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第13幕 You raise me up


例えば誰かを好きになったとしよう。


その人は何故か自分と違ってキラキラと輝いて見える。


ともするとその人の輝きはあまりにも強烈で、何故か自分のことがちっぽけに思えてしまうこともあるかもしれない。


そこでまた想像してみる。


自分がその人にしっかりと見つめられて、相手にとっても自分が尊敬の対象となる。


お互いがお互いの事をこの世の何よりも大事なものとして認識して、支え合うことができるとすれば、とても幸せなことのように思う。


相手は自分のことを上からも下からも見てはいない。


同じステージに立って、真っ直ぐにこちらを見つめているのだ。


自分が何よりも大切な人が、同じように自分の事を大切な存在として認めてくれている。


その瞬間から、自分は確立するのだ。


誰かが見ていてくれる、誰かが自分を評価してくれている。


その相手は、自分のそばにいることを何よりも喜んでくれ、決して離れようなどとしない。


こんなに幸せなことがあるのだろうか。


その人のそばに、何の気兼ねもなく立っていられること、その人の手を、なんの心配もなく握れること、その人の瞳を、真っ直ぐに見つめても不安など感じないこと。


同じ高さで生きるということは、誰かを好きになる時にとても大事なことの様に思えるのだ。


相手が上にたっていたとしたらどうだろう。


尊敬といえば聞こえは良いが、一方通行では、ただ自分を卑下しているだけになってしまわないか?


知らず知らずのうちに自分の心をすり減らし、自分も相手も嫌いになる可能性が無いと言い切れるのか?


相手が下にたっていたとしたらどうだろう。


愛情があったとしても、恋と呼ぶにはあまりにもいびつな関係のように思える。


もしも、相手が自分よりも優れている面を見せつけてきたとしたら、屈辱を感じることは無いと言い切れるのか?


素直に、相手を賞賛することができるのか?


感情の面だけ見ても、立っている場所の違いというものは、人の関係にこれだけ危険を及ぼす可能性があるのだ。


ましてや、世界が違えばその関係は決定的だ。


相手は想像のお話のような、愛と希望に満ちた物語の中に生きている。


じゃぁ、僕は?


