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降臨の日 その4 天使の裡側

 あたしは部屋に戻ると、背中からベッドにダイブした。


 天井を見上げながら胸元に手を当てる。


 学校の屋上でのことを思い出すと、また胸がドキドキしてくる。


『平素に比べて動悸が速いようですね』


 天使さんが話しかけてくる。

 あたしの気持ちとは真逆の、静かな声音だ。


 話しかけるといっても、実際に空気を振動させている〝音〟じゃない。あたしの心の中にある、あたしのものではない意識――思考のようなものだ。


 端的に言うと、あたしは天使さんに憑依されている。


 一週間前の、世界中で天使が降臨したあの日。あたしのところにも天使がやってきた。


 背中に白い羽を背負い、頭上に光の輪を伴って、空から差す光の柱とともに――なんて、イメージどおりの登場じゃなかった。


 出会ったのは夢の中。

 あたしの姿を借りた天使さんに、少しだけ身体を貸してほしいと頼まれたのだ。


 天使さんはあたしの心の中にしか存在せず、あたしも肉眼でその姿を見たことはない。だから、その奇跡の力を目の当たりにするまでは、あたしの夢か妄想だったんじゃないかって、ずっと疑っていた。


 実は今もちょっと半信半疑。

『天使の問題』関連のニュースが報じられても、あんなに社会を騒がしている存在があたしの中にも居るんだっていう実感が湧かない。

 画面の向こうの『天使の問題』と〝天使さん〟がイコールで結びつかないのだ。


 ずっと、長くて突拍子もない夢を見続けているのかも。


 そっちの方が現実味がある――というか、あたしらしい。


真奈佳マナカ? 体調が優れないのですか?』


 天使さんが気遣わしげな口調で尋ねてくる。


〈――ううん、大丈夫〉


 あたしはそれに返事をする。このやり取りも声に出してはいない。

 頭の中で考えごとをするのと同じ要領だ。


 最初は〝声を出さなくても自分の言葉が相手に伝わる〟感覚がよくわからなくて、独り言が増えたと心配された。

 それに、「天使さんに伝える考えごと」と「本当の考えごと」を区別するのもけっこう難しい。慣れてきたけど、それでもとっさのときには声が出てしまうし、感情や思考が天使さんに伝わってしまうこともある。


〈ただ、面と向かって好きだなんて言われたの、初めてだったから。思い出すとまだ緊張しちゃうの。それだけ〉


 一応、理由を説明すると、天使さんは、


『あの発言は、マナカ個人に向けての告白ではありません』


 と断言する。


〈わかってるよぉ、天使さんに向けた言葉だってことくらい〉


 あたしは少しの切なさを隠しつつ返事をする。


 天使さんは『問題』実施のために、放課後だけあたしの身体に〝降りる〟。


 それはあたしの身体という乗り物の運転手を交代することだ。ハンドルを持つ人が変われば、運転も変化する。それはわかっているけれど、理解していたってその変化に憧憬じみた感情を持ってしまうことは、どうにもならない。


 天使さんが〝降りて〟いる間、あたしの姿はあたしじゃないみたいになる。キリッ、とかピシッ、という擬音が似合う、凛とした雰囲気の女性に。


 といっても別人に変身しちゃうわけじゃなくて、あくまでも変装の範囲。


 人間って中身が替わると表情も変わるんだって、思い知った。もう全然違うの。あたしが全力で――それこそ卒業証書授与で立ち上がったときくらい気を張った顔よりも、天使さんの普段の表情の方が、よっぽど引き締まっているもの。


 落ち込むあたしを、天使さんは


わたくしはこの表情しかできませんが、マナカは違うでしょう。表情は、感情を伝える大切なサイン。たった一つの鋭利な表情しか持たないより、多彩な表情を見せられることの方が、はるかにすばらしいことです』


