第十一話
「お、大友先生!」
〈何で先生がここに・・・〉
「うふふ、こんにちは」
大友は、まるで廊下で挨拶を交わすような口ぶりだったが、先ほどのセリフからはこの状況が完全に飲み込めているように思える。
・・・ということは、大友にも霊感があるのだろうか。
唐突すぎるシチュエーションに、葵はかなり狼狽した。
「えーと、あの」
「今はこの子をどうにかしないとね」
霊が見えるんですか、と続けようとしたが、その手前であっさりと遮られた。
大友は、今はベッドで眠る和輝と消えかけのセーラー服少女を交互に見やる。
「片桐さんはこの少女に憑依されたのでは?」
落ち着きを取り戻したらしい可奈子は、冷静な声で問う。
やはり大友には霊感があり、しかも可奈子の知り合いらしい。
葵は、和輝と保健室に向かう途中、大友に『仲がいいのね』と声をかけられた時の事を思い出した。
あれは和輝との事を言ったんじゃない、その隣にいた雪乃との事を言っていたのだ。
まさか大友に霊感があるとは思ってもいなかったので、その時は何のことかさっぱりわからなかったが。
「まあ、見てなさいな」
そう言うと、大友は指を組み小声で二言三言唱えた。
すると、消えかかっていたセーラー服の少女の身体がみるみるうちに元の状態に戻った。
まるで可奈子が雪乃の身体を元通りにした呪文の強力版、といった感じだ。
その鮮やかな手順に、少女は礼を言うのも忘れぽかんと見惚れていた。
「さて、これで半分」
「半分?」
「そう、あとの半分は・・・」
大友は葵たちに背を向け、ゆっくりとした足取りで和輝のいる方に向かった。
和輝は先ほどと同じように眠っているが、大友は無言でその前に立った。
「下手な芝居はもうおやめなさいな、早くその子から出ていらっしゃい」
眠っている和輝に向かって穏やかな声で語りかけるが、本人は夢の中なので当然というかやはりというか、反応はない。
「出てこないっていうのなら、実力行使でいこうかしらね」
そう言って、1歩和輝に近寄った時だった。
〈・・・やれやれ、バレちまったか〉
「なっ!?」
和輝のよりももっと低い、聞き覚えのない声がどこからか聞こえた。
そして和輝の身体から煙の塊のようなものが発生し、それは宙に留まるとゆっくりと形を成した。
「こいつは・・・?」
〈まったく、そこのガキさえ邪魔しなけりゃこいつの身体は俺のモンだったってのによ〉
セーラー服の少女を顎でしゃくるその霊に、葵は見覚えがあった。
昼休みに桜の木の陰で、そしてさっき和輝を保健室に連れてきた時にはベッドの側にいた、男子生徒の霊である。
気のせいか、彼の周りにはどろどろとした黒いオーラがまとっているように見える。
「ど・・・どういう事ですか?」
セーラー服少女が和輝の身体に憑依したものだとばっかり思っていた可奈子は、困惑を隠すように大友に尋ねた。
「見ての通りね・・・まあ、詳細はその女の子に聞きなさい。それで、あなた」
〈あぁ?〉
「念のため聞くけど、自分から成仏したい、という気はある?」
〈ひゃはっ、バカかあんた。そんなヤツが人に入ったりすると思うのかってーの〉
へらへらと馬鹿にしたように笑う男子に、葵は眉をひそめた。
隣を見ると、雪乃も自分と同じような顔をしている。
可奈子はと言えば何か考え込むような表情をしていたが、唐突に男子生徒に問いを投げかけた。
「・・・もしかして、あなたは2年前にバイク事故で亡くなった生徒では?」
それに男子はぴくりと反応する。
〈・・・よく知ってるじゃねーか〉
「最近うちの学校で人が亡くなったのなんて、その事故くらいですから」
その事故の件は葵もよく覚えていた。
