4 7月11日★
酒田桃と蕎麦酒屋で鉢合わせしたのは、去年の暮れも暮れ。12月31日の昼過ぎのことだった。
たまに独りで飲みに行く海にとって、そこは会社を忘れて飲める息抜きの場所で、そんなところに会社の、しかも同じ職場で仕事も重なる奴と会うなんて、想定外だった。
しかも、酒田桃も自分と同じ独りでカウンターに座って飲んでいる。
こんな日に限ってカウンターの席は連れ合い同士で埋まっており、残された席は桃の隣だ。
海は一瞬戸惑ったが、桃が横の席を引いて座るように促してきたので、観念してそこに座る。
「何してんだ、お前?」
「年越し蕎麦食べに来たんですよ。うち、ここの蕎麦屋からタクシーでワンメータなんで」
そう言えば、会社から桃の実家が近いようなことを聞いたことを思い出した。海は会社から二駅離れたここが距離的に気に入ってアパートを借りているが、実家暮らしでこんなに近いなんて、なんとも羨ましい話だと思った。
「よく来るのか?」
「そうですね。割と頻繁に。
あ、おとーさん、お猪口、もう一つ」
店主とも気安い仲らしく、愛想良くお猪口を受け取ると、それを海に渡した。
「日本酒、いけますよね?」
飲み会での飲み方を知っているせいか、自分で飲んでいた徳利から海にもついでくる。
---というか、若い女が大晦日の昼間から、独りで日本酒かよ。
お酌してもらった手前、言わなかったが、色々と突っ込みどころが多すぎる。
「せっかくの大晦日ですからね」
上機嫌な桃はくいっと自分の酒を飲み干すと、手酌しそうになったので、慌てて海がそれを制した。
「俺がする」
と言えば、
「あれ? いいんですか。すいませんね」
と桃が返す。
とくとくとく、と淡い音をたてて注がれる酒を、桃は目を細めながら見ていた。
会社の女の子と、こうして二人で飲むときは、大抵付き合った時だったり、狙ってデートした時ぐらいだったので、偶然鉢合わせしてというシチュエーションは、なんだかこそばゆい。
しかも相手はよく知る人物だ。
どうにも具合の悪さを流し込もうと、お酌してもらった酒を、くいっと煽った。
---お。
煽った瞬間、口内、舌、喉元を通り過ぎる酒の、スッキリとした飲み口に思わず、口を開く。
「旨い酒だな」
桃の目の前に置いてある一升瓶がそうなのだろう。
「山形の方のお酒らしいですよ。スッキリしてて、飲み口いいですよね」
自分と同じ感想なことに、思わず口元を弛めると、それを見計らったかのように、桃が「もう一杯どうぞ」と注いできた。
その日は結構楽しく酒を飲んで、夕方にはお互い結構酔った状態で別れていた。以来、何の気なしに誘い合う飲み仲間になってしまったのは、今思い返してもどうしてなのか分からない。
☆☆☆
「何、真剣に選んでんのさ」
コンビニのガム売り場で立ち尽くしていた海の肩に、無遠慮に置かれたのは無精ひげを生やした侍の生首、もとい同期の白土健輔の頭だった。
男の癖に、肩まで伸びた髪は伸ばしたわけではない。仕事が忙しくて、のびきったものだ。その髪を男ながらに、一つに束ねているので、世が世なら落ち武者にしか見えない。
彼をかろうじで現代人にしているのは、そのワイシャツとチノパンだけだろう。
海は大きくため息をつくと、肩をずらして白土の顎をよけた。
「朝っぱらからお前の顔か」
「珍しいね。食堂派のお前が朝からコンビニなんて」
興味津々で白土が聞いてきたが、海はその言葉を軽くシカトする。
いちいち付き合っていたら、埒があかない輩だからだ。
白戸もシカトには慣れているらしく勝手に話しかけてくる。
「ガムボトル? そんなの休みの日にホームセンタで買った方が安くね?」
そんなことは海だって分かっている。
ただ、シトラスミント味のこのガムボトルは、海の行動範囲ではコンビニでしか手に入らない。
だから会社に行く前に買おうとしていたのに、寄りによって白土に会うとは、と思わず嘆息した。
そのまま、ガムボトルだけ持ってレジに並んで会計を待つと、待たなくてもいいのに、外で一服しながら白土が待っていた。
「ガムだけ買ったんだ」
「あぁ」
そのまま、二人で会社に向かって歩き出す。