 ってキリッとした横顔で慰めてくれたけれど、あたしはやっぱり引き締まった――凛とした表情にあこがれてしまう。


 あたしと同じ顔をした、だけどまったく違う内面に。


『少し誤解があるようですね』


 天使さんは淡々と言う。


『彼はマナカ個人と同様、私という個体にも関心はないでしょう』


 あの先輩はあたしに関心がないのだとはっきり言われると、やっぱり胸がちくりとする。


〈じゃあどうしてあんなことを言ったの?〉


『おそらく、彼の興味は天使という存在そのものです。突出した力は良くも悪くも注目されます。近づき、利用しようとする者は多いでしょう』


〈打算で告白したってこと?〉


『ええ、しかも恋愛という『問題』に絡めて。この学校での『問題』が恋愛でなければ、別の手段を取っていたでしょう。明日以降も何らかのアプローチがあると考えた方がよさそうですね』


 打算で告白……あの先輩がそんな悪辣な人とは思えないけれど、確かに、あたしに――というか天使さんへの恋心があるようにも見えなかった。


〈じゃあ、どうするの?〉


 最初はそんなつもりなどなくても、積極的に迫られているうちにだんだん相手のことが気になっていく――少女マンガでよくあるストーリーを思い出して、また動悸が速くなる。


『もちろん、明日以降も突っぱねます。マナカをけがさせるわけにはいきませんから』


「けがさせるって……」声が出ちゃった。〈け、怪我じゃないよね〉


『穢れ、インピュアリィの意です。女性を指して傷物と言うこともあるので、どちらでも通じますが』


〈怖いこと言わないでよぉ。そ、それに万が一だけど、あの先輩が本気で天使さんを好きだったら、どうするの?〉


『特に何も。私は恋愛というものを解しませんから』


 天使さんはあまりにも淡白だった。


 感情の温度が上がる。それは、少しくらい動揺するかも、という期待を一蹴されたからだけじゃなくて、恋愛を解さないという断言が引っかかったからだ。


〈朝の放送では「恋愛を強制する」なんて言ってたんだから、それがどういうものなのかくらい、とりあえず形からでも入って体験した方がいいんじゃないかな……。学校のみんなだって、ただ恋愛しろーって命令されても困るけど、恋愛している人からの言葉だったら、少しは聞く耳を持つかもしれないし〉


 あたしごときに意見されるとは思ってなかったのか、天使さんの反応がない。

 怒っちゃったのかな。恐々と返事を待っていると、十秒くらい経ってからようやく、


『……つまり、テレビショッピングですね』


「ふぇ?」


『なるほど……私は人間の心理を少々侮っていたようです。四六時中、色恋色欲に満ちたピンク色の世界を生きているとばかり思っていましたが、そう単純なものではないのですね。四の五の言わずに恋愛しろと命じるよりも、恋愛ってこんなにいいものなんです、体重も減って、肌の張りも良くなった気がします、という成功体験を語った方が興味を引ける。

 一理ありますね。ありがとうございます、マナカ』


 天使さんのトンチンカンな納得のしかたに、あたしは沈黙を返すことしかできなかった。


 どうしよう、これ、かなり本気で言ってるよね。天使なだけに天然なのかな……、


〈ええと、それで、どうするの? 先輩への対応は。同じように告白してきたら……〉


『昨日の今日ですぐに了承しては、いわゆる安い女に見られるのでは?』


 どこでそんな台詞を……。天使さんの語彙はよくわからない。


〈天使さんも相手の心証なんて気にするんだね〉


『いえ、特には』


〈じゃあタイミングなんて気にしなくてもいいんじゃ……〉


『私の感じ方は問題ではないのです。人類が天使に対して抱いているイメージを、貶めるわけにはいけません』


〈意外だなぁ、そこまでイメージを大切にしているなんて思わなかった〉


『我々は傲岸不遜だと思われていましたか』


〈四字熟語で強調するほどじゃないけど……。でも、あたしたちからすれば、いきなり現れて一方的に条件を出して、さあこのルールどおりにやりなさい、って強制するんだから、相当むちゃくちゃだよ? 相手の心証なんて考えてたら、とてもできないと思う……のが、人間の感覚なの〉


