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第十五話

〈こっ……これが可奈子ちゃんのお家!?〉

「ええ。さ、どうぞ」


 開いた口が塞がらない葵、和輝、雪乃の3人だったが、可奈子は気にも留めない様子で、車が2台並行して通れそうな幅の門を通った。3人も慌ててそれに続く。

 綺麗に掃除された石畳が続き、その周りには、枯れ葉1枚すら落ちていない砂利が平坦に敷き詰められていた。右を見れば丁寧に手入れされた植木が並んでおり、左を見れば池の中を鯉が優雅に泳いでいる。そこは立派すぎるくらいの日本庭園だった。

 そして石畳の先にあるのは、庭に見劣りしないほど豪壮な構えの日本家屋だった。平屋建てだが、高さがないぶん横の広さがかなりある。屋根に看板でもかければ、旅館として使えるんじゃないだろうか、と葵は思った。


「どうぞ入ってください。何もありませんが」


 可奈子は玄関の引き戸を開け、雰囲気に圧倒されておっかなびっくりの3人を通した。

 ……これで何もないんなら、うちはどうなるんだろう。

 靴を脱ぎながら、ぼんやりと考える。

 そもそも、何故葵たちが可奈子の家を訪れる事となったのか。話は、約1時間前にさかのぼる。


***


「葵……俺、マジもう無理だわ」


 不気味な薄ら笑いを浮かべた和輝がそう言ってきたのは、サトミが成仏してから1週間後の土曜日だった。普段なら土曜日は学校は休みなのだが、この日は進路指導があり、帰りのホームルームが終わってすぐに和輝がふらふらと葵の席にやってきたのだ。


「……霊関係か?」

「よくわかるな……、さすが俺の親友」


 よくわかるもなにも、和輝の顔を見れば一目瞭然だった。ただでさえ野生児のような健康的な身体をしている和輝が、風邪や体調不良でここまでなるはずがない。葵は1週間前に比べ見る影もなくなった和輝を眺めた。

 目の下の濃いクマ、げっそりと痩せこけた頬。ただでさえヤンキーのような外見をしているのに、これでは麻薬中毒者のようだ。


「で、今度は何を見たんだよ?」

「……それがさァ、あれから毎日夜になると、家にいっぱい出るんだよなァ……」


 へへへ、と力なく笑う和輝。あれから、というのは、和輝が霊感を身につけた日の事だろう。


「音楽聞いてたらいきなり電源切れるし、部屋の電気を消せば金縛りに合って子どもやら鎧武者やら……おかげでこの1週間、マトモに寝れなくてさ。ハハハ……」

〈キンパツ君、相当参ってるみたいだね〉

 

 そりゃそうだろう、と葵は納得する。

 葵は霊感は先天的なものだったから適応も早かったが、和輝の場合は後天的だし、霊に関してはまったく免疫がない状態である。

 霊感を得た当初こそ、『可愛い女の子の霊とか部屋に出てくれりゃいいのに!』などと都合のいい事を言っていたが、今ではこの通り憔悴しきった見るも無残な姿だ。


「お前の教えてくれた結界も、犬神サンに貰った御札も効果ねえし……もう無理だ、俺には耐えられん」


 和輝はガックリと肩を落とした。

 葵の教えた除霊法というのは、部屋の四隅に塩を盛るだけという素人でも出来る簡単な結界の事である。和輝に霊感が身に付いた当初、家にいる時だけでも安らぎたいという和輝に教えてやったのだが、どうやら効果はなかったようだ。

