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天使の正体

 わが校に天使らしきものが出現した翌日。


 昼休みになると僕は二日連続で生徒会室へ連行されていた。


2組(そっち)の様子はどう?」


 応接ソファで向かい合うなり、楓はそう尋ねてくる。


「特筆するようなことはないよ」


 変化がないわけじゃなく、ほかのクラスと同様に浮ついている、という意味だ。


 昨日は天使の放送を信じている生徒など皆無だったのに、今朝は露骨に『問題』を意識している生徒ばかりだった。

 屋上での経緯が広まったんだろう。

 噂話の声はいつもよりトーンが下がり、落ち着かない視線がぶつかったかと思えばすぐ逸らし、身だしなみへの気遣いで毛先をいじってばかり。


「とりあえず、天使は本物の可能性が高い、ってことは知れ渡ってるみたいだね」


「椿井くんの蛮勇も?」


 楓は目を細める。


 昨日の、天使への告白のことだ。


 男子には笑いながら勇者と称えられ、女子には半ば不審者を見るような目を向けられた。後者はけっこうつらかった。


「まあ、いろいろと冷やかされたよ。一応、本気ってことにしておいたけど」


「どうして」


「万に一つの悪趣味や気の迷いで、僕に告白してくる女子がいたとしても、そいつが天使に突撃する変人だと知れ渡れば、きっと考え直すだろうし」


 楓は口をとがらせて、


「椿井くんって女子に興味がないの? それとも逆ベクトルなの?」


「逆ベクトルという比喩について詳しい説明がほしいな」


 身を乗り出すと鋭くにらまれたのですぐに引き下がる。


「……1組(うち)も似たようなものよ。思春期がほとばしっちゃってるわ」


 うんざりした口調の楓だが、彼女はきっと好意の視線を向けられて辟易したクチだろう。

 態度にも能力にも隙のない楓は、露骨に言い寄られることは少ないかもしれないが、そのぶん密かに想われていることが多い。いわゆる高嶺の花だ。

『天使の問題』によって均衡が崩れたら、告白しようとする男子が相当数、出てくるに違いない。


 そこは冷やかさずに、僕は話を変える。


「天使の力が本物だとしても、いくつか気になる点がある」


「そうね」


「まずひとつは、どうして一週間遅れで降臨したのか」


 多くの天使の降臨は8日前の『降臨の日』に集中している。それよりあとに見つかったものにしても、認知が遅れただけで実際の出現は『降臨の日』とされていた。


 だが、ウチの学校の天使は明らかによそよりも遅れていた。


「一週間というのは象徴的じゃないかしら。神様が世界を作ったのも一週間だったでしょ」


「天地創造、だっけ」


「ええ」

 楓はうなずき、指揮棒よろしく人さし指を立てる。

「最初、暗闇だけだった世界にまず光を作り、二日目に空を、三日目に陸地と海を、四日目に……なんだったかしら、太陽と月と星を、あと残りの日で動物とかを作って、人間は最終日の作品なのよ」


「いや、人間を作ったのは六日目で、七日目は休んだんだよ、確か」


 後半がグダグダなので、僕は訂正を入れる。天使が降臨してからというもの、この類の知識には敏感になっていた。


「人間ってアダムとイヴでしょ。つまり、女は万物の中でも一番最後に作られた、いわば集大成というわけね」


 楓はなぜか自慢げだ。


「どうだろう。マラソンの最後に最高速度は出せないだろうし――」


 むしろ疲れ果てて、手を抜いてしまうんじゃないだろうか。そう思いつつもフォロー。


「――でも、肩の力を抜いた方が良いものができるって言うからね」


「はっきりしないのね」


「勘弁してよ。僕に女性のことがわかるわけないじゃないか」


「それもそうね」


 理解が早くて助かる、と心から思えない狭量な僕は、さっさとこの話題から離れることにする。


「あとは、天使の正体だね」


「……正体? 誰かが化けているような言い方ね」


 よその学校の情報だけど、と前置きして、


「天使は、天使としての身体を持って降臨しているわけじゃなくて、当地で生徒の身体を借りているらしいんだ。で、その借り方にも二種類ある。常に――少なくとも学校にいる間は常に天使でいるタイプと、時間または場所を指定した限定タイプ」


「それだと、うちの天使は後者になるわね」


 初耳であろう話を、楓は綺麗に理解する。


「ご明察。で、限定タイプの方が当然ながら正体を見分けにくい。特にうちの天使は放課後限定だから〝天使が現れているときに不在の誰か〟を疑うやり方じゃ、容疑者が多すぎて特定できそうにない」