 あたしの意見に、沈思黙考している空白。


『なるほど。私はイメージと言いましたが、好感度を上げたいわけではありませんよ』


〈じゃあなんで……〉


『畏れ――畏怖です。天使とは自分たちよりも上位の存在だと、そういう風に感じてくれさえいれば、極論、あとはどう思われても構いません。騎士と甲冑の逸話をご存知ですか?』


 あたしが首を振ると、天使さんは話を続ける。


『金色の甲冑をまとい戦場を縦横に駆け巡った、屈強の騎士の話です。その姿から、彼は黄金の騎士と呼ばれていました。


 そんな彼がある日、戦友にせがまれ甲冑を交換します。甲冑が変わろうが武具を振るう自分の力は変わらない、という自負と共に、いつもどおりに戦場へと赴く騎士。


 しかし、その日はいつもと勝手が違っていました。


 こちらが槍を構えるだけで怯み、向こうから攻撃してくることのなかった敵兵たちが、この日は攻撃に勢いがあり、倒しても倒してもまるでこちらを恐れる様子がないのです。騎士は次第に攻撃を捌ききれなくなり、そしてとうとう……』


 数秒の沈黙。


『薄れゆく意識の中で、騎士は理解しました。


 敵兵が恐れていたのは自分ではなく、自分が身にまとっていた黄金の甲冑だったのだ、と。

 かの騎士は確かに屈強、しかしその噂が広まっていくうちに、敵兵は金色の姿を見るだけで萎縮するようになる。騎士は、噂に恐怖して腰の引けた敵兵をなぎ倒しているうちに、自分の、そして敵兵の実力を見誤っていたのです。


 ……わかっていただけましたか?


 黄金のイメージが崩れることは、天使の力への疑心に繋がります。舐められてはいけないのです』


 天使さんは、そんな、仁侠映画やヤンキー漫画の台詞みたいな言葉で物語を総括する。


 あたしはすぐに返事をすることができなかった。


 だって、この比喩って……つまり、黄金の騎士が天使で、敵兵が人間ってことだよね。天使と人間が敵対するって言いたいのかな。


 まさか、そんなこと。


 本人は上手な比喩だと思っていても、実は全然うまくなかった――なんてよくある話だもん。大丈夫だよ、うん。


 かすかによぎった不安を黙殺して、あたしは天使さんとのやり取りを続ける。


 お兄ちゃん曰く、あたしは考えていることがすぐ顔に出る、らしい。


 心の中の考えごとにまで気を遣っていると、ポーカーフェイスが上手になるのかな。


『何か、不安なことがありましたか?』


「えっ?」


『そういう心の色をしていました』


 心の色、なんて詩的な言葉で表現されるほどあたしの心は素敵じゃないのに。


〈天使さんは、12月24日には、いなくなっちゃうんだよね〉


 あたしはさっきの不安を〝いつか来る別れへの不安〟とすりかえる。

 ううん、本当は同じくらい不安だけれど、誤魔化して隠すのなら、やっぱり後者の方。天使と人間が敵対すると思ってるなんて危惧、天使さんに伝わってほしくなかった。


『はい、最初に約束したとおりです。契約内容にご不満が?』

 ……どちらの不安も、伝わらなかったみたい。

『もっとも、変更は利きませんので悪しからず』


 と天使さんは素っ気なく続ける。


 初めて天使さんと対話したときは、彼女の凛とした声に気後れしてしまったけれど、今は付き合いの長い友達みたいに思っている。


 どれだけ素っ気なくても、常に一緒にいればそれも〝味〟っていうか、天使さんの個性みたいに感じられてくる。


 だけど、そうやって天使さんがいることが当たり前になればなるほど、Xデーへの不安は大きくなってしまう。


 天使さんがいなくなったあとの喪失感に、あたしは耐えられるのだろうか。

 

 不安感を誤魔化すように、身体をうつぶせにして枕に顔をうずめた。





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