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第十九話


 人は、初対面の相手がどういう人物かを判断する場合、どうしても見た目による印象が大部分を占めてしまう。

 例えば、見る目に鮮やかな金色に髪を染め、歩くたびに大量に身に付けられた装飾品が音をたて、常に口元に軽薄そうな笑みを浮かべている学生服の男子とくれば、大人――――とりわけ教師という人種の大抵は、まずいい顔をしない。

 それに加え、無断欠席・遅刻共に多数、一部の教師に対する反抗的態度が重なれば、めでたくその地位は『要観察人物』から『要注意人物』へと昇格する。

 私立清泉高校は、私立校の中では比較的校則が緩いほうであるが、さすがに『風紀を乱す異分子』――――たとえば片桐和輝のような――――を放っておくほど寛容ではない。

 とりわけ、和輝の『反抗的態度』の的になった教師からすれば、校則を盾にして痛い目に遭わせてやりたい。

 しかし、それがなかなか実行に移せない理由があった。

 片桐和輝は、その見た目に反して頭がいいのだ。

 その実力たるや、テストでは学年順位20番台から転落した事はないほど。一学年が400人前後である事を考慮すれば、十分すぎる結果だった。

 和輝としては、授業中に眠りこけていようがサボろうが、教科書と親しい女子たちのノートさえあれば、大抵の内容は理解できた。

 それでもわからない部分があると、好きな教師の科目であれば本人に質問し、嫌いな教師の科目だと、友人を頼る場合が多かった。彼の交友関係は他クラスに至るまで幅広い。小テストがある日にはきちんと出席するという抜け目のなさもあった。

 あとは、テスト前夜に一夜漬けをしておけば、結果はおのずとついてくる。

 それは片桐和輝独自の理論、学校生活を円満に送るための処世術であった。

 彼の友人、例えば水城葵などに言わせれば『そんな簡単に理解できたら苦労しない』という事になるのだが…………。



 5月の中ごろ、和輝たちにとっては最早恒例となった中間テストが行われた。

 その少し前、和輝はたまたま身についた霊感のせいで心身を疲弊しきっていた。一時は毎夜部屋に現れる霊のせいで気が狂うかとも思ったが、可奈子の祖母であり美術講師でもある大友タエにより、和輝の生活は平穏を取り戻した。

 それから、和輝は慌てて勉強に取り掛かった。

 疲れと時間の無さから、今回は成績の悪化も覚悟もしたが、テスト返却の日、返ってきた答案にざっと目を通した和輝は安堵した。

 1学期の中間テストということもあってか、どれも自分の中での合格ラインは越えていたのだ。

 ひとまず、危機は去った。あとは7月の期末テストまで、面倒な行事は何もない。

 霊感騒動と勉強漬けで溜まりに溜まった鬱憤を晴らそうと、6月一杯は狂ったように遊びまくって部屋の掃除と模様替えをして新たにサボテンでも購入しようと密かに決意していた和輝だが…………現実は、いつだって計画通りにはならないのである。


***


 6月に入ってからちょうど1週間めのある日。

 和輝は教室の自分の席で頬杖を付きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 照りつける日差しと湿り気を帯びた大気は着実に夏のものへと移行しつつあり、室内にいる和輝にも不快指数となって伝わってくる。早くも騒音という合唱を撒き散らしている蝉の声も、それに拍車をかけていた。

