第11幕 おかーさん その②
「柊はね~がさつなんだよね~」
「はぁ」
「エドさんもそう思わない?」
「いえ、別に俺は・・・」
「折角可愛い顔に産んでやったんだからさ~もうちょっとおしとやかにして男をはべらしてもいいと思うわけよ」
「はぁ・・・」
「私ですら柊の年の頃には同時に5人も彼氏がいたことあるんだよ?」
「それはどうかと・・・」
「大体さー、魔術だかなんだか知らないけどさー。オカルトって言うの?ああいうの。何が面白いんだかさっぱりわかんないんだよねー。豆腐作ってたほうがずっと楽しいのにさー」
「はぁ」
「魔法陣作ってないでさー豆腐か彼氏かどっちか作れって感じだよねー」
「よくわかりませんが・・・」
「天下とれってんだよー天下。いけるだろー?あの顔なら。ああ見えて柊はちゃぁんと出るとこ出てんだよ?あの子、線細いからさー着やせすんだよねー」
「はあ・・・」
「オカルトさえなけりゃなー。オカルトさえなけりゃなー。世界一可愛いのになー。葵ちゃんもやばいけど、うちの柊も相当やばいはずなんだけどなー」
「あの・・・」
「ん?どうしたの?エドさん」
「もう・・・1時ですけど、寝なくて良いんですか?」
「・・・ぉ?」
柊のお母さんとエドは、逢坂豆腐店の一階の茶の間で、ちゃぶ台をはさんで向かい合って座っていた。
部屋を照らす照明が出すジジジジという音が部屋にかすかに響き、その周りを小さな羽虫が数匹、元気に飛び回っている。
既にエドの目の前の湯呑からは湯気など上がっておらず、柊のお母さん以外は冷え冷えとしていた部屋の物寂しさを強調することに一役買っていた。
コチコチと規則正しく時を刻む古ぼけた壁時計は既に1時20分を指しており、家の中の静けさが今更になって実感される。
「なってこったい・・・、エドさん、私あした4時おきなんだけど・・・」
「いやだから、さっきから何度も時間のことを・・・」
「やべぇよ・・・やべぇよ・・・ぼーっとしてたらまた爺さんにどやされる・・・」
柊のお母さんの言葉に、エドは柊の祖父の姿を思い浮かべる。
禿げ上がった頭に、豪快な筋肉、歳を感じさせない精力あふれるその外見は、とてもではないが柊と血の繋がった人間だとはとても思えなかった。
人外な動きをしそうだ、という観点で言えば多少は血のつながりが意識できる程度だ。
豪快な笑い方も、そう思ってみれば確かに似ていなくもなかったが。
「寝ますか?」
「寝よう!すぐ寝よう!・・・エドさんも寝る?」
「えぇ・・・できれば・・・」
「そっかー。柊の部屋で寝る?」
「なぜわざわざ娘さんの部屋で・・・」
「いい匂いするけど、柊の部屋。もんもんとするよ?どう?」
「いやさすがにそれは・・・、この茶の間でも構わないです・・・」
「真面目だなーエドさん、早いとこ柊と結婚しちゃえば?」
「なんでそんな話に・・・」
「大丈夫だよ心配しなくて、うち豆腐屋順調だし。跡取りできれば爺さんも喜ぶし。生活には困らないと思うよ?」
「いやだから俺と柊さんは別に」
「もう手ぇ出した?」
「出してないですってば・・・」
「隠さなくてもいいよ?怒らないよ?私」
「隠してないですってば・・・」
「本当に?」
「本当です」
「えーでもー」
「お母さん、寝るんじゃないんですか・・・?」
「おう!?」
エドがそう言うと、柊のお母さんは既に何度目になるかわからない驚愕の表情でやおら立ち上がり、今度こそ部屋から出ていくために移動を開始した。
「やばいやばい、エドさん、柊の隣の部屋、片付けておいたからそこ使ってよ。」
用意してあったのか・・・。ならば何故執拗に柊の部屋を薦めるのだ・・・。
「お手数かけます」
エドが日本人らしく頭を下げる。
その様子を見て柊のお母さんは柔らかな微笑みを浮かべた。
「気にしないで。娘の恩人なんだもんね。じゃぁ、おやすみ、エドさん」
「おやすみなさい」
タン・・・、と、年数を感じさせるフスマが静かに閉じられ、その向こう側の足音が徐々に遠ざかって消えたところで、エドは深い溜息をついた。
疲れた・・・。
柊も柊だが、あの子にしてこの母親ありだ。
凄まじいパワーを秘めるお母さんであった。
エドは、人間の姿をしていた。
