7 7月28日★
「今日は菜っ葉の日らしいんで、菜っ葉が食べたいですね、大島さん!」
お昼前、午後作業分のトレース図面を桃に渡そうとしたら、いきなりそう言われた。
「は?」
海が不機嫌そうに顔をあげると、桃はニコニコしながら、
「今日は菜っ葉の日なんですよ」
ともう一度繰り返した。
(馬鹿馬鹿しい)
今は気がたっているので、桃とそんな無駄話をする気にもなれない。
だから適当に流すと、桃は空気を読まずに言葉を続ける。
「何で菜っ葉かなあって思ったんですけど、7月28日で、728でしょ? それで7(な)2(つ)8(ぱ)なんですよ! 私、感動しました!!」
相変わらずコイツの感動閾値は低すぎる。そう思いながらも、ここまで無神経に無邪気にこられると、八つ当たりするのも馬鹿馬鹿しくて、
「そうか。分かった」
と相槌で返した。
桃はニコッと笑うと、
「今日のお昼は食堂で菜っ葉あるといいですねー!」
なんて言い残して満足したように戻っていった。
海はそんな後ろ姿をチラリと横目に見ると、軽く溜め息を逃して、先程、主任に怒鳴られた案件の見直しを始めた。
☆☆☆
昼休み、食堂派の海はいつも白土と食べに行く。友達にはしたくないが、仕事仲間としては嫌いではないので、食事は専ら白土と食べに行くのが定番だった。
いつも通り、天ぷらそばを選んで、いつもは選ばないのにほうれん草のゴマ和えの小鉢を追加すると、白土が目ざとく尋ねてくる。
「珍しいな、小鉢つけるなんて」
「今日は菜っ葉の日だって、酒田が言ってたからなんとなく、だ」
言った瞬間、ぶふっと不気味に白土が吹き出した。
「何だよ」
「お前のそう言う素直なところ、俺スゲエ好き!」
眉間に皺を寄せ、露骨に白土から離れると、白土はポンポンと海の肩を叩きながら言う。
「ほんと、酒田ってお前の扱いうまいわー」
「はあ?!」
訳の分からないことを言われて海が顔をしかめると、白土はニヤニヤしながら、海を見下ろした。
「昼前の佐藤主任との言い争い。殆ど言いがかりだったじゃん。あの人も引くに引けない人だからなあ。
お前もマジで切れそうだったから、今日の昼は俺、八つ当たられ担当だと思ったのに、小鉢一つで機嫌直すんだもんな、大したもんだよ」
「っな....!」
昼休み前、桃に仕事を渡す直前まで、確かに海は主任と口論になりかけていた。
たまたま主任の虫の居所が悪かったらしく、そこに海が、ミスとは言えないが、つつかれやすい案件をうっかりもっていってしまい、大人気なく理不尽に叱られたので、かなり苛ついた。
そして図面トレースを終えた桃がノコノコやってきて、どうでもいい菜っ葉の話をしていった。
聞いた当初はイライラしていたが、案件の見直しをしていくうちに、
(728で菜っ葉かよ。なんかうまいんだか、下手なんだか分からないゴロ合わせだな)
なんてどうでもいいツッコミが頭の中で浮かんで、気がついたらお昼になっていて、気がついたらほうれん草の小鉢をトレーにのせていた。
「偶々あいつがそんな話もってきただけだろ」
桃は偶に無駄話をする。その内容は天気のことから、最近好きなものまで様々だ。長時間話すわけではなく、ちょこっと話していくので、海としても特に気にしてはいないし、それが桃だと思っていた。
だから、次の白土の言葉に目を見開いてしまう。
「偶然じゃないでしょ? 大島がイライラしてたから、空気抜きしてくれたんじゃん」
「アイツがそこまで考えてるか?」
確かに気配り上手とまではいかないか、ある程度気配りは出来ているとは思う。
だが、菜っ葉程度の話題で、しかもあんな能天気に話しかけたことが、海の機嫌を直そうとしたとは到底思えなかった。
白土はニンヤァと、また猫みたいに笑って、海を見る。
「だってお前機嫌直ってるじゃん」
「ぐ」
確かにそう言われたら言い返せないが、それは海が桃に好感を抱いているから、話したことで息抜きできたとも言えなくもない。
菜っ葉の話題だから、という訳でもないだろう。
言い返しはしなかったが、思ったことを見透かしたみたいに、白土は「まあ、菜っ葉なんてどうでも良かったんだと思うけど」と言った。
「ただ、タイミングは狙ったろうね。あんなギスギスした大島の所に、ノホホンと仕事貰いにいくんだもんな。ある意味、凄いよね、彼女」
白土がしみじみ感心するので、海は七味を蕎麦にかけながら、「考えすぎだろう」と切って捨てた。
「せっかくお前が当たられ役に立候補してくれたんだから、当たってやろう」
「へ? うわっ! 俺、七味苦手なのに!!!」
涙を浮かべてヒーヒー言いながらも、それでも白土はうどんを完食した。
☆☆☆
午後一に午前中の案件を主任に見せにいくと、主任は午前中の不機嫌が嘘のように
「そのまま、相手方にメールで連絡してくれ」
と了承してくれた。
だったら午前中にグチグチ絡むなよ、と内心思ったが、上手くいけばそれでいい。
海が席に戻ると、桃がトレースした図面をもって席にくる。
「大島さん、2件、質問してもいいですか?」
「あぁ、なんだ?」
桃がもってきた質問に答えると、桃は青ペンで訂正個所を書き留めて、「ありがとうございます」と席に戻ろうとした。
「あ、酒田」
「はい?」
「菜っ葉、食べてきたぞ」
そう言うと、桃はニコッと笑った。
「それは良かったですね」
もっと何か言ってくるのかなとも思ったが、拍子抜けするくらいアッサリそう言うと、桃は席に戻っていく。
(やっぱり、白土の思い過ごしだろうが)
自分はそんなに単純じゃない。
菜っ葉程度で気晴らしになる訳じゃない。軽口程度で気晴らしになるわけでもない。
(まぁ、それでも.....
あの時、酒田がどうでもいいこと言ってくれたのは良かったんだろうな)
下手に同調されたりしたら、更にイラついて、主任に午後一で案件をもっていけたか怪しい。
(今度、飲みにでも誘うか)
暑気払いでも兼ねて声をかけようと思いながら、海は仕事に集中した。
菜っ葉の日を教えてくださったエニシダさん、ありがとうございました。