「人海戦術でもやれたら話は別だけど――って顔をしているわ」


 楓の瞳が僕を見据える。


 彼女のこういう鋭さは本当にすごいと思う。他者の思考が理解できるのか、話の流れが読めるのか、それとも僕がわかりやすいだけなのか。


「滅相もない。ただ、生徒会主導で何かやってくれたらな、と」


「あなたの知識欲のために?」


「向坂だって、色恋で浮ついてる学校の雰囲気を放置したくはないだろ? なら、天使の正体を知っておいても損はないはずだよ」


 おためごかしをねじ込むと、楓は少し視線を落として黙考する。


「やっぱり無理ね」


「そっか」


 十中八九、断られると思っていた。


「組織なんて使わなくても、もっと簡単な方法があるじゃない。椿井くんの好きそうな、意地の悪いやり方が」


「意地の悪いやり方と言われても……。清く正しい向坂の思いつくやり方が、そんな邪悪なものとも思えないし……」


 首をかしげてしらばっくれると、楓はため息をついて、


「噂を使うでしょ、あなたなら」


「それも考えなかったわけじゃないけど」


 天使の正体はここの生徒の誰かだ。そんな噂を広めれば、すぐにでも本体探しが始まるだろう。さらに、マニュアルも同封しておけば効果的だ。例えば、二人一組になって放課後お互い連絡を取り合うように約束しておき、連絡がつかなければその相手は天使かもしれない、といった具合に。


「でも、やっぱり無理だね。問題だらけだから。広まっていく過程でどんな尾ひれがつくかわかったものじゃない。怪しいやつを見つけたって人がいても、その情報すら噂になって広まって、薄まったり付け足されたり曲解されたりして、使い物にならなくなる」


「情報収集は統率された方法でやらないと無意味、ということね。だけど、あまり大々的にやって目立つのは構わないの?」


「天使の正体の話を出してる『天使の問題』関連のサイトなんてたくさんあるよ。その気になれば誰だって入手できる情報なんだ。もう探し始めてる生徒もいるかもしれない」


「だから組織力で先んじたい」


 まあそれが一番の理由なんだけど。


「正体がばれることは、無防備な一般生徒の身の危険に繋がる。先走りするやつの狙いが高尚だったためしはないよ。そういう手合いから〝正体〟の身を守るのも生徒会の役目なんじゃないかな」


 悪くない屁理屈だと思ったけれど、楓は即座に否定する。


「いいえ。それは天使の役目よ。最初の放送でも放課後の屋上でも、天使の前後の足取りはつかめなかったわ。椿井くんの言う「先走りする手合い」って、どうせ少人数でしょ。そういう相手に対しては、天使の奇跡の力以上に有効なセキュリティはないと思うわ」


 楓の指摘どおりだった。


 少人数ではどうしようもない天使の力に対抗するには、数の力、組織力しかない。そう考えたからこそ生徒会に話を持ちかけたのだけれど、どうも相手が悪かったみたいだ。


 楓は口元を上げて勝ち誇った顔で、


「まあ、仮に生徒会に天使関連の相談が上がってきたときは、教えてあげないこともないけれど」


「まさか情けをかけられるとは……」


 目的を果たせなかった虚しさのせいか、空腹感がいつも以上につらい。そろそろ行かないと昼食の時間がなくなってしまう。


 学食へ向かおうと立ち上がると、


「ねえ、その、お昼ごはんだけど……」


 楓に呼び止められ、


 それと同時に生徒会室の引き戸が勢いよく開いた。


「椿井ってやつ、いるか!?」


 現れたのは男子生徒。


 ガラが悪そうだな、というのが第一印象で、荒っぽい呼び声のせいもあるが、脱色した髪や着崩した制服、高身長といった見た目の威圧感もその印象の形成に一役買っている。


「椿井は僕だけど」


 軽く手を上げると、敵を見るような目でにらまれた。そしてずかずかと大股で近寄ってくる。

 一体何をされるのだろう。怖かったが逃げ場がない。


「お前か、妹に手ぇ出したのは」


「どういうこと」


 背後から冷たい声が聞こえた。


「え、なんで副会長が反応するの」


 しかもちょっと敵意を感じる響きである。何これ、四面楚歌?


「いいから答えて」


「身に覚えがないんだけど……」


 後ろを意識しつつも前の男子に向けて答えると、男子生徒は眉を吊り上げた。


「んだと、公衆の面前で告っといて次の日にはもう忘れましたってか、とんだチャラ男だなおい」


 公衆の面前で告った、次の日。


「ちょっと」「それって」


 僕と楓は顔を見合わせ、ひとつの結論に達する。


「妹さんって天使? あ、これは形容じゃなくて……」


「ああ、ニュースとかでやってるアレだろ。そいつに取り付かれたんだよ。モチ、形容の意味でも天使だけどな」


「じゃあわかってくれると思うけど」

 後半の発言はスルーして、

「僕が告白をした相手はその天使であって、君の妹さんとねんごろになろうという気はないから」


「ねんごろってあなた……」


「んだとテメェ、オレの妹じゃ不満だってのか」


「どうしろと……」


 途方に暮れて振り返ると、楓が感心したような呆れたような、複雑な顔をしていた。


「わたし、シスコンって初めて見たわ」


「そんな言葉で括ってんじゃねえ」


「まあまあ」

 興奮気味のシスコンを落ち着かせる。

「人からどう言われようと、それで妹を大事に思う気持ちが揺らぐわけじゃないよね」


「おお、当然だろうが」


「それに、手を出すも何も、僕は妹さんを直接見たことがない」


 シスコンの様子が、話を聞く態勢になった。


「妹さんと天使の見た目には、大きな隔たりがあるんじゃないかな。同一人物だとすぐにわかってしまう程度の違いなら、今頃とっくに妹さんが天使だってバレて、大騒ぎになってるはずだから」


