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第14幕 裁定者 鉄じぃ



「それで?」


「えーと、そんなわけで、私はエドの事を守らなきゃいけないかなーなんて思ったわけでして、つい魔が差して大げさな演技をしてしまってですね」


「ほう」


「そいでもう、ちょっと演技をしたらエドの食いつくこと食いつくこと。狙っていたとは言え余りにも綺麗に決まった展開に、私は逆に大きく混乱をきたしたわけで」


「お前…」


「エド君の話は後で聞く、今は辛抱しなさい」


「そうこうしている間になんだか後に引けなくなってきてしまったわけで…」


「そこで美月さんが来たのかね」


「は、はい…あの、すみません…」


「それで、美月さんはどうしたんだね」


「は、はい…その…私実はその…、の、のぞき見をしてまして…」


「ほう」


「あの…それで…なんか私、勝手に一人で盛り上がってしまって…その…それで…」


「なんだね」


「あの…私…」


「はよ言え」


「エド君は辛抱してなさいといっただろう」


「すいません…つい」


「私…ど、どうしても、その、ら、ら、ら」


「ら?」


「ら、ら、らぶしーんが、その、どうしても、あの、み、みたく、な、なな、なって、しまって…」


「・・・」


「そ、その、悪いことだとは、その、思ったんです、けど、その、盛り上がってしまって…」


「それで?」


「じ、じん、人工呼吸、を、すれば、柊先輩が、その、良くなるって、あの、う、嘘を…」


「そこに、私と柊子とうこが来たと?」


「あの…そう…です…」


ふぅー、と、鉄蔵爺さんは深くため息をついた。

その顔はやれやれといった様子で眉間に皺が寄せられ、目が閉じられている。

完全に、怒っている時に鉄蔵爺さんがする表情だった。


「で、エド君は何か言いたいことはあるか」


「いや、大体は今こいつらが言ったとおりです。ひと目のないとこでなんとか治療しようとしました。あと言ってないのは、俺が目の前で柊さんが倒れたことに慌てふためいて、店の自転車を置き去りにしちまった事くらいで」


「そうか」


「はい、すいません…」


「いや、緊急事態だと思ったのなら、それを怒っても仕方ないだろう」


「ありがとうございます」


「まあ、自転車を届けに来てくれた神崎さんには、後でエド君からもお礼を言いに行ってきてくれ」


「はい、そうします」


「うん、さて」


ビクーン!と、柊と美月の方が揺れた。

エドと柊、そして柊のお母さんとお爺さん、橘美月の5人は、現在逢坂豆腐店の居間でちゃぶ台を囲んで車座になって座っていた。

エドと柊、そして美月の3人は正座をしており、そのうちエドを除いた二人はしょぼくれた雰囲気で下を俯いていた。


「美月さん」


「は、はぃ…」


柊のお祖父さんに名前を呼ばれ、美月が消えりそうな声で返事をする。

その姿勢は先ほどよりも一層縮こまっており、下手をするとそのままミニマム化していってしまいそうなほど恐縮していた。


「いつも柊が美月さんの世話になっている話はよく聞いているよ」


「いえ、そ、そんな、私がお世話して頂いているだけで…」


「柊子からも、美月さんがどれほど健気にお母様を支えて生活をしているか、聞かせられている」


「そ、そんなこと、ありません…」


「うちの柊は何かに夢中になると他のことが見えなくなる悪い癖の持ち主でな。たぶん日頃から美月さんと葵さんには随分迷惑をかけていることだろう」


「迷惑だなんて、私がかけているだけで…」


「美月ちゃんは迷惑なんてかけてないよ!」


「柊はまだ黙ってなさい」


「はぁぃ…」


「しかしだ、美月さん。今回のことは些か、美月さんの行動も度を過ぎているように私には思える」


「はぃ…ごもっともです…」


「分かってくれているならみな迄言わんが、自分の言動で人の行動を思い通りに操るという事は、私はあまり好かん」


「はぃ…」


「ましてや、柊はともかくとしてエド君はそれを望んでいなかったんだろう」


「ぐ、ぐぬぅ…」


「柊ぃ、静かにしてないとまた爺さんに怒られるぞ~」


「柊子も静かにしてなさい」


「へーい」


「年寄りの勝手な言い分なのはわかっているが、今回のエド君のように相手がそれを不快に感じてしまえば、美月さん自身が損をすることになることは肝に銘じておいてくれるか」