僕は


僕は


僕は、学校にすらろくに行けずに、なんの物語も始まらない自分の部屋に閉じこもって生きている。


真っ直ぐに、見つめ合うことなどできるわけもない。


言葉通り、お話にならないのだ。


彼女と僕の間につながる僅かな線を後生大事に抱え込み、僕は今も躊躇している。


一歩、踏み出せよ、と言われても


無理なのだ。


怖いから。


面倒くさいから。


どうせ無理だと、諦めているから。


きっと簡単ではないにしろ、不可能ではないのだろう。


でもダメなのだ。


好きだと言ってしまえば踏ん切りもつくだろうに。


この線があまりにも温かくて、心を支えてくれるから。


失くすのが怖くて怖くて仕方がない。


好きだ。


僕は彼女が好きだ。


明るく笑うその顔が、心の底から好きだ。


あんなに幸せそうに笑う人を、僕は他に知らない。


誰にも知られてはいけない。


僕のように惨めな奴が、彼女に想いを寄せていることなど、誰にも知られてはいけない。


そんなことになれば、彼女の笑顔まで霞ませてしまうような気がしてならないから。


彼女に迷惑をかけたくないから。


いや、違う、それは嘘だ。


結局のところ、やっぱり怖いのだ。


どうしようもないくらいに人を好きになったら、きっと相手の迷惑すら考えられないくらい頭がおかしくなってしまうだろう。


そんな経験は、僕にはないけれど。


ないとは思っていても、彼女の顔が歪んで、僕のことを軽蔑した目でみることがあったら。


どこか僕のいないところで、僕のことをあざ笑うことがあったとしたら。


それなら。


彼女に僕を認識してもらわない事のほうがずっとましだ。


怖いのだ。


今のこの状況も、僕という人間も、恐怖の上に成り立っている。


意気地なしで、根性なしで、僕には何もない。


クズみたいな人間だ。


わかっているのに。


やっぱり怖いから、踏み出せない。


彼女のことが好きだ。


でもそれ以上に、自分が傷つくことが怖いのだ。


傷つかずに済む結果なんて、ありえない事がわかっているから。


結局、僕の恋なんて、その程度のものなのだ。


その程度の、ちっぽけなものなのだ。


ちっぽけなものだったのだ。


仕方のないことだ。


彼女の目が僕を見ても、心は僕とは違う人のことを見ていたのは、当たり前のことだったのだ。


きっと、彼女は今日も笑っている。


花のように。


嘘みたいに、幸せそうに。


悲しいことがあっても。


きっとまた笑う。


今は、そう思えるだけでいいのだ。


僕は、それだけでいいのだ。


好きだから。


嘘だらけの僕だけど。


それだけは


それだけは嘘じゃないから。


逢坂柊が


心の底から好きだから。




笑ってくれているのなら。


それだけでいいのだ。






――――――――――――――――――――――――




「似合いますよ!」


「うるさいわ」


「いけてます!」


「嬉しくないんだってば」


「たぶん今世界で一番輝いてます!!」


「元いた世界に帰してくれ、そこで輝くから」


柊とエドは逢坂豆腐店の前に二人で立っていた。

エドは、ジーパンに白Tシャツを着込み、腰から藍色に染め上げられた「逢坂豆腐店」とデカデカプリントされたエプロンを下げている。

ちなみにエドは後ろに特性のクーラーボックスを備え付けた年季の入った自転車にまたがり、頭には捻りはちまきという気合の入ったポーズである。

首からは紐で吊り下げたラッパがユラユラと揺れ、豆腐を売りにいくぜ、全部売り切るぜ、というやる気がムンムンとエドの体から立ち上っていた。


「やる気まんまんですね、さすがエドです!」


「売らねえとお前の爺さん怒るんだよ。怖いんだよ。夕飯のおかわりもなしになるんだぞ。どうしろってんだ」


「なんかここ数日は連日即完売を達成しているそうで」


「お陰さまで一日三回も売りに出されるはめになった」


「おばちゃんのファンがいっぱい増えたそうですね」


「ファンって言われてもよくわからんが、とりあえず豆腐はご好評らしい、2~3日前からは商店街に行くと取り囲まれるな」


「若い奥さんなんかもリピーターになっているんですか?」


「若いって言うと…田中さんか?それとも後藤さんか?それとも・・・」


もうそんなにハイエナどもが!?


「やっぱり今日は私もついていこうかな!!!」


「お前今日退院してきたばっかじゃねえか、無理すんなよ、本調子じゃねえだろ。また具合悪くするぞ」


「いえいえ!むしろちょっと運動不足になっちゃって調子悪いくらいですよ!ついていきますね!何があろうとついていきますね!」


「俺が怠けるとでも思ってんのか?ちゃんと売り切るから安心しろよ」


「そっちの心配はしてないんですけど。色々と他に心配事があって」


「なんだよ」


「純白の豆腐のようなエドを真っ黒に染め上げようとにじり寄る悪魔(のような団地妻)達のことが気がかりで」


「何言ってんだお前、豆腐が黒く染まるわけねえだろう。イカスミ混ぜてんじゃねえんだぞ、ウチの豆腐馬鹿にすんな」


「いやだから、エドのそういうところが心配な訳なんです。すっかり豆腐屋に染まってきてることはいいとしても」


「意味がわからん。いいから大人しくしてろよ」


「嫌です」


柊は、2週間に渡る入院生活を終え、本日久方ぶりの我が家へと無事に帰還を果たしていた。

柊を救出する際にエドが治療効果のある魔法を無理やりぶち込んでいたらしい柊は、本来であれば数ヶ月は要するであろう怪我の回復を大幅に短縮した期間で終えることができたのである。

不可解な速度で回復していく柊を見て、主治医の先生が密かに柊をかっさばいて調べてみたいという考えを頭にかすめさせたのは、柊の預かり知るところではない。

ちなみに柊のお母さんは「さっすがアタシの娘だよなー!ガハハー!!」とご満悦であった。余談である。


その間エドはというと、働かざる者食うべからずの信条を掲げる柊の祖父によって尻を叩かれながら豆腐の仕込みを手伝わされ、居候開始数日後には自転車でパープーパープーとラッパを吹きながら豆腐を売りさばくというバイトを強制されていたのである。

始めは持っていった豆腐をまるごと持ち帰ってきて祖父の逆鱗に触れていたようであるが、エドのルックスに釣られた奥様方が最近急激に増え始め、噂が噂を呼び一躍商店街の人気者と相成った次第であった。

帰ってきた早々にお母さんからその事を面白おかしく聞かされた柊は戦慄した。

若奥様達のアイドルへの熱狂具合は油断のならないものである。

ましてやどこか日本人離れした風貌をもつエドがパープパープーラッパを鳴らしながら、キコキコと自転車に跨って一生懸命豆腐を売っている健気な姿を見たら、ハートを直撃してしまう可能性は高い。

柊すらその姿を想像しただけで不覚にも鼻血を出したのだ。直接、それも毎日けなげにやってくるエドの姿を連日目撃している奥様方は黄色い歓声まったなしのはずであった。


「これ以上奥様方の狼藉を許すわけにはいきません。私がエドを救うんです」


「支離滅裂って言葉をこの間お前のお母さんから習ったぞ。わけがわからん。体じゃなくて脳にダメージがいってたのか?」


「脳のダメージはもともとです。とにかく、これ以上エドをフリーにすれば今度は心にダメージが入る可能性が高いから、何がなんでもついていきますからね」


「よくわからんが」


「分からなくて結構です。ほいじゃぁ自転車とってきますから、ちょっと待っててくださいよ?」


柊は踵を返してバヒュンッと音を立てながら豆腐店の裏側へと続く狭い通用路に飛び込んだ。

襲いかかる、という表現がぴったりな勢いで、最近めっきり錆び付いていた自転車、愛機「魔列車号」に飛びつき、そのチェーン状の鍵を外す。

魔列車号は柊の急激な力に悲鳴を上げながらそのタイヤを回転させ始める。自転車に乗ることよりも走り回ることのほうがしょうに合っている柊にとって久方ぶりに触る魔列車号であった。