まだ1年生だった頃、当時の3年生の男子生徒が無免許でオートバイを乗り回して、カーブを曲がり切れずに崖から転落、即死したという話だ。
「何故水城さんの身体に憑依を?」
〈はん、そんなの決まってるじゃねーか。もっと遊びてーからだよ〉
〈・・・じゃあ、葵ちゃんを殺そうとしたのは?〉
〈いやさ、俺1回人を殺ってみたくてよ〉
ぬけぬけと言ってのける男子学生に、思わず絶句する葵たち。
こんな輩に下手したら絞殺されていたかもしれないと思うと、恐ろしいを通り越して情けなくなった。
「さてと、そろそろいいかしら」
会話がひと段落したのを見て、大友が間に入って来た。
「部活の子たちに何も言ってこなかったから、早く戻らなきゃいけないのよ」
〈ああ?何言って・・・〉
「最後にもう1度だけ聞くけど、成仏する気はある?」
〈何度も言わせるなよ、そんな気はさらさら――〉
「そう」
大友はため息をつくと、男子生徒に向かってすっと手を伸ばした。
その時、ブラウスの袖が引っ張られてちらりと見えた手首に、数珠のようなブレスレッドが光っているのを葵は発見した。
そして伸ばされた手が男子生徒に触れた瞬間。
〈な――!?〉
次の瞬間には、もう全ては終わっていた。
あの男子生徒の霊が、跡形も無く消えていたのだ。
「これで除霊も終わった事だし、私は部活に戻りましょうかね――犬神さん」
「あ、はい!」
「もっと修行が必要ね」
「う・・・」
意味ありげな言葉を可奈子に残すと、大友は何事もなかったかのように保健室を出て行った。
後には開いた口が塞がらない葵と雪乃、同じくぽかんとしているセーラー服の少女、何か言いたげだった可奈子、眠る和輝、そして倒れた机やイス、散乱したペンや体温計などが残された。
〈えっと・・・ねえ、お名前は?〉
雪乃は、隅でじっとしていたセーラー服の少女を覗き込んだ。
すると少女は人懐っこそうな笑みを浮かべ、答えた。
〈サトミ。西野 サトミっていうの〉
***
〈そっかあ、大変だったねサトミちゃん〉
ひと通り保健室の片付けを終えた葵たちは、サトミから事情を説明して貰っていた。
それによると、こういう事らしい。
病気により13才という若さで亡くなったサトミは、大学生の兄を探して彷徨っていたのだという。
そんなある日、たまたま和輝を発見するのだが、探している兄に酷似していたので、ついつい懐かしくなって取り憑いてしまった。
そして今日、和輝が人格ごと男子学生の霊に奪われかけているのを、身体の中で必死に阻止していた。
「ごめんなさい、私が未熟なばっかりに危うくサトミちゃんを・・・」
〈仕方ないよ。気にしないで〉
目を伏せた可奈子だったが、サトミは全く気にしていないようだった。
そのあどけない笑顔を向けられ、可奈子もありがとう、と微笑み返す。
子犬みたいな可愛さを持った子だな、と葵は思った。
「ね、犬神さん」
「何でしょう?」
「あの男子の霊は、どうして和輝に憑依したんだ?」
「2つ考えられる事がありますね。まず1つは、体調不良。霊は弱っている人を狙ってきます」
それなら納得できる、と葵は思った。
何せ、授業中に頭痛がすると言って和輝を保健室に連れてきたのは、他ならぬ自分なのだ。
「もう1つは・・・これは私の推察でしかないのですが、片桐さんは霊に狙われやすい体質かと」
〈狙われやすいって、そんな体質あるの?〉
最もな雪乃の疑問に、可奈子はゆっくりと答え始めた。
「人が生きるのには、『身体』という器に『魂』――これはいわゆる霊体や心と同意義です――が入っていなければなりません。雪乃さんやサトミちゃんのように、『身体』の生体機能が保てなくなると、それはすなわち『死』であり、『魂』は、不必要となった身体から離れ、今の2人のようになります」