「はいぃ…」


「さて、柊」


「へ、へい!」


「へい、じゃない、はいと言いなさい」


「はい!」


「柊子、お前の言葉使いが悪いから柊が真似するんだぞ」


「すんません!」


「…まぁ良い。それで柊」


「はい…」


「今回の事は、全部お前が発端だな」


「う…」


「どうなんだ」


「それは、その、その通りでぅ…」


「です」


「その通りです…」


「エド君はお前の事を本気で心配してくれたのにそれをだまくらかし、商店街の皆さんには騒々しく迷惑をかけ、挙げ句の果てに面倒を見てやらなければならないはずの後輩まで巻き込んだな」


「うぅ…」


「どう落とし前をつけるつもりだ」


「それはその…迷惑をかけた皆さんに誠心誠意謝罪を…」


「謝ると?」


「はぃ…」


「なるほど、皆さん許してくださるだろう、優しい方が多いからな。だが柊、迷惑をかけておいて謝るだけで、お前は良いと思うのか?」


「思いません…」


「相手は不快な思いをしたな」


「はぃ~…」


「お前は謝るだけってのは、随分楽なもんだな」


「その通りですぅ…」


「語尾を伸ばすんじゃない」


「ごめんなさい…」


「それで、どうするんだ」


「あの…商店街の皆様には…豆腐100丁を無料でお配りします…」


「物で人を釣るというのか?」


「その…自慢の豆腐ですので…豆腐屋がかけた迷惑は豆腐で謝罪するのが一番かと思って…」


「そうか、じゃぁ、その豆腐100丁はどうするんだ」


「私の貯めてたお小遣いで鉄じぃから買います…、勿論仕込みも精一杯手伝います…」


「よろしい、そこまで言うのならわかった。それで、エド君と美月さんは?」


「エドは…その…じゃぁ、豆腐売りのバイトを一週間私が代わります…」


「エド君は豆腐売りのバイトが大変だと思うか?思うのなら柊の言っているとおりにすればいいが」


「俺は働くの好きですよ、豆腐を売りに行くのは楽しいです」


「じゃあダメだな」


「うぅ…じゃ、じゃぁ、エドに日本語教室を開いて一生懸命日本の事を教えます」


「どうだ、エド君」


「それはありがたいです」


「じゃぁそれでいこう。美月さんはどうする」


「美月ちゃんは…うぅ…じゃぁ…私の秘蔵魔法コレクションを…」


「さっきも言ったが、物で解決しようとするのは私はあまり感心せんぞ」


「うぅぅ…、じゃぁ…、その…べ、勉強をおしえるとか…」


「お前の成績でか?」


「うぅぅぅぅうう…」


「あ、あの!」


「なんだね美月さん」


「わ、わたし!!部屋が汚いので!柊先輩がお掃除手伝ってくれればな~、な、なんて!」


「み、美月ちゃん~…」


「美月さんは非常に綺麗好きだと柊から聞いていたが。掃除も毎日しているという話を聞いた時には、柊にも見習って欲しいもんだと思った記憶がある」


「ぐぅ」


「じ、自分の部屋だけは、すっごく汚いんです!!」


「そうか、柊、美月さんはこう言ってくれているが」


「は、はい!手伝います!」


「柊、お前、後ろめたく感じることはないな?」


「ぐ、ぅう…」


「本当に汚いんです!!ゴミ箱みたいなんです!!!ゴキブリもでます!!!」


「ぅぅう…美月ちゃん…あんたって子は…あんたって子は…」


「…美月さんがそこまで言うなら、おい、柊、美月さんのお手伝いで良いな?」


「は、はぃぃ…」


「塵一つ残すんじゃないぞ」


「承知しました…」


そこまで言って、柊のお祖父さんは柊から目線を外し、エドと美月の方へ体ごと向き直って床に両拳をついた。


「エド君、美月さん、本当にすまなかった。どうかうちの柊が迷惑をかけたことを許してやってほしい。私からも、お詫び申し上げる」


スウッ、と柊のお祖父さんが頭を下げる。

その様子にエドと美月は大いに慌てて自分たちも頭を下げた。


「とんでもない!」「こ、こちらこそ申し訳ありませんでした!」


「退院初日で爺さんに頭下げさせるなんて、柊はさすがだねぇ~」


「柊子、お前の娘だぞ、お前も二人に謝れ」


「へいへい、エド君、美月ちゃん、柊ったら短絡的で考えなしだから、迷惑かけちゃって本当にごめんね」