 それどころか、あの可奈子に貰った御札まで効かないというのだから、和輝の霊媒体質は相当なものなのだろう。


〈ん〜、霊感が消せればいいんだけど。ね、葵ちゃん〉


 その言葉に、和輝の肩がぴくりと反応した。


「いくらなんでもそれは無理じゃないか? そんな事が出来る人なんて聞いた事ないし」

〈うーん、やっぱり無理かあ。いい案だと思ったんだけど……〉

「それだァ!」


 突如和輝が大声をあげ、人差し指をビシリと雪乃につきつけた。当の雪乃は訳が分からず、大きな目をぱちぱちと瞬かせている。


「霊感を消せばいいんだ、そうすりゃこの苦悩の日々と永遠にオサラバできる!」

「だからそんな事出来る人なんて、今までに聞いた事ないって。……それにお前、霊感消したら雪乃の姿も見えなくなるんだぞ?」


 うわあ俺ってアタマいい、と大はしゃぎする和輝に水を差すのも気が引けたが、葵はいつも通り冷静にツッコミを入れた。

 すると、予想通り和輝の動きがぴたりと硬直し、そのままへなへなと机に倒れ伏せる。


「それはダメだぁ、雪乃ちゃんと会話できなくなったら、毎日が灰色になっちまう」

〈じゃ、今は何色?〉

「モチロン薔薇色だよ」

「阿呆か」


 やつれる程ひっ迫する状態になってもなお能天気というか女好きな和輝の後頭部に、葵は手刀を喰らわせた。一応体調を労わって、威力は普段より軽めにしておく。


「んな事ばっか言ってると、そのうち死ぬぞ?」

「それは困る。俺の将来も薔薇色だからな」


 葵が無言で手刀を構えたところで、それまで思案顔だった雪乃が口を開いた。


〈まずは、可奈子ちゃんに相談してみたら?〉

「……なるほど」


 可奈子がこれまでに見せてきた不思議な術により、雪乃と和輝の中では『霊の事なら可奈子』という図式ができているようだった。

 確かに、同じく霊感を持つ葵としても、霊を成仏させたり、口寄せをしたりなどという芸当は到底出来ない。

 何度か可奈子にどうやったのかを尋ねてみた事もあったが、全て曖昧に流されてしまったし、自分で考えたところでその仕組みがわかるはずもない。結局のところ、何もわからずじまいというのが現状だった。


「んじゃちょっくら犬神さんに……あれ」


 和輝は教室内をぐるっと見回した。葵もそれにならうが、教室では5、6人の生徒がそれぞれ放課後のおしゃべりに興じたり、暇そうに携帯をいじるだけで、そこに可奈子の姿はなかった。


「いないな」

〈もう帰っちゃったのかな?〉

「……葵、犬神サンに電話かけてみてくれ」


 諦めるかとも思ったが、和輝はそれでも引き下がらなかった。

 葵は軽く嘆息すると、携帯を取り出して可奈子の携帯に電話をかけた。数秒の呼び出し音の後、通話モードに切り替わる。


『水城さん、どうかしましたか?』

「えっとさ。今、どこにいる?」

『今ですか? 学校の美術室ですけど』

「美術室?」


 その時、和輝が通話中の携帯電話を葵から奪い取った。


「あ、おい!」

「もっしもし〜、犬神サン? そ、オレ。 ちょっと今からソッチ行くからさ、待っててね〜。うん、うん。じゃね〜」


 さっきまでの麻薬中毒者のような状態とは180度変わって、和輝はいつもの軽薄そうな調子で電話を切った。これで万事解決した、と思っているに違いない。電話の向こうで、いつも以上のテンションの高さに戸惑ってる可奈子が容易に想像できた。まったく現金な男である。

 葵たちは、和輝に引っ張られるようにして美術室へ向かった。

 階段をぐるぐると下り続け、1階の美術室に到着する。

 開け放してあった扉から室内を覗き込むと、そこには、1人椅子に腰掛けてスケッチブックに何かを描き込んでいる可奈子の姿があった。彼女の前に置かれた机には石膏で出来た女性の胸像が置かれており、彼女はどうやらそれをスケッチしているようだ。


