第10幕 病院にて おかーさん その①
「エドは、どうしたいですか?」
西日のさしてくる時刻になっていた病室のベッドの上で、柊が聞く。
エドはいかにも拗ねています、といった表情で不満そうに鼻を鳴らした。
「どうもこうも、俺が聞きたいくらいだよ。どうすりゃいいんだ、2週間も入院なんて」
「はぁ・・・でも、エドのお陰で2週間ですんでるんですよ?」
「んなこたぁ分かってる。それにしたって2週間だぞ?葵が言ってた儀式だって2週間お預けだ。その間俺は野宿でもしてればいいのか?いやだぞ、俺は」
「だから、私はどうせ病院なんだし私の部屋に住めばいいって言ってるじゃないですか。別に私は気にしないですよ?」
「お前が気にしなくても俺が気にするんだよ!」
「どうして?」
「そ、それはだな・・・」
「エリスさんとのことが気になるんですか?」
「む・・・いや・・・そのだなぁ・・・」
「別に良いと思いますけど。浮気してるわけじゃあるまいし。それにエドが黙ってたら絶対わかりませんって。気にしちゃダメですよ。」
「う・・・しかし・・・」
「大丈夫ですって。私だって、エドが若い女の下着やらなにやら色々とある私室で2週間も好き勝手しながら、しかもその家族に断りも入れずにコソコソと生活をしたなんてこと、エリスさんには言いませんし」
「やっぱやめる!いいわ!野宿するわ!」
「ご飯とか、どうするんです?」
「う・・・」
「言っときますけど、エドの居た世界みたいに狩ってもいい動物とかいませんよこの辺り。お金とか、今は私も下ろしに行けないから渡せませんし」
「ぐぅ・・・」
「私の部屋ならいくらかお小遣い残ってますから、それ使えば生活できますよ?お母さんたちだって朝早いから寝るの早いし、夜中は自由に行動出来ると思いますけど」
「いや・・・しかし・・・」
ええい、焦れったい、いっそこのまま、ここで押し倒してやろうか。
柊は頭に悪い考えが浮かぶものの、それを表情には出さずに言葉を続けてエドを追い込んでいく。
「大丈夫ですエド。仕方ないんです。エドの気持ちは痛いほどわかります。エリスさんのことが気になるのも、これ以上私に迷惑をかけたくないってことも、私の家族まで巻き込む事態が起こるかもしれないって心配してくれてることも」
「そんなことは・・・」
「エドは感じなくても、私はエドとのリンクを感じるんですから、それくらいわかりますし。」
「・・・」
「でも、私とエドはリンクを繋げてしまったんです。エドが心配してくれているのと同じように、私だってエドのことが心配です。雨風凌ぐこともできずにエドが生活するのを想像するのは辛いです。エドだって、もし自分とリンクを感じる相手が、例えばエリスさんが可哀想な目に遭ってたら、力を貸してあげたいって思いません?」
「それは・・・そうだが・・・」
「でしょ?だったら私を助けると思って・・・」
と、柊が言いかけたとき。
病室のドアがガラリと音を立てて開いた。
「柊―!お母さんきたぞー!・・・って、あら?」
重症を負って入院している柊のベッドの横に座るエドを見て、キョトンとした顔をしながら年齢不詳の快活そうな美人が立っていた。GパンにTシャツというラフな格好をし、前にかけている紺色のエプロンにはでかでかと「逢坂豆腐店」と白抜きの文字が踊っている。
「げ・・・」
エドが腰を浮かす。
柊も咄嗟のことに一瞬「げ・・・」と思ったものの、下手に慌てると逆効果だと思い直し、ここは冷静に努めることにした。
「おかーさん!」
「お?おお!ひいらぎー!」
柊の声に、知らない[人物]への興味を一旦断ち切ったように柊の母はパァッとその表情に笑顔を浮かべ、フワッと柊の元へと跳躍する。柊も大概であったが、この柊の母もなかなかの身体能力を持っているようだった。その、人間にしてみたら常人離れしていると思える動きにエドは僅かに驚いていた。
「元気だったかー!ひいらぎー!」
「元気だよーおかーさん!!ていうか今朝もあったからねおかーさん!」
「おお!忘れてたー!」
とお母さんは嬉しそうな顔を浮かべた。
「うそつけー!」
と、柊も何やら嬉しそうである。
エドは激しく困惑した。
どうやらこの女性、柊の母のようであると認識はしたものの、随分と明るい似た者親子であった。
「抱きしめていいかー?」
ニコニコとお母さんが柊に尋ねる。
「怪我してるから痛いと思う!」
にこにこと返す柊に、お母さんも「そうかー!」と上機嫌である。