言葉に関しては、どうやら柊とのリンクのお陰で日本語とやらをほぼ自分の言語と変わらない感覚で用いることができていたエドだったが、それにしてもこの状況は一体全体何が起きたのか、いまいちエドにも理解できていなかった。
突然の発作に襲われて意識を失ったあと、エドが意識を取り戻した時には既に自分は悪魔の姿を取り戻しており、辺りに柊の姿は見当たらなかった。
混濁した意識の中で、柊が慌てて部屋を出ていこうとしていた記憶がある。
何が起きたのかと僅かに混乱したエドであったが、柊の中にあった僅かな魔力の検索をかけようと意識を集中させた。
昼間に検索をかけた時には微塵も感じなかった、ファルーク族の魔力を一つ、自分のすぐそばに感じた。
唐突な結果に度肝を抜かれたエドであったが、考えるよりも先に柊の部屋の窓から飛び出し、全力でその場所へ駆けつけた。
その目に映ったのは、血を流して倒れる山上葵と、初めて見る少女が一人。
そして、腕を明らかに異常な方向へと捻じ曲げて横たわり、それでも相手を強い視線で睨みつける柊の姿と、その柊を今にも殴り潰そうとするファルーク族の戦士の姿だった。
―――――――――バガンッ
と、派手な音を立てて、それを見た瞬間に自分の中で何かの外れる音を聞いた。
一体どんな種類のものかも判然としない感情が激流となって自分の中に流れ込むのを感じた。
数々の魔物の血を結晶化させ、魔力の供給源として機能するオーブすらその存在を確認できない世界にあって、その感情が流れ込んできたエドは一瞬にして凄まじい魔力を伴い、体中に力がみなぎるのを感じた。
柊の元へ行かなければと思った瞬間には爆発的な勢いで地面をえぐり、既にその真上まで跳躍を果たしていた。
まるで止まったかのように目に映るファルーク族の拳を受け止めたとき、果たして自分の中に渦巻く感情はどういったものだったのか。
今でこそ不思議に思えてならない唐突な現象だったが、その時のエドには一切の疑問は生まれてこなかった。
あの時、確かに何かを感じたのだ。
その瞬間には確かにわかっていたものが、ファルーク族の戦士を粉々に砕いて消滅させるとホワイトアウトする意識と共に霧散してしまった。思い出したいような、思い出したくないような。よく分からない感情の残滓だけが自分の中に僅かに存在していた。
そして、次に目を覚ました時にはエドは自分の姿が柊たち人間に大きく近づいている状態にあることに気がついた。
背は縮み、腕は細くなり、羽も、長い爪も、角も、どこにも見当たらなくなっていた。
何が起こったのだ?
既にカエルの人形の姿を借りるなどという経験をしていたにも関わらず、エドは大仰に慌てた。
一日も経たないうちに次々と自分の周りに起こる異常に、最早思考も全くと言っていいほど論理性を失っていた。
しかし、それも仕方がない。
むしろわけがわからない状況にあって、よく正気で耐えていると褒められてもいいくらいのものである。
僅かな環境の違いで神経衰弱に陥る人間は大勢いる。
たった一日で周囲と馴染み始めているかのように振る舞えるエドは、異常と言っていいほどに精神が図太かった。
だからこそ絶望的なエド達の一族を、先陣を切って導くことができたのだろう。
気を失っていたのも僅かな間だったようで、未だ倒れふす柊と二人の少女をその目に止めたエドは、人間の体になっていたことをこれ幸いとして、近所の家に助けを求めた。
近所、といっても公園の周りは比較的閑散とした人工林が広がっていたため、土地に明るくないエドにとっては離れれば戻るのにも苦労しそうなものであった。
だが、エドの意識できないレベルで流れ込んでいた柊からの情報のおかげか、大きな混乱に見舞われることなくエドは柊たちの救助を実行することができたのだ。
柊達を病院に預けたエドは、駆けつけた警察からの質問攻めにタジタジになって逃げ出し、結局柊の部屋に逃げ込んで隠れながら一晩を明かした。
翌日になってからこっそりと柊を訪ね、これからどうすればいいのかと二人で頭を悩ませていた所への、柊のお母さんの来訪だった。
衝撃的な出会いの後は柊が色々とごまかしながらエドが宿のないことをお母さんへと告げ、普通なら警戒するであろう正体不明のエドをあれよあれよという間に正式に逢坂家へと連れ帰ってきたのである。