〈可奈子ちゃん〉


 雪乃が呼びかけると、可奈子はこちらに気付いたらしく、3人を美術室へと招き入れた。中には可奈子以外誰もいない。


「犬神サン! 霊感消す方法ってないの!? 出来れば雪乃ちゃんの姿は見えたまま」

「え? 霊感を、雪乃さん以外?」


 開口一番に発せられる唐突な質問に目を丸くする可奈子だったが、和輝が経緯を説明すると顎に手をあてて考え込んだ。

 しかし、


「うーん、私ではちょっと難しいですね」

「そ、そんなぁ……」


 返って来た答えに、和輝はがっくりと肩を落とす。


〈さすがに可奈子ちゃんでも無理かあ〉

「ええ……ですが、祖母に聞いてみれば何とかなるかもしれません」

〈可奈子ちゃんの……おばあちゃん?〉

「はい、私よりすごいですよ。色々と」


 にやりと不敵な笑みを浮かべる可奈子。

 そして可奈子は今から自分の家に来るように提案し、話がとんとん拍子に進んだというわけだ。


***


 玄関を上がると、廊下の向こうから小柄な女性がぱたぱたと音をたててやってきた。


「お帰りなさい、可奈子さん……ってあら、お客様ですか? 珍しい」


 長い髪を後ろでまとめ、地味な色の和服にフリルのついた白いエプロンをつけたその女性は、葵と和輝を交互に見やると、恭しく頭を下げた。どうやら雪乃の姿は見えていないようだ。

 可奈子の母親かと思ったが、それにしては年が若いように感じる。見た目は22、3といったところだろうか。


「北里さん、あとで客間までお茶を持ってきてくれませんか?」

「かしこまりました」


 北里と呼ばれた女性はもう一度、今度は軽く頭を下げた。可奈子が葵たちを促して廊下を進む。葵は北里さんの横を通る際、軽く会釈すると、北里さんも会釈を返してきた。さっきの可奈子とのやりとりの様子からして、恐らくお手伝いさんか何かだろう。生のお手伝いさんを見たのなんて初めてだ。

 長い廊下を渡って通されたのは客間のようだった。8畳くらいの広さで、中央には木製の低いテーブルが置かれており、その周りには座布団が4枚敷かれている。葵たちは座布団の上に腰を下ろした。


〈さっきの人ってお手伝いさん?〉

「ええ。北里さんといって、私が生まれる前からこの家で働いて貰ってるんですよ」

「う、生まれる前からというと……」

「ええ、もう20年近くだったかと」

「…………」


 その時、失礼します、という声と共に北里さんがふすまを開けて入って来た。畳の上に置かれたお盆にはお茶と和菓子が乗せられている。葵たちが客間に着いてから5分もしていないのに、物凄く手際が良い。

 北里さんがテーブルの上にそれらを並べる間中、葵はつい彼女の横顔をしげしげと観察してしまう。

 黒目がちの大きな瞳、小動物を彷彿とさせるふっくらとした頬、きめの細かい白い肌は、どう見ても20代のそれだ。

 それなのにどんなに無理をしても35歳は超えているということになる。

 葵の脳裏を自分の母親の姿がよぎり、世の中の理不尽さを改めて噛み締める。


〈……葵ちゃん、今「世の中って不思議だな」とか思ってるでしょ〉


 葵の思考回路なんて、雪乃にはお見通しのようだ。


「いや、その、それはだな、そんな事決して、」

「北里さん、おばあさまはいらっしゃいますか?」


 葵と雪乃の会話に苦笑しつつ、可奈子は北里に尋ねた。

 一方、雪乃の姿が見えていない北里は不思議そうに首を傾げてから、可奈子の問いに答える。


「先ほどお帰りになられましたよ。現在はお部屋にいらっしゃるかと思います」

「そうですか、ありがとうございます」


 まだきょとんとした顔――そうすると、もっと童顔に見える――をしながら、北里さんは一礼して出て行った。うーん、完璧すぎるほど完璧な女中さんだ。

 学生鞄を置いた可奈子は、まずおばあさまに事情を説明してきます、と言い残して客間を出て行った。

 残された3人は出されたお茶菓子などに手をつけながら、犬神家と庶民の財政の違いについての話題で盛り上がった。このような話題が出るのも庶民である所以なのだろう。

 和菓子は甘く、緑茶は熱く渋かったが、セットにするとそれらが絶妙にマッチしていて上品な味に納まっているので、甘いものが苦手な葵でも美味しくいただく事ができた。

 普段、和菓子とは馴染みのない葵でも、これが高級なものという事くらいはわかる。三度犬神家と自宅の差を思い知り、「大丈夫でしたよ」と帰ってきた可奈子に対し、やるせなさを感じてしまう葵であった。