魔列車号も随分と久しぶりに乗り回してもらえることを喜んでいるはずであったが、いかんせん今までじっとしている時間が長すぎたせいか、ペダルに繋がるチェーンから出る軋んだ音には既にお迎えが近づいていることを感じさせるものがあった。

柊は愛機といってきかないが、乗らないのであれば愛機もへったくれもあったもんではない気が、しないでもない。


「ぅお待たせしましたぁあ!!」


ズザザザザー!と柊は再び通用路から飛び出していく。


そこには


既にエドの姿はなかった。


開いた片手を元気よく空に突き上げ、エドが居たはずの虚無空間に満面の笑みを向けたまま静止する柊の事をご近所さん達が気味悪そうにみつめ、ヒソヒソと何やら小声で話しをしている。

柊のポニーテールが、そよと虚しく風になびいていた。


「逃げるとは卑怯なり!!!」


ブワッ!!

と商店街に続く道を振り返れば、すでにパープー鳴らしながら爆走していくエドの後ろ姿が見えるではないか。


「逃がさんなりよ!!!」


ドンッ!!!!!!


柊は今まで手で押していた魔列車号に飛び乗ると、その細身からは想像もつかないような爆発的な脚力でもってペダルを踏み込んだ。


ギィイイイイイイイイイ!!!!!!!


と魔列車号が、文字通りの悲鳴を上げながら最早前輪を少し浮かせて発進する。


唖然とするご近所さん達を尻目に、ゴゥ!と音を立てながら、柊はロケットのようにカッ飛んでいった。


退院後初日とは思えない、鮮やかなスタートであった。






――――――――――――――――――――――――





そこは、地獄であった。




「ぐぅうぅうぅうううう…」




柊が世界を呪っているかのようなうめき声を漏らす。

その顔は憎しみに歪み、今にも相手に対して飛びかかっていきそうな様相を呈していた。


「700円お釣りです。毎度―」


エドが朗らかに笑う。


お釣りを受け取った若奥様は、僅かに頬を染めながらうっとりとエドの事をみつめている。

あろうことか、お釣りを受け取る際にその両の手でエドの手を包み込んでいるではないか。


「うぅうぅううぅうぅうううううう、ううぅぅぅうぅぅぅうううううううう」


さっきから、これで8人目である。


まさか、自分が入院している隙にこれほどのハイエナがエドの周りにたかっていたとは。

柊は体中から冷や汗が吹き出すのを感じていた。

危険である、非常に危険であった。

奥様方は皆うっとりとした顔でエドの事を見つめている。

今の奥様などまだましなほうだ、エドが困惑するほど長い時間手を握って離さない奥様までいた。

柊が真横で黒い影を立ち上らせながら殺気を放って睨みつけているのに、である。

これで自分がいなかったらどんな阿鼻叫喚な光景が繰り広げられていたのかと思うと、柊の心中では最早豆腐完売などという目標はどこか遠くへと吹き飛び、隅から隅まで商店街爆破計画に埋め尽くされてしまっていた。


「毎度―」


「ぐぬぅぅうううぅぅぅぅぅううううううううううう…!!!!」


再び、別の奥様にエドがお釣りを渡す。


許せん。


エドに近づく奥様方がゆるせん。


かくなる上は商店街の爆破などでは生ぬるい


柊は拳を固く握り締めた。


「団地ごと爆破するしかない!!!!」


「さっきからゴチャゴチャうるさいわ!!!!!!」


怒りのあまり、柊の思考が口からダダ漏れた瞬間である。

威嚇音を漏らす柊にだいぶ怒り心頭ながら我慢していたエドも、さすがにもう辛抱ならんといった様子で叫び声をあげた。


「なんなんだお前は!!勝手についてきて横で獣みたいな唸り声あげやがって!!商売の邪魔すんな!!!!!!」


「仕方ないんです!威嚇しないと被害が広がっちゃって広がっちゃってもう!!!」


「お前のせいで明らかに売上おちてんだよ!!何に対しての被害かわかんないが豆腐の売上にはお前が被害与えてんだよ!!!」


「豆腐なんてどうでもいいでしょう!!?」


「お前んちの家業だろうが!!なんてこと言いやがる!!」


「豆腐よりも大事なことなんていっぱいあるんです!!」


「それはもっともだが豆腐屋の娘がそれを言うんじゃねえ!!お前をここまで育て上げた豆腐に対してなんて罰当たりな!!」


「エドは私よりも豆腐をとるって言うんですか!?」


「お前の言動も思考も俺にはさっぱりだ!!!!!」


「もういいです!そこまで言うなら分かりました!私が戻ってきたからにはエドのご飯は全て豆腐づくしにしてそりゃもう嫌というほど豆腐を――――――――――――むぅっ!?」