 …………結局、雨もまだ降ってねえしなあ。

 確か、天気予報のお姉さんが異常気象のせいで夏が早まったとか言っていた気がする。そのせいか、花壇で咲いている紫陽花もどことなく肩身が狭そうに見えた。

 夏の様相を呈し始めたのは、何も自然だけではない。

 視線を校庭に落とすと、ぞろぞろと下校する生徒たちの姿が映った。

 6月に入り制服が夏服へと移行したので、生徒たちは皆パリッとしたカッターシャツに身を包んでいた。日光を反射する純白が目に眩しい。

 彼らも、夏というそれ自体が一種のイベントであるかのような季節の到来に、誰もが心躍るような表情を見せていた。

 しかし、快活そうな彼らとは対照的に、

 ――――ちくしょう……あいつら、あんなに楽しそうな顔しやがって……。

 和輝は心の中で呪詛を吐きながら剣呑な空気を放っていた。

 本来ならば、自分もあの中にいて、友人たちと来る夏に向けての妄想話に花を咲かせていたはずなのだ。

 それを、何が悲しくて放課後の蒸し暑い中、机に向かってなければならないのか。

 和輝は校庭から目を逸らすと、机をつけて向かい合わせに座っている男子生徒を見やった。

 その男子生徒は机の上に教科書や参考書を広げ、問題を解いている最中だった。よほど集中しているのか、対面の和輝に見られているとは気づいていないようだ。

 何かにつけて目立つ容姿の和輝とは対極にある、良く言えば大人しそうな、悪く言えば地味な少年。

 中学時代からの親友、水城葵だった。


「できた。和輝、採点頼む」

「……あいよっと」


 和輝はつまらなさそうな表情のまま、ノートを受け取り自分の机に広げた。男にしては比較的綺麗な字が、持ち主の性格を連想させる。

 葵のペンケースから赤ペンを抜き取ると――和輝は筆箱というものを持っていない――早速、問題集の答えの冊子と照らし合わせた。

 しゃっしゃっと、赤ペンが紙上を走る音だけが教室に響く。

 ――――ふむ。

 無言のまま採点をしていた和輝だったが、ペンが進むにつれ、眠そうに細められていた目が驚きに開かれた。

 丸を付け終わったノートを葵に返す。すると、彼はノートを見るなり「おおっ」と嬉しそうに叫んだ。


「和輝、ちょっとこれスゴいと思わないか? 満点だぜ満点!」

「そうだな。中間テストの点数とは比べ物になんねーな」

「……お前、それを言うなって。肝心なのはマイナスを踏み台にしてどう変われるかだぞ?」

「…………」

「何だよ」

「……似合わねえ」

「うるさいっ!」


 普段と同じく軽口を叩きながらも、和輝は内心ではこの友人に対して感心していた。

 確かに、葵の学力は中間テスト時と比べると、2週間という短期間で飛躍的に上昇している。

 この友人は、決して頭が悪いという訳ではない。しかし、正直なところ学校の勉強には『不向き』だと考えていた和輝は、純粋に驚いた。

 …………しかし。


「まあ、それでも俺の足元には太陽と冥王星の距離ぐらいに遠く及ばないけどなー」

「……くそ、わからないようでわかるのが何かすごくムカつく……」


 和輝は、そんな感心などおくびにも出さずに憎まれ口を叩いていた。

 最初のうちは、口に出して賞賛していたが、すぐにやめた。


 面白くないのだ。


 勿論、勉強が出来るようになったからなどという子供じみた理由ではない。

 

 ――――水城葵は、自分に対して何か隠し事をしている。


 葵が和輝に『勉強を見て欲しい』と頼み込んできたのは、中間テストが返却された翌日の事だった。

 珍しく深刻そうな顔をしていたので点数を聞いてみると、確かに今すぐにでも自主勉強を始めた方がいい有様だったので、二つ返事で引き受けたのだ。

 それからは、毎日のように放課後の教室に残り、葵の勉強に付き合った。

 6月は遊び倒すという計画は崩れてしまったが、悪い気はしなかった。むしろ、自分の『霊感事件』の際に散々助けられた恩を少しでも返せると、嬉しくすらあった。

 そして、一緒に過ごす時間が長くなったせいか、彼の些細な変化にもすぐに気がついたのだ。

 度々話を聞き逃したり、視線が泳いでいたりする。自分や可奈子といる時はそれまでと変わらずに楽しげに談笑していても、授業中など1人にになると、ふっと考え込むような表情をする事がある。

 葵の様子がおかしいと確信したのは、彼の成績が急激な上昇を見せ始めた頃だった。和輝は毎回、問題集の1ページを『宿題』と称して課しているのだが、ある日それを10ページも終わらせてきたことがあったのだ。どうしたのかと尋ねてみても、『暇だったから』の一点張り。

