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第二十話

 綺麗に整頓された自室にて、可奈子は本を読んでいた。部屋にいれば自然と筆を取っていた可奈子にとって、絵を描く以外の行為を部屋でするのは久々だった。普段なら食事を抜いてでさえ描いていた絵を描く気が、全く起こらないのだ。

 家に帰り、放課後の屋上で見た雪乃を思い出してスケッチブックを前にしたものの、結局スケッチブックは真っ白なまま机の上に放り出された。

 たまには読書もいいかと思い、本を開いたはいいものの、目で活字を追うだけで内容は頭に入ってこない。海外の推理小説だったが、途中で「こんな登場人物いたっけ?」とページを戻ることもしばしばだった。

 物語の中では、密室状態のトリックと共に、マーティンを殺した犯人が探偵によって暴かれようとしている。最大の山場のはずなのに、可奈子の頭をちらつくのは幽霊となった少女のことだった。

 その時、鞄の中から何かが震動するような奇妙な音が聞こえてきた。

 正体は、化石と呼称されそうな携帯電話だった。モノクロ画面、ストレートな形状、カメラ機能さえ付いていない旧式の型だ。どうせ家との連絡にしか使わないから、と未だに買い換えずにいる。

 粗い液晶画面を見て、可奈子は目をみはった。着信だったのだ。それも、和輝からの。

 サトミの事件の際、和輝にアドレスと番号を教えてくれとねだられ、何となく交換した。メールでのやり取りは何度かあったが、電話となると初めてだった。何かあったのだろうか。通話ボタンを押す。


『あ、もしもし? 犬神さん? 俺。カタギリカズキだけど』

「わかってますよ、こんばんは。また地縛霊にでも首を絞められましたか?」

『おお、よくおわかりで。もっとも、首を絞めたのは地縛霊じゃなくて生身の女の子だったけどな』


 2ヶ月の付き合いで、彼の人となりも自然とわかった。いつも通りの生活を送っているようだ。


『――――それで、本題なんだけどさあ』

「ええ」

『最近、葵の態度おかしいの気づいてる?』


 一瞬、言葉に詰まった。まさか直球で来るとは思わなかった。しかも、あくまで軽いノリで。

 沈黙を肯定を理解したのか、和輝は苦笑気味に続けた。


『あれだけわかりやすかったら、気づかない方がどうかしてるか』


 和輝の言う通りだった。やはり彼も気づいていたのか……まあ、当然と言えば当然だろうが。


「…………水城さんもですけど、雪乃さんもおかしいんですよ。ちょうど、中間テストの返却以来」

『そっか。喧嘩でもしたのかねぇ。犬神サン、なんか聞いてる?』

「いいえ。もしかして、片桐さんもですか?」

『そーなんよー。まったく水くせーよなあ。バレバレなのに本人は気づかれてないと思ってるしさ』


 和輝にも言えないような『何か』があったのかと思うと、意外だったが何故か納得できた。そうでなければ、雪乃が『あんな状態』になる訳が――……。

 そこで、可奈子は閃いた。そうだ、あの二人に直接言う前に、まず和輝に相談してみたら……。


『このままの状態が続いたら、俺キレちまうよ。教室の黒板に葵が中坊の頃の恥ずかしい写真を拡大コピーして――――』

「片桐さん。ちょっとお話があるんですが、よろしいですか」

『…………ん、どうしたの?』


 改まった雰囲気を感じ取ったのか、向こうの声から軽薄さが消えた。それを確認した可奈子は、説明を始める。現在の雪乃のこと、葵のこと、そしてタエに通告された『最悪の結末』について。