みれば、柊とエドの周囲にはなんだなんだと集まってきた商店街の人々で埋め尽くされているではないか。

なんとも恥ずかしい二人である。

今日の商店街の皆様の夕餉時の話題は、奇天烈二人組の話で大盛り上りになること間違いなしといった状況であった。


「エド!?人だかりが!?」


「お前のせいだお前の」


「エドだって随分ギャァギャァと!!」


「それもお前のせいだろうが!!」


「逃げましょう!!さぁ!我が家に帰りましょう!」


「まだ豆腐が売り切れてないんだよ!」


「何してるんですか!早いとこ売っちゃってください!!」


「だから!!!!!お前のせいだって!!!!言ってんだろうよ!!!!」


「泣き言言わないでください!!こんなに注目を集めてるんなら豆腐の一丁や二丁や30丁などたやすく――――――――――――はっ!?」


柊が、頭の中でなにやらぴーん!と音を立てて静止した。


「…今度はなんだ?」


チャンスである。

これはチャンスである。

今、柊とエドは商店街中の注目を集めている。

もしもここで、柊とエドが昼ドラ顔負けのラブロマンスを演じれば、エドにたかるハイエナのごとき若奥様達に決定的な現実を見せつけることが出来るではないか。

転んでもただでは起きない、七転び八起きとはまさにこのこと!!

さすがは商売をやっている家の娘!!

逆境をチャンスに変えるなんて器がちがわぁ!!

いよ!!逢坂豆腐店の看板娘!!!

と、柊の脳内でミニ柊たちが、やんややんやの大喝采を上げた。

思いついたが吉日、考える前に動くがよろしいのである。


「―――うぅっ!!!?」


「ど、どどど、どうした!?」


柊は突然エドの目の前で腹を押さえ込んでグワッ!っとしゃがみこむ。

慌てたのはエドである。

うるさいったらないが、実際のところ目の前の少女は今日退院してきたばかりの病み上がりなのである。

人間離れした身体能力と頭がワンワンなるほどのやかましさについつい忘れがちになってしまうが、本来ならば優しくいたわってやらねばならない状況なのだ。

大声で怒鳴り合って衆目に晒したことでストレスを与え、すわ容態が再び悪化したのか!?と、エドは一気に冷や汗が吹き出る思いになった。

エドの慌てた反応に下を俯く柊の唇がニヤリとつり上がったことは、単純なエドのことである、気づけるわけもない。

リンクによってエドの感情が手に取るように分かるというハンデを貰っている上に、エドの人格までをも利用した、柊のなんとも卑劣な罠であった。


「具合が悪いのか!?大丈夫か!?」


「ちょ、ちょっと差し込みが…」


「なんだ!?差し込みってなんだ!?何が差し込まれたんだ!!?」


まだちょっと、複雑な日本語を理解しきれないエドであった。

ザワザワ、と野次馬達がどよめきをあげる。

その中にエドの事を見つめる若奥様達の姿を横目でみとめ、「ククク…みておれよ」と内心でほくそ笑みながら柊はいよいよ凄惨な悲鳴を絞り出す。


「リ、リンクが…」


柊が、やっと、といった様子で呻くようにつぶやいた。


「なんだと!?まさか、リンクがお前に悪影響を!?そんな馬鹿な!リンクが悪影響をあたえるなんて話は…!?」


エドは柊のつぶやきに一層青ざめた。

柊とのリンクには、自分でも知らないようなことばかりが起きるのである。今回の柊の容態急変に関しても同じようなことが!?とエドが思ったのも無理はなかった。

焦燥するエドの目の前で、ついに柊が、ドサァ…、と地面に倒れ込む。


「お、おい!!しっかりしろ!!傷は浅いぞ!?」


柊の入院中にエドが戦争映画にはまっていたことは既にお母さんよりリサーチ済みである。

ともにファルーク族と戦った戦友が今目の前で崩れ落ちたのだ。

エドの中では今頃壮大なBGMが掛かり始めているであろうことは、リンクを通じて柊にビンビンと伝わってきていた。

大方、倒れる柊の姿がスローモーションのようにエドの目には映ったであろう。

駆け寄ったエドは、目頭が熱くなる感覚を感じながら柊の肩に手をかけ、その体を抱き起こした。

二人を取り囲む野次馬の中から、若奥様たちが「キャアッ!!」という歓喜とも悲鳴ともとれる叫び声をあげる音が柊の耳に届いた。

思わずほくそ笑みそうになるのを我慢することに、柊は多大な精神力を消費しなければならなかった。


「エ…ド…うっ!!」


青ざめた顔で、柊は唇を震わせながらエドを見つめる。


「痛むのか!!畜生!!気をしっかりもて!!くそっ!なんてこった!!」


「エ、エド…迷惑…ぅう!?…かけ、ちゃって…ごめん…なさ…」


「もう良い!!もう喋るな!!畜生!!ちくしょうちくしょうちくしょう!!どうすりゃいいんだ!!」


「エ…ド…、た、たすけ…て…」


「大丈夫だ!!すぐに助ける!!死なせるもんかよ!!くそ!!おい!!お前らぼさっと見てないで道を開けてくれ!!こいつを助けねえと!!!」


「ひゃっ!?」


ガバァッ!!!