「いえいえとんでもない!」「迷惑なんてこれっぽっちもです!」


「おかーさんひどいよ…」


「案ずるな柊、私の娘なんだ、馬鹿なのはしょうがない」


「うぅ…ひどいよ…」


「柊」


「はい、鉄じぃ…」


「とにかく今日はもう、今から豆腐100丁も間に合わんし、エド君への日本語教室も準備もなしに適当に始めるわけにもいかん、美月さんのお宅だってこんな時間に押しかけて部屋の掃除を始めては迷惑だ」


「はぃ…」


「とりあえず今日のところは自転車を返しに来てくださった神崎さんのお宅に、エド君と一緒にお礼を言いに行くぐらいにしなさい」


「はぃ~…」


「美月さんの事は、どうするかな」


「先に美月ちゃんを家まで送って、その後急いで神崎さんちに向かいます…」


「よろしい、そうと決まれば急ぎなさい、もう日が暮れかけてる」


「はいぃ…」


「美月さん、こんな時間まで引き止めてしまって悪かったね、気をつけて帰ってくれ」


「は、はい!お邪魔しました!」


「美月ちゃん、爺さんのいない時にまた遊びにきてね~!」


「柊子」


「おっといけねぇ、風呂を沸かす時間だ」


柊のお母さんはガバと立ち上がると、バタバタと廊下に続くフスマへと向かう。


柊のお母さんはフスマをがらりと開けて一旦体を廊下へとだしたものの、首だけを部屋の中に覗かせてもう一度美月に向かってウィンクをしてみせた。


「エド君、美月ちゃんと柊のことよろしくね~」


「はい、大丈夫です」


「ふふ、それじゃ、美月ちゃん、またね」


「はい、失礼します」


美月が丁寧に手をついて頭を下げる。


それを見て、今度こそ柊のお母さんはヒラヒラと振る手を最後にパタパタと廊下をかけていった。


「それじゃぁ柊、行っておいで」


柊のお祖父さんが、柊に顔を向けてそういう。

すっかり意気消沈してしまっていた柊は弱々しく「はぃぃ~」と返事をしながらヨロヨロと立ち上がり、ふらつきながら部屋を出ていこうとする。

向こう2ヶ月分近いお小遣いの処遇が決まってしまったことがショックなのか、エドに自分の悪行が露見してしまったことがショックなのか、償いの多さに呆然としているのか、はたまたその全てか、とにかく柊の様子に慌ててカバンを掴んで後を追い始める美月の様子もよく見えていないようであった。


「…エド君、迷惑ばかりかけてすまんな」


柊のお祖父さんが、その様子を見てため息をつく。

エドは、そんな柊のお祖父さんに少し笑ってみせた。


「迷惑なんて、とんでもない」


「…そうか、すまないが、よろしく頼む」


「はい」


エドは柊のお祖父さんに頷いてみせると、自分も立ち上がって柊の後を追う。


迷惑なんて、とんでもない。


エドの、紛れもない本心であった。







――――――――――――――――――――――――






「お前、お祖父さんにあんまり心配かけるなよな」


「へぃぃ…」


エドと柊の二人は、美月を送り届けた後の帰り道を二人ならんで歩いていた。

夕日が差す住宅街の道は他に人影もなくどこかロマンチックであるが、今の柊にはそんなことでテンションが上がるような余裕は存在しなかった。

フラフラと足取りすらおぼつかない今の柊を針か何かでつつけば、プシューと音を立てて風船のようにしぼんでしまうのではないだろうか。



「鉄じぃのお説教は、なんかこう精神に多大なダメージが入るんですよねぇ…」


「あぁ、わかるわ」


「分かります…?」


「俺も豆腐売りの初日に豆腐をまるごと持ち帰って説教されたって言ったろ。小一時間とうとうと怒られちまったよ」


「鉄じぃ、怒鳴んないけど怖いんですよ…」


「うん、まぁ、そうだな」


「あぁ、それにしてもエライ事になった…」


柊が呻きながら頭を抱える。


なにせ、これから柊は神崎さんちに謝りに行って、夜な夜なエドの日本についての授業の準備に励み、豆腐の仕込みを早朝から手伝って、《この間はお騒がせして申し訳ございませんでした!逢坂豆腐店から、皆さまへの謝罪の気持ちを込めて豆腐百丁プレゼントキャンペーン!》と書いたプラカードやらなにやらを持って豆腐を配りまくらなければならないのである。しかも、その豆腐は美月の少ないお小遣い払いだ。