 一から説明をしなければならない部分があったので時間がかかったが、和輝は真剣にそれを聞き、ところどころ質問をした。飲み込みが早いので非常に助かる。

 段々と和輝の声のトーンは低くなり、全ての話が終わる頃には完全に無口になった。


『…………なんてこった。そんなことになったら……』

「ええ。トラウマどころの話じゃ済まないでしょうね」

『おいおい、何言ってんだよ犬神サン。そうならない方法を考えんのが俺らだろ?』

「…………すみません」


 そうだ。自嘲と自棄に踊らされている場合ではないのだ。内心で自分を叱咤する。

 同時に、さも当然と言わんばかりに、二人のために行動するのを前提としている和輝にも、改めて感服の思いを抱いた。


「やはり、まずは二人の関係がおかしくなった原因ですよね」

『そうだな。さすがに二人を前にして聞くわけにもいかねえけど、俺はもう雪乃ちゃんの姿が視えないからどうしようもなくてさ』

「雪乃さん、最近は水城さんが何か言わない限りずっと側にいようとしてますしね」

『そーなん? そりゃあ…………ただの喧嘩、って訳じゃないだろうなあ』


 和輝が溜息をつく。


『……俺としては、葵自身からこの話を聞きたいワケよ。言わばオトコとオトコの話し合いってやつ』


 声は笑っているが、携帯電話の向こうで頬をひくつかせている姿が容易に想像できた。自分に相談のないことが、よほど腹に据えかねているのだろう。


「……それと、雪乃さんにはこの話はまだしない方がいいと思うんです」

『そうだな――――本当は、こんなコソコソしたやり方したくねーけど。コトがコトだからな』

「とすると、水城さんと片桐さんが話してる間、いかに雪乃さんを引き離しておくか、ってことですよね」

『そのとーり。それも、雪乃ちゃんには気づかれないようにな。問題は、いつがいいかってコトなんだよなあ。深い話になると、昼休みなんかじゃ到底足りないし…………』


 問題は他にもあった。葵に取り憑いているという性質上、雪乃は葵から、一定の距離以上離れることができないのだ。その範囲にして、およそ30メートルほど。遠いようで近いこの距離は、内密の話をするにはいささか心許ない長さでもあった。


『犬神サンの力でどうにかなんねーの? 結界で霊を閉じ込めるとか。漫画の世界でよくあるじゃん』

「出来なくもないですが、絶対に本人に気づかれますよ」


 むー、と和輝が唸る。サトミの口寄せをしてからというもの、3人から何かにつけて超常的なことで頼りにされている気がする。気のせいだろうか。

 二人して電話越しに知恵を絞る中、やがて和輝が大声を上げた。


『犬神さん…………俺はついに閃いちまったぜ』


***


 可奈子と和輝が謀策を巡らせている最中も、葵は勤勉という言葉を体で表すかのように勉強に取り組んでいた。

 それまで安っぽいJポップが流れていた部屋に響くのは、問題集のページをめくる音と、ペンを走らせる音のみだ。

 松下雪乃は、机に向かうその背中をぼんやりと見つめていた。

 最近、葵と話す機会はめっきりと減っていた。昼食時や休み時間、それと家に帰ってから勉強に取り掛かるまでに少々、その程度だ。内容も、可奈子など第三者がいる時でないと、変にギクシャクする。そもそもの口数が減ったし、自分と目もあわせようとしないのだ。

 当然、葵も自覚しているだろうが、お互いに口にはしない。まるで喧嘩をした後のようだ。

 雪乃の脳裏に、葵と共に水族館に行った日のことが過ぎる。二週間ほど前のことなのに、小学校の時の思い出を懐かしんでいるような感じがした。

 葵の態度がよそよそしくなったのは、水族館に行った翌日からだ。その日の夜に何があったかは、眠っていた雪乃にはわからない。しかし、何となくではあるが、悟っていた。

 だからこそ、態度の変化の原因は聞けない。聞きたくない。――――それを聞いたら多分、今までの平穏な生活が終わってしまうから。

 それを考えると、すでに生身でない身体がぶるりと震える気がした。

 その時、こんこん、とノックの音がした。葵が返事をすると、扉が開く。登場したのは、お盆を持った葵の母親、恵子だった。


「紅茶持ってきたわよ」

「んー、ありがとう」

「ちょっとは休みなさい、集中力続かなかったら意味ないのよ」

「わかってるよ。そろそろ休憩しようと思ってたとこ」


 恵子は小テーブルに紅茶とクッキーを置くと、部屋を出て行った。葵が勉強を始めた頃こそ息子の体調を本気で心配していた恵子だったが、今ではようやく改心したんだと納得し、今のように差し入れを持ってくるなど協力態勢を見せている。母親としては嬉しい限りなのだろう。