「ところで」
お母さんが一瞬でその雰囲気を変え、落ち着いた大人の雰囲気を顔に現した。
エドは柊の母の急激な様子の変化に度肝を抜かれる。
すわ自分の正体に何か気づいたのか、と思わせるほどの迫力を伴った静けさを、柊の母はその身にまとっていた。
「こちらの方は?」
「エドだよー」
柊が相変わらず能天気な声を出す。
その様子に、エドはハラハラとした。
「エドさん・・・?」
「そうそう」
ギンッ
と柊の母は視線を鋭くする。
貧弱なはずの人間の視線にさらされただけであるはずなのに、エドはその時、背中が戦慄する感覚を感じた。
「まさか」
エドは何か言おうとするのだが、喋るべき言葉が咄嗟に頭に浮かんでこない。
「この人」
このままでは、何か
「柊・・・」
まずいことが
「ひいらぎの彼氏かー!!!?」
と、柊の母は再びその顔を破顔させ、何やら嬉しそうに「うぉらー」といった様子で柊にヘッドロックをかけにかかった。
「・・・」
エドは、言葉もなかった。
正直な話、エドは少し馬鹿っぽかった。
「ぎゃぁぁぁああああああああ」
柊の絶叫が響く。
それは、当然痛いであろう。
「なんだよーひいらぎー水臭いじゃないかよー、どうしておかーさんに言わないんだよー、言えよーこのぉー相談しろよ恋の悩みぃー、かっこいいじゃんこのひとぉーヒューヒュー」
ギリギリと、笑顔で柊の母はヘッドロックを続ける。
「いだいっ!!!いだいよぉおおおおおお!!!」
柊がバンバンッと母の腕をタップする。
柊の母はお構いなしだった。
暴漢に襲われ、重症を負った事になっている我が子に接する母の態度にしては、余りにも破天荒である。
「なんだよなんだよぉ~、ひいらぎ~、ウヘヘ・・・。おかーさん心配してたんだぞ~ひいらぎ男の子に興味なさそうだし、がさつだしさ~。孫の顔見れないんじゃないかって寂しかったんだぞぉ~」
「ばだしでっっ!!ばだしでぼがーざんっ!!!!」
ビッチビッチと柊の体が上へ下へと跳ね上がる。
柊の顔は、なんていうかひどい有様である。
もし仮にエドが本当に柊の彼氏であったなら、その顔だけで永遠の恋が冷めてしまってもおかしくない。
柊は危うく、実の母によって恋を終わらせられるところだった。
「はっ・・・だっ・・・しっ・・・でっ・・よぉぉおおおおお!!!!!!」
ゴキン!
派手な音が響いた。
エドは顔を真っ青にし、アラヤダ、といった様子で乙女のように両手を口に当てた。
柊の母の顎に、見事な柊のアッパーが決まっていた。
「ぐ・・・ふっ・・・」
ゆっくりと、柊の母はヘッドロックを解く。
というか、完全に一瞬意識が吹き飛んだようで、グラァ・・・と後ろに倒れていった。
ドサァッ・・・と柊の母が崩れ落ちた。
エドはオロオロと二人を交互に見る。
柊はやっとまともに吸えた空気をむさぼるようにゼェゼェと肩で息をし、母にアッパーカットを決めた姿そのままに、天に拳を突き上げていた。
一方の柊の母はというと、僅かな時間、死んだのか?と、エドに思わせるほどにシーンと動きを止めたあと、ググッっと、体を起こすために床に手をつく。
「ぐっ・・ぐぅぅ・・・」
柊の母が苦しそうにうめき声を上げる。
なんてことしやがる、とエドは慌てた。
実の母に、いくらエライ事になっていたからといって生のグーパンチを、しかも顎に叩き込むなど。
下手したら死んでる。
柊の母の容態が心配になったエドである。
「ぐ・・・ぐふっ・・・ぐ・・・ふふふ・・・ぐぐ・・・ぶ・・・」
床に倒れ、手を付き、未だ体を起こすことすらできない柊の母が不気味に笑う。
「ぐ・・・フフ・・・ひ・・・ひいら・・・ぎ・・・か・・・かお・・・まっか・・・」
「・・・」
どうやら、特に問題ないようであった。
「もー!おかーさん興奮するとすぐにヘッドロックかけるのやめてよー!」
柊も特に心配しているような素振りは見せない。
もう、この親子の間で何があっても驚くまい。
エドは固く心に誓った。
「て・・・てれちゃって・・・か・・・かわい・・・がふっ!?」
ガクガクと体を震わせながら起き上がろうとした柊の母であったが、ズルンッと再び顔面から床に突っ込む。
よくみれば、あたり一面柊の母の鼻血に染まっていた。
手を滑らせたのだろう。
しかし、それをみてもエドは静かに目を閉じ、もう何も考えまいと無反応を決め込んでいた。
この親にして、この子ありである。
良くも悪くも、明るい母娘であった。