「……ところでさ」


 誰よりも早く茶菓を完食した和輝は、おもむろに口を開いた。全員の視線が和輝に集まる。


「犬神サンのおばーさんって、そんなにスゴいヒトなの?」

〈あ、それあたしも気になってた!〉


 雪乃がテーブルから身を乗り出す。確かにそれは葵も気になっていた事だった。

 全員の期待と興味のこもった眼差しが可奈子に集中する。しかし可奈子は、


「会えばわかりますよ」


 とにこやかに返すだけだった。

 それからしばらくは他愛のない話が続き、出された湯呑み茶碗が空に頃になりかけた頃、可奈子がすっくと立ち上がった。幼さの残る顔立ちに、彼女にしては珍しく、悪戯を企てる子供のような表情を浮かべ、一言。


「それじゃあ、行きましょうか」



 客間を出た4人は、可奈子の祖母のいる部屋へと向かう。

 木目の浮いた廊下を歩きながら、葵はこれからお目見えする可奈子の祖母がどのような人物なのか、想像を巡らせていた。

 客間で聞いたところによると、生まれつき高かった可奈子の霊力を見込み、霊に関する様々な術――主にお祓いの仕方やお札の扱い方――を教え込んだのが可奈子の祖母だという。

 私なんかよりもずっとすごいですよ、と言った可奈子の顔はどこか得意げであり、それだけで可奈子が祖母を随分と慕っているというのが伝わってきた。

 葵からすれば、成仏仕掛けた雪乃を現世に留めたり、口寄せを簡単にやってのける可奈子ですら自分とは格の違う存在だと思っていたのに、更にその上がいるとは驚きを通り越して唖然である。

 ……きっと、そういうオーラが全身から滲み出てるような威厳のある人なんだろうなあ。

 葵の脳内では、勝手に『恐そうな人』というイメージが出来上がっていた。


「ここです」


 気がつけば廊下は突き当たりであり、葵たちの眼前には何の変哲もない襖が立ち塞がっていた。

 それにしても、家の廊下にしては長い距離を歩いた気がする。やはりこの家の広さは見た目と違わないようだ。


「おばあさま、入りますよ」


 可奈子が襖の向こうに声をかける。

 心なしか、襖からは威圧感が漂ってきている気がして、葵は唾を飲み込んだ。横を見ると、雪乃は緊張の面持ちをしており、和輝はそわそわと身だしなみを整えていた。


「――――どうぞ」


 そう返事をしたのは、意外にも穏やかな声音であった。

 実は、そんなに恐い人じゃないのかもしれない。

 少しだけ安堵感を感じると同時に、しかし葵はその声に妙な引っかかりを覚えた。

 だが、その違和感の正体が何なのか確認する間もなく襖は開かれ――――そして、葵は思わず「え?」と呟いた。

 悠然と微笑むその人は、決して葵が想像していたような厳格な人物ではなかった。

 むしろその逆で、目元に刻まれた深い皺も、真っ白の髪も、口元に浮かぶ自然な笑みも、その全てが流れる小川のような穏やかな雰囲気を発している。

 ただ――――それらの特徴は、全て葵たちが見た事のある特徴であったが。


「いらっしゃい」


 穏やかな声音で、その人物が3人を迎える。

 それでようやく止まっていた時が動き出し、葵は当然の疑問を無意識のうちに呟いていた。


「なんで、先生がここに…………?」


 葵たちの目の前にいる人物こそ、清泉高校美術科教師・大友タエその人であった。



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