と柊をお姫様だっこにしながら、エドが立ち上がった。


「――――――――――――っ!?」


再び奥様方から黄色い悲鳴があがるものの、今度こそ柊にはほくそ笑む余裕など生まれなかった。

お姫様だっこである。

いとも簡単に柊を持ち上げたエドは、なんとも男らしいではないか。

エドをだまくらかす事に執心していてすっかり意識の外にあったが、よくよく考えてみれば、さっきから完全に抱きしめられているのであった。

エドの体温が、背中に回された腕から、エドにくっついている体の側面から、いたるところから、柊に伝わってくる。

顔も、かなり接近している。


「~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!」


はたして、この状況は柊の狙った通りの展開となっていたが


そう気づいてしまった瞬間


作戦成功!などと思う余裕は既にかなたへと消し飛び、


もう完全に、柊の頭は大爆発を起こしていた。


首から急激な速度で真っ赤に染まり上がった柊の様子は、大爆発というより大噴火といったほうがしっくり来るものであった。

赤面が頂点に達した瞬間に頭の先からマグマが飛び出なかったことが逆に不思議なほどの、ゆでダコ状態である。

詐欺師から恋する乙女へと変貌を遂げる、女子高生の貴重な羽化シーンであった。


「あぁ!?」


エドが、真っ赤になった柊に気がついてクワッ!と目を見開く。


「!?」


ばれたか!!!!!?


「くそ!!!!熱まで出てきたのか!?顔色が!!」


「!!!!?」


やった!!

私も馬鹿だけどエドも馬鹿だ!!

じゃなかった、エドは優しくて純真だ!!!

その単純さが…じゃなかった、真っ直ぐなところが魅力!!!!!


柊は混乱しながらも心の中でガッツポーズを決めた。


「ほらどいてくれ!病人だぞ!道を開けてくれ!」


エドは柊の異変に大慌てで人ごみをかき分けていく。


人をかき分けるたびに柊の体がエドにギュウと押し付けられ、その度に柊の心臓は加速していく。


人ごみをようやっとの思いで抜け出したエドは、今度は猛烈な勢いで人気のいない方向へ走り出した。


「エ、エド!?どこへ!?」


「黙ってろ!無理すんな!今助けてやる!」


「助けるって…ど、どこに向かって…病院は逆じゃぁ…」


どんどん周りから人気がなくなっていく、よくぞまぁこんな道を知っているものだと柊も驚く程に複雑にいくつもの角を曲がってエドは進んでいったのである。

これもひとえに2週間近くにわたって自転車をこぎながら豆腐を売ってきた功績なのであろうか。

額に汗を浮かばせながらも走り続けるエドの顔を見つめる柊の顔は、真っ赤に染まりっぱなしであった。


「ついたぞ!」


エドが叫びながらついた場所。

商店街の裏手にひっそりとある小さな公園である。

住宅に囲まれて存在するその公園は見渡す限り人っ子一人いない。

小さい砂場と2つの鉄棒、錆び付いたシーソーと雨に打たれて痛んだベンチがあるのみだ。

エドは慌てる柊を慎重にベンチに下ろすと、その顔に覆いかぶさるようにして覗き込み、額に手を当ててきた。


「エ、エド、なにを」


「やっぱりだいぶ顔が熱いな」


「いや!あの!それはそのですね!実は!その!目標は既に大方達成されているのであって!あの!その!」


あまりの急展開に混乱を極めた柊が、思わず自分の罪を告白しようとした瞬間である。


「少し黙ってろ、治癒する。ここなら人目につかないだろ」


「チュー!?」


エド、衝撃の発言であった。


「そうだ、治癒だ」


「そそそそそそそそそそんな、だ、だだだ、だだだだだだめですよ!!!」


「なんでだよ、具合悪いんだろ。リンクが原因ってんなら、俺が原因だ。責任は取る」


「せせせせせ、責任!?責任とってくれるんですか!!?」


「?、そうだ当たり前だろ」


「だ、だだだからこんなにひと目につかないところに!?一体どこまで責任取らなきゃいけないことをするつもりで!?」


「なんかお前元気になってきたか?」


「ゲホッ!!!?ゴホガハッ!!!!!!ゲッホッ!!!!!」


「うぉぉおおおお!?寝てろ!!寝てろってば!!」


「ガハッ!!!ゴフッ!!」


「待ってろすぐに楽にしてやるからな!」


「殺す気ですか!?」


「何言ってんだ治癒するっていってんだろうが!」


「チュー!!!!???」


「うるせえな!!ええいこの大人しくしろ!!」


ガバァッ!とエドが柊の肩を両手で掴み、ともすると起きあがりこぼしのように上半身を起こそうともがく柊をベンチに押し付ける。

がっしりと両肩を固定された柊は、完全に身動きがとれなくなってしまっていた。


「エ、エド…?」


そして、そのままエドは


「目ぇつぶってろ、柊」


ゆっくりと


「ちょ…ちょっとまっ…」


顔を近づけてきた。


「え?え!?」


柊は全身の体温が一層上がるのを感じる。


鼓動は早鐘のようで、全身から汗が吹き出していた。


見れば、エドは既に目を閉じ、柊の眼前に迫っている。


「~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!?????」


柊も


ギュッ


と、目をつぶった。











コツン








「え“!?」



柊の額に、エドの額が触れる感覚を感じる。

そしてその瞬間、きつく目をつぶっている上からでも分かるほどに、エドが発光するのを感じた。

明らかに、何か魔法を使っているような反応である。

しかし、柊はそんなエドの様子には全くと言っていいほど無関心で、むしろその行動に内心大きく驚いていた。



チューではないのか!!!?


