3 7月10日☆
「7月10日は何の日だって知ってます? 大島さん」
仕上がった図面を渡しがてらそう問うと、大島さんはチラリと卓上カレンダーを見た。
今日は7月11日。昨日は10日。日曜日だ。それだけ確認すると、大島さんは図面に目を戻して、
「納豆の日だろ?」
と言った。
私の中では想定内。
分かりきっていた回答だから、
「その通りですよぉ」
と口を尖らせる。
まぁ、去年言ったことを今年も覚えていてくれるなんて、そんな図々しいことは思ってもいませんでしたが。
ちょっとは期待してしまった自分が恥ずかしい。
「昨日、納豆食ったのか?」
ふ、と大島さんが顔を上げると、からかうような色合いを目にのせながら私に問い掛けた。
「納豆は毎朝、食べてます!」
「朝から? お前よく朝からそんなの食えるな」
「そうですか? なんか毎日出されるからあんまり気にしてないんですよね」
大島さんは机の引き出しを徐にあけると、「ほら」と私に差し出してくる。
迷わず手を出して受け止めてしまうあたり、私の賤しさが出てしまった気がしないでもないが、貰えるものは貰います。
ぼす。
掌に置かれたのはミントガム。しかも一つとかではなくて、ボトルガム。
「でかっ」
「やる」
大島さんはもう図面に目を戻して、チェックを再開し始める。そして、「よし、OK。次はこっちのトレースな」と、ペラリと一枚の図面を寄越してくる。
但し、1枚であっても、精密機械の構造がびっしり細かく書かれた図面は、ちょっとやそっとでは終わらなそうだ。
まぁ、トレース、嫌いじゃないから全然構わないのだが、問題はこの手に乗っかったガムボトルだ。
しかも未開封。味は私も好きなシトラスミント味。ガムは甘くない方が長く噛めるよね、と思いつつも、こんなの渡されたら、いくら物怖じしない私だって、邪推してしまう。
「私の口臭、納豆臭いですか?」
心配になってそう問うと、大島さんはキョトンとしてから、苦笑した。
椅子に座っていると、そんなに背の小さいことも分からない大島さんのそんな表情は、意外に年相応に見える。
「違う。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
大島さんはニヤリと笑うと、片肘を机について、顎を乗せて、私を見上げる。
そして、チラリとカレンダーを見る。
「昨日、7月10日なんだろ?」
「---!」
「年の数より多めに入ってるやつ買ったんだから、感謝しろよ」
分かってて、ワザとか!
ぐぅっ、と思わず唸れば、大島さんはニヤリと笑って
「ほら、仕事しろ!」
と私を追い立てた。私は兎に角お礼だけはきちんと言って、新しい図面と、ガムボトルを手に入れて、席に戻る。
別に貰えるとも思ってなかったし、覚えていて何か貰えるとも思わなかった。
去年と同じように、
「私の誕生日なんですよー!」
って、笑いながら白状して、あわよくばおやつでも貰えたら、って思ってたから、ちょっとこれには参った。
「くそ。何か負けたー」
ヨロヨロしながら席に戻ると、隣の席で同僚の花川祥子が、私の顔を見てぼやく。
「負けた言いながら帰ってきたわりには、あんた、満面の笑みじゃん」
一つ年上だけど、殆ど同時期にこの部署に入ってきたせいか、私とこのサチは、名前呼び捨て、敬語抜きのかなり気の置けない仲だ。
「で、戦利品はあったの?」
サチに促され、私は貰ったガムボトルを自分の机に置く。
「へぇ。知らなかった割には結構いいものくれたね」
「いや、知ってて、これみたい」
サチが「そうなの?」と面白そうに聞いてくる。
「じゃあ、桃の為にワザワザ買っといたんだ」
あう。
やめてー。そんなことをいちいち言わないでくれ。
きっと、机に入っていただけのはず。
変な期待をさせないで。
頬が自分でも赤くなるのが分かったが、それをごまかすようにパソコンのモニタスイッチをオンにした。
ガムボトルはそのまま、見える配置にセッティングすると、
「ここに乙女がいます~」
とサチが小声で言ってくる。
「うるさい。黙れ」
「ほんと、あんたたち、何で付き合わないのかしら?」
更に小声でそう溜め息を吐かれたが、それには応えない。
答えられないから。
一瞬、今年の年始を思い出して胸がチクリと痛んだが、ガムボトルを見てそれを流し込む。
「どーれ。頑張りますか!」
「はいはい、がんばってー」
気の抜けたサチの声を聞き流しながら、私は午後の作業に集中し始めた。