32 9月30日☆(2)
「じゃあ、行ってきます」
そう言って、駅から工場までの道を戻るという奇妙なウォーキングが始まった。
「あぁ、気をつけて」
と私を送り出してくれた大島さんは、とても心配そうだった。
それもそうだろう。これは所謂おとり捜査に近い。しかも、おとりになる私は、刃物の除け方も知らないズブの素人だ。
誰が考えたって無謀だって分かる。
(でも、やるしかないんだろうなぁ)
何もしなくても、ストーカーはやってくる。
この前はただ鞄で叩かれただけで済んだが、いつもそれで済むかは分からない。
いっそのこと、別れてしまえば私だけは楽だろう。
でも、皆それを指摘しない。
一生懸命、私と大島さん、二人が幸せになれる未来を探してくれる。
(お人好しというか、何というか...)
大学のあのサークルでは考えられなかったことだ。
皆それぞれ、表面的に仲良くし、諍いもなく、ただ、ただ、楽しかった。
だけど、会社は違う。
働くことには責任が伴うし、叱られることも頻繁だ。楽しいことばかり追求できたら楽しいだろうが、それではお金が稼げない。
職場によっては、ギスギスしたり、下手をしたら大学生より質の悪い子供っぽい人たちのいる職場があることは、就職して周りからの話から知った。
でも、【ここ】は違う。
サチがいて、ちとせちゃんがいて、男の人たちも皆優しくて。
本当、奇跡みたいに優しい職場だと思った。
(そんな場所で大島さんに出会えたことは、凄く運が良かったんだろうな)
信じてもいいのかな?
信じても大丈夫かな?
そう思いながら一歩一歩道を踏みしめると、やや遠くの電柱の影に人がいた。
一瞬、ピクリとしたが、それがちとせちゃんだとすぐ分かったので、安心する。
(そんなところいたら、バレバレじゃん!)
意外に抜けているのかな?と思わず苦笑いして、
今度こそ、息を飲んだ。
(何、あれ?)
女が、いた。
ちとせちゃんの背後。
ゆっくりと、歩いてくる女が見えた。その女はちとせちゃんに近付いていく。
ちとせちゃんは背後に気を配ってないらしく、その女が近付くのに気づいていない。
キラリ。
遠くの街灯に、女が手に握る何かが光った。
その瞬間、自分でも分からないが、身体が勝手に動いた。
駆ける。そして、叫ぶ。
「ちとせちゃん、後ろ!!!」
ちとせちゃんが後ろを振り向いた瞬間、女が手にしていたナイフを振りかざす。
ちとせちゃんは自分の頭を庇うように、両手をクロスしてそのナイフをよける。
(刺さった!?)
分からない。
だけど、何とかしなければいけなかった。
「誰か、誰か来て!!
大島さん!! 大島さん!!!」
必死で叫んで、ナイフをまた振り上げた女に向かって突進した。
ドンっと女を突き飛ばす。
うずくまるちとせちゃんを庇いながら、突き飛ばした女を睨む。
(この女だ!)
ごくごく普通の女だった。
だけど、その体格、その髪型、全てがあの日、自分をなぐった女と同じだった。
「あ、痛ぅ.....」
「ちとせちゃん、大丈夫?!
誰か、誰か、来て!!!」
私は腹の底から大声をあげた。
女は突然現れた私に動揺しながら、それでももう一撃、ちとせちゃんを狙っている素振りだった。
だけど、女は次の瞬間、プツリと糸の切れた人形みたいに座り込む。
それはある人の声を聞いた瞬間。
「どうした?!」
初めに駆けてきたのは、浅間さんだった。その声に反応して、女は青ざめて座り込む。
「浅間さん、その女の人です!」
私は叫んだが、浅間さんは思いもかけない人を見たといわんばかりの顔で、大きく目を見開いた。
「佐川さん.....」
浅間さんがポツリと呟く。
「佐川さんて隣の女の人?」
私の背後にいたちとせちゃんが起き上がって、浅間さんに確認した。
(隣? え?)
混乱する私に、更に混乱する言葉を投げかけたのは、その佐川さんという女だった。
「どうして...どうして?!
浅間さん! 私のこと愛してるって言ったじゃない!!」
(...............えええええ?!)
浅間さんはギョっとした顔になり、私より驚いていた。
当然だろう。
探していたのは大島さんのストーカーで、浅間さんのストーカーではない。
だけど、その瞬間、ピタリと頭中でパズルが組み合わさる。
よく似た背格好の私とちとせちゃん。
あの日は途中まで、浅間さんと帰っていた。
今日、狙ったのはちとせちゃん。
「もしかして、私とちとせちゃんを間違えた.....?」
「隼生さんのストーカー?」
ちとせちゃんも思いもかけなかったことらしく、呆然と佐川さんを見て、呟いた。
しかし、その呟きがまずかったらしい。
佐川さんはちとせちゃんの言葉に反応すると、ぐっとナイフを持った手に力をこめ、そのまま勢いよく立ち上がると、その勢いのまま、こちらに突進してくる。
それこそ、浅間さんさえ追いつけないスピードだ。
「ストーカーはあんたでしょおおおお!!!」
突進した先にいるのは、私とちとせちゃんの二人だ。
しかも、また庇っているのは私の方で、この位置で突っ込まれたら、間違いなく被害に遭うのは私の方で。
こんなとばっちり、冗談じゃない!!!
と思いながら、それでもその場を動けなかったのは、私が動いたらちとせちゃんに刺さるって分かったからで.......
色んなことが、酷くゆっくりと、動いていた。
実際は10秒にも満たない時間で、その時間の中で、
私は馬鹿なことに自分の腹筋に力を入れて、足に力を込めたし、
ちとせちゃんは私を押しのけようとしたし、
浅間さんは何とか手を伸ばそうとしていた。
そして、大島さんは、多分、訳も分からず飛び出していたんだと思う。
私が大島さんの名前を呼んだからだ。
「必ず駆けつけるから」
そう約束のように交わされた言葉は、ただの御守りに過ぎなかった筈なのに。
私の前に大島さんの背中。
ドン、と何かを受け止める音。
多分、
佐川さんを受け止めたのだ。
あの女は何を持っていた?
何をしようとして私とちとせちゃんに向かってきた?
確認したくないのに、頭の中で情報は整理され、そして私はまた叫ぶ。
「大島さん!!!!!」
そんなことをしてもらう為に、アナタの名前を呼んだわけじゃない!