と呆気にとられた柊である。


そんな馬鹿な!?


確かにさっきチューと言ったではないか!!


エドの世界ではおでこコツンがチュー扱いなのか!?


納得いかん!!


おでこコツン程度では私の期待に膨らんだ胸は到底満足できん!!


これでは生殺しではないか!!


やはりエドは私を心理的に抹殺するつもりか!


この理不尽な仕打ちにたいして私、逢坂柊は声を大にして断固抗議を――――――――――――


こう


ぎ…を…?






クワッと目を見開いた柊の






目の前数センチに静かに目を閉じるエドの顔があった。






ビィィイイイイイイイイイイイインッ!!!!!!!






と柊の四肢が伸びた。

いよいよ手や足の先までゆでダコ色に染まった柊はその姿勢のままで完全に硬直し、もはや彫刻かと見まごうほどに微動だにしない。

既に開いてしまった目を閉じることも叶わず、まっすぐにエドの顔を見つめてしまうものだから状況は改善されるどころか悪化の一途をたどった。

エドの呼吸を感じる。

顔の熱で、自分が爆発するのではと、結構真剣に柊は心配になったが、どうすることもできなかった。


「エ、エド…」


必死になってかすれた声を絞り出す。

エドは、柊の呼びかけにうっすらと目を開けた。

目と目があう。


あぁ…


今このまま時が止まれば良いのに


柊は、完全にらしくないセリフが脳内を駆け巡る危機的状況に追い込まれていた。

あわや心停止である。


このまま


こ、このままもう少し


もう少し顔を


顔を


動かせば


エドと


エドと…




「柊ィイイイ!!?お前鼻血が!!!!!?」


ガバァッ!!!とエドが身を起こした。


「ええええええええええええぇぇぇえええええ!!!!?」


柊が絶叫した。


「おまえ!!喋るな!!すごい吹き出してるぞ!!!!」


「そんな!!!!待って!!!!ご無体な!!!!!!もうちょっとだけ!!!もうちょっとだけお願いします!!!!あとちょっとだったんです!!拭きますから!!汚くてごめんなさい!!今すぐ拭きますからお願い時を戻して!!!!!」


柊は、鼻から盛大に鼻血を吹き出していた。

最早、ラブロマンスは終了の様相を呈していた。

どちらかといえば、新喜劇の世界である。


「大丈夫か!!?くそ!!治癒が効かないどころか悪化するなんて!!やっぱりリンクの影響だからか!?俺の技術じゃどうしようもないのか!?」


エドが愕然とした表情を浮かべたまま叫ぶ、一方の柊も突如夢の国から引き戻され、現実を見てみれば女だてらに興奮のあまり鼻血を吹き出している自分に愕然とした。

こんなの、あんまりである。

神様なんて、いないとしか思えないのである。

この世にいるのは悪魔ばかりなのである。

齢16にして、絶望をしった瞬間であった。


「待ってください!!!!!」


しかし


その時


「私は!柊先輩をなおす方法を知っています!!!」


その公園に、天使の声が響き渡ったのである。


「美月ちゃん!?」


振り返れば、公園の入口に立っているのは

橘美月

柊と葵の可愛い後輩にして、オカルト愛好会第3位(全三名中)の地位に座する高校1年生であった。

美月は先日のファルーク族との事件の際に軽傷を負っていたものの、その傷は結果的には大事には至らず、入院もせずに通常の生活に戻ることができていた。

ただ、体の傷は癒えても心の傷はそう簡単に癒えるものではない。

事件のフラッシュバックに悩む美月の姿を見て、事件から数日後、柊は悩んだ末にエドの事を葵同様美月にも打ち明けていた。

エドは地獄のような世界からやってきたということ。

あのファルーク族が現れたのはエドの出現となんらかの関係があること。

恐らく、本当にたまたま目の前にいた美月に反応したファルーク族が、エドの一族によく似た外見をもつ美月に襲いかかったであろうこと。

決して、美月を付け狙って襲ってきたわけではないこと。


そして



きっと、もしまた何かが起きても、絶対にエドが助けてくれること。



果たしてその話が美月の心をどれほど癒すことができたのか、しかし、美月は到底訳がわからないはずのその話に頷き、信じます、と柊に言ってくれていたのであった。

余りに純粋なその時の笑顔に、その場に居合わせたエドが思わず涙腺を熱くした程であった。

その後、漢泣きにむせぶエドがいなくなった後で、当然のように柊はエドとのリンクについてもできるだけ詳しく説明をした。

話すのなら、もう、隠し事はしたくなかったのである。

美月はその話を聞いてまるで自分のことの様に泣きじゃくり、柊の胸に飛び込んできてきつく抱きしめてくれた。

その様子に、柊も思わず泣いてしまった。

かくして、美月は柊の恋を応援する会会長と相成ったのであった。


しかしまた、なんでこんなところに?