そこで一旦切って、可奈子は雪乃とサトミの顔を見た。
「普通、生きている間は、『身体』と『魂』は同じ形の紙を2枚重ねたようにぴったりと適合しているものなのですが、片桐さんはそれが少しばかり『ズレて』います」
そこで可奈子は一呼吸置くが、誰も何も言わなかった。
葵も含め、みんな可奈子の話を理解するのに必死なのだろう。
「詳しい理由はわかりませんが、こういった特徴を持つ人の多くは、臨死体験をした事があるらしいです」
「それなら和輝、中学の時にプールで溺れかけた事があるぞ!」
中1の夏、プールでいじめられていた葵を身体を張って助けた時に溺れ、救急車を呼ぶ騒ぎにまでなった事があった。
それがキッカケで今の和輝との関係があるようなものなので、葵はその事件をよく覚えていた。
「・・・多分それが原因ですね」
〈身体と魂がズレてると、何か問題でもあるの?〉
「心身にズレが生じているという事は、それだけ霊が憑依しやすい、という事です」
同じ形の2枚の紙がぴったり重なって糊付けされていたら剥がすのは困難ですが、ずらして貼ってあれば容易に剥がせるでしょう、と可奈子は付け加えた。
〈つまり、キンパツ君の魂を無理やり引き剥がして、身体を奪おうと・・・?〉
「そうだと思います」
葵の背筋に冷たいものが走った。
サトミが抵抗していたとはいえ、あの男子の霊の方がサトミより『強い』のは何となくわかった。
もしあのまま手遅れになっていたら――と思うとぞっとした。
「憑依されやすいというのは、取り憑かれやすいという事でもあります。まあ、今回のような事態は稀ですが・・・」
それでか、と葵は納得した。
サトミに取り憑かれる以前も、和輝は子どもや女性の霊などをよく連れていたのだ。
〈稀ってことは、もうキンパツ君が憑依されるって事はないの?〉
「それは何とも言えませんが、あの男子の存在はかなり稀ですね」
可奈子は、珍しく苦笑交じりに答えた。
〈稀って?〉
「あの男子を、黒いオーラが纏っているのが見えませんでしたか?」
それなら見た、と葵が言おうとした時。
「う、うーん・・・」
どうやら和輝が目を覚ましたらしい。
葵は、急いで和輝の寝ているベッドに駆け寄った。可奈子と雪乃、サトミも後に続く。
「和輝、大丈夫か!?」
「・・・あれ、葵? 今何時?」
これは元の和輝だ、とほっとしたら、全身の力が抜けた。
「和輝・・・良かった」
「ん、何が?」
「いや、覚えてないならいいんだ」
覚えていないのならわざわざ話す必要はないだろう、と葵は判断した。
和輝はぼーっとした表情で起き上がると、辺りを見回した。
「ん・・・犬神、サン?」
「大丈夫みたいですね、良かった」
「と、その隣の女の子は?」
和輝の視線が可奈子の隣に移動する。一瞬、誰もが言葉を失った。
今保健室にいる女子は、可奈子と雪乃、それにサトミだけなのだ。
〈・・・え?〉
「あれ、そっちのセーラーの子は他校? 今度一緒に遊ばない?」
「・・・もしかしてお前、この2人が見える、のか?」
「なーに言ってんだよ、葵。こんなにハッキリ・・・って、あれ」
和輝はごしごしと目をこすった。
「・・・あれ? 俺、まだ寝ぼけてんのかなぁ。2人が透けて見えるんだけど」
固まっていた葵は、ぎこちなく口を開いた。
「い、犬神さん。こんな事ってあるのか?」
「・・・少なくとも、私は初めて見ました」
葵は思わず自分の手をつねってみるが、しっかりと痛みを感じた。
〈こ、こんにちは〉
「おう、君の名前何ていうの? 俺ね、片桐和輝っていうんだ」
目覚めた和輝は、はっきりと霊の姿を認識することが出来るようになっていたのだった。
「和輝がプールで溺れた話」は、いずれ番外編として書こうと思ってます。