 葵はようやくペンを置くと、ミニテーブルの前に座りなおした。


〈お疲れ様。どう、進んでる?〉

「まあなー。古文と漢文は得意だから」


 事も無げに答え、葵は備え付けのシュガーポットから砂糖を1つ取り出し、紅茶に入れた。スプーンで掻き混ぜ、口をつける。再び置かれたカップには、半分ほどの琥珀色の液体が残っていた。

 雪乃はベッドに腰掛けてその一部始終を見ていたが、目の前のカップが一つだけなのを見て、何となく泣きたくなった。

 ――――どうしてだろう。あたしが死んじゃってからは「当たり前」だと思ってた光景なのに。


〈あ、葵ちゃんって文系だったんだね〉


 暗い気持ちを振り払うかのように、雪乃は話しかける。


「うん、逆に理数はサッパリだけどな」

〈あたしも物理とかは苦手。でも数学は楽しいよ。確率とかは、数学っぽくないし〉

「ふうん……」

〈キンパツ君はバリバリの理数系だよね。「数学なんかパズルと同じだ」って言ってたし〉

「あいつは何でもできるよ」

〈そうだよねえ、英語とかもすごいよね。この間当てられてた時、すっごい発音良かったもんね!〉

「帰国子女だからな」

〈あ……そ、そうだよね〉

「――――んじゃ、俺そろそろ勉強に戻るよ。まだ時間もあるし」


 いつも通りの微笑と、穏やかな口調。しかしそこには、有無を言わせない拒否の意がこめられていた。



 薄暗い部屋の中、雪乃は赤子のような表情で眠る葵の顔を見つめていた。

 ここ最近では見慣れてしまったが、幼馴染の寝顔は意外と幼くて、つい可愛いと思ってしまう。本人には怒るので言わないが。

 もぞもぞと、葵が身体を丸めようと動いた。寒いのだろうか。毛布をかけてあげようとして手を伸ばし、その手は毛布に触れる直前ではたと止まった。

 ――――やだ。あたしってば。またやっちゃった…………。

 最近、よくモノに触ろうとしてしまう。幽霊としての自分に、馴れたつもりだったのに。

 でも、と雪乃は思った。死んだ自分に馴れるっていうのも、すごい変な状況だな。

 雪乃は窓をすり抜け、夜の静寂に満ちた町へと身を躍らせた。幽霊になってからというもの、散歩が趣味の雪乃だったが、最近はもっぱら葵が寝てから行くことにしている。幽霊である自分は、眠る必要もない。寝ようと思えば眠れるが。誰もが寝静まる丑三つ時は、散歩にうってつけの時間だった。