「お前も鼻血出てるぞ!!?」


「えっ!?」


みれば、美月の鼻から、ツー、と赤い線が一本。

美月は慌ててハンカチを取り出して鼻を押さえた。


「美月ちゃんのぞき見してたね!!!?いつからそこに居たのか知らないけど結構見てたね!!?」


「そ、そんなことありません!今たまたまここを通りかかっただけです!!」


「じゃぁ登場した瞬間から顔赤かったのはなんで!?」


「そそそそれは商店街で騒いでいるお二人を見てあとを追って走ってきたら息が上がって!!」


「さっき今たまたまここを通りかかったって言ったよね!?」


「あああああれは!こここ言葉のあやです!!」


「じゃぁやっぱり結構前から見てたんだね!!?」


「むぅううっ!!?」


息巻く柊をみて


「なぁ、お前具合大丈夫になったか?」


と、エドがもっともな疑問を口にした。


・・・。


・・・。


・・・。


「ゴホッ!!!!!ゴホゴホゴッホッ!!!!カハッ!!!!」


「うおぉぉおおぉおおおお!!!?血が!!口から血が!!吐血か!?鼻血が口に混ざっただけか!!!?」


「ゲッホ!!!!ゲホゲホ!!!!」


「寝てろ!!!とにかく寝てろ!!!!起き上がってんじゃねぇ!!」


「ご、ごめんなさ…ガハァッ!!」


「ぎゃぁぁぁあああ血がぁぁああ!!!」


「あっぱれです柊先輩!!!」


「お前何訳のわからんことをこの非常事態に!!」


「すいません間違えました!!大丈夫ですか柊先輩!!」


「み、みつきちゃ…ゴホッ…」


柊は口の端からツゥと血をながし、弱りきった笑顔を美月に向ける。

顔色など既に真っ青である。

しかし一瞬その目が怪しく光り、それに反応して美月が小さく頷いたことにはエドは残念ながら気づかなかった。

非常に残念である。


「おい美月!!お前さっき確か柊を助ける方法とかなんとか言ってたか!!」


「は、はい!!」


「なんだ!?教えてくれ!!」


「それは、その…」


「どうした!?危険な方法なのか!?」


「い、いえ。危険というわけじゃないんですけど…」


「だったら早く教えてくれ!」


「では…」


ゴクリ、エドが緊張のためか、喉を鳴らす。


「その方法とは…」


「その方法とは…?」









「じ、人工呼吸です」



・・・。


・・・。


・・・。





「はい?」



















でかしたぁぁあああああああああああああああああああ!!!!






でかしたよ美月ちゃん!!


美月ちゃんやっぱり天使だよ!!!


起死回生の一発だよ!!!


これ以上の策はとてもじゃないけど思いつかないよ!!


天才だよ!!


1000年に1人の傑物だよ!!!


ラブリーエンジェルだよ!!!


私呼吸止まってないから人工呼吸とか訳わかんないけど!!


それでもやっぱり美月ちゃんは天才だよ!!!!


「そうか…よしわかった!!じゃぁ美月!!お前早速やってくれ!!」


「えぇ!?」


ちくしょう!!!!!!!!!!!!!!!


ちくしょうちくしょうちくしょう!!!!!!!!


ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!!!!!!!!


ちくしょおぉぉぉおおおおおおおお!!!!!!!!


「何驚いてんだ!俺ができるわけねえだろ!」


「出来るに決まってるじゃないですか!!柊先輩の方は準備万端ですよ!!」


そうだとも!!


いつでも来ていいとも!!


「馬鹿言うな!俺は男だぞ!!人工呼吸ってあれだろ!?息吹き込むやつだろ!?お前やれよ!!」


「この非常事態に何を意気地のないことを!!」


そうだよ!!エドの意気地なしぃ!!!!


「お前こそ何訳のわからんことを!!女のお前がいるなら、お前がやったほうが良いに決まってんだろ!なんでわざわざ男の俺がやるんだよ!早くしろってば!!」


ぐぬぅうううううう!!


