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第三話:何も。


 僕が優奈さんに会った二日後。金曜日の朝。

 いつものように学校へ向かっている途中で、あるものを発見した。

 猫の死骸が、道の端で倒れていた。

 車にでも撥ねられたのだろう。首から血があふれ出している。それほど時間は経っていないようで、血液はまだ鮮やかな赤色だ。真っ白な毛とその赤色の対比が眩しい。顔は見えないが、恐らく苦悶に満ちた表情をしているのだろう。

 それを見たこと自体は、僕にとってやはり大した意味を持たなかった。

 猫は不幸だったけど仕方がないことだろう、と。その程度の感想しか出てこない。

 そのまま先へ進もうと足を動かした。

 次の瞬間。僕は尋常ではない速さで首を後ろに回し、目を見開いた。

 僕は、驚いていた。それ自体久しぶりだったのだが、そんなことはどうでもよかった。

 ただただ、目を見開いたまま、その風景の中で微動だにしないオブジェとしてそこに溶け込んでいた。


     ●     ○     ●     ○     ●


「相馬!」

 誰かのその言葉で、ようやく我に返った。

「轟……」

 声をかけてきたのは、轟七海だった。他に僕を下の名前で呼ぶ人は彼女以外にはせいぜい二人しか思いつかないが。

 轟は、目を見開いて驚いた表情をしている。多分さっきの僕もこんな顔をしていたのだろう。

「相馬! お前……」

 彼女が言葉を紡ごうとしたとき、僕の目に猫の死骸が映った。

 その瞬間、体から力が抜けて。

 何も聞こえなくなって何も見えなくなって何も感じられなくなって何も考えなくなって何も信じられなくなって何も伝わらなくなって何も届かなくなって何も浮かばなくなって何も殴れなくなって何も沈まなくなって何も苛めなくなって何も睨めなくなって何も疑えなくなって何も捉えられなくなって何も壊れなくなって何も動かなくなって何も喋らなくなって何も揺るがなくなって何も答えなくなって何も築けなくなって何も繋げなくなって何もわからなくなって。

 何も。

 何もかも。

 何でもかんでも。

 何だってかんだって。

「う」

 そう、言った。

 次の一秒。

「うわああああああああああああああああああああああ!!!」

 目一杯使って、叫んだ。

 多分、僕が。


     ●     ○     ●     ○     ●


 目が覚めた。ゆっくりと、上体を起こす。

 少しだけ、見慣れた部屋だ。

「相馬君」

 少し離れた扉からそう声をかけてきたのは、僕を下の名前で呼ぶあと二人の内の一人、高城優奈さんだった。

「優奈さん、僕……」

 何かを、言おうとする。

 でも、何も言えなくなって。黙り込んで、優奈さんを見つめる。

「大丈夫」

 優奈さんがそう言いながら僕に近寄ってくる。

「大丈夫」

 優奈さんがそう言いながら僕を見つめ返す。

「大丈夫。大丈夫」

 優奈さんがそう言いながら僕を抱きしめる。

 暖かくて、懐かしい抱擁だった。

 しばらくの間、そのままでいた。

「少しは、落ち着いた?」

「……はい」

 優奈さんが僕から離れる。彼女の長い黒髪が僕をくすぐった。

「七海ちゃんがここまで連れて来てくれたのよ。学校にもちゃんと連絡してあるから、心配しないで」

「……ありがとうございます」

 お礼を言ったら、私じゃなくて七海ちゃんに言いなさい、と叱られた。

 明日ちゃんと言っておきます、と答えた。

「何があったのか、聞かせて」

 優奈さんは、やさしく僕に尋ねた。

「……猫が、死んでたんですよ。道の端っこで」

 僕は、話し出した。

「でも、問題はそれじゃなくて。その後で」

 優奈さんは、黙って僕の話を聞いている。

「……子猫が鳴いてたんですよ。その声を聞いたら、急になんか変な感じになって」

 それで、と言葉を紡ごうとしても、上手くいかなかった。

「ええと。……それだけです」

 結局、何も浮かばなくて。優奈さんが小首を傾げ始めた辺りで諦めた。

 その言葉を聞いた優奈さんは、何かを考えているようだった。

「相馬君」

 優奈さんが眉間から皺をなくして話し始めた。

「やっぱり君、ここで暮らした方がいいよ。……結論から言うとね」

 その提案は、十分に予想できていた。わかりました、そうします。と答えた。

「あと……」

 優奈さんは言葉を続けた。


「感情、戻ってきているのかもね。相馬君に」



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