 その様子は、追ってくる何かから必死に逃避しているようでもあった。

 考えてみれば、葵が自主的に勉強を始めた事自体がおかしかったと言える。

 高校3年生という立場だけを見れば何ら不思議ではないのかもしれないが、勉強に対して無気力だった人間が、急にそこまで変われるものだろうか。

 しかし、自分からは葵の態度の変化について言及しなかった。

 親友とはいえあまり個人的な事に土足で踏み込みたくはないし、深刻なようならそのうち自分から言い出してくれるだろうと楽観的に捉えていたのだが――――


 2週間経った今でも、彼はその気配を一向に見せないのだった。


 …………面白くねえ。


 和輝は、再び問題集に取り掛かった親友の顔を穴の開くほど見つめた。

 その表情は真剣そのもので、こちらに気づく気配は微塵も無い。

 それがまた、和輝の不満を倍加させる。

 漠然とだが、葵の態度が豹変した原因には察しがついていた。そして何故、彼が可奈子ではなく自分にだけ勉強の面倒を頼んだのかも。

 だからこそ、葵に対して苛立ちが募る。それこそ、相談できそうなのは自分か可奈子ぐらいのものなのに。

 しかも、こちらが異変に気づいているとは思ってもいないのだろう、相変わらず表面上では『いつも通りの水城葵』を演じているつもりになっている。しかしそれが偽りであると既に見破っている和輝にとっては、目の前でネタのわかっている手品を演じられるような、そんな白々しさを感じる。


「…………ちなみに。今、雪乃ちゃん、いるの?」


 何気なく尋ねる。

 呪文のような数式を紡いでいたペン先が、動きを止めた。


「いや、勉強に集中したいから、散歩に行ってもらってる」

「ふうん。ついにお前も、本腰入れて勉強に乗り出したってコトかぁ」


 嘘がすぐバレる男ってのは、将来結婚とかしたら困るだろーなー。キャバクラ通いとか浮気なんて、顔に『やりました』って札でも貼ってあるようなもんだろうな。キョンシーみたいに。

 閑話休題。

 親友などという陳腐な言葉を使う気はないが、それにしても…………ねえ。

 こいつが腹を割るのが先か、俺が我慢の限界を超えるのが先か。

 本人を目の前にしながら、和輝は何食わぬ顔をして指先でペンを回し続けた。


***


 真っ白なキャンバス。その上に、可奈子は下書きも何もせず、直に赤い絵の具を塗りこんでいく。何を描くかは特に決めていなかった。傍から見ると無意味な行動だと思われそうだが、可奈子はこの行き当たりばったりな描き方が好きだった。見た目や物理法則に捕らわれず、自分の感じたままに描けるのは気持ちがいい。

 部室内には、可奈子が筆を走らせる音だけが響く。たまたま可奈子以外の部員はおらず、気兼ねなく絵に集中することが出来る環境だった。

 快調に筆を走らせる。最初は微笑を浮かべてさえいたが、その表情は真剣味を帯びたものとなり、そして徐々に険しくなっていった。

 やがて加奈子は唐突に動きを止めると、

 ――――びしゃっ!

 キャンバスに絵筆を叩き付けた。

 それまで描かれていた世界とは全く別の、紅く激しい華が咲き乱れた。やがて重力に従い滴る絵の具を見て、まるで血のようだ、と思う。

 …………今日はもう帰ろう。憂鬱な気分になりながら、可奈子は片付けを始めた。

 このところ、集中して絵を描くことができない。描こうとしても、すぐに自分のイメージとは違うものになってしまう。

 理由はわかりきっている。葵と雪乃のことだ。

 先日の中間テストが返ってきてからというもの、二人の態度が変化したのだ。表面上は変わらないように見える。しかし、一箇所だけ歯車が錆びたかのような、水面下のぎこちなさを、可奈子は感じ取っていた。