「むぅぅううう!!」


橘美月は(ついでに逢坂柊も)追い込まれていた。


絶体絶命である。


別に柊に対して人工呼吸をするのが嫌なわけでは、全くない。


むしろちょっとドキッとした美月であった。


しかし、エドと柊の様子を先刻から鼻血までだして覗き見していた美月からすれば、ここはなんとしても二人にキスをさせたくてたまらないのである。


視聴者にとってもヘビの生殺しなのであるから、柊先輩の胸中は想像するに難くないのであった。


「ほれ!早く!!」


「わ、私は」


「み、みつきちゃん…」


「なんだよ!この期に及んでまだなにかあるのか!?」


「私はできないんです…」


「なんでだよ!お前の友達だろ!!友達が苦しんでるんだぞ!!人工呼吸で助かるっていうんなら――――――――――――」


「私は!!!!!!!」


「!?」


美月が叫び声を上げる。


「私は!!キス病にかかっているんです!!」


「キ、キス病!?なんだそ――――――――――――」


「B型肝炎です!!!」


「び・・・なんだって?」


「せ」


「せ…?」







「性行為感染症です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」






ビシィッ!!と音を立てて、エドが硬直する。

ご近所の窓が、ガラリと開かないか心配になるほどの、15歳、魂の叫びであった。


「せ…せい…?」


「み、みつき、ちゃ、ん…」


柊は、震えながら涙した。

ゼェゼェと肩で息をして、下を俯く美月を見つめながら、号泣することを禁じ得なかった。

よりにもよって…よりにもよって性行為感染症などと…。

そこまで…自分を貶めてまで…応援してくれるのか…。


「キ、キスで…伝染っちゃうんです…B型肝炎…」


かかっている訳ないのである。

生まれてこの方男の人と付き合ったことがないという美月が、自分の母親とキスするわけでもない高校生が、そうそう簡単にかかるような病気ではないのである。

どこで仕入れた知識か知らないが、病気を差別してはいけないが、それでも、柊は溢れ出る涙を抑えきれなかった。

なぜせめて…宗教上の理由だとかなんとか言ってうやむやに誤魔化そうとしなかったのか…。

明白である。

宗教観が理解できないかもしれない異世界の住人を前にして、そんなあやふやなものよりも、病気、というのは確実性があるからであろう。

あの短い時間に、どれほどの思考を巡らせたことか…。

英断も英断、大英断である。

なんという勇気、なんという義理堅さ、なんという心の清さであろうか。

橘美月様…貴女の死は…決して無駄にはしない…。

固く心に誓う柊であった。


「そ、それはその…なんというか…お大事にしてくれ…」


「…ありがとう、ござい、ます」


ペコリ、と美月は頭を下げた。

その顔は耳まで真っ赤になり、最早完全に涙目である。


(…美月様の討ち死に!無駄にはせんぞ!!!絶対にチューしてやる!!!!)


最早当初の目的などどこ吹く風な柊である。


「エ、エド…助け…て…」


ハァハァと、柊が荒い息でエドに助けを求める。

僅かな間放心状態にあったエドは柊の声にギョッとしたように、驚きを表情に浮かべながら柊を振り返ってその瞳を見つめた。


「エ…ド…」


みれば、柊の顔にはうっすらと汗が浮かび、瞳は熱を帯びて潤み、苦しいのか(苦しいわけがない)、一筋の涙が伝っていた。

頬に張り付いた数本の髪が、呼吸に合わせて動く唇が、なんだか異様に妖艶に、エドの目には映った。

ゴクリ、とエドが唾を飲み込む。

自分の額から汗が一筋、首へと伝っていったのを感じた。


「ひ、ひいらぎ…」


「エド…お願い…」


「~~~っ、しかし!!俺には心に決めた人が!!」


「何を言っているんですか!!人命救助ですよ!!!そんな事を気にする方が余程モラルに反してますよ!!」


「しかし…っ!!」


「エド…」


「~~~っ!?がぁぁああああくそう!!!畜生!!!やるしかないのか!!!」


「そうです!!いけ!!ほらそこだ!!」


先程までの意気消沈はどこへやら、グワァッ!と美月がガッツポーズとともにエドを鼓舞した。


「ちくしょぉおおおおおおお!!!エリス!!!!許してくれ!!!」


エドが、ガッシと柊の肩を掴む。


「いっけぇぇぇええええええええ!!」


「ムグッ!?」


どこで学んだのか、存外正しい手順で、エドは柊の気道を確保するために顎をグイと上にあげ、その鼻をムギュとつまむ。

突然鼻の呼吸を阻害され、柊がバタバタともがいた。

ロマンスもくそもあったもんではない非常に残念な光景ではあったが、もうこの際キスさえしてしまえば良しだ。

美月は柊の唇にグワと迫るエドの姿に息を呑んだ。

スローモーションのように、目を固くつぶったエドが、鼻を抑えられてもがく柊に近づいていく。

あと


数センチで



二人は




二人は…!!!!







――――――――――――その時であった






「お前たち、何してるんだ」

「あんたたち、なにしてんの?」








商店街の騒ぎを聞きつけて急遽駆けつけてエドと柊を探し回っていた、柊のお母さんがぽかんとした表情で、自転車にまたがりながら美月の背後から声をかけ。




さらにその後方には、思いっきり不機嫌そうに顔をしかめた





逢坂鉄蔵





柊の祖父様が




これまた自転車に跨って





三人を睨みつけていた。





ゴトン、と美月が手に持っていたカバンを地面に落とした音がやたらと大きく響き



三人の時間は完全に停止した。


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