第五話
公園にある砂場のような場所で、小さな子ども二人が何やら話しているのを、
葵は遠くからぼんやりと眺めていた。
その子ども達と葵の距離は決して近くはないが、一人の子どもの声だけがよく耳に届く。
その声からして、どうやら片方は女の子らしい。
――なら、約束してくれる?
――絶対?ホントに?
――わかった、じゃあ・・・
・・・・・・。
「!」
〈葵ちゃん、よく寝てたね〉
慌てて辺りを見渡すと、そこは荒井セレモニーの休憩室だった。
「夢か・・・」
壁掛け時計を見ると5時になっていた。まだ告別式の開始時間まで1時間くらいある。
二度寝するのも微妙な時間だし、かといって起きていても麻耶がいるため
雪乃とは会話できないし、反抗期中の妹とは話の内容が見つからないので、
葵は少し外に出ることにした。
それにしても・・・さっきの夢は一体なんだったんだろう。
なんかあの夢を見たのは初めてじゃない気がしたんだけど・・・。
「うわ、結構暗いな。それに肌寒い」
〈まだ4月の初めだからね〉
葵たちは、セレモニーの道路をはさんで向かいにある駐車場に向かった。
ここならあまり人気がないから、雪乃とも普通に会話できる。
「ん? あれってうちの学校の生徒だよな」
〈あれ、ほんとだ〉
前の道路を通り、セレモニーの中に入っていく男女数人がふと目に留まった。
彼らは全員、葵たちの通う私立清泉高校の制服を着用している。
しかも、これまた全員通学カバンを所持しており、いかにも学校帰りといった感じである。
「そういや、3年生には連絡網でまわったらしいな」
〈あたしの事故のことが?〉
「ああ。それで来れる人は今日の葬儀に全員出席するように、ってコトらしい」
〈・・・そっか〉
先ほどの男女を筆頭にして、次々と生徒が2人の前を横切っては建物の中に消えていった。
〈あ・・・光と由美子、それに琴美だ〉
ふと、雪乃が小さな声で呟いた。
視線の先には、お互いにハンカチを握り締め、慰めあうように
言葉を掛け合って歩いている3人の少女の姿があった。
「友達?」
〈うん。・・・あたしの為に泣いてくれてるって思うと、ちょっと嬉しい〉
「そりゃそうだろ、友達だからな・・・あ」
〈誰かいた?〉
「ん、今度は俺の友達」
葵の視線の先には、遠くからでも一目でわかるほど目立つ少年がいた。
明るい金髪に、だらしなく着くずした制服。
胸元からは大量の装飾品が覗き、革靴のかかとを踏んで歩く彼からは、
独特のオーラが漂っていた。
そんな少年を見てあからさまに訝しげな顔をする雪乃。
『なんで葵ちゃんがあんなのと?』というのがモロに顔に出ている。
〈・・・誰、あの不良〉
「見た目だけな。ちょっと行っていい?」
〈いいけど・・・〉
返事を聞く間もなく、葵は金髪少年の元に駆けて行った。
「和輝」
「葵!お前、大丈夫なのか?お前の彼女が亡くなったそうだけど」
「彼女じゃない、幼馴染みだよ。まぁ俺は何とか平気だけど・・・」
慌てて否定する葵。
やっぱり、雪乃の姿が他の人に見えないってのは色々と不便だ。
「平気じゃねーだろ、お前の顔見りゃわかるよ」
「え?俺、そんなに変な顔してるか?」
「ああ、変なのは元からだけど顔色が悪いぞ」
「・・・相変わらずのナイスツッコミで。きっとあんまり寝てないからだと思うよ」
「ま、無理すんなよ。何かあったら俺に言え」
少し話をして、和輝は建物の中へと向かった。2人ももう一度駐車場へと戻る。
〈・・・人って見かけによらないんだね〉
「だろ?和輝は中学の頃からの親友なんだよ」
〈中学の時から?あたし、あの人見たことないよ〉
「見たことないっていうか、今と別人だったからきっとわからないと思う」
〈そうなんだ〉
そう、和輝――片桐 和輝は、葵の言うとおり中学校1年生からの
付き合いで、葵の皆無に等しい友人の中の1人である。
「昔は髪も黒かったし、あんなにピアスもネックレスもしてなかった」
〈何があったの?彼に〉
「あいつのお父さんがアメリカに単身赴任する事になって、和輝も中3の夏休みの間だけ
ついていったんだよ」
〈で、帰ってきたらああなっていたと〉
「その頃はまだ茶髪だったな。金になったのは高校に入ってから」
〈・・・アメリカで何があったんだろ〉
「今度聞いてみるかな」
葵が携帯で時間を確認すると、そろそろ式が始まる時間だった。
〈もどろっか、葵ちゃん〉
「ホント、無理するなよ」
〈わかってるって〉
駐車場を離れ、道路を横切り建物に向かおうとしたその時。
「・・・あ」
「え?」
〈何?〉
葵の後ろから声がしたので、思わず振り向く2人。
そこには、ぽかんとした表情を浮かべる清泉高校の制服を着た少女がいた。
一瞬、小学生と間違えるほど背が低く、赤いフチの眼鏡をかけている。
腰ぐらいまである、長く艶やかな黒髪が印象的だった。
「す、すみません」
女子の部類では低音に入るが、凛とした声で慌ててそれだけ言うと、
黒髪の少女は建物の中に駆けて行った。
〈何だったのかな?〉
「さぁ・・・?」
***
午後6時、お坊さんの入場と共に雪乃の告別式が開始された。
正面には雪乃の遺影とお供え物があり、その周りを色とりどりの花が囲んでいる。
そしてその下には、雪乃の身体が納められている棺桶がある。
(・・・俺、棺の中の雪乃の顔、見れるかな)
雪乃の遺体を見たら、今まで我慢していたものがいとも簡単に崩壊してしまう気がする。
それに、雪乃だって自分自身の変わり果てた姿を見る事になってしまう。
それはどんなに辛い事だろうか。
「葵」
「えっ」
唐突に、隣に座る恵子に声をかけられたので思わずビクついてしまう葵。
「あんたもうすぐご焼香でしょ。あたしのをよく見ておきなさいよ」
「あ、ああ・・・」
考え事をしていて気付かなかったが、いつのまにかお坊さんによる読経が始まっており、
しかも数人が前にでてご焼香をしていた。
ご焼香とは、抹香という木屑のようなものをつまんで額の高さにまで持っていき、
香炉に入れる、というアレである。
葵は最後にお葬式に出たのが小学校前だったので、葬儀の作法についてはあまり詳しくない。
(ん?)