向こう2ヶ月は、最早お菓子など買えはしまい。


「美月んちの部屋は、どうするんだ?」


「掃除しますよ…できるだけ…」


「汚いのか?」


「めっちゃ綺麗ですよ、美月ちゃんの部屋…」


「やっぱり嘘なのかあれ」


「美月ちゃんの優しさです。嘘は嘘でも、人の為を思ってついた嘘なら鉄じぃも怒りませんから…」


「美月に免じてお祖父さんも目をつぶったってことか」


「そうですね…」


「ちゃんとお礼しろよ?」


「言われるまでもなく…今度13アイスクリームのトリプルを奢りますよ」


「金あんのか?」


「2ヶ月先に、奢ります…」


「散々だな…」


「まったくです…」


ガックリ、と音がしそうな様子で柊は肩を落とす。

自業自得ではあるが、なんだか思わず気の毒になったエドであった。


「エドも、その、ごめんなさい…」


「あん?」


「嘘ついちゃって…」


「いいよ、気にすんな」


「ぅう…皆の優しさが痛い…」


「済んだことだ、俺はもう気にしてねえよ」


「はぃ…」


「元気だせ」


「はぃ~…」


柊は肩を落としたままトボトボと歩く。

それにしても、なんでまた柊はそこまで若奥様たちに自分が囲まれるのを蹴散らそうとしたのかと、頭にハテナ印を浮かべるエドであった。


うといにも、程があるのである。



「あれが神崎さんちか?」


しばらく無言で歩いていた二人の前に、一軒の大きな家が見えてきた。


「そうです」


家といっても、普通の家に見えないその建物は、大きな倉庫といってもいい様な外見をしており、人が居住しているであろう空間を隅の方におまけのようにして備え付けているものだった。