なんともよく似た豪快な親子であった。
エドは慣れない体のサイズに未だに混乱しつつも、一日の疲労が蓄積した軋む体に鞭打って腰を上げる。
この訳のわからない状況を打開するためにも、早く就寝して体力を取り戻しておきたかった。
築後数十年が経過しているであろう柊の家は、いかにもといった日本家屋然としており、廊下を歩くとギシギシと板が音を立てる
階段の角度は急で、下を向くと僅かばかり背筋が寒くなるのを感じるほどである。
エドはその急な階段を上り、2階にある3つの部屋の内、一番手前にある柊の部屋を素通りしてその隣の部屋の襖を開けた。
柊の部屋に比べて若干手狭な感のあるその部屋は、普段は倉庫としてでも使われているのだろうか。ガムテープで封をされたダンボールや、安っぽい衣装ケースがいくつも積み上げられて隅に追いやられている。
柊のお母さんが敷いてくれたのだろう、ポッカリと不自然に空いた部屋の真ん中のスペースの畳の上には柔らかそうな布団がひと組。
枕元にはお盆に置かれた水差しとコップ、そして何故か「日本人とは~食文化に見る日本人の心~」と題された文庫本が一冊鎮座している。
エドには違いが分からないが、柊のお母さんから見ればエドは日本人らしく見えなかったのだろう。
柊はエドの事を記憶喪失の外国人とブッ飛んだ説明をしていたし、それを鵜呑みにしてのささやかな配慮なのかもしれなかった。
エドは流暢な日本語こそ話してはいたが、何かと不便もあろうと勘ぐったお母さんの、いらないが温かい心遣いであった。
エドは苦笑を浮かべながら、ありがたく水差しからコップに水を注ぎ、それを一杯煽る。
表面がびっしりと結露する水差しの水は、まだいくらか冷たかった。
水を飲み干してコップをお盆に戻すと、エドは布団の上に倒れ込んだ。
布団は暖かく、よく干されていて柔らかい。
電気の消し方がよく分からなかったので、部屋は柊のお母さんが明るくしてくれていたままだったが、それでもエドは急激な睡魔に引き込まれていく感覚に支配された。
今日一日あったことが、めまぐるしく頭の中を駆け巡る。
自分たちの安全を確実なものとして実感し喜ぶ仲間たちの顔、赤く上気したエリスの顔、自分を見つめ驚く柊の顔、笑う柊の顔、涙を流す柊の顔。
そこまで考えて、ハタと柊の顔ばかりが頭に浮かんでいることに気づき、エドは馬鹿らしくなって考えることをやめた。
強烈な睡魔がエドの意識を引きずり込んでいく。
やがて、灯りのともったままの部屋にかすかな寝息が響き始めた。
シンと静まり返った部屋で動くものは、僅かに呼吸して上下するエドの体ばかり。
蛍光灯の立てる音すらエドの鼓膜を振動させていた。
その時である。
やがて、エドの体が淡く光を放った。
見る人が見れば明らかに魔力の反応を示している事が分かるその光は、エドの全身を徐々に包んでいく。
その光がつま先にまで及ぶといよいよ明るさを増し、傍から見ている者がいればその目をくらますほどになる。
部屋全体が白い光に包まれた次の瞬間、一瞬でその光がエドの体のあった場所へと収束する。
現れたのは、昨日までと同じようにけろちゃんの姿で横たわるエドであった。
人間の体からけろちゃんの姿に変わった影響か、呼吸のための上下動は見受けられない。
目は開いたままではあったが、しかし、暫く見ていると時折寝言のようなものを発したり寝返りを打とうとしている。
魔力による反応があったことは間違いがなさそうだが、同時に、それによるエドへの悪影響は認められなかった。
何がエドの体に起きているのか。
もしも、エドがリンクに対してもう少しばかりの知識と経験を積んでいたとしたらわかっているかもしれないその現象は、今のエドにとっては知る由も無い出来事である。
柔らかな布団と、その枕元に置かれたお盆、そして布団の真ん中で放置されたように見えるケロちゃんは、やがてそのまま朝を迎える。
激動の2日間を終え、ようやくエドに訪れた僅かばかりの休息の時間であった。
少しばかり間抜けな悪魔さんと、生まれて初めて恋をした柊さんとの、序幕が幕を下ろす。
どれほどの時間を同じステージの上で過ごすことができるのか。
今はまだ、二人には何もわからない。