 生憎の曇り空で月は隠れていたが、暑くも寒くもない適温で、心地よかった。ふと思い立ち、水城家の屋根に上がってみる。


〈すごーい、こんなになってたんだあ。一回上がってみたかったんだよねえ。屋根って〉


 ごく普通の瓦葺の屋根だったが、初めて訪れる、しかも生身の身体では絶対に行けなかったであろうその場所に、テンションも上がる。雪乃はそこで膝を抱えて座り込んだ。

 もっと早く来てみればよかったな。こっから満月とかが見えたら最高なんだけど。そうすれば、葵ちゃんも連れてきて、一緒にお月見とか――――

 そこで、はたと気づく。この家の構造上、人が屋根に上がるのは無理だった。

 ――――なんかあたし、本当に幽霊であることが普通になっちゃったな…………。

 先ほど、テーブルに置かれた紅茶のカップが一つだったことが甦る。

 同時に、学校で、仲の良かった友達とすれ違った時のことを思い出す。当然、誰も雪乃に気づくことはなかった。

 胸が苦しくなってくる。…………駄目だ、考えちゃ。

 だが、理性とは裏腹に連想されるのは、嫌なシーンばかりだった。

 寝ている葵に毛布をかけられなかったこと。

 美味しそうだった和輝の手作り炒飯を食べれなかったとき。

 自分の葬式に出るという、冗談にもならない状況になったあの日。


 以前、友達から聞いた都市伝説のことを思い出した。肝試しの帰りにレストランに寄ったら、コップの数を一つ余分に出されたというものだ。

 今なら、その幽霊の気持ちが痛いほどにわかる。嬉しかったに違いない。だってコップを運んできたウエイトレスは、自分のことをちゃんと認識してくれたのだから。


 辛かった。自分の存在が人から認識されないということが、こんなにも辛いものとは思わなかった。


 それでも、葵と一緒にいられるならそれで良かった。可奈子や和輝という、良い友人にも巡りあえた。それは純粋に、嬉しい。

 …………でも。

 膝を抱えた腕に力をこめた。

 あたしが取り憑いてるのは葵ちゃんで、あたしと喋ることができるのは葵ちゃんだけなのに…………その葵ちゃんにも嫌われたら、あたしはどうすればいいんだろう?

 多分、他人から見た今の自分は相当みじめな女だろう。

 飽きられ、疎まれているのに、べったりとひっついて、会話をすれば空回り。最近、葵が寝てからでないと散歩をしない理由もそこにあった。

 不安なのだ。

 自分のいないところで、葵が別の世界を持つのが、怖いのだ。いくら24時間一緒にいると言っても、葵には雪乃の関与できない別の世界を持っている。それは家族だったり、自分の知らないクラスメートだったりする。そのどちらも、もう雪乃には手の届かない領域にある。

 自分の見ていないところで、葵が『雪乃のいない世界』を楽しいと感じれば感じるほど、彼の中を占める『雪乃』の範囲はどんどん狭くなっていくだろう。

 それが、怖いのだ。

 いっそのこと彼の前から消えてしまえれば楽なのだろうが、葵に取り憑いている以上、離れ続けることはできない。では、成仏となると…………。

 雪乃は膝に顔を埋めた。

 嫌だ。葵ちゃんと離れるなんて、絶対に嫌だ。それだけは、何があっても。だってあたしたち、あの時――……。

 頭の中で再生されるのは、自分が生涯忘れることのない、それこそ人生で一番大事な記憶だった。そしてその記憶は、雪乃が幽霊として葵に取り憑く原因となったものでもある。

 ……でも、葵ちゃんは…………。

 俯いているので直接見ることはできなかったが、その時雪乃は、普段の彼女からは想像もできない、深く沈痛な面持ちをしていた。


 ――――ああ、あたしって、嫌な女なのかな。


 きっとそうなんだろう、と雪乃は自答する。

 とにかく自分がみじめだった。

 生前、友人と『こうはなりたくない』と笑っていた女性像に、そっくりそのまま当てはまっている気がした。

 それでも、こうして暗い気持ちでいたら、葵は余計に、どう接していいかわからなくなるだろう。それが怖い。

 だから、いつか事態が好転する日まで――そんな日が来るのかはわからないけれど――あたしは、道化を演じ続けなければならないのだ。

 ふふっ、と痛ましい笑みが雪乃の顔に浮かぶ。

 死んでからも、こんなに怖いものがあるとは思わなかったな。

 生前のあたしは、死んだらそれで終わりだと思ってた。良い事した人は天国に行って、悪い事した人は地獄に行って…………その程度にしか考えていなかった。

 葵ちゃんが視ていた霊ってのも、この世に残ってる理由は恨みとか憎しみだけなのかと思ってた。でもって、理性を失ったみたいに、とにかくその恨みや憎しみの対象に取り憑いたり、殺そうとするのかと思ってた。

 でも実際は違う。

 幽霊だって、考えたり、悩んだり、後悔したり、するのだろう。…………ちょうど、今のあたしみたいに。


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