 何かあった、のだろう。しかしその『何か』を、自分は知らない。当然だ。二人は幼馴染で、今では片時も側を離れることもない。可奈子が二人と一緒にいる時間など、ごく僅かな時間に過ぎない。二人の間に何かがあったとしても、自分は蚊帳の外なのだ。…………そう考えると、何故か酷い疎外感を覚えた。

 それに、こと雪乃に関しては気にかかることもある。

 ――――『変わらなければいい』。先日、祖母に対して放った言葉だ。

 あの話は、その後祖母との間では交わされていない。しかし、その想いは数週間経った今でも変わっていない、はずだった。

 それなのに、何故か『不変のものなどない』という祖母の言葉がしこりのように引っかかったまま、消えてくれない。それどころか、最近になってその大きさを増した気さえする。

 葵と雪乃。

 二人の顔が脳裏にちらつく。さすがに二人を前にして何があったのかは聞けないし、最近は特に雪乃が葵にずっと引っ付いている。…………だったらせめて、雪乃の方から相談してくれればいいのに。そんなに自分は信用が足らないと思われているんだろうか。それとも、自分には聞かれてはいけない内容なのか…………。

 ――――ああ、やめよう。

 マイナス思考なのは自分の悪い癖だ。葵や雪乃、それに和輝が陰口を叩くような低俗な人間でないことは自分が一番よく知っている。

 今はただちょっと、歯車に油を差し忘れたみたいになっている、ただそれだけなのだ。時が来れば、また元の自然な関係に戻るに違いない。

 後片付けを終えた可奈子は自分の中の悪いものまで一緒に吐き出そうとするかのように一度大きく深呼吸すると、美術室の扉を閉めた。

 そこで、扉の鍵を職員室に返さねばならないことに気づく。そんなに遅い時間でもないし、そのうち他の部員が来る可能性もあるのでそのままにしておいても良かったのだが、生来の性分が可奈子を職員室へと向かわせた。

 職員室には、タエの姿はなかった。仕方がないので、他の教師に言付けをして、鍵をタエの机に置いておく。

 失礼しました、と会釈をして扉を閉めると、正面の窓から対面の校舎が見えた。しかし、何気なく屋上に目を向けた可奈子は、眼鏡の奥の瞳を見開いた。そこに、よく見知った人物の姿を発見したからだ。


***


 ゆっくりと、可奈子は錆の浮いた扉を押し開けた。

 普段、一般生徒には縁のない屋上だが、可奈子にとっては馴染み深い場所だった。最近は葵たちと昼食を共にする場所になった、というのもあるが、元から絵を描くお気に入りの場所でもあった。

 丘陵に建っているだけあって、ここの屋上からは、可奈子たちの住む柏木市の町並みが見渡せる。特に今のように夕日が綺麗に出ていると、数々の屋根や店の看板、ビルの壁面がみな茜色に染められていて、まるで世界の黎明に遭遇しているかのような印象を可奈子に与えるのだった。


 屋上に隅に設置された給水搭の上から、半透明の彼女は世界を見下ろしていた。

 ――――――――描きたい。この風景を。キャンバスの中に留めておきたい。

 芸術家としての衝動に駆られるが、可奈子はそれをどうにか抑えこむと、佇む少女に向かって声をかけた。


「そこからだと、ここと違った景色でも見えますか?」


 少女の物憂げだった瞳は見開かれ、可奈子に向き直った時には、普段通りの表情に戻っていた。同時に、キャンバス内に永遠に描きとめて置きたかった、郷愁に似た雰囲気も消え去ってしまう。


