第二話:わかりきったことを聞いてみる。
「で、今日は何しに来たわけ? 相馬君」
リビングで腰を落ち着かせていたら、台所から麦茶の入ったコップを二つ持ってきた優奈さんに問われた。どうでもいいけどこの人ファミレスのウェイターとか意外と似合いそうだなぁ、と思った。
「ちょっと相談ごとがありまして」
「うん? 何かあったの?」
「ええ」
「……」
「…………」
「……早く言ってよ」
沈黙に堪えかねた優奈さんが小さく笑いながら言った。
「……あの、最近ですね」
「うんうん」
「……『あの日』のことを、よく思い出すんですよ」
「えっ!」
優奈さんにとって結構衝撃的な内容だったらしく、素っ頓狂な声をあげて驚いている。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
案の定動揺している。割と本気で心配しているみたいだ。
まぁ仕事に関わることだし、当たり前っちゃあ当たり前か。
「うーん。特に何もないですよ」
「どういうときに思い出すの?」
「夜とか。寝てるときに急に目が覚めたりして」
「どんな感じで思い出すの?」
「いえ、別に特別な感じじゃあ……」
「……うーん」
優奈さんは頭を抱え込んでしまった。普段はこんな人じゃないんだけどなぁ。
「大丈夫ですかね?」
「うん? 何が?」
彼女は机にうつ伏せたまま話している。
「僕が」
「……わかんない」
と、優奈さんは今にも海の底に沈んでしまいそうな声で言った。
「でも、それで何か困ってるわけじゃないんでしょ?」
「まぁ別に困っては」
「ならとりあえず様子を見るしかないわね」
そう言いながらも、顔を見た限りでは納得できていないようだった。
この人は感情がすぐに顔に出る。彼女は僕が決して持ち得ない要素を持つ人間だ。まぁそんなことを言い出せばかなりの人数が該当するだろうが。
「何か食べる?」
もうさっきの話に関しては諦めたのか、軽い調子で優奈さんが尋ねてきた。
「いえ、今日はもう帰ります。お邪魔しました」
優奈さんは料理が好きだと言っていた。だからこそ、僕はできる限り彼女の作ったものを食べないようにしている。『美味しい』も『不味い』も、心から言ったりなんかできない僕が食べるのは失礼な気がするから。
「遠慮しなくていいんだよ」
そんな僕のことをわかっていても、優奈さんはそういう。
「どうせ、家に帰ってもインスタントとかしか食べないんでしょ?」
「最近はたまに作ってますよ」
一応正直に答える。たまに、っていっても一週間に一度するかしないかくらいだけど。
「へえ、そうなんだ。どんなの作ってるの?」
感心した顔でそう聞いてくる優奈さん。
「シチューとか、豚汁とか」
たぶん、何も考えてないような顔で答えているのであろう僕。
「けっこう簡単なのばっかりじゃない」
呆れたような笑いを交えてそう言われた。
「とにかく今日はもう帰ります。お邪魔しました」
さっきも言ったような言葉を口に出して、僕は玄関へ向かった。
僕が靴を履き終えた頃、優奈さんが口を開いた。
「ねえ、相馬君。もしまた何かあったら、遠慮なく家に来てね。あと、何か食べたくなったときも。私、何でも作るから」
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って玄関を出ようとしたら、背後からまた声をかけられた。
「今、ふと思いついたんだけどね。相馬君」
「……何です?」
一応振り返って律儀に対応する。
「また、ここで暮らしてみる気はない?」
「何故ですか?」
予想外の提案に驚こうと思ったのに、冷静に聞き返してしまった。
「もし、何かあったら大変じゃない。私のところに来る余裕さえなくなるような何かがあったら」
「とりあえず様子を見ようって言ったの、優奈さんじゃないですか」
深刻な顔でそういう優奈さんに揚げ足を取るような切り返しをする。
「わかんないってさっきは言ったけど、本当はちょっとわかってるよ」
「何がですか?」
「君があんまり『大丈夫』じゃあないってこと」
優奈さんはさっきよりも眉間にしわを寄せて、重苦しくそう言った。
「どういう意味です?」
「事件に巻き込まれた人間が事件のことを思い出すっていうのは、本当のことを言うと全く『大丈夫』な話じゃない」
「何に基づいてそんなこと言ってるんですか?」
少しだけ怒ったような声を演出する僕。わかりきったことを聞いてみる。
「私の仕事、知ってるでしょ」
それに対して、こっちは本物の怒気を孕んだ声だ。
はいはい。知っていますよ。精神科医の高城優奈先生。
そう言おうと思ったのに、何故だか口が開かなかった。
「……お邪魔しました」
ようやく開いた口が発したのは、本日三度目のその言葉だった。
玄関を出て歩き出す僕に、優奈さんは何も言わず、ドアを閉める音で別れを告げた。
マンションの共同玄関まで来て、優奈さんの部屋に見当をつける。
「また、来ます」
そう言って、僕は二年前まで住んでいた場所から、現在住んでいる場所へ足を向けた。