「他の家とは随分違うな」


商店街で店を内蔵した家屋や、街の中にあるごく一般的な住宅、マンションなどしか見たことのないエドは不思議そうな顔をしていた。


「神崎さんちは卸問屋さんですから。私んちの使ってる大豆も神崎さんちが卸してくれてるんですよ」


「ふーん?」


「まぁ、今度の授業でまた解説します」


「そうしてくれ」


「とりあえず、ウチの豆腐を作るパートナーだとでも思ってください」


「そりゃぁ重要な相手だな」


「そうですとも」


うんうんと柊が頷く。

しかしその表情はやはりまだどこか元気がない。

そんな重要な相手に余計な手間を取らせてしまったのである。

気が重くなるのももっともだろう。


「俺が呼び鈴ならすぞ?」


「いえ、私にやらせてください。顔見知りですし、私が撒いた種ですし」


「そうか」


「えぇ…」


「ほんじゃ、よろしく頼む」


「へーぃ…」


フラフラとした足取りで柊が神崎さんのお宅に近づいていく。

柊は道路に面しているシャッターの方ではなく、その脇にあった通用口のような通路にはいっていくと、少し進んだところにある玄関についていたチャイムを鳴らした。


キンコーン。


家の中でチャイムのする音が、外にいる柊とエドにまで聞こえてきた。


「・・・」


「・・・」


「・・・ん?」


「出てこないな?」


「そうですね、お風呂でも入ってるんですかね?」


「こんな時間にか?」


「ふむ?」


「それに、神崎さんってのはお一人なのか?」


「いえ、ご家族がいるはずですけど」


キンコーン、と、再び柊がチャイムを鳴らす。


「・・・」


「・・・」


「いないんじゃないか?」


「皆さん銭湯にでも出かけてるんですかね?」


「なんでさっきから神崎さんを風呂に入れたがるんだお前は」


「私がお風呂に入りたいんです」


「お前のことなど知ったことか」


キンコーン


「こんにちはー!逢坂ですー!柊でーす!」


柊がドアに向かって大きな声で呼びかける。

しかし、シーンとした家の中に人の動く様な気配を感じることはできなかった。


「やっぱり出かけてんだよ」


「うーん、そうみたいですねぇ」


「出直すか?」


「でもこのまま帰ったら鉄じぃがまた怒りそうです…」


「うむ」


「しばらく門の前で待ってみませんか?」


「そうすっか…ん?」


門の方に一旦体を向けかけたエドが、何かに反応するようにぴくりと肩を動かし、もう一度玄関の方を振り返った。


「どうしました?」


「いや、なんか物音が中から聞こえたような気が…」


「ん?」


エドにそう言われ、柊もドアに向かって耳をそばだててみる。

トン、トン、トン

先程までは全く物音などしていなかったはずなのに、ゆっくりと、しかし、規則正しく小さな音がドアから響いてきていた。


「誰か、いるんですかね?」


「さぁ」


「階段を降りてる音ですかね?」


やがて、そのトントンという小さな音が鳴り止み、僅かな時間の後に、ドアの横にはめ込まれていたすりガラスの向こうに誰かの人影がうつる。


「神崎さんか?」


「あぁ、たっくんだ」


「たっくん?」


「はい、神崎さんちの息子さんです。隣のクラスですよ」


そこまで言ったとき、ガチャリと中の人影が玄関の鍵を回す音が響いた。

ギ…と僅かに軋む音が響き、扉がゆっくりと開いていく。

その扉の隙間から顔を覗かせたのは、ボサボサと長い髪を目元付近まで伸ばした、柊とほぼ同じくらいの身長をした男の子だ。

目元があまりよく見えないのではっきりとその表情をうかがい知ることは出来ないが、なんとなく、暗い雰囲気を身にまとっていた。


「こんにちはたっくん!」


「…こんにちは」


「元気?」


「…普通」


「そっか、良かった!」


「…なにか用事?」


「私とエドでたっくんちのおばさんにお礼を言いに来たの」


「エド…?」


「この人!今うちで住み込みで働いてもらってるんだ」


「…お礼っていうのは?」


「うん、自転車届けてもらったの!」


「ああ…」


「たっくんが届けてくれたの?」


「…手伝わされてね、僕は柊さんの自転車を」


「おぉ!たっくんが魔列車号を!」


「ま…、なんだって?」


「魔列車号!」


「…母さんが運んだのは豆腐屋の自転車だよ。僕はそれを手伝わされただけだ」