〈ううん。……可奈子ちゃんも上ってみる?〉

「遠慮しておきます。生憎と、高いところは昔から駄目なんですよ。観覧車などという拷問器具に乗る人の気が知れません」

〈えー、あたしは高いトコ好きだけどなあ。ちっちゃい頃とか、松ぼっくり取ろうとして松の木に登ったり〉

「……何故自然に落ちるのを待とうと思わなかったんですか」


 ふわり。

 雪が舞うのと同じ速度で、松下雪乃は可奈子の隣へと降り立った。

 ――――寒い。

 気候によるそれとは明らかに別種の怖気を感じ、可奈子は気づかれないように身震いした。

 そして、横目で雪乃の身体を微かに纏う、黒色の『それ』を見やる。

 ――――やはり、以前に比べ状態は確実に悪化している。

 タエが言っていた『最悪の結果』が、可奈子の脳裏を過ぎる。しかしここで本人に直接言うのは…………。


〈…………葵ちゃんに『勉強の邪魔だから』って言われて追い出されちゃった〉


 可奈子の沈黙をどう解釈したのか、雪乃が口を開いた。しかし言われた本人は、返すべき上手い言葉が見つからない。


〈最近、葵ちゃんすごいんだよ。中間テストの結果が酷すぎたからって、すっごい勉強してるの。教える側のキンパツ君も、驚いてた。『飲み込みが早い』って〉

「それは…………すごい、ですね」

〈ついこの間まではさ、家ですることって言ったら漫画読むかゲームやるか音楽聴くかくらいだった葵ちゃんが、机に向かって勉強してるの。放課後はキンパツ君に教えてもらって、休日も、朝から晩までずーっと〉

「…………」


〈――――――――まるで、何かから逃げてるみたい〉


 橙に染められた西風に、可奈子の黒髪が踊った。

 咄嗟に髪とスカートの端を押さえた少女が次に見たものは、口元に微笑を貼り付け、紫から濃紺へと沈みゆく町並みを眺望する雪乃の姿だった。――――もちろん、その髪もスカートも、風に揺れることはない。


「……雪乃さん、」


 ――――何があったんですか。

 聞こうと、いや、聞かなくてはならないと思いつつも、声帯が凍りついてしまったかのように、可奈子はその言葉を発することが出来なかった。

 何となくではあるが、彼女の言いたいことは想像がつく。

 しかし、それを聞いて、自分はどうするというのだろう。彼女の答えに、自分は何を返せるというのだろう。今までろくに人付き合いをしてこなかった自分に、既にこの世の住人でなくなった彼女に対し、どんな慰めの言葉が通用するというのだろう。

 葛藤は沈黙を生み、沈黙は決定的とも言える溝を生んだ。


〈…………なんてね〉

「え?」


 雪乃は、悪戯の結果を見守る子供のような含み笑いを浮かべていた。


〈ごめんね、意味深なコト言って。特に深い意味はないんだ。みんな今年は受験だし、本腰入れて勉強しないとね〉

「ゆ、雪乃さん?」

〈いやね、最近授業中とかにちょっかい出しすぎたかな〜って思ってさ。反省してるんだよ、一応。葵ちゃん優しいから、勉強そっちのけで相手してくれてたし。あたしも『葵ちゃん離れ』しないと、って思ってさ。あはは、可奈子ちゃんに言うようなことじゃなかったね。ゴメンね〉

「い、いえ、そんなことは……」

〈それじゃあたし、そろそろ行くね。もう勉強も終わった頃だろうし。…………じゃあまた、明日〉


 戸惑う可奈子がどうにか返事をするのと同じタイミングで、雪乃は屋上の縁から飛んだ。階段から迂回せず、葵のいる教室に直行するつもりなのだろう。

 日も傾き冷えてきた屋上に一人、可奈子は取り残された。

 ――――どうして。

 雪乃の立っていた給水搭をぼんやりと見つめながら、可奈子は自問した。

 どうしていつも、こうなんだろう。 

 肝心な場面で無駄に考えを巡らし、その結果、失敗したり、後悔する。

 いくら人付き合いが少ないとは言え、自分の言動が相手を傷つけたことがわからないほど愚かではなかった。

 雪乃は、初めてと言っても過言ではない友達なのに。

 人より特別なことが出来るからからと言って、実際には何の役にも立ちはしない。

 可奈子は、左手首のブレスレッドを上から強く握りしめた。珠が食い込み、それは赤く丸い痕となって、白く華奢な手首に残る。

 自分の為を思い、祖母が作ってくれたこのお守りが、どうしようもなく重く感じられた。

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