「……ああ、そのとおりだ」


「じゃあ妹さんのクラスと名前を教えてよ。確認せずにその気はないなんて、妹さんにも失礼なことだと思うし」


 シスコンはしばらく視線を落として考え込んでいたが、すぐに顔を上げる。


「あー、わかった。ついてこいよ」


 釈然としない様子ではあったが、シスコンはその言葉を口にした。


 よし。


 さりげなくこぶしを握る僕の横を、冷たい目をした楓が通り過ぎる。


「向坂も行くの?」


「副会長として、知っておく必要のある情報でしょ」


「ならクラスと名前で十分なんじゃ」


 僕の指摘は黙殺されてしまったので、おとなしく後についていく。


 シスコンの名前はひいらぎ秋人あきと


 妹は真奈佳といい、一年一組の生徒らしい。


 果たしてどんな子なのだろうと想像する。


 天使の容姿は美しかった。中空に墨を流したような黒髪、計算されたように整いすぎた目鼻立ち、相対する者に緊張を強いる凛とした佇まい。


 そんな超然とした存在の本体なのだから、柊真奈佳本人にも、何か特別なものがあるのではないか。


 天使が降臨する学校の条件はわかっていないが、学校以前に〝人物〟に条件がある可能性も考えられる。天使の本体に選ばれる人物は、いわば世界に千人といない逸材。トップクラスの音楽家や俳優、アスリートのような〝何か〟を持っているのだ。


 そんな人物の顔を見にいくのだと思うと、少し緊張してきた。


 ところが。


 女の子の容姿を観察して批評するなんて、あまり品のいいことではないけれど、あえて評するなら〝大人しそうな子〟だろうか。


 柊真奈佳は、目立たない女の子だった。


 昼食を終えた教室にはいくつかのグループが形成されていて、柊真奈佳は比較的、真面目そうな生徒たちのグループに属していたが、その中でさえ彼女は埋没気味だった。


「どうだ、かわいかっただろ」


「そうだね」


 感想を求めてくる柊に適当な答えを返すと、


「お前、やっぱり狙ってるじゃねーか」


 と、しつこくこちらの意思を捏造しようとする。こいつはどうあっても僕を、妹を狙う不届き者にしたいのだろうか。


「柊」


「あん?」


「君の妹は確かにかわいい。派手さはないけど、こう、保護欲をかきたてられるというか、守ってあげたくなるよね。でも、僕は年下はダメなんだ。それに、かわいいよりもキレイ系の方が好みだから。こればっかりはどうしようもない。草食動物は目の前にA5ランクの松坂牛サーロインがあっても食料とは思わない。それと同じことさ」


 サーロインは言いすぎだけれど。


 相手の目を見据えて一気にまくし立てると、柊は口を半開きにして、


「お、おう、そうか……」


「じゃあ、そういうことで」


 戸惑う柊の隙をついて会話を打ち切り、その場で柊と別れる。


 帰る道すがらは楓との意見交換だ。


「同一人物とは思えなかったわね」


 僕と同じく天使を間近で見ている楓も、やはりそう感じたらしい。


「今までに柊真奈佳の名前を聞いたことは? 部活動で何か賞を取ったとか、成績が優秀だとかの、ポジティブな噂で」


 見た目は平凡でも能力が非凡なのでは。


 その可能性を考えて尋ねるが、楓はあっさりと首を振った。


「でも、同一人物とは思えないほどの変装でも、映画の特殊メイクなら実現可能でしょ」


「まあ確かに」


「性格にしても、遠目には内向的に見えたけれど……、人が変わったって言われるくらい演技に入り込む人もいるでしょうし。少なくとも、天使よりは名役者の方がたくさんいるでしょ」


 楓はことごとく天使の奇跡を否定してくるが、だからといって彼女が特別にリアリストなわけではない。


 巷にあふれる天使に関する議論の中には、天使の奇跡的な能力を否定する意見も根強いからだ。

 天使の見せる奇跡は、既存の技術や技能で再現可能である、というのだ。


「本人と直接、話をするしかないか」


「怖いお兄さんの目を盗んで?」


「あー、あれは厄介そうだよね」


「サーロイン級の妹がいたら、誰でもああなっちゃうのかしら」


「そのネタはもう忘れてくれない?」


「草食動物もがんばりどころね」


「いや、だからもう、ホントに……」


 と、楓の憂さ晴らしかと思うほどの執拗なからかいは、昼休みが終わるまで続くのだった。



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