「そっかーありがとう!すごい助かったよ」


柊が満面の笑顔でその男子の事を見つめる。

その子は、柊の笑顔を見ると何故か下をうつむいてしまった。


「たっくん、おばさんたちは今お出かけ中?」


その子はうつむいたまま小さく頷いてみせた。


「…うん、買い物に出かけてる」


「戻ってくるかな?」


「…さっき出かけたばっかりだから、暫く帰ってこないと思うよ」


「そっかぁ」


「お礼を言いに来てくれたこと、伝えておくけど…」


「うん、ありがとうたっくん。でも明日また、もう一度お礼を言いに来るよ」


「…そう」


「うん、本当にありがとうねたっくん!」


「いや、構わないよ…それじゃ」


「あ…ちょ、たっくん、あの…」


ギ、と音を立てて再び扉がしまる。

何事か柊が言おうとしたが、あっという間にしまってしまった扉の向こうから鍵をかける音が響いて、柊も開きかけていた口をそのまま閉じてしまった。

すりガラスの向こうの人影が消え、やがて、また階段をのぼる音が暫く響いたあとになんの音も聞こえなくなってしまった。


「・・・」


柊にしては珍しく、無言でしばらくドアを見つめたあと、そのまま何も言わずにくるりと踵を返して門の方へと歩き出す。

その様子に、慌ててエドが後を追った。


「おい、俺がまだお礼を言えてねえぞ?」


「…また明日言いに来ましょ」


「それはそうだが、俺も一言あの子にお礼をだな」


「たぶんもう出てきてくれませんよ」


「なんでだ?」


「なんでもです」


柊が門をくぐり抜けたところで、一旦足を止めて神崎さんのお宅を振り返る。

その目は、玄関の上に位置するカーテンがしまったままになっている窓に向いていた。


「たっくん、またねー!」

窓に向かって、柊が大声で叫ぶ。

しかし、いつまでたってもその窓のカーテンが動くことはなかった。



「たっくん、あんまり会えないんです」


「?」


「昔はよく一緒になって遊んだんですけどね」


「なんかわけありか?」


「…家に帰ったらすこしたっくんのこと話しておきましょうか」


「そうしてくれ」


「帰りましょう」


「おぉ、そうすっか」


二人は神崎さんのお宅に背を向けて、逢坂豆腐店がある方向へと足を向けて歩き出す。

柊は、カーテンの向こうにいるたっくんの事を思っていた。

今頃、どんな表情を浮かべているのだろう。

俯いているのか、何も気にしないでいてくれているのか。

いつから、たっくんの笑顔を見ていないだろう。


もう少し、話をしたかったなと、柊は思ったのであった。



――――――――――――――――――――――――




逢坂豆腐店に戻った二人は、柊のお祖父さんに事情を話してから二人で二階に上がり、柊の部屋で向かい合って座っていた。

柊はベッドの上に腰掛け、小さなガラステーブルを挟んで向かい側にエドがあぐらをかいている。

「まぁまぁどうぞココアでも」

柊が下から持ってきたポットからお湯を注いでインスタントのココアをエドへと差し出す。

「おぉ、すまねぇな」

エドはどうやら甘い物全般がいたくお気に入りらしく、飲み物にしても緑茶やコーヒーなどよりココアなどの方が好みのようだった。

柊を見舞いに来ていた病院でも、よくお汁粉缶を飲んでいた。

糖尿病にならないかが心配である。

「甘いですねぇ」

自分にもココアを入れ、それをすすると柊がホワァとため息をつく。

「甘いなぁ」

一方のエドもどこかうっとりとした表情を浮かべてホワァとため息をついていた。

「平和ですねぇ」

「平和だなぁ」

二人は窓の外で今にも沈みそうになっている夕日に目を向ける。

オレンジ色に染まった空は筆舌に尽くしがたい美しさで、なんとも時間がゆっくり流れる感覚であった。

「いやゆっくりしている場合でもないだろう、早くたっくんとやらの事話せよ」

「おぉ、そうでしたそうでした」

「そして今後の俺の帰還計画についても考えてくれよ」

「いやそれは」

「なんで拒否するんだ」

「あっさり帰られてもこま…いや…その、葵ちゃんがいないと私たちだけじゃ変な方向に考えがいってしまいかねませんし」

「葵か、呼び出せないのか?」

「毎回毎回、葵ちゃんばっかり呼び出すのも悪いでしょう?」

「そんなもんか?」

「そんなもんです」

そういった感覚はいまいち理解ができないのか、エドが不思議そうに首をかしげる。

