
「大事な用なのー!?明日じゃだめなのー!?」
「大事―!明日じゃダメー!」
「仕方ないわねー!お母さんもついていこうかー!?」
「いらなーい!」
母の了承を得た葵は急いでドアから顔を引っ込めると、クローゼットに向かって急いで移動する。
クローゼットを開けて春物のカーディガンを取り出してそれを羽織る。
机の上の宝石箱から、小さな緑色の花がカラーストーンで象られた髪留めのピンを取り出して前髪をまとめた。
振り返ってベッドの脇に置かれていた姿見にうつる自分を眺める。
足首まで伸びるピンクを基調にした花柄のロングスカートのシワをパンパンと叩いて伸ばしてから「よし」と頷いて部屋を飛び出した。
階段で転ばないように、でもできるだけ急いで下る。
玄関についてから「いってきまーす!とリビングに向かって声をかけると
「いってらっしゃーい!」とお母さんが返事を返してくれた。
葵は玄関を勢いよく飛び出ると、門を開けて柊の待つ公園へと走り出す。
普段の運動不足がたたってすぐに息が切れた。
口の中が乾くが、徐々に落ちる自分のスピードにイライラした葵はそれも構わずひょろひょろと走り続ける。
柊が泣いたところなんて、今までの記憶になかった。
なにか余程のことがあったのだ。
柊の能天気な笑顔を思い出しながら歯を食いしばる。
待っててね柊ちゃん!私、すぐいくからね!
柊ちゃんは泣くのなんて似合わないから!
いつもニコニコ笑っててくれなきゃ、私どうしたらいいかわかんないよホント!
私が出来ることならなんだってするから。
泣かないで待っててね柊ちゃん!
待っててね!
暗くなった公園のブランコに柊は座っていた。
キィキィとそれを揺らしながら、柊は、らしくない元気の無い顔を浮かべて下を向いている。
街灯に浮かび上がる彼女の姿は、なんだかとても寂しそうに見えた。
葵は口の中に浮かび上がる血の味を飲み込んで、息が整うのをしばし待った。
「柊ちゃん!」
葵は公園の入口の塀に手をついたまま肩で息をしながら大声で柊を呼ぶ。
柊が弾かれたように顔を上げる。
公園の入口に葵の姿を見つけた柊は、みるみる内に目に大粒の涙を貯めて、ボロボロとそれを流し始めた。
葵は慌てて柊の元へと走り寄る。
「あ゛・・・、あ゛ぼいぢゃん~~~~~~」
涙と鼻水で顔をグズグズにした柊は、勢いよくブランコから立ち上がって葵に向かって突進すると、両腕を葵の背中に回して抱きついた。
「柊ちゃん!どうしたの!?」
葵も柊を抱きしめる。
「う゛ぅ゛う゛うぅうううう゛~~~~」
柊はうめき声を上げながら顔を振る。
とにかく落ち着かせなくてはと、葵は柊の背中をさすって柊が涙を止めるのをひたすら待つことにした。
「大丈夫だよ、柊ちゃん、大丈夫だよ。大丈夫大丈夫」
何が柊をこんなにまで悲しませるのか、昔から柊を知っている葵にも検討がつかなかったが、ひとまず何度も柊に声をかけ、頭を撫で、背中をさすり続けた。
放課後に別れたあとに何があったのだろう。
オカルト愛好会がらみのことだろうか?
でも柊のことだ、たとえ突然愛好会が取り潰しの憂き目にあっても笑って済ませそうなものだが。
「ズズ・・・」
ひとしきり泣いて落ち着いてきたのか、柊が鼻をすする。
その段階になってようやく柊から体を少し離し、葵は柊をみつめた。
「大丈夫・・・?」
そう声をかけると、柊がコクンと頷く。
「ベンチ、座ろっか」
「うん・・・」
葵がそういうと柊は素直に従った。
柊の横からその両肩に手をおき、支えるようにしてベンチまで移動する。
柊の足取りは弱々しく、今にもフラフラと倒れていってしまいそうだった。
ベンチに座ると、葵はひとまず柊にハンカチを差し出す。
「柊ちゃん、涙、拭きなよ」
柊は鼻も目も真っ赤で、なんというか、ひどい有様だった。
「ありがと・・・」
柊は葵からハンカチを受け取って涙を拭く。
鼻も詰まっていて鼻声だったので、ティッシュも差し出すと「ヂームッ!」と派手な音を立てて鼻をかんだ。
なんというか、可愛いのだか可愛くないのだか。
その様子を見て葵は少し微笑んだ。
「なにがあったのか、話せる?」
そういうと柊はしばし動きを止めたが、やがてうつむいたまま僅かに頷いた。
「なにがあったの?」
「・・・」
「オカルト愛好会のこと?」
柊が首を振る。
「誰かと喧嘩でもした?」
再び柊が首を横に振る。
ではなんなのだろう。柊がこんなに悲しむことなんて、葵には想像がつかなかった。
首をかしげて再び柊に尋ねる。
「じゃぁ・・・なにがあったの?」
柊は少しの間、押し黙ったままだった。
何かを言おうとしてはためらうようにして言葉が出ないようすを見ながら、葵は辛抱強く柊が説明をしてくれるまで待った。
やがて、何度目かのためらいのあとに、柊が決心したように口を開いた。
「私・・・好きな人ができた」
どう、表現すれば伝える事ができるのだろうか。
簡単に言ってしまえば、まぁようするにその一言が葵にとって凄まじい衝撃をもって響いたのだった。
驚いた、とかそういうレベルの驚きではなかった。
柊である。
あの、柊が「恋」をしたというのである。
葵は柊のことを、見た目こそとても可愛いと常々思ってはいたが、幼稚園の頃には男子を相手にどろんこになって平気で遊んだり、喧嘩をして相手を一方的に泣かせて大笑いしたり、小学生の頃にはスカートがすぅすぅすると言っていつもズボンにTシャツを着て髪も短くし、傍目には男の子のように見える格好で6年間を過ごし、体育では学年で一番の成績を常に叩き出し、クラスの男子を全て腕相撲で負かし、中学に入っても柊の見た目につられて告白してきた男子を片っ端から「興味ない」の一言で玉砕させ続け、昔からの趣味をついに公言してはばからないようになり、大股で校舎内をかっぽしてガッハッハと笑いながら毎日を過ごしてきた、そんな柊が、である。
よりにもよって、恋をした、とのたまったのである。
しかも、何がどうなったのか知らないが、しおらしく夜中に親友である葵に電話してきて呼び出した挙句にメソメソと泣いているのである。
実は柊は地球を侵略しに来た宇宙人だったのだ、と言われても葵はここまで驚かなかったであろう。
葵の脳内では雷鳴が響き、炎が燃え上がり、川が氾濫し、大地が裂け、木々は狂ったように花を咲かせたり散らせたりを繰り返し、月は地球に衝突し、慌てた人類がロケットで地球から脱出しようとしたら実はそれは大根で、お腹が減ったのでみんなでダイコンパーティーを開いてそれをおでんにして食べました。という光景が繰り広げられていた。
大混乱である。
今だかつて経験したことのない混乱が、葵を襲ったのである。
何を柊に言われようとも冷静に受け止め、柊の力になろうと思ってここまで来た葵であったが、冷静などというものは一瞬で消し飛んでいた。
顎が外れるんじゃないかとおもうほど口を開いて唖然とし、目が飛び出るんじゃないかと思うほど見開いて愕然とした。
「す、好きな・・・人?」
ようやく、それだけ言うことができた。
「・・・うん」
柊は葵にそう言われ、僅かに頬を染めてうつむいている。
葵は必死になって目をゴシゴシとこすって柊を見る。
見間違いではない、明らかに頬を染めて恥じらっている。
どこからどうみても恋する乙女の表情であった。
可憐である。
今のこの柊の表情をブロマイドにでもして売りだしたら、即日完売は間違いないと確信できるほどに可憐であった。
「こ、こ、ここ、恋、したってこと?」
当たり前である。
柊はさっきからそう言っているのである。
しかし確認せずにはいられないほど、葵は柊のいう事を受け止められていなかった。
ぶっちゃけ、結構失礼な話である。
「・・・っ」
柊はいよいよ顔を真っ赤に染め上げ、ゆでダコのようになる。
両手で頬を押さえ、瞳はうるみ、僅かに開いた唇からは艶っぽい吐息が漏れている。
その仕草や表情の破壊力たるや、普段冷静沈着で常識が歩いているような葵をもってして「あぁ、女の子同士だけどいいか」と突き抜けた思考を頭に浮かび上がらせるほどのものであった。
自分が女で良かったと心底葵は思う。
男であったら、自分の理性が振り切れてしまっていてもおかしくない可憐な柊であった。
「だ、だ、だれに?」
かろうじて暴走しそうになる自分をグーパンチで沈め、そう聞く。
「それは・・・」
柊が言いよどむ。
言いにくい相手なのだろうか。
例えば
「誰か、先生とか?」
柊が首を振る。
「お兄さんとか?」
「私一人っ子だけど・・・」
「じゃ、じゃぁ生き別れの双子の弟とか?」
「なんでそんなのばっかなの・・・?」
葵だって知る由もない。
「じゃぁ・・・いったい誰に・・・?」
「その・・・」
「・・・?」
「信じてもらえるかどうかわかんないけど・・・」
「信じるよ」
それは、きっぱりと言う。
時間がかかるかもしれないけど、柊がここまでなってしまうような相手なのだ。
必ず、信じてあげられる自信があった。
「その・・・」
「うん・・・」
「相手は・・・」
「・・・」
ゴクリ、と葵の喉がなる。
「悪魔なの・・・」
葵の頭の中では大根のロケットが発射されていた。
彼らはこれから宇宙大戦争に臨むのだ。
生きて帰って来られるかはわからない。
主砲はオレンジ色の怪光線、別名人参ビームである。
「葵ちゃん!葵ちゃん!」
気を失って倒れかけた葵を柊がガクガクと揺さぶる。
「はっ!?」
葵が意識を取り戻す。
「だ、大丈夫?葵ちゃん」
「だ、ダダダ、だだ、大丈夫よ」
と葵がリズミカルに答える。
「ごめんなさい、いまいちよく聞こえなかったわ。も、もう一度聞いていいかな?」
葵がブルブルと青ざめて震えながら聞く。
柊は真剣な顔をして口を開いた。
「だから、好きな人ができたんだけど、その人(?)悪魔だったのだ」
ふぁっ・・・と再び葵が意識を失う。
「葵ちゃん!あおいちゃあああああん!」
柊の絶叫が公園にこだました。
人が、人が心配して飛んでやってきてみれば、この子は、悪魔に恋をしたなどと、悪魔ってなによ、なんなのよ、一体全体どういうことなのよ、そりゃ信じるつもりはあるけれど、いきなりは、無理、逢坂柊、恐ろしい子、この子の頭の中は、どうなっているの。
薄れゆく意識の中で、葵は自ら大根ロケットのパイロットとなり、地球へと襲来する悪魔軍団に果敢に飛び立っていった。
親友を心配して飛び出してきた葵にとっては、なにがなんだかわからない柊であった。
ちゃんと、話しを聞いてあげなきゃ・・・。
擦り切れてしまいかけた葵の理性が、最後の抵抗を試みていた。