「で?」
「......」
「誰かにあげんの? それ?」
「はぁ?」
思わず問い返せば、白土はニヤリと笑って、
「簡単なことさ、ワトソンくん」
と言ってくる。
「お前、ガムはいつもボトルじゃなくて、100円の買うじゃん。しかも売店で。なのに、わざわざ、朝、コンビニで、ガムボトル! どう考えても自分のじゃないよな?!」
ウザイ上にしつこい。そして鋭い。
同期でなければ、友人にもしたくない輩だと思いつつも、観念して海は言う。
「酒田が、昨日が誕生日だって喚いてたから、買ってやったんだ」
ガムボトル位なら、同僚の域は越えてないだろう。下手に隠し立てして邪推されても適わないからそう言えば、白土はニンヤァと品のない笑みを浮かべた。
「ふぅん。そう。誕生日ねぇ」
「アイツが自分で言ってたんだ」
尤もそれは去年のことで、「納豆の日が私の誕生日なんですよー!」と
喚いていたから、覚えていたに過ぎない。
今年もそう喚いてくれたらいいのに、金曜日は何も言わずに帰ってしまった。休み前に言ってくれた方が余程用意した理由にもなるというのに。
人にたかる癖に変なところで遠慮しいなのは、桃の良いところであったし、悪いところでもある。
「もう誕生日過ぎたのに、わざわざ、コンビニで、朝に、買っていってあげるんだ?」
痛いところをピンポイントでついてくるんだから、いやらしいことこの上ない。
「悪いか。いつも世話になってるしな」と開き直ったら、「御馳走様です」と合掌されたので、遠慮なくその後頭部を叩いた。
「付き合うようになったら、教えてね」
白土が叩かれた頭をさすりながら、そう言った。海は苦笑しながら、首を軽く横に振る。
「それはないな」
「何で? 好きじゃないの?」
「そういう関係じゃない」
好きじゃないわけではない。
飲み仲間としても、とても飲みやすい気の置けない相手だし、早いうちから、好感が好意に変わったことも自覚している。
だけど、そこから先を考えることが出来ない。
一緒に飲むのが楽しいから、その関係が崩れるのが怖いのかもしれない。
それに桃だって、自分を異性として見ているか怪しい。
昔からこの身長のせいで、異性からは[友達]扱いされることが多かった。それで勘違いして、玉砕した恥ずかしくも苦い思い出も、実は、ある。
だから、この関係をワザワザ自分から壊したくはないのだ。
「もっと分かりやすいもの、買って送ればいいのに」
白土がそう言ったが、それこそ余計なお世話だ。
---分かられちゃ、困るんだよ
分かるか分からないか、ギリギリの線でいい。
「相変わらず、大島はマゾだなぁ」
なんて白土のぼやきを聞きながら、海たちは会社に入った。
☆☆☆
「へへへ。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げて自分の席に戻る桃の背中を、チラリと海は横目で見た。
いつもと変わらない背中。
だが、そこはかとなく嬉しそうなのが、海にも嬉しい。
本当は誕生日だった昨日に渡したかった。だけど、それは二人の関係からは出来ないことで、仕方ないと諦めるしかない。
それでも今日、図らずも自分からねだってきてくれたから、誕生日プレゼントとして渡せた。
本人としては、飴玉1個とか、そんなものだけでよいと思っていただろうから、ガムボトルは破格の待遇だろう。
もし桃から何もリアクションがなかったら、午後の仕事のご褒美という大義名分で渡すつもりだった。
しかし、それでは誕生日プレゼントとはならない。
だから、誕生日プレゼントとして渡せたことが、何よりも嬉しかった。
---やべ。ニヤけそう。
海は顎を乗せていた手を少しずらして、口元を隠そうとしたが、沸き立つ心はなかなか元には戻らない。
観念したように席を立ち、横目で仕事に集中している桃の席を通りながら確認しつつ、部屋の外にでた。
桃の机に、自分の渡したガムボトルがあることを、しっかり確認して。
誕生日、おめでとう。
☆☆☆
誰にも見られないように向かったトイレに白土がついてきて、しつこく海をいじったのは、また別の話だ。