元いた世界では人に指令を出す立場であったエドは、誰かを呼びつけることに対してそれほど抵抗を感じる事がなかったのだろうか。

異世界ギャップを感じた柊であった。

「今度は、私たちが葵ちゃんちに出向くか、学校の会室で相談することにしましょうよ。美月ちゃんにも来てもらいたいですし」

「おぉ、美月な。考えてくれる奴が増えてくれるのはありがたいな」

「そうでしょう?」

「そうだな」

エドがうむうむと頷く。

ココアの入ったコップを両手で抱えるその姿はなんとも威厳の欠片もないもので、とてもではないがエドが異世界において指導者であった想像がつくものではない。

非常に微笑ましい光景である。

「それで、たっくんってのは?」

「ふむ、じゃぁちょっとお話ししましょう」

柊はコップをテーブルに置いて立ち上がると何やらガサゴソと本棚を漁って、暫くして二冊のアルバムを持って帰ってきた。

「写真ってやつか」

「そうです」

エドが興味を持ったようにして柊の手元のアルバムに首を伸ばす。

柊はエドが見やすいように向きを変えて、二冊の内の一冊のアルバムをテーブルに置くと、丁寧な手つきでページをめくっていった。

「このちっこいのはお前か?」

エドが何枚もの写真に写っている明るい笑顔の少女を指差す。

「そうです、お目が高い。可愛いですか?」

エドが指差したのは、大きなソフトクリームを両手で抱えながら、口の周りをベタベタにして目を輝かせている柊の幼い頃の姿だった。

「小さい頃はなんだって可愛いもんだからな」

「余計な一言は身を滅ぼしますよ?」

「事実を言ったまでだ。正直者は救われるんだって聞いたぞ」

「口が減らないですねぇ」

「口が減るわけねぇだろ」

柊は写真を懐かしそうに眺めながらパラパラとページをめくっていく。

時折柊のお母さんとおぼしき字で、写真にコメントが付けられている丁寧な作りのアルバムだった。

「お、これは葵か?」

「おぉ、よくわかりますねぇさっきから」

エドが一枚の写真を見つけてまた声を上げる。

それは柊と美月がどこかの原っぱで一緒にお弁当を食べている写真だった。

「柊のこと、呆れた目で見つめてるからなぁ」

「そうですか?」

「そうだろ」

「そうですかねぇ…?」

なるほど確かに、写真にはおにぎりのご飯粒を口の周りにベタベタとくっつけた柊と、それを呆れたような表情で見つめる幼い頃の葵が写っていた。

「昔から一緒だったんだな」

「そうですよ~葵ちゃんにはお世話になりっぱなしです」

その写真の横には、相変わらず呆れた表情を浮かべながら柊の顔のご飯粒をとってあげている葵の姿が写っている写真が貼り付けられている。。

昔から関係の変化しない二人のようだった。

「いた、これ、たっくんです」

やがて、柊はさらにページをいくつかめくったところでその手を止めて一枚の写真を指差した。

その写真はどこかに遠足にでも行ったのか、柊の組の友達が全員一緒に写っている集合写真だった。

その中の一人の男の子を柊は指差していた。

「なんか、さっきみたやつとはちょっと印象が違うな」

「…」

その男の子は髪をおかっぱ頭にして柔らかな微笑みをたたえて写真に目を向けている。

先ほどエドが出会ったたっくんはどこか暗い雰囲気を醸し出していたが、少なくともこの写真では大人しい印象こそすれど、暗い、というイメージをエドに与えてくることはなかった。

神崎達己かんざきたつきって言うんです。たっくん」

「ふぅん…」

「いい子なんですよ。優しくて」

「仲が良かったのか?」

エドが聞くと、柊は少し考えるようにしてから小さく頷く。

「親友って訳じゃありませんでしたけど。私には葵ちゃんがいましたからね。でも、うちの豆腐屋とたっくんの家の関係でよくお互いの家にいって遊んだりしました。いつの間にか、疎遠になっていっちゃいましたけどね」

「ごく普通の友達ってところか?」

「そうですね…普通…だったのかなぁ…」

エドの言葉に柊が珍しく遠くを見つめるような、焦点をぼんやりとさせた瞳をする。

昔の事を思い出しているような表情だった。

「小学生の低い学年の時は…私たちは小学校中学校高校大学ってだんだん進んでいくんですけど、その時はまだお互いの家に遊びに行ったりもしてたんです。でも、学年が進んでいくに従って、クラスが別々になったこともあって話す機会が減っていったんです」