ふと、隣の空いている椅子に座っている雪乃を見て、葵はぎょっとした。
具合が悪そうに背中を丸めている雪乃は、半透明でもハッキリとわかるほど、顔が青白い。
「お、おい。大丈夫か?」
周りに聞こえないように小声で囁く。
しかし雪乃は声を出すのも辛いのか、小さく頷くだけだ。
(どしよ・・・やっぱり出た方がいい、よな?)
そっと辺りを見回すが、皆沈んだ表情をしていたり、ハンカチで目を押さえていたりして
沈んだオーラが漂っている。
この場から抜け出すには、葵にとってかなりの勇気が必要だ。
でも雪乃が体調悪いみたいだし・・・。
「葵!」
「わっ」
またもやいきなり声をかけられ、意味もなくビクビクしてしまう。
「キョロキョロしないでよ、みっともない。ホラ、ご焼香行くわよ」
「え、あぁ・・・」
いつの間にか葵たちの席にまで順番が回ってきていたらしい。
席を離れる恵子にならい、葵も数珠を持って立ち上がる。
雪乃が気になって振り返るも、彼女は動くことすら出来ないようで、下を向いたままだ。
後ろ髪ひかれるような思いで母親の後についていく。
椅子の列を抜けると、出入り口で待機している大量の学生が目に入った。
どうやら、彼らのご焼香の順番は一番最後らしいので、廊下でずっと待たされていたらしい。
(順番的に俺が終わったらあいつらがご焼香するのか)
自分の番で間違えないように、母親がご焼香するのを、じっと見つめる葵。
その時だった。
〈いやああぁぁぁっっ!!〉
雪乃の悲鳴にバッと振り向く葵。そこには、決して気のせいではない――
はっきりと向こう側が見えるくらいに身体の透き通り、
床にしゃがみこんでいる雪乃がいた。
「雪乃!?」
読経が止まった。葵の台詞にざわつく会場内。みんなぽかんとした表情をしている。
しかし、そんなことにかまっている余裕はなかった。
しゃがみこむ雪乃の元まで大急ぎで駆けつけ、彼女の手首を掴んで急いで会場を出た。
廊下で待機していた学生達も、突然飛び出してきた葵にざわめくが、
彼の必死の形相に圧倒されて、すぐにしんと静まり返る。
葵はそのまま階段を駆け上がり、休憩室に入った。
幸いにも、まだ誰も追いかけてくる様子もなければ係員もいない。
「おい雪乃、大丈夫か!?」
〈・・・葵ちゃん、ごめん。あたし〉
「喋らなくていいから・・・」
近くにあった座布団を寄せ集めてその上に雪乃を寝かせるが、
正直なところ葵にはどうしていいのかわからなかった。
具合が悪いのは明らかだが、肉体的な不調ではないので休んで回復するとは思えない。
その上身体もほとんど消えかかっていて、座布団の刺繍が明瞭に見えるくらいになっている。
しかし、具体的な改善方法は分からない。
葵は、霊を見ることが出来る、というだけで霊をどうにかする力はないのだ。
「くそっ・・・何でさっき、連れ出してやることができなかったんだ!」
そうだ、恵子と一緒にご焼香をしに行く前、具合の悪そうな雪乃を見たじゃないか。
あの時に式場を出ていれば、雪乃はここまで悪化しなかったかもしれない。
「くそっ・・・」
後悔の念ばかりがぐるぐると頭をめぐる。
しかし葵には、消えかけの雪乃を目の前にして何もなす術がないのだ。
祈るような思いで雪乃の顔を覗き込むが、気のせいかさっきよりも透き通っている気がする。
このまま雪乃は消えてしまうのだろうか。
せっかく、死んでからも葵のもとに来てくれたというのに、その葵自身の不注意で。
そうだ。やはり雪乃が何と言おうと、ここに連れてくるべきではなかったのだ。
「ゴメン雪乃、俺のせいだ・・・!」
何も出来ない自分にどうしようもなく腹が立って、ぎゅっと学生服のすそを握り締める。
目頭が熱くなるのがわかった。
「その通りですよ」
室内に響く、低音で凛とした声。
はっとして顔をあげると、扉の前に息を切らした一人の少女が立っていた。
「き、君はさっきの・・・」
そう、そこにいたのはさっきすれ違った、赤い眼鏡の少女だった。
これで主要登場人物が全員登場したことになります。