柊はさらにアルバムのページをめくる。

小学校の入学式に、校門で家族全員と満面の笑顔で写真に写る柊の姿があった。

その写真には今はもう亡くなったという柊の祖母の姿も写っていた。

「中学に進学して、私は勉強なんか全然できなかったからそのまま地域の中学校に進学したんですけど、たっくんは勉強が得意だったから受験をして私立に進んだんです」

「…」

「たっくんね、そこでいじめにあったみたいなんですよ」

「いじめ?」

「えぇ、暴力を振るわれたこともあったらしいって、神崎のおばさんが言ってました。大分ひどかったみたいです」

「…」

柊は先ほど持ってきて自分の脇に置いたままにしてあった、もう一冊のアルバムを手にとって、またエドから見えやすいようにしてそのページをめくっていく。

柊の小学生時代の写真が集められたアルバムだった。

「たっくんは、大人しい子だったから」

アルバムの終わりの方のページで柊が手を止める。

卒業式で撮ったらしい写真が、数ページにわたって貼り付けてある。

「私みたいにがさつで無神経だったら良かったんですけど。たっくんは、誰かに相談することも、反抗することもできなくて」

その卒業式の写真の中程の一枚に、柊が目線を止める。

柊の文字で、たっくんと、とコメントが書かれたその写真には、満面の笑顔の柊と、静かに微笑む達己の姿が写っていた。

「おばさんが気づいたときには、もう学校にいけなくなっちゃうくらい追い込まれてたらしいんです」

「そうか…」

柊が顔をあげてエドを見る。

柊にしては珍しい、感情が表にでていない表情をしていた。

「中学2年の夏頃からほとんど学校には行けなくて、なんとか卒業はさせてもらえたらしいんですけどね。結局、私と同じ公立の高校に入学することになったんです」

「高校にはいけてるのか?」

「あんまり。でも、少しずつ登校できる日が増えてるみたいですよ。たまにたっくんと学校で会えますし」

「そうか、そりゃぁ、良かったな」

エドが柊に頷いて見せる。

しかし柊は、困ったような笑顔を浮かべた。

「えぇ、でも、あんまり話してくれないんです。たっくん」

「…?どういうことだ?」

「なんでしょうね。私が話しかけようとしても、すぐに離れていっちゃうんです」

「ふぅん…。なんかあったのか?」

「わかんないんです。聞くこともできなくて。…避けられてるんですかねぇ、やっぱり」

柊は寂しそうに微笑んだまま、自分の頬をかく。

いつもと違って元気のないその笑顔をみたエドは、なんとなくソワソワと落ち着かない気分だった。

「また、一緒に遊べたらと思うんですけどね…」

「誘ってみろよ」

エドの言葉に、柊がアルバムの達己に視線を落とす。

写真の中の達己の笑顔は、控えめだったが柔らかい印象のものだ。

この後達己はどんなに苦しい思いをしたのだろうか。

エドにとっては、それを想像することは少し難しいことだった。

「誘ったら、来てくれますかねぇ…」

柊がつぶやく。

「元気づけてやりたいんじゃないのか?」

「…」

柊はしばし黙り込んで写真の中の達己を見つめる。

出会った時こそピーピー泣いていた柊ではあったが、ここ2週間というもの殆どエドには笑顔しか見せてこなかった柊である。

復帰初日から色々な柊の表情を見せられたエドは、落ち着かないことこの上なかった。

「明日、またたっくんに会えますよね」

写真を見つめたまま、柊がそうつぶやく。

「会えるさ。声をかけてやりゃぁいい」

エドが柊に頷く。

「そうですよね」

「そうさ」

柊が顔をあげてエドに微笑む。

柔らかいその笑顔に、なんとなくエドはドギマギさせられた。

「ありがとうございます。エド」

「あん?別に、お礼を言われるようなことした覚えは…」

「いえいえ、勇気が湧いてきましたよ」

柊がガシーン!とガッツポーズをしてみせる。

「そうか?まぁ、それだったら良いんだが」

「えぇ、エドもまた明日一緒に来てくれますか?」

「当然だろ、俺だって神崎さんにお礼をいってねぇんだ。達己とやらにも、まだ禄にお礼を言えてないしな」

柊はもう一度エドに微笑みなおすと、アルバムをゆっくりと閉じる。

立ち上がって元あった場所にそのアルバムをしまってから、柊は大きく伸びをした。

「さ、て!それじゃぁ私、お風呂入ってきます。今日は疲れました。早寝しないと」

「おぉ、そうしろそうしろ」

柊は退院してきて初日なのである。

ドタバタしていてエドも意識の外にあったが、久しぶりの通常の生活は柊といえども疲れるだろう。

「一緒に入りますか?」

「なにを馬鹿な事を、さっさといけ」

しかし、相変わらず柊は明るい笑顔でそう言う。

あまり、自分の辛さを人には見せないやつなのだろうかと、エドは何気なしに感じた。

「部屋漁っちゃダメですよ?」

「うるせぇなお前は、先に出てくよ」

エドがよっこらしょと腰を上げる。

「あぁ、ダメですダメです。私が先に出てきます」

「あん?なんでだよ」

「そういうもんだからです」

「?」

柊はトコトコとふすままで小走りにかけ、取っ手に手をかけてくるりとエドを振り返る。

「エド」

「なんだよ」

柊が満面の笑顔をエドに向ける。


「まだ言ってませんでした」


「なにをだ?」


「ただいま」


「…」


「ただいま?」


「…おかえり」


エドの様子に、柊が可笑しそうに笑う。


なんとも、やりにくくて仕方がないエドであった。


「じゃぁ、お先にお風呂いただきます」


「あいよ」


柊はそう言うと、ふすまをあけて部屋から出ていく。


「…」


悪魔を召喚し、訳のわからん大泣きをし、そうかと思えば豪快に笑い、悪魔に猛然と飛びかかっていき、なんだか悲しそうな表情を浮かべ、微笑みながらただいまとのたまう。


エドにとって、柊はなんともつかみどころのない相手であった。


外を見れば既に日は暮れて、夜の闇が広がっている。


エドがこの世界に来てから既に2週間。


なんとなく居心地の良さすら無意識に感じ始めていた、